T大入学式と、年下旦那様の噂
四月二日、春の陽光が眩しく降り注ぐ、日本武道館。
最高峰の頭脳が集う東京大学の入学式が、厳かな雰囲気の中で執り行われていた。
数千人の新入生と保護者が埋め尽くす会場の中で、ひと際異彩を放つ美しさを誇っていたのは、文科一類の新入生代表として登壇した夏目涼香だった。
黒の洗練されたパンツスーツに身を包み、流れるような黒髪をなびかせてマイクの前に立つ姿は、まさに『氷山姫』の二つ名にふさわしい凛とした気高さを放っている。
「……私たちは、伝統ある東京大学の門をくぐり、学問の深淵へと足を踏み入れます……」
澄み切った声が武道館全体に響き渡り、新入生や教授陣の誰もが息を呑んで彼女に見惚れていた。
しかし、登壇する涼香の琥珀色の瞳が見つめていたのは、二階の保護者・来賓席の最前列で、自分の胸元に手を当てながら温かく見守る橘樹の姿だった。
(……樹くん。私、あなたの誇れるパートナーとして……この新しい舞台に立ったわ)
涼香の胸元で、スーツの隙間から覗く藍色のサファイア――樹が冬の海で贈ってくれたネックレスが、春の光を受けて密かに、けれど強く輝いていた。
入学式が無事に終了し、武道館の外は新入生やサークルの勧誘、そして家族や友人たちでごった返していた。
スーツ姿の優秀そうな男子学生たちが、「さっきの代表の女の子、凄く綺麗だったな」「挨拶してみようか」とざわつく中、涼香は周りの視線を一切視界に入れず、人ごみをかき分けて真っ直ぐに一人の少年へと駆け寄った。
「樹くん……!」
「涼香! 新入生代表のスピーチ、本当に凄かったです……! 格好よすぎて鳥肌が立ちました」
ダッフルコートを着た樹が、手に抱えていた大きな白い百合とピンクのバラの花束を差し出す。
「これ、入学祝いです!」
「あ……! ありがとう、樹くん……っ!」
涼香は花束を受け取ると、周りに数千人の人がいることも意に介さず、樹の首元へ全力で抱きついた。
「きゃっ……!? り、涼香!? 周りに人がたくさんいますよ……!?」
「いいじゃない。一番にあなたに抱きしめてほしかったんだもの……!」
スーツ姿の超絶美人が、制服姿(高校三年生)の少年に甘えるように抱きつく光景に、周囲のT大新入生や保護者たちの視線が一斉に集中した。
「え、あの新入生代表の子……あんなに甘えてる相手誰……?」
「弟……? いや、距離感近すぎないか……?」
ざわつく周りの声に、樹が顔を真っ赤にしていると、そこへ涼香と同じ文科一類の新入生女子グループが声をかけてきた。
「あ、あの……夏目さん……?」
涼香はそっと樹の胸から顔を上げると、一瞬でいつもの凛とした表情に戻り、優雅にお辞儀をした。
「ええ、文科一類の夏目です。何かかしら?」
「さ、さっきのスピーチすごく素敵でした! ……あの、差し支えなければ、その隣にいらっしゃる男の子は……ご弟妹さんですか……?」
周囲の男子学生たちも耳を澄ませる中、涼香はクスッと愛おしそうに微笑むと、樹の腕を自分の両腕でギュッと抱きかかえ、自分の豊満な胸に押し当てた。
「いいえ。彼は私の『旦那様』よ」
「「「ええええええええっ!??!?」」」
武道館の前で、新入生たちの悲鳴のような驚愕の声が響き渡った。
「だ、旦那様!? 結婚されているんですか!?」
「だって彼、制服……高校生ですよね!?」
パニックになる同級生たちに対し、涼香は誇らしげに胸を張り、樹の肩に頭をチョコンと乗せた。
「ええ。まだ高校三年生だけど、私の最愛のパートナーよ。……私たちはもう一緒に住んでいて、毎朝彼のおいしいお味噌汁を食べてから大学に来ているの」
「涼香っ……! 言い方……! 言い方が紛らわしいです……っ!」
真っ赤になって慌てる樹の反応を見て、女子学生たちは「きゃーっ!」「年下の旦那様!?」「めちゃくちゃお似合い……っていうか夏目さん甘々すぎる!」と大盛り上がり。男子学生たちは失恋のショックで肩を落とすこととなった。
夕方。喧騒を離れ、二人は新居のマンションへと戻ってきた。
スーツの上着を脱ぎ、エプロンを身につけた涼香は、リビングのソファに座る樹の膝の上にちょこんと腰掛け、後ろから彼の首に抱きついた。
「……ふぅ。疲れたわ……」
「お疲れ様です、涼香。今日はたくさんの人に驚かれちゃいましたね」
「いいのよ。これで大学の変な男の人たちに声をかけられずに済むわ。……私の心も身体も、全部樹くんのものだって宣言できたんだもの」
涼香は樹の耳元に顔を寄せ、甘く、くすぐったい息を吹きかけた。
「ねえ、旦那様。……今日のお夕飯の前に……『ご褒美のキス』、戴戴できるかしら?」
瞳を熱く潤ませ、甘えん坊な素顔を見せる『氷山姫』。
樹は愛おしさに胸を焦がし、彼女の腰を優しく抱き寄せると、その極上の唇へと深く、深々と唇を重ね合わせた。
新居に満ちる、二人だけの甘く温かい体温。
T大生となった涼香と、高校三年生となった樹の、甘く輝かしい「放課後同居放閃生活」が、今まさに本格的に幕を開けるのだった。




