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湯けむりの朝と、ふたりだけの同居提案

箱根の山々に朝靄が立ちこめ、小鳥のさえずりが静かに響く早朝。

客室露天風呂の木枠からは、心地よい湯気と檜の香りがふわりと立ち上っていた。


浴衣の裾を少し持ち上げながら、夏目涼香なつめ すずかは足先をそっと湯船に浸けた。


「……ん……温かい……」


澄み切った朝の光を浴びる涼香の肌は、ほんのりと櫻色に染まり、濡れた黒髪が美しいうなじに寄り添っている。

かつて全校生徒を平伏させた『氷山姫』の威嚴はどこにもなく、そこにあるのは愛する人の前だけで見せる、無防備で可憐なひとりの少女の姿だった。


湯船の縁に腰掛け、湯面を揺らしていると、ガラリとベランダのサッシが開く音がした。


「涼香? 早起きですね」


髪を少し濡らした樹が、新しいタオルを手に出てきた。


涼香は琥珀色の瞳を愛おしそうに細めると、湯船の中から樹に向かってそっと手を伸ばした。


「……樹くん。おいで? 一緒に入りましょう」


「えっ……朝からですか!?」


「当たり前じゃない。……昨日の夜も、あなたったら照れてばかりで私を全然抱きしめてくれなかったんだもの。今朝は逃がさないわよ?」


涼香は悪戯っぽくクスッと笑うと、樹の手をキュッと引っ張った。


樹は顔を真っ赤にしながらも素直に湯船へと入ると、涼香は待っていましたとばかりに樹の胸元へとすり寄り、彼の首元に両腕を回してきた。


「……ん……温かいわ、樹くん……」


「涼香……近いです……っ」


「いいの。……ねえ、樹くん。私ね……今、人生で一番幸せよ」


涼香は樹の胸に頬をすり寄せ、安堵の溜息をついた。


T大合格という大きな試練を乗り越え、誰の目も気にせず、大好きな彼と二人きりで過ごす時間。

胸の奥にずっとあった焦りやプレッシャーは消え去り、満ち足りた幸福感だけが二人を包み込んでいた。


「私も……僕もです、涼香。涼香がこうして笑顔で隣にいてくれることが、僕にとって最高の幸せです」


樹が力強く抱き返すと、涼香は嬉しそうに目を細め、ゆっくりと顔を上げた。


「ねえ、樹くん。……私、四月からT大に通うために、大学の近くで一人暮らしを始める予定だったでしょう?」


「はい。物件探し、そろそろ本格化させるって言っていましたね」


涼香は樹の唇にそっと指先を当てると、上目遣いに琥珀色の瞳を輝かせながら、甘く、けれど揺るぎない声で囁いた。


「……一人暮らし……やめにするわ」


「え……?」


「私と……一緒に住みましょう、樹くん」


樹の心臓が、どくんと大きく跳ね上がった。


「同居……ですか!?」


「ええ。ふたりで一緒に暮らすの」


涼香は樹の耳元に顔を寄せ、吐息が触れるほどの距離で甘く言葉を紡いだ。


「あなたはまだ高校三年生になるけれど……私が借りるマンションからなら、聖華高校にも電車で二十分で通えるわ。家事も、お料理も、全部二人で分担して……朝起きた時から、夜眠る時まで……ずっと一緒にいたいの」


「し、しかし……夏目のおじ様やおば様がなんて言うか……!」


「お父様もお母様も、もう許可をしてくださっているわよ?」


「えええっ!?」


驚愕する樹に対し、涼香はフッと誇らしげに胸を張った。


「『T大に合格したら、樹くんと二人で暮らしたい』って、合格発表の日にちゃんとお話ししたの。お父様も『樹くんなら娘を安心して任せられる』って……泣きながら認めてくださったわ」


涼香は樹の首元に強く腕を回し、離さないと言わんばかりに抱きついた。


「……もう、あなたと離れて過ごす夜なんて嫌なの。……私を、あなたの『本当の奥さん』にして戴戴ね?」


溢れんばかりの情愛と、甘い独占欲。

樹は照れくささと圧倒的な愛おしさに包まれながら、彼女の腰をしっかりと抱き返した。


「……分かりました。僕で良ければ……一生、涼香の隣で支えさせてください」


「ふふ……言ったわね? 約束よ、私の旦那様」


朝靄が晴れ、箱根の山々に春の光が降り注ぐ中、二人は湯煙の中で深く、深く唇を重ね合わせた。


試練を乗り越えた二人の純愛は、新たな「同居生活」という甘く輝かしい新章へと向かって、力強く歩み出すのだった。

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