突然の体調不良と、妻の献身的な看護
日曜日のお出かけから数日後。
秋の深まりとともに朝晩の冷え込みが激しくなっていたある朝、私は激しい頭の重さと倦怠感で目を覚ました。
「……う、頭が重い……」
体を起こそうとするが、まるで全身に鉛が詰め込まれたかのように力が力が入らない。
のどもガラガラで、荒い息を吐くたびに熱っぽい気が体内に充満していくのが分かる。
「樹くん……? どうしました、顔色が真っ赤ですよ……!?」
異変に気づいた涼香が、すぐさまベッドから起き上がり、私の額に自分の手のひらをそっと当てた。
彼女の手のひらのひんやりとした冷たさが、たまらなく心地よい。
「……すごく熱いです。樹くん、動かないでくださいね。今すぐ体温計を持ってきます」
いつもの穏やかな表情から一変、涼香の琥珀色の瞳には緊張と強い不安の色が走っていた。
パタパタと素早い足音で体温計と冷たいタオルを持って戻ってきた彼女は、私の脇に体温計を挟み込み、手際よくタオルを額に載せてくれた。
ピピピ、ピピピ。
電子音が鳴り響き、涼香が提示された数値を確認する。
「三十八度四分……! 大変です、こんなに高熱が出ているなんて……」
「ご、ごめん涼香……。今日、大学の講義があったのに……」
「バカなことを言わないでください! 講義などどうでも良いのです! 樹くんの体が最優先に決まっているではありませんか!」
涼香は私の手をと強く握りしめ、眉をひそめて真剣な眼差しで訴えかけてきた。
「今日の講義は二人とも休みにします。大学への連絡も、ノートの代行依頼もすべて私が手配しますから、樹くんは何も気にせず眠っていてください」
「でも、涼香まで休んだら講義の出席が……」
「樹くんが苦しんでいるのに、私一人で大学へ行くなどあり得ません。私にとって、樹くんのお世話をすること以上に大切な仕事など、この世に存在しないのですから」
一切の妥協を許さない『元・副会長』の意志。
涼香は私の頭を優しく撫で上げ、耳元で甘く優しく囁いた。
「大丈夫ですよ、樹くん。私がずっと側にいて、つきっきりで看病してあげますからね♡」
◇
涼香の手際の良さは、まさに完璧という他なかった。
かかりつけの病院へ連絡して往診の手配(あるいは車での送迎準備)を整え、大学の友人へノートの共有を依頼し、部屋の湿度と温度を最適な状態に保つ。
氷枕を準備し、こまめに汗を拭き取り、水分補給のスポーツドリンクをストローで一口ずつ口元へ運んでくれる。
「はい、樹くん。ゆっくり飲み込んでくださいね」
「ん……ありがとう、涼香……」
「お礼などいりません。……ふふ、こうして弱っている樹くんを介抱できるなんて、不謹慎ですが少しだけ幸せを感じてしまいます」
涼香はベッドの脇に椅子を引き寄せ、私の手を両手で包み込んだまま離そうとしない。
彼女の献身的な看病と、伝わってくる温もりに、私の荒かった呼吸も次第に穏やかになっていった。
お昼過ぎ。
台所から出汁の優しい香りが漂ってきた。
「樹くん、特製のおかゆができましたよ。少しだけでもお腹に入れましょうか」
涼香はお椀とスプーンを手に、ベッドサイドへ戻ってきた。
出汁の効いた優しい味わいのおかゆには、細かく刻んだ野菜と柔らかい鶏肉が入っており、体調を崩した体への配慮が行き届いている。
「自分で食べられるよ……」
「ダメです。病人に無理をさせてはいけません。……さあ、あーんしてください♡」
涼香はスプーンですくったおかゆを「ふー、ふー」と自分の息で丁寧に冷まし、私の口元へと運んできた。
熱でボーッとした頭のまま、私は素直に口を開ける。
「……あーん」
「……んっ、偉いですね、樹くん。美味しいですか?」
「うん……すごく優しい味がして、美味しい……」
「良かったです。……もっとたくさん食べて、早く元気になってくださいね」
涼香は嬉しそうに目を細め、一口一口、まるで宝物を扱うかのように丁寧に私におかゆを食べさせてくれた。
彼女の過保護で深い愛情が、おかゆの温もりとともに体全体へ染み渡っていくようだった。
◇
夕方になり、薬の効き目もあってか、私の熱は三十七度台まで下がり、随分と体が軽くなっていた。
「……ふう、だいぶ楽になったよ」
「本当ですか……? よかった……本当に良かったです……っ」
私の言葉を聞いた瞬間、ずっと緊張の糸を張っていた涼香の目から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。
「り、涼香……!? なんで泣いてるの……!?」
「だって……樹くんが苦しそうにうなされているのを見て、私、心配でどうにかなりそうだったのです……っ! もし樹くんに何かあったらと思うと……っ」
涼香はベッドに倒れ込むようにして、私の胸に顔をうずめて泣き出した。
普段は誰よりも頼もしく、学園でも大学でも『氷山美女』として恐れられている彼女が、いま私の腕の中で、まるで小さな子供のように震えて泣いている。
彼女がどれほど私のことを大切に思い、どれほど強い不安と戦いながら看病してくれていたのかが痛いほど伝わってきた。
「……ごめんね、涼香。心配かけて」
私は残った力を振り絞って、涼香の背中に手を回し、優しく撫で続けた。
「俺のために、ずっと側で看病してくれてありがとう。涼香のおかげで、すごく元気になったよ」
「っ……樹くん……♡」
涼香は涙に濡れた琥珀色の瞳を持ち上げ、私の唇にそっと、愛おしさを込めた軽い口づけを重ねた。
「これからもずっと……私が樹くんの健康も、生活も、心もすべて守り続けます。だから……ずっと私の側で、私に甘え倒していてくださいね」
「うん……分かったよ。ずっと涼香の側にいるよ」
秋の夜長、静かな部屋の中で、私たちは互いの体温を感じ合いながら深く抱き合った。
過保護で、重すぎるほど真面目で、誰よりも愛しい私の妻。
彼女の腕の中で包まれながら、私は深い、幸せな眠りへと落ちていくのだった――。




