二人だけの城と、甘い新婚生活の前夜
三月下旬、春爛漫の東京。
沿道の桜が満開を迎え、暖かな春風が舞い散る街並みを、橘樹と夏目涼香はしっかりと手を繋いで歩いていた。
「……ふふ、樹くん。あそこよ!」
涼香が嬉しそうに指さしたのは、T大のキャンパスから徒歩十分ほどに位置する、築浅の綺麗なマンションだった。
南向きのベランダからは日差しが燦々と降り注ぎ、聖華高校へ繋がる最寄り駅へのアクセスも抜群の好立地。
不動産屋の担当者に鍵を開けてもらい、二人は胸を躍らせながら部屋へと足を踏み入れた。
「お邪魔します……わぁ、すごく明るくて広いですね!」
「ええ! 2LDKでリビングも広々しているし、日当たりも最高だわ」
涼香は部屋の中をクルクルと楽しそうに回り、フローリングの感触を確かめるように軽くステップを踏んだ。
かつて周囲を寄せ付けない冷徹な美貌で『氷山姫』と呼ばれた少女は今、大好きな彼との新しい生活を前に、純粋な少女のように瞳を輝かせている。
「樹くん、ここを私たちの『新居』に決定しましょう!」
「ええ、すごく良いお部屋ですね。……でも涼香、家賃は本当に大丈夫ですか? 僕もアルバイトを増やして半分出しますから――」
「駄目よ、樹くんはまだ高校三年生になるんだから、受験勉強と生徒会の仕事に集中しなさい。お家賃はお父様からの入学祝いの仕送りと、私の貯金で十分賄えるわ」
涼香は樹の前に立つと、彼の胸元にそっと両手を置き、上目遣いで琥珀色の瞳を潤ませた。
「……それにね、お金のことより……私にとっては『あなたと一緒にここで暮らせる』ってことだけで、世界一価値があるの」
「涼香……」
「朝起きたらあなたの『おはよう』を聞いて、二人で朝ごはんを食べて、あなたが学校へ行くのを『行ってらっしゃい』のキスで見送るの……。それを考えるだけで、胸がはち切れそうなくらい幸せなのよ?」
隠すことなく溢れ出る、甘く濃密な愛情。
樹は顔を真っ赤にしながらも、愛おしさに耐えかねて彼女の腰をぎゅっと抱き返した。
「……分かりました。その代わり、お料理や家事は僕が全力でサポートしますからね、僕の『奥さん』」
「ふふ……言ったわね? 旦那様」
二人は誰もいない空っぽの新居のリビングで、日差しを浴びながらそっと深々と唇を重ね合わせた。
契約を終えた二人が次に向かったのは、新宿にある大型インテリアショップだった。
店内には色とりどりの家具や最新家電が並び、新生活を始めるカップルや新婚夫婦で賑わっている。
ショールームのキッチンコーナーに立った涼香は、デザインの可愛らしいエプロンを手に取り、自分の身体に当てて樹に見せた。
「樹くん、どうかしら? このエプロン。似合うかしら?」
「すごく可愛いです! 涼香に似合っていますよ」
「本当? じゃあ、これにするわね。……毎日これを着て、あなたのために美味しいお夕飯を作るわ」
涼香の「新婚妻感」溢れる仕草に、通りかかった周りの客や店員からも「可愛いカップルね」「新婚さんかしら」と温かい視線が注がれる。
涼香は照れるどころか、誇らしげに樹の腕に抱きつき、その存在をアピールするように擦り寄った。
そして二人がやってきたのは、ベッドコーナーだった。
「……樹くん。ベッドはどうしましょうか?」
「えっ……と、シングルベッドをふたつ並べるか、セミダブル……ですかね?」
樹が提案すると、涼香は少し不満そうに頬を膨らませ、樹の裾をギュッと引っ張った。
「駄目よ。……『ダブルベッド』一択に決まっているじゃない」
「ええっ!? ダ、ダブルベッドですか!?」
「当たり前でしょう? 別々のベッドで寝たら、同居する意味がないじゃない。……私は毎晩、あなたの腕枕の中で抱きしめられながら眠りたいの。……嫌かしら?」
瞳をうるうると揺らし、切なそうに見つめてくる涼香。
そんな攻撃をされて拒否できるはずもなく、樹は真っ赤になりながら首を縦に振るしかなかった。
「嫌なわけありません……! じゃあ、ダブルベッドにしましょう!」
「ふふ、決まりね!」
試しに二人で展示用のダブルベッドの縁に腰掛けてみると、涼香はそのまま樹の膝の上に倒れ込み、彼の胸元に顔を埋めた。
「……ん……すごく寝心地がいいわ。これなら毎晩、あなたと甘い夢が見られそう……」
「り、涼香! 店内ですよ、立ち上がりましょう……っ!」
「いいじゃない。誰も見ていないわよ……」
涼香は樹の首元に両腕を回すと、つま先立ちをするようにして樹の頬にちゅっと小さな熱い口づけを落とした。
夕方。必要な家具と家電の注文をすべて終えた二人は、夕暮れ時の新居へと戻ってきた。
家具もまだ何もない、真っ新な部屋。
けれど、そこには二人だけの確かな未来と、温かな愛の予感が満ちていた。
ベランダに出て、オレンジ色に染まる東京の街並みを眺める二人。
涼香は樹の隣に寄り添い、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
「……樹くん」
「はい、涼香」
「私ね、聖華高校であなたに出会えて……本当によかった」
風に黒髪をなびかせながら、涼香は心からの感謝と情熱を込めて呟いた。
「あの孤独で冷たかった『氷山姫』の私の心を溶かしてくれたのは、他でもないあなたよ。あなたがいてくれたから、私はT大にも合格できたし、こうして本当の愛を知ることができたの」
「僕の方こそ……涼香に出会えて、人生が180度変わりました。僕の命よりも大切な、自慢の彼女です」
二人は見つめ合い、寄せる波のようにごく自然に唇を重ねた。
夕暮れの光が二人を包み込み、影がひとつに重なり合う。
試練の冬を乗り越え、満開の春を迎えた二人の純愛は、明日から始まる「二人きりの同居生活」という、甘く甘い永遠の約束へと続いていくのだった。




