突然の家庭訪問と、深まる深夜の過保護お世話
◇
「——ちょっとお兄ちゃん! ドア開けてーっ!」
日曜日の夕方。静かなマンションの廊下に、聞き覚えがありすぎる元気な声が響きわたった。
バンバンと叩かれるドアの音に、私が立ち上がろうとした瞬間、すかさず腰に回された涼香の腕がぐっと力を込めて私をソファへと引き戻した。
「……無視しましょう、樹くん。今夜は二人きりで静かに過ごす予定なのですから」
「いやいや、葵の声だし、白鳥先輩も一緒にいるみたいだよ!? 居留守はマズいって……!」
苦笑いしながら涼香の拘束をなんとか解き、玄関の鍵を開けると、そこには案の定、大きなスーパーの袋を抱えた葵と白鳥先輩が立っていた。
「あ、お兄ちゃん! 良かった~、居留守使われるかと思った!」
「失礼するわね、樹くん。商店街で二人がイチャイチャしながら帰宅したという目撃情報を得てね。仲直り後の『過剰愛寵の生態データ』の追加取材に来たのよ」
「取材って言わないでよ白鳥先輩……っ」
二人は私の制止を軽くスルーし、当然のようにリビングへと上がり込んでいった。
そして、リビングの扉を開けた瞬間――二人を迎えたのは、ソファの中央で優雅に脚を組み、氷のように冷ややかな笑みを浮かべた涼香だった。
「……葵ちゃん、白鳥先輩。休日の夕方という最も貴重な『夫婦の密着時間』を害したことについて、相応の理由説明を求めます」
放たれる圧倒的な『元・副会長』の威圧感。背後に背後におどろおろしい氷山のオーラが視覚化されそうだ。
「ひっ……! 涼香さん、怒らないで! 今日は最高級のすき焼き肉が手に入ったから、みんなで鍋パーティーをしようと思って……!」
「そうよ! 涼香さんが樹くんを甘やかすのに夢中で、栄養が偏っていないか心配して差し上げたのよ!」
必死に肉のパックを掲げて弁明する葵と白鳥先輩。
涼香は「はぁ……」と小さく溜め息をつくと、冷たかった瞳の奥にふっと柔らかい光を宿した。
「……仕方のない人たちですね。せっかくのお肉を無駄にするわけには行きません。今日だけは特別に同席を許可しましょう」
こうして、嵐のような日曜日の夕食会が始まったのだった。
◇
「うわぁ……! すき焼き、すっごく美味しい!」
テーブルの中央でぐつぐつと音を立てる鍋。甘辛い割下の香りが部屋いっぱいに広がり、食欲をそそる。
私が生卵の入った小鉢を取り、肉を口へ運ぼうとしたその時――。
「樹くん、ダメです。お肉が熱すぎますよ」
すっと横から涼香の手が伸びてきて、私の箸を制した。
彼女はお肉を自分の小鉢に取り、ふーふーと息を吹きかけて丁寧に冷ますと、お箸で摘まんで私の口元へと差し出してきた。
「はい、樹くん。適温になりました。あーんしてください♡」
「っ……!? 二人の前でまた『あーん』……!?」
「当たり前です。熱いものを食べて樹くんが火傷でもしたら大変ですからね。さあ、お口を開けてください」
一切の妥協を許さない妻の眼差し。
向かいの席では、白鳥先輩が高速でスマホのメモアプリに文字を打ち込み、葵がニヤニヤしながらジュースを飲んでいる。
「ちょっと二人とも、助けてよ……!」
「無理無理! 今の涼香さんに逆らったら何されるか分からないもん!」
「気にせず続けなさい樹くん。私のメモには『過保護な妻による熱管理お給仕』と完璧に記録されているわ」
誰も味方はいない。私は観念して、小さく口を開けた。
「……あ、あーん」
パクッと口に含むと、柔らかい牛肉と甘辛いタレ、そして生卵のまろやかさが口内に広がった。
「……美味しい?」
「……すごく、美味しいです」
「ふふ♡ 良い子ですね、樹くん」
涼香は満足そうに目を細めると、二人の目の前で堂々と私の頭を撫で上げ、そのまま私の頬にそっと自分の唇を重ねてきた。
「ちゅっ♡」と可愛い効果音が響きそうなほどの軽い口づけ。
「……っ!? ち、チュッてすんな! 二人が見てるだろ!?」
「夫婦の愛情表現に第三者の有無は関係ありません。……さあ、次はネギとお豆腐ですよ♡」
学食での解禁を経て、完全に周囲の目を気にしなくなった涼香の暴走ぶりに、さすがの葵も白鳥先輩も「うわぁ……」「次元が違いすぎる……」と引き気味に笑うしかなかった。
◇
賑やかな夕食会が終わり、葵と白鳥先輩が満足そうに帰っていったのは、夜の九時を過ぎた頃だった。
「ふぅ……二人とも、相変わらず賑やかだったね」
「ええ。ですが……ようやく、二人きりになれましたね」
玄関の鍵をかけた瞬間、涼香は私の背後からふわりと抱きついてきた。
首元に顔をうずめ、深々と息を吸い込む彼女。
「……涼香?」
「邪魔者がいなくなりました。……今夜は、昼間と夕方の分の『お世話』を、たっぷりとして差し上げますからね♡」
大人しく浴室へと押し出された私は、お風呂上がり、髪を拭きながら寝室へと向かった。
ドアを開けると、そこにはルームウェア姿の涼香が、ベッドの上でちょこんと正座して待っていた。
彼女の膝の上には、温かいタオルと、お気に入りのアロマオイル、そして小さな耳かきセット。
「……おいでなさい、樹くん。今夜は特別に、全身の緊張をほぐすマッサージと耳かきをしてあげます」
優しく微笑む彼女の膝元へ、私は吸い寄せられるように横になった。
後頭部に伝わる太ももの圧倒的な柔らかさと体温。
「……気持ちいいですか?」
「うん……すごく落ち着く……」
涼香の指先が私の頭皮を優しく揉み解し、耳元ではカリカリと心地よい耳かきの音が響く。
柑橘系のアロマの香りと、彼女の甘い体温に包まれながら、昼間の緊張と疲れが溶けていくのが分かった。
「……ふふ、可愛いですね。明日からも大学で、私の手の中でたっぷり愛されていてくださいね、樹くん」
耳元で囁かれる甘い約束と、頭を撫で続けてくれる指先の温もり。
周りの反応も、これからの生活も、すべてが彼女の愛の中に包まれて消えていく。
賑やかで、甘く、どこまでも過保護な二人の夜は、静かに、そして深々と更けていくのだった――!




