休日の訪問者と、妻の絶対領域
◇
昨夜の甘い余波がまだ残る、穏やかな土曜日の朝。
カーテンの隙間から差し込む柔らかい陽光が、ベッドルームを優しく照らしていた。
「……ん……っ」
目を覚ますと、すぐ目の前に透明感溢れる涼香の寝顔があった。
彼女の細い腕は私の胴体にしっかりと巻き付いており、まるで大切な抱き枕でも抱え込むように私を密着させている。彼女の吐息が首筋に届くたび、甘い柑橘系の香りが微かに漂い、私の心が温かいもので満たされていく。
「……涼香、朝だよ」
そっと囁きながら彼女の頬を撫でると、琥珀色の瞳がうっすらと開いた。
「……ん……樹くん……おはようございます♡」
寝起きで少し掠れた甘い声。
涼香は私の胸に顔をうずめ、すりすりと体を寄せてくる。
「もう少し……このまま抱きしめさせてください。休日の朝くらい、樹くんを独り占めしてもバチは当たりません」
「もう十分独り占めしてるよ……」
苦笑しながらも、私は彼女の背中に手を回した。
大学での大騒動や緊張から解放されたこの時間は、何物にも代えがたい幸福な時間だった。
——ピンポーン。
その静寂を打ち破るように、玄関のインターホンが賑やかに鳴り響いた。
「……っ!? 誰だろ、こんな朝早くに……」
「……チッ」
涼香の口から、氷のように冷ややかな小舌打ちが漏れたのを私は見逃さなかった。
せっかくの甘い時間を邪魔された彼女の琥珀色の瞳には、急速に恐ろしいまでの氷山オーラが宿りはじめている。
「……私が対応してきます。樹くんはベッドで休んでいてください」
「い、いや、俺も行くよ! 誰か分からないし!」
焦って服を整え、二人で玄関へと向かった。
◇
「はーい! お邪魔しまーす! 朝の突撃取材に来ましたよー!」
「葵ちゃん、ダメよ。『取材』ではなく『新婚生活の生態観察調査』と言いなさい」
ドアを開けるや否や、元気いっぱいに飛び込んできたのは妹の葵と、白鳥先輩だった。
二人とも私服姿で、手には大きな買い物袋を下げている。
「葵……白鳥先輩……。土曜の朝8時に何やってるの……?」
「何って、決まってるじゃない! お兄ちゃんたちが大学デビュー(&正妻宣言)を果たした最初の週末だよ!? 放っておけるわけないじゃん!」
「ええ、それに涼香さんから『樹くんが最近甘えん坊で困る』という悩みのタネ(自慢)を回収しに来たのよ」
「そんなこと言ってないから! むしろ困ってるのは俺だから!」
私の叫びも虚しく、二人は当然のようにリビングへと上がり込んでいった。
そして、その背後から立ち昇る凄まじいプレッシャー。
「……葵ちゃん、白鳥先輩」
立ち尽くす二人の背後に、エプロン姿の涼香がすっと立った。
その笑顔は、まさに『氷の女王』そのもの。瞳に光が宿っていない。
「せっかくの休日の朝、私と樹くんの『甘い新婚のスキンシップ時間』を妨害したことについて……明確な理由説明を求めます」
「「ひっ……!?」」
葵と白鳥先輩が同時に背筋を伸ばした。
元・副会長の圧倒的な威圧感は、大学に入っても何一つ衰えていないのだ。
「あ、あのね涼香さん! 怒らないで! 今日はみんなでブランチを作ろうと思って、新鮮な食材を持ってきたの!」
「そうよ! 樹くんの大好きな焼き立てパンの材料と、最高級のフルーツよ! 決して二人の邪魔をしに来たわけじゃないわ!」
必死に弁明する二人を見て、涼香は「ふぅ……」と小さく溜め息をついた。
「……仕方のない人たちですね。食材を無駄にするわけにはいきませんから、今日だけは許可しましょう。……ただし」
涼香は私の腕をキュッと抱きかかえ、二人に向かって言い放った。
「私の前で樹くに余計なちょっかいを出さないこと。そして、料理が終わったら速やかに退出すること。良いですね?」
「「は、はいっ!」」
こうして、嵐のような休日のブランチ会が幕を開けたのだった。
◇
「わあ……! すごい、お店みたい!」
一時間後、ダイニングテーブルの上には華やかな料理が並んでいた。
香ばしい香りを漂わせる焼きたてのクロワッサン、色鮮やかなフレンチトースト、フレッシュサラダ、そして甘酸っぱい苺とブルーベリーが盛られたフルーツプラッター。
「ふふ、白鳥先輩の手際も悪くありませんでしたね」
「当然よ。これでも料理小説の執筆のために、調理法の研究は怠っていないわ」
先ほどまでの険悪な空気はどこへやら、涼香と白鳥先輩は満足そうに頷き合っている。
「それじゃあ、気を取り直して……乾杯&いただきます!」
葵の発声で、賑やかなブランチが始まった。
サクサクのクロワッサンにバターを塗り、口に運ぶ。
「美味しい……! フレンチトーストも中まで味が染み込んでて最高だよ」
「お兄ちゃん、気に入ってくれて良かった! 涼香さんが卵液の黄金比を教えてくれたんだよ!」
「まあ、涼香が……?」
驚いて隣を見ると、涼香は誇らしげに胸を張っていた。
「樹くんの好みの甘さは、私が一番よく理解していますから。……ほら、樹くん。あーん♡」
「っ!? 二人の前でまた『あーん』……!?」
「いいではありませんか。我が家のルールは『いかなる時も愛を隠さない』です」
涼香は苺の乗ったフレンチトーストをフォークで掬い、私の口元へと運んでくる。
向かいの席では、白鳥先輩がスマホのカメラを無音で連写しており、葵がニヤニヤしながらそれを見守っている。
「……あ、あーん」
観念して口を開けると、甘いメープルシロップと卵の風味が口いっぱいに広がった。
「……美味しい?」
「……うん、すごく美味しい」
「ふふ♡ 良い子ですね、樹くん」
涼香は嬉しそうに私の頭を優しく撫でてくれた。
その過保護な手に撫でられていると、なんだか本当に自分が『飼い慣らされたペット』のような気分になってくるが……嫌な気は全くしないのだから、私も相当毒されているのかもしれない。
◇
賑やかなブランチ会が終わり、葵と白鳥先輩が満足そうに帰っていったのは昼過ぎのことだった。
「ふう……賑やかだったね」
「ええ。ですが……ようやく、二人きりになれましたね」
ドアが閉まった瞬間、涼香は私をソファへと押し倒すようにして抱きついてきた。
「り、涼香……!?」
「朝の続きです。……邪魔が入って、不完全燃焼だったのですから」
ソファの上で私の上に乗っかる涼香。
彼女の琥珀色の瞳には、蕩けるような甘い情熱が宿っていた。
「大学でも、家でも……私は樹くんを誰にも渡しません。ずっと私の膝の上で、私だけに甘やかされていてください」
「涼香……」
彼女の手が私の頬を優しく包み込み、ゆっくりと顔が近づいてくる。
外の眩しい太陽の光を背に受けながら、私たちは二人だけの甘い時間の続きへと落ちていくのだった——。




