大晦日の年越しそばと、聖夜の秘密の願い
十二月三十一日、大晦日。
しんしんと冷え込む冬の夜空には澄み切った星々が輝き、街は新年を迎える静かな高揚感に包まれていた。
橘樹の部屋のキッチンからは、香ばしい出汁の香りが漂っていた。
「……よし、これで年越しそばの準備は完璧だな」
海老の天ぷらをカラッと揚げ、出汁を温め直したところで、部屋のインターホンが優しく鳴った。
ドアを開けると、そこには厚手の白いダウンコートに身を包み、クリスマスに樹がプレゼントしたカシミヤのマフラーをキュッと巻いた夏目涼香が立っていた。
「……あけましておめでとう……は、まだ早いかしら? 樹くん」
「ふふ、いらっしゃい涼香。寒かったでしょう? 早く上がって」
部屋に入ると、涼香はコートとマフラーを脱ぎ、樹に身を委ねるようにそっと抱きついてきた。
「……ん……温かいわ。あなたの匂いがして……すごく落ち着く」
「お疲れ様です。勉強、ひと区切りつけられましたか?」
「ええ。今日くらいは……あなたと二人で、ゆっくり年を越したいもの」
一月半ばに控える共通テスト、そして二月のT大二次試験。
極限の緊張感の中で戦い続ける涼香にとって、樹の部屋は唯一、心の兜を脱げる聖域だった。
二人はこたつに入り、樹が作った特製の天ぷら年越しそばを並べた。
「わあ……美味しそう! 天ぷらまで手作りしてくれたの?」
「はい。涼香の勝負運が上がるように、長寿と縁起の良い海老を奮発しました」
「ふふ、ありがとう。……いただきましょう」
手を合わせ、温かいそばを一口すする涼香。
「……美味しい……。お出汁が体に染み渡るわ……」
涼香の琥珀色の瞳が嬉しそうに緩む。
「樹くんのお料理を食べると、どんな高級レストランより幸せな気分になれるわ。……私、あなたのお嫁さんになったら、毎日こんな美味しいご飯が食べられるのかしら?」
「~っ! 涼香、急に何を言ってるんですか!?」
樹が顔を真っ赤にすると、涼香は悪戯っぽくクスッと笑った。
「なによ。私は本気よ? ……あなたが私以外の女の子にこのお料理を作ったら、絶対に許さないんだから」
照れ隠しの独占欲。
樹は照れくささに包まれながらも、心底愛おしくなって彼女の手を握り返した。
「作りませんよ。僕の料理を食べていいのは、一生涼香だけです」
「……言ったわね? 約束よ」
テレビからは除夕の鐘の音が聞こえ始め、カウントダウンが始まった。
五、四、三、二、一――
ゴーーーン……。
新年の訪れを告げる鐘の音が響き渡る。
「あけましておめでとう、樹くん。今年も……ずっと私の隣にいてね」
「あけましておめでとうございます、涼香。今年も全力で支えます」
二人は笑顔で言葉を交わした。
すると、涼香はこたつから出て、樹の隣へとすり寄り、彼の首元にそっと両腕を回してきた。
「ねえ、樹くん。……新年最初のお願い、聞いてくれるかしら?」
「なんですか? 僕にできることなら何でも」
涼香は上目遣いに樹を見つめ、少し耳元を赤くしながら囁いた。
「……試験が終わって……無事にT大に合格したらね……」
「はい」
「……二人で……泊まりがけの温泉旅行に行きたいの」
樹の心臓がどくんと大きく跳ね上がった。
「お、温泉旅行ですか!?」
「ええ。修学旅行のとき……あなたと離れていてすごく寂しかったでしょう? だから……誰の目も気にせず、二人きりで……朝から晩まであなたを独占したいの」
涼香の瞳に宿る、溢れんばかりの情愛と深い信頼。
「……私の秘密の願掛けよ。これを糧にして、最後の最後まで戦い抜いてみせるわ」
樹は微笑むと、抱きしめ返す腕にギュッと力を込めた。
「分かりました。最高の温泉旅館を予約して待っています。だから……絶対合格しましょうね、涼香」
「ええ……! 絶対に勝ち取ってみせるわ!」
二人は見つめ合い、新年の最初の静寂の中で、ゆっくりと唇を重ねた。
出汁の温もりと、互いの熱い息が混ざり合う、甘く力強い初キス。
ついにやってきた決戦の年。
二人の誓いは、春の栄冠へ向けてどこまでも強く、気高く輝いていた。




