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チョコの香りと、隠しきれない本命

二月に入り、校庭には冷たい冬の風が吹き荒れていたが、校内はどこか甘くそわそわとした雰囲気に包まれ始めていた。


そう、あと一週間で――バレンタインデーがやってくる。


「……ふぅ、今日の放課後作業はこれで終わりね」


生徒会室で書類を整理し終えた夏目涼香なつめ すずかは、手元の時計をちらりと仰いだ。時刻は午後四時半。


「夏目先輩、お先に失礼します!」


「ええ、お疲れ様。戸締まりは私がしておくから、気をつけて帰りなさい」


後輩の役員たちを見送り、生徒会室に一人残った涼香は、カバンの中から大切そうに『初心者でも絶対に失敗しない! 濃厚手作りトリュフ』と書かれたレシピ本と、大きな保冷バッグを取り出した。


(……良し。準備は完璧よ)


普段は何事も一発で完璧にこなす『氷山姫』だが、料理――特に繊細な温度管理が必要なお菓子作りとなると話は別だった。

大好きな樹に「美味しい」と言ってもらうため、彼女は今日、密かに家政科の先生から許可を得て、放課後の家政科教室を借り切っていたのだ。


十五分後、誰もいない家政科教室。


ピンクのエプロンを身につけた涼香は、真剣そのものの眼差しで湯煎のボウルに向かい合っていた。


「温度は五十度……湯煎のお湯が入らないように丁寧に……くっ、混ぜる手が止まると固まっちゃうじゃない……!」


額にうっすらと汗を浮かべながら、必死に泡立て器を動かす涼香。

普段の凛としたクールな姿からは想像もつかないほど、必死で可憐な奮闘ぶりだった。


しかし――


「きゃっ!?」


チョコレートを型に流し込む際、少し勢いあまって指先にトロリとした甘いチョコレートが付着してしまった。


「うぅ……やっぱりお菓子作りって難しいわね……」


涼香はため息をつきながら、指先に付いたチョコレートをペロリと舐めた。


「……ん、味は悪くないけれど……形が少し不恰好かしら……」


その時だった。


ガラガラ……。


「涼香? やっぱりここにいたんですね」


「っっ〜〜〜〜〜〜!?!?」


教室の扉が開き、現れたのは――橘樹たちばな いつきだった。


涼香は跳ね起きるように振り返り、背中に型とボウルを全力で隠した。


「い、樹くん!? な、なんでここにいるのよ!?」


「生徒会室に行ったら誰もいなくて……ほのかに甘いチョコレートの匂いが廊下まで漂っていたので、もしかしてと思って来てみたんです」


樹が近づいてくると、涼香の顔はプシューッと音が鳴りそうなほど真っ赤になった。


「だ、ダメ! 近寄らないで! 見ちゃダメなんだから……!」


「涼香……エプロン、すごく似合ってますけど……それ、バレンタインの練習ですか?」


樹が優しく微笑むと、涼香は逃げ場を失い、持っていたボウルを調理台に置くと、両手で真っ赤な顔を覆ってしまった。


「~っ! バカ! バカ樹……! サプライズにしたかったのに……!」


降参した涼香は、恥ずかしそうに下を向きながら、試作中のトリュフチョコを見せてくれた。


「……あなたに、一番美味しいチョコレートをあげたかったの」


小さく震える声で、涼香がぽつりと呟く。


「お店で買った高級なチョコの方が絶対に美味しいのは分かっているわ。でも……私、手作りで……私の気持ちを全部込めたチョコを、あなたに食べてほしくて……」


琥珀色の瞳をウルウルと揺らし、上目遣いに樹を見つめる彼女。

指先には、まだうっすらとチョコレートが残っていた。


樹の胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるような愛おしさで満たされていく。


「涼香……」


樹は一歩踏み出し、涼香の前に立つと、彼女の細い手首を優しく取った。


「っ……樹くん?」


樹は涼香の指先に付いたチョコレートを、そっと自分の唇で舐めとった。


「ん……っ!?」


涼香の身体がビクッと跳ね上がり、瞳を大きく見開く。


「……すごく美味しいです、涼香」


「な……ななな、何をいきなり舐めているのよ~っ!///」


「本当のことですよ。お店のどんな高いチョコよりも、涼香が僕のために作ってくれたチョコの方が、何百倍も嬉しいです」


樹は真っ赤になって固まる涼香の腰をそっと抱き寄せ、彼女の額に優しく唇を落とした。


「当日、楽しみに待っていますね。形なんてどうでもいいです。涼香の気持ちがこもっていれば、僕にとっては世界一の宝物ですから」


「……樹くん……」


樹の直球で真っ直ぐな言葉に、涼香の瞳からボロボロと大きな涙が零れ落ちた。


「……バカ。……そんなこと言われたら、もっとすごいの作りたくなっちゃうじゃない……」


涼香は樹の胸元に額を押し当て、力強く彼の背中に腕を回した。


「絶対に……世界で一番甘くて美味しいチョコを作ってみせるわ。……覚悟しておきなさいね?」


「はい。楽しみに覚悟しておきます」


甘いチョコレートの香りに包まれた家政科教室で、二人は静かに抱き合った。


来たるバレンタインデー本番。

二人が交わす「本命の誓い」は、どんな甘味よりも濃厚で、どこまでも愛おしい瞬間になろうとしていた。

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