執事と姫君、放課後のドレスコード
文化祭『青楓祭』まであと二週間。
校内はどこもかしこも段ボールやペンキの匂いに包まれ、放課後になるとお祭り前夜の熱気が廊下に満ちちていた。
橘樹の所属する一年一組の出し物は、満場一致で『クラシカル執事&メイドカフェ』に決定していた。
「おい橘! 服のサイズ合わせやるぞ! 試着室入れ!」
クラスの男子たちに押され、樹は教室の隅に作られた簡易試着室(カーテンで仕切られたスペース)に入された。
配られたのは、シックな黒のロングタキシードに白い手袋、そして細いループタイ。
「……こんなの、着慣れないな……」
苦戦しながらもジャケットを羽織り、鏡の前で襟元を整える。
もともと背が高く、スラリとした体型の樹は、黒のタキシードを着ると驚くほど様になっていた。普段の控えめな雰囲気から一変、まるでどこかの名門貴族の執事のような洗練された立ち姿だ。
「おー! 橘、めっちゃ似合ってるじゃん!」
「マジかよ、普段地味なのに服変えるだけでこんな変わる!?」
クラスの女子たちから歓声が上がる中、樹は照れくさそうに頭を掻いた。
(……涼香に見られたら、なんて言われるかな……)
頭の片隅で大好きな彼女の顔を思い浮かべていた、その時――
トントン。
「一年一組の執行委員、橘くん。生徒会からの連絡事項よ」
教室の入り口から、凜とした涼香の声が響いた。
資料を抱えた『氷山姫』の登場に、騒がしかった教室が一瞬で静まり返る。
「あ、夏目先輩! 橘なら今、執事服の試着が終わったところです!」
「……そう。ちょうどよかったわ」
涼香は表情ひとつ変えずに樹の方へと歩み寄ってきた。
しかし、タキシード姿の樹を視界に収めた瞬間――
ピタッ。
涼香の足が止まった。
琥珀色の瞳が大きく見開かれ、息をのむ音が聞こえそうなほど固まる。
樹の端正な執事姿を上から下までじっくりと見つめた後、涼香の頬がじわじわと朱色に染まっていった。
「……な、夏目先輩……?」
「……ごめんなさい。少し、目が眩んだだけよ」
涼香は咄嗟に持っていた書類で口元を隠し、ツンとそっぽを向いた。
だが、耳たぶまで真っ赤になっているのは隠しきれていない。
「橘くん。生徒会室で書類の確認をするわ。……その格好のまま、一緒に来なさい」
「えっ!? この服のままですか!?」
「着替える時間がもったいないわ。……指示に従いなさい」
強引に言い放ち、カツカツと早足で教室を出ていく涼香。
樹はクラスメイトたちの「お前、夏目先輩に怒られてるぞ……」という同情の視線を背に受けながら、大慌てで彼女の後を追った。
静まり返った旧校舎の生徒会室。
ドアが閉まり、鍵が掛けられた瞬間――
「~っっっ!!」
涼香が崩れ落ちるようにソファーに座り込み、両手で真っ赤な顔を覆った。
「涼香!? どうしたんですか!?」
「どうしたもこうしたもないわよバカ樹……! なんなのよその格好……! 格好良すぎるじゃない……!」
指の隙間から琥珀色の瞳を覗かせ、ポカポカと空気に向かって拳を振る涼香。
「クラスの女子たちが『橘くんかっこいいー!』って群がっていたでしょう!? 私、見ていて心臓が破裂しそうだったんだから……!」
独占欲を露わにして嫉妬する涼香の姿に、樹の胸がギュッと締め付けられた。
「涼香……焼きもち焼いてくれたんですか?」
「あたり前でしょう……! 私の恋人なのに……あんなにかっこいい姿を他の女の子に見せるなんて……ズルいわ……」
涼香は立ち上がり、樹の胸元へと歩み寄ると、執事服のループタイをキュッと引っ張った。
ぐっと顔が近づき、お互いの息遣いが触れ合う距離になる。
「……ねえ、樹くん」
「はい、涼香」
「……『お嬢様』って、呼んでみて」
「え……?」
「いいから……! 一回だけでいいから、私を『お嬢様』って呼びなさい……!」
照れと期待で瞳をウルウルと揺らしながら、上目遣いにねだってくる涼香。
樹はゴクリと唾を飲み込み、覚悟を決めて涼香の手をそっと取り、白い手袋越しに優しく握りしめた。
「……仰せのままに、お嬢様。僕のすべては、あなただけのものです」
「っっ〜〜〜〜〜〜っっっ!??!?」
直球すぎる殺し文句に、涼香の顔からプシューッと湯気が吹き出そうになった。
彼女は膝から崩れ落ちそうになり、樹の胸元にしがみついた。
「もうダメ……! 破壊力がすごすぎて息ができない……っ!」
「ふふ、涼香が言わせたんじゃないですか」
樹は愛おしさに耐えきれず、しがみついてきた涼香の華奢な腰をギュッと抱きしめた。
「……じゃあ、今度は私の番ね」
少し息を整えた涼香が、悪戯っぽく微笑みながら生徒会室の奥にある小部屋へと入っていった。
「涼香の番……?」
数分後。小部屋のドアがゆっくりと開き、中から出てきた涼香の姿に、今度は樹が呼吸を忘れた。
「……どうかしら?」
そこにいたのは――生徒会の文化祭特別企画用として用意された、『漆黒のゴスロリドレス』を纏った涼香だった。
フリルとレースがふんだんにあしらわれた黒のドレス。引き締まったウエストと、スラリと伸びる綺麗な脚。髪には大きな黒いリボンが飾られ、まるで西洋の館に佇む美しき人形のようだった。
「……生徒会の有志で『レトロ喫茶』をやるのよ。それで、これを着ることになって……」
照れくさそうにスカートの裾を少し持ち上げる涼香。
完璧なビジュアルと、少し恥ずかしそうな表情のギャップ。
「……言葉が出ないです。美しすぎて、僕には眩しすぎます……」
「……バカ。お互い様よ」
涼香は嬉しそうに微笑むと、ゴシックドレスの裾を揺らしながら樹の元へと歩み寄り、そっと手を差し出した。
「執事さん。……私を、エスコートしてくれるかしら?」
「喜んで……僕の愛しいお嬢様」
二人は手を取り合い、互いの特別な衣装に包まれたまま、静かな生徒會室でゆっくりと見つめ合った。
執事と、美しき姫君。
誰も知らない秘密の衣装合わせは、文化祭本番への期待と、二人だけの甘い愛をどこまでも深めていくのだった。




