喧騒の祭りと、楓の木の下の誓い
秋晴れの澄み渡る青空のもと、聖華高校の文化祭『青楓祭』が最高潮の熱気の中で幕を開けた。
校門には巨大なアーチが聳え立ち、校内にはたこ焼きやクレープの香ばしい匂いが漂っている。色とりどりの装飾で彩られた校舎には、生徒たちだけでなく、近隣の住民や他校の生徒たちも押しかけ、どこを見渡しても人、人、人の大盛況だった。
「お待たせいたしました、お嬢様。ご注文の紅茶とサブレでございます」
「わぁ……! 橘くん、かっこいい……!」
一年一組の教室――『クラシカル執事&メイドカフェ』は、開店直後から長蛇の列ができるほどの超満員となっていた。
その最大の理由は、黒のロングタキシードを完璧に着こなした橘樹の執事姿だった。
普段の控えめで大人しい印象から一変、背筋を伸ばし、洗練された動作で紅茶を注ぐ樹の姿は、女子生徒たちの間で「一年生に隠れたイケメン執事 gaze いる!」と一瞬で話題になっていたのだ。
「橘ー! 3番テーブル追加のオーダー! あとチェキ撮影の指名入ったぞ!」
「あ、はい! ただいま行きます!」
友人たちからの大声の呼び出しに苦笑しながら、樹は休む間もなく店内を駆け回っていた。
(……ふぅ、想像以上の激務だな。涼香は……ちゃんと休憩取れてるのかな)
注文の品を運びながら、樹は胸ポケットの中のスマホをそっと確かめた。
生徒会幹部として全校の統括と、生徒会企画『レトロ喫茶』のメインを務める涼香もまた、いま頃は分刻みのスケジュールで動いているはずだった。
一方、三階の多目的ホールに設置された生徒会企画『レトロ喫茶』は、一組のカフェを遥かに凌ぐ大パニック状態に陥っていた。
「~っ! だから、写真撮影は一人一枚までだって言っているでしょう!」
漆黒のゴスロリドレスに身を包んだ夏目涼香が、冷徹な一刀両断の瞳で群がる男子生徒たちを牽制していた。
フリルとレースが贅沢にあしらわれた黒のドレス、腰まで伸びた黒髪に飾られた大きなリボン。まさに「本物の西洋のお姫様」が降臨したかのような涼香のビジュアルは、文化祭の目玉として校内中で爆発的な話題を呼んでいた。
「涼香様ー! こっち向いてください!」
「あの冷たい視線がたまらない……!」
群がるファンたちを凛とした態度で裁きながらも、涼香の心の中は限界を迎えていた。
(……もう嫌……! なんで私、こんなに多くの男子に見つめられなきゃいけないのよ……!)
涼香の琥珀色の瞳が、助けを求めるようにちらりと時計を仰いだ。
(樹くん……。早く……あなたに会いたいわ……)
午後二時。文化祭が最も賑わう時間帯。
樹はクラスのシフトを一時的に終え、1時間の休憩時間を手に入れていた。
周囲の目を盗み、樹は人通りの絶えた旧校舎の裏手――『青楓祭』の名の由来となった、真っ赤に色づく巨大な楓の木の下へと足を運んだ。
秋風が吹き抜け、赤やオレンジの落ち葉が舞い散る静寂の空間。
「……樹くん」
楓の幹の影から、そっと姿を現したのは――ゴスロリドレスの裾を愛おしそうに抱えた涼香だった。
「涼香……!」
二人は申し合わせたわけでもないのに、吸い寄せられるように歩み寄り、そのまま自然に抱き合った。
「……ん……ふぅ……っ」
涼香は樹の胸元に顔を深くうずめ、背中に細い両腕を回して力強くしがみついてきた。
「……疲れた……。すごく疲れたわ、樹くん……」
「お疲れ様です、涼香。生徒会の喫茶、すごい行列でしたね」
「……みんな私をジロジロ見てくるし、写真撮ろうとしてくるし……嫌だったわ。私がこんな格好を見せたいのは……世界であなた一人だけなのに……」
胸元から聞こえる、消え入りそうな甘い本音。
樹は胸が締め付けられるような愛おしさを覚え、涼香の華奢な腰を優しく抱き返した。
「ごめんね、助けに行けなくて。……でも、僕も同じ気持ちでしたよ」
「え……?」
「クラスのカフェで、女子から指名されたり写真撮られたりするたびに……『僕の本当のお嬢様は、涼香だけなのに』って、ずっと考えてました」
樹の素直な言葉に、涼香はハッと顔を上げた。
琥珀色の瞳が潤み、真っ赤になった顔を恥ずかしそうに逸らす。
「……バカ。……さらっとそういうクサいセリフを言うんじゃないわよ……」
「本当のことですから」
樹はポケットから、事前に買い込んでおいた小さな箱を取り出した。
「これ……購買で買ってきた、限定の焼きたてマロンタルトです。二人で食べようと思って」
「まあ……! 私、それが食べたかったの……!」
涼香の表情が一瞬でぱぁっと明るくなった。
二人は大きな楓の木の根元に並んで腰掛け、一つのマロンタルトを分け合って食べることにした。
秋の柔らかい日差しが、木漏れ日となって二人の頭上に降り注ぐ。
遠くから聞こえる狂騒のような喧騒が、まるで別世界のことのように感じられた。
「はい……あーん」
涼香がフォークで小さく切ったタルトを差し出してきた。
「え、涼香が食べさせてくれるんですか?」
「……彼女としての特別サービスよ。早く口を開けなさい」
照れ隠しにツンと顎を上げる涼香。
樹は喜んでその甘い一口をパクリと受け取った。栗の優しい甘さと香ばしいパイ生地の風味が口いっぱいに広がる。
「美味しいです、涼香。……じゃあ、今度は僕から」
樹もタルトをすくい、涼香の唇へと運んだ。
「……ん……あむ」
涼香はおずおずと口を開け、美味しそうに頬を緩ませた。
「……ふふ、美味しいわね。二人で食べるから、余計に」
そう言って微笑む涼香の姿は、ゴスロリドレスの妖艶さと、少女のような可憐さが完璧に調和していて、樹は思わず息をのんだ。
「……涼香」
「なに……?」
「今日……一段と綺麗です。世界中の誰よりも」
「っ……! 急に……なによ……」
涼香は膝の上でドレスのフリルをキュッと握りしめ、上目遣いに樹を見つめ返した。
「……ねえ、樹くん」
「はい」
「私ね……学校のみんなの前では『完璧な先輩』でいようと背伸びしているけれど……あなたの前でだけは、ただの『甘えたがりの私』でいられるの」
涼香はそっと樹の頬に細い手を伸ばし、優しく撫でた。
「あなたが私を見つけてくれて……ベランダで美味しいご飯を作ってくれて……私を『涼香』って呼んでくれたから……私、自分のことが少しだけ好きになれたわ」
琥珀色の瞳から、溢れ出そうになる愛おしさ。
「……大好きよ、樹くん。世界で一番……私だけの執事さん」
風が吹き抜け、真っ赤な楓の葉が二人の頭上に降り注ぐ。
樹は涼香の手をしっかりと握り返し、ゆっくりと顔を近づけた。
「僕も……大好きです、涼香お嬢様。一生、あなたのお側から離れません」
重なり合う二人の唇。
遠くで響く文化祭の喧騒の中、楓の木の陰で、二人はゆっくりと、けれど深く甘いキスを交わした。
黒のタキシードと、漆黒のゴスロリドレス。
秘密の恋人たちが交わした楓の下の誓いは、どんなお祭りよりも眩しく、愛おしい思い出として二人の胸に刻まれるのだった。




