卒業式と、箱根温泉解禁の旅
三月中旬。
校庭の桜が咲き誇り、春の暖かな風が花びらを舞い散らせる佳き日。
聖華高校では『第七十四回 卒業証書授与式』が執り行われていた。
答辞を述べるために壇上に上がったのは、卒業生代表・夏目涼香。
胸元に大きなコサージュをつけ、完璧な姿勢で壇上に立つ彼女の姿は、全校生徒が憧れた『氷山姫』そのものの気高さを放っていた。
整った声で三 we年間 の感謝と未来への決意を紡ぐ涼香。
その琥珀色の瞳は、在校生席の最前列で生徒会幹部として自分を見つめる橘樹の姿を捉えていた。
(……樹くん。私、卒業するわ。あなたと一緒に、新しい未來へ踏み出すの)
二人の視線が交差し、樹が優しく頷く。
式が終わると、涼香は後輩たちからの花束や祝福の声を丁寧にかわし、吸い寄せられるように校舎裏の桜の木の下へと向かった。
「……涼香!」
桜の樹の下で待っていた樹のもとへ、涼香はヒールを鳴らして駆け寄った。
「樹くん……! 待たせちゃったかしら?」
「ううん、全然です。涼香、答辞……すごくカッコよかったです」
「ふふ、ありがとう。……でもね、私にとっては全校生徒の歓声より、あなたのひとことの方が何倍も嬉しいわ」
涼香は卒業証書が入った筒をそっと抱きしめると、樹の首元に抱きつき、彼の耳元で甘く囁いた。
「……制服姿の私に抱きつくのは、これが最後よ? あなたの『夏目先輩』は、今日でおしまいなんだから」
「……涼香……」
「これからは……『あなたの涼香』として、一生甘えさせて戴くわね」
二人は満開の桜の下で、名残惜しむようにそっと唇を重ねた。
卒業式から二日後。
二人は小田急ロマンスカーの特急列車に揺られ、神奈川県・箱根へと向かっていた。
私服に着替えた涼香は、淡い粉桃色のニットに白いロングスカート姿。
車内の個室座席で、涼香は樹の腕にぴったりと抱きつき、彼の肩に頭を乗せていた。
「……ふふ……夢みたい。本当に二人きりで旅行に行けるなんて……」
「涼香、距離が近いです……! 車掌さんや周りの人が見たら……」
「いいじゃない。私はもう受験生でも生徒会長でもないのよ? 大好きな彼氏と温泉旅行に行く、ただの女の子なんだから」
涼香は樹の手を自分の膝の上でキュッと握りしめ、琥珀色の瞳を熱く潤ませた。
「受験の間……ずっと我慢していたの。あなたに触りたいのも、抱きしめてほしいのも……全部。だから今節は……覚悟しておきなさいね?」
強がりだった『氷山姫』のメッキは完全に剥がれ落ち、完全解禁された甘えん坊な素顔。
樹の心臓は、列車が箱根湯本へ近づくにつれて高鳴りを抑えられずにいた。
夕方。二人が到着したのは、箱根の山懐に抱かれた閑靜な一軒宿。
案内されたのは、庭園と渓流を見下ろせる客室露天風呂付きの最上級客室だった。
「わあ……! 素敵なお部屋……! 樹くん、本当にここを予約してくれたの!?」
「はい。涼香が一年間頑張ったご褒美ですから。……僕のアルバイト代と貯金、全部はたきました」
樹が照れくさそうに笑うと、涼香は愛おしさが爆発したように樹の胸元へ飛び込んだ。
「……バカ……そこまでしてくれなくても、あなたと一緒にいられればどこでも良かったのに……!」
二人は浴衣に着替え、部屋のベランダにある客室露天風呂の湯気を見つめた。
夕闇が迫る中、湯船に張られた温泉がほのかな硫黄の香りを漂わせている。
「樹くん。……お風呂、一緒に入りましょう?」
「ええっ……!? いっ、一緒ですか!?」
真っ赤になる樹に対し、涼香は少し耳元を赤くしながらも、逃がさないと言わんばかりに樹の浴衣の帯をギュッと掴んだ。
「当たり前じゃない。……修学旅行のとき、別々のお風呂で寂しくて泣きそうだったの忘れたの? 誰の目も気にせず二人きりになれる場所……そのためにここに来たんだもの」
涼香は樹の胸元に顔をうずめ、震える声で愛を囁いた。
「……私を、あなたの全部で愛して……樹くん……」
試練の冬を乗り越え、誓いを果たした二人の夜。
湯煙と春の風が包み込む箱根の夜景の中で、二人だけの甘く甘い、解禁の時間が静かに始まろうとしていた。




