おそろいの結びと、密着の充電時間
三泊四日の修学旅行が終わり、二年級を乗せた大型バスが学校の敷地に滑り込んできたのは、金曜日の放課後のことだった。
解散式を終え、大きなキャリーケースを引いた二年生たちが校門へと向かっていく。
(……涼香、無事に帰ってきたかな)
橘樹は、校舎の二階の窓からそっと校庭を見下ろしていた。
人ごみの中でも一目でわかる、群を抜いて美しい黒髪と洗練された立ち姿。夏目涼香だ。
周りの友達と挨拶を交わしながら歩く彼女は、ふと校舎の二階――樹がいる窓の方へと視線を上げた。
バチッ、と視線が交差する。
涼香の琥珀色の瞳がパッと輝き、ほんの少しだけ口元を綻ばせた。
そして、スマホを取り出すと素早くメッセージを打ち込んだ。
『今すぐ私の部屋に来て。……もう耐えられないわ』(涼香)
直球すぎる彼女からのSOSに、樹の心臓がどくんと大きく跳ね上がった。
三十分後。
樹が涼香のマンションの部屋の前に立ち、鍵の開いていたドアをそっと押し開けた。
「涼香……? 入るよ――」
樹が声をかけた、次の瞬間――
ガバッ……!
「……っ!?」
玄関に一歩踏み込んだ樹の胸元に、小さくて柔らかい身体が猛烈な勢いで飛び込んできた。
あまりの衝撃に樹がよろめくと、涼香は樹の首元にしっかりと両腕を回し、顔を彼の胸に強く押し当ててきた。
シフォンブラウス越しに伝わる体温と、京都の旅先から戻ったばかりの香水の甘い香り。
「り、涼香……!?」
「……喋らないで。……いま、充電中なんだから……」
胸元から聞こえる、消え入りそうで、けれど甘く熱い声。
涼香は爪を立てるように樹の制服の背中をギュッと握りしめ、つま先立ちになって全身で抱きついていた。
「……四日間……長すぎたわ……」
「涼香……」
「電話の声だけじゃ全然足りなかった……。あなたの匂いも、この温かさも……触れられないと、全然意味ないんだから……」
普段の『氷山姫』のプライドなど微塵も残っていない、限界まで甘える涼香の姿。
四日間の離れ離れが、彼女のタガを完全に外してしまったようだった。
樹は愛おしさが限界突破し、涼香の細い腰をしっかりと抱き上げ、彼女の身体を自分の胸にすっぽりと収めた。
「ただいま、樹くん……」
「おかえりなさい、涼香。僕も……めちゃくちゃ会いたかったです」
二人は玄関で立ったまま、互いの体温を確かめ合うように長く、深く抱き合い続けた。
リビングへ移動し、ソファーに二人で並んで座った後も、涼香は樹の腕にぴったりと自分の腕を絡めたまま離れようとしなかった。
「……はい、これ。京都のお土産よ」
涼香がテーブルの上に置いたのは、京友禅の美しい和紙で包まれた小さな二つの箱だった。
「開けてみてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
樹が丁寧にリボンを解き、箱のフタを開けると――そこには、極細の絹糸で綺麗に編み込まれた『ペアの組み紐のキーホルダー』が入っていた。
樹のものは深みのある紺色、涼香のものは上品な紅梅色。二つのキーホルダーを並べると、中央の結び目がぴったりと重なり合うデザインになっている。
「これ……『縁結び』で有名な京都の神社で見つけたの」
涼香は少し照れくさそうに頬を染めながら、指先で自分のピンクの組み紐を弄んだ。
「二つの糸が解けないように固く結ばれているでしょう? ……これを見ていたら、なんだかあなたと私の関係みたいだなって思って……」
「涼香……」
「……離れていても、ずっと心は結ばれているんだって……自分に言い聞かせるために買ったの。……気に入ってくれた?」
「当たり前じゃないですか……! 最高に嬉しいです。僕の通学カバンに、すぐ付けます」
樹がキーホルダーを大切そうに胸に抱きしめると、涼香の表情が心底嬉しそうに綻んだ。
「……ふふ、よかったわ。……でもね、お土産はこれだけじゃないのよ?」
「え?」
涼香は悪戯っぽく微笑むと、自分のカバンの奥から――もう一つの小さな小箱を取り出した。
「……それ、なんですか?」
「ふふ、開けてのお楽しみよ」
樹が小箱を受け取り、中を確かめると……そこに入っていたのは、上品な桜の香りが漂う『固形練り香水』だった。
「練り香水……ですか?」
「ええ。私が使っている香水の、京都限定の桜ブレンドなの。……これをね」
涼香は樹の手から小箱を受け取ると、指先にほんの少しだけ練り香水をすくい取った。
そして、樹の首筋と、耳の裏に……そっと指先で優しく塗り込んできた。
「……ん……っ」
冷たい指先と、ふわりと広がる華やかで甘い桜の香り。
涼香の顔が至近距離まで近づき、息がかかるほどの距離で彼女の琥珀色の瞳が樹を見つめていた。
「これで……あなたの匂いは、私と同じになったわ」
「涼香……?」
「学校では抱き合えないけれど……この香りがしていれば、あなたが私だけのものだって……いつでも思い出せるでしょう?」
独占欲を隠そうともしない、甘く危険な囁き。
涼香は樹の首筋に鼻先をすり寄せ、うっとりと息を吐いた。
「……私ね、京都に行ってもっとよく分かったの」
「何を……?」
「私、橘樹くんがいないと……もう生きていけないくらい、あなたに溺れているんだなって」
まっすぐで、偽りのない告白。
樹の胸の奥が熱く熱く燃え上がり、彼はたまらず涼香の頬を両手で優しく包み込んだ。
「僕もです、涼香。離れている間、一瞬もあなたのことを忘れませんでした」
「……じゃあ、証明して」
涼香は上目遣いに樹を見つめ、小さく唇を尖らせた。
「四日間分の……キスの充電、しなさいよ」
甘いおねだり。
樹は微笑むと、愛おしさを込めて、彼女の柔らかい唇へと自分の唇を重ねた。
一度では終わらない、何度も角度を変えて重ねられる深い深いキス。
お互いの桜と白茶の香りが混ざり合い、静かな部屋の中で二人の甘い吐息だけが響き続ける。
修學旅行の離れ離れを経て、ふたりの絆は二度と解けない組み紐のように、どこまでも強固に結ばれていくのだった。




