後夜祭の篝火と、永遠を照らす約束
二日間にわたる文化祭の喧騒が終わりを告げようとしていた。
茜色から紺色へと変わりゆくグラウンドの中央には、巨大な木組みで作られたキャンプファイヤー——後夜祭の篝火が組み上がっている。
校内スピーカーからは少し切なく、けれど温かいポピュラーソングのBGMが流れ、祭り終わりの寂しさと興奮が入り混じった独特の空気感が広がっていた。
「はぁ〜〜っ! めちゃくちゃ疲れたけど、超楽しかった〜っ!」
たこ焼きの屋台衣装(ハッピ姿)を脱ぎ捨て、私服の上着を羽織った葵が、ジュースの缶を両手で持ちながら樹の元へ駆け寄ってきた。
「お疲れ様、葵。文芸部の誌面販売も大盛況だったんだって?」
「当たり前でしょ! 白鳥先輩が書いた『氷山副会長の過剰飼育日記』が大爆発して完売だよ! ……まあ、モデルがお兄ちゃんと涼香さんだから、微妙に複雑な気持ちだったけどね」
葵はふはっと息を吐き出すと、樹の隣に並んで校庭の篝火を見つめた。
「お兄ちゃん、涼香さんは?」
「生徒会の片付けの最終確認で、まだ本部にいるんだ。『すぐに行くから、篝火の前で待っていて』って言われててさ」
「ふーん……」
葵は手に持った缶ジュースをちびちびと飲みながら、チラリと樹の横顔を見上げた。
かつて5歳の冬、泣きじゃくる自分の手を握りしめてくれた、世界で一番大好きなお兄ちゃん。
(やっぱり、かっこいいな……。私の自慢のお兄ちゃん)
胸の奥がキュッと少しだけ痛んだが、葵はそれを笑顔で覆い隠した。
【シーン2:午後18時00分、篝火の点火と葵の『最後のわがまま』】
「「「三、二、一……点火ーーーーっ!!」」」
カウントダウンとともに、中央の木組みに火が放たれた。
ドッと歓声が上がり、橙色の巨大な炎が夜空に向かって立ち上る。ぱちぱちと爆ぜる木の音と、火の粉が舞い上がる美しい光景。
生徒たちが手をつなぎ、篝火の周りでフォークダンスを踊り始める中、葵は樹のジャケットの袖をキュッと掴んだ。
「お兄ちゃん」
「ん? どうしたの、葵?」
「涼香さんが来るまで……ちょっとだけ、私に付き合って」
葵は樹の手を引いて、人ごみから少し離れた、校舎の陰にある大きなクスノキのの下へと移動した。
篝火の光が遠くから優しく二人を照らしている。
「葵……?」
「お兄ちゃん……ううん、樹」
葵は振り返ると、真っ直ぐに樹の瞳を見つめた。その瞳には、篝火の火の粉のような温かい光と、小さな涙が揺れていた。
「私ね、今日ここに来る前に……5歳の時のアルバム、もう一回見返してきたんだ」
「アルバム……?」
「うん。あの日からずっと、お兄ちゃんは私のヒーローだった。親を失って、真っ暗だった私の世界に、太陽みたいに飛び込んできてくれた……。だから私、お兄ちゃんがいなきゃ生きていけないって、本気で思ってたの」
葵は自分の胸元をぎゅっと握り締め、溢れ出る想いを噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「でもね……違ったんだよ。お兄ちゃんが私を助けてくれたのは、私を『自立させるため』だったんだよね。私を暗闇から連れ出してくれたから、私はこうして新しい世界で、笑っていられるんだもん」
「葵……」
「失恋した時は……心が引きちぎれるくらい痛かった。涼香さんが羨ましくて、悔しくて、夜も眠れなかった……。でもね、昨日生徒会室で二人を見てて、分かっちゃったんだ」
葵はぽろぽろと涙をこぼしながら、けれど今までで一番綺麗な笑顔を浮かべた。
「お兄ちゃんをあんな風に、デロデロに甘えさせて、世界で一番幸せそうな顔にできるのは……私じゃない。夏目涼香さんだけだって」
「葵……ありがとう。俺……」
「お礼なんて言わないでよ! 馬鹿!」
葵は涙を拭うと、両手を広げて樹の胸に飛び込んだ。
幼い頃のように、ぎゅっと樹の胴体を抱きしめる。
「最後のわがまま! 5秒だけ……こうさせて!」
「……ああ」
樹は葵の背中を優しく抱きかかえ、その温もりを受け止めた。
「いち、に、さん、し……ご! はい、おしまいっ!」
パッと離れた葵は、赤くなった鼻をすすりながら、ビシッと樹を指さした。
「お兄ちゃん! 涼香さんを泣かせたら、私が絶対に許さないからね! ……それと、これからも『世界で一番かわいい妹』として、図々しくおうちに上がり込むから、覚悟しておきなさい!」
「ふふ、いつでも来いよ。お前の席は、ずっと開けてあるから」
「……うん! 行ってきなよ、お兄ちゃん! 涼香さんが待ってるよ!」
葵は樹の背中をポンと強く押した。
樹は何度も振り返りながら、涼香の待つ生徒会本部へと駆け出していった。
一人残された葵は、夜空を見上げ、涙を拭い去った。
「さようなら……私の初恋。……大好きだったよ、お兄ちゃん」
【シーン3:午後18時30分、誰もいない生徒会室(永遠の誓いと正妻の涙)】
樹が生徒会室のドアを開けると、そこには後熱の喧騒とは無縁の、静寂が広がっていた。
月光と、グラウンドの篝火の明かりが窓から差し込み、部屋を淡く照らしている。
窓辺にぽつんと立っていたのは、制服姿の夏目涼香だった。
「涼香……っ!」
「樹くん……」
振り返った涼香の姿に、樹は一瞬息をのんだ。
さらさらの黒髪が月光に透け、琥珀色の瞳が夕陽と炎の光を反射して、神聖なまでに美しく輝いていた。
「遅くなってごめん! 葵と話していて——」
「いいのよ、樹くん」
涼香は優しく微笑むと、カツン、カツンとローファーの音を響かせて樹に歩み寄ってきた。
「葵ちゃんと……ちゃんと向き合ってきたのね?」
「……うん。葵は……もう大丈夫だ。俺たちのこと、心の底から祝福してくれた」
「そう……。本当に、強い子ね、葵ちゃんは」
涼香は樹の目の前で立ち止まると、そっと樹の手を取り、自分の頬へと当てた。
樹の手のひらに、涼香の温かい体温と、柔らかな肌の感触が伝わってくる。
「ねえ、樹くん。覚えているかしら? 私が最初にあなたを『甘やかして飼い慣らす』って言った日のこと」
「覚えているよ。あの時は……びっくりしたけど、すごく救われたんだ」
「ふふ……あの頃の私はね、完璧な『氷山副会長』を演じることに疲れていて、誰かに頼りたかった……。でも、あなたを甘やかすうちに、気づいたの。あなたをダメ人間にしているつもりが……私の方が、あなたの優しさと温もりに依存して、ダメにされていたんだって」
涼香の瞳から、一筋の透明な涙がこぼれ落ち、樹の手の甲にポタリと落ちた。
「涼香……? どうして泣いて……」
「うれしいの……っ。私、こんなに誰かを愛して……愛される幸せを知らなかったの……っ! 樹くん、私……あなたなしの人生なんて、もう考えられないわ……っ!」
涼香は樹の胸元に飛び込み、しがみつくようにきつく抱きしめてきた。
かつて冷酷と恐れられた「氷山姬」が、一人の少女として、樹の胸の中で愛を乞うように震えている。
「涼香……」
樹は涼香の細い腰を強く抱き返し、彼女の耳元で、生まれて一番の強い声で囁いた。
「誓うよ、涼香。俺の心も、体も、未来も……全部涼香のものだ。これから先、どんなことがあっても……俺は涼香の隣で、涼香に甘やかされて、涼香を幸せにする」
「樹くん……っ!」
「大好きだ、涼香。世界で一番……愛してる」
「私も……私も愛しているわ、樹くん……っ! 私の可愛い旦那様……っ!」
二人は互いの存在を確かめ合うように、深く、深く唇を重ね合わせた。
月光と篝火が照らす密室で、二人の呼吸と甘い水音が溶け合っていく。
【シーン4:午後19時15分、後夜祭のクライマックス(全校生徒の前での公開宣誓)】
「さあ! 後夜祭もいよいよグランドフィナーレです! 今年の文化祭を引っ張ってくれた、生徒会副会長・夏目涼香先輩と、執行部の樹くんに一言いただきましょう!」
司会のアナウンスとともに、校庭の特設ステージへ呼び出された二人。
全校生徒の視線と、篝火の炎が二人を包み込む。
マイクを持った涼香は、樹の手をギュッと握りしめたまま、壇上の中央へと進み出た。
「皆さん、二日間の文化祭、お疲れ様でした」
静まり返る校庭。
「最後に……私から一つだけ、全校生徒の皆さんに報告と……宣言があります」
涼香はチラリと隣の樹を見つめ、クスリと愛おしそうに微笑んだ。
「私、夏目涼香は——隣にいる樹くんと、正式にお付き合いをさせていただいています」
「「「「うおおおおおおおおおっ!?」」」」
地鳴りのような歓声と悲鳴が校庭に轟く。
「そして……彼を甘やかしてダメ人間にするのは、私の生涯をかけた専任事項です。……女子生徒の皆さん、彼に手を出したら……生徒会として、そして『正妻』として、容赦しませんので覚悟しておいてくださいね?」
「り、涼香ーっ!? マイクで何言ってるのーっ!?」
樹が顔を真っ赤にして叫ぶと、全校生徒から爆笑と「お幸せにー!」「ごちそうさまー!」という祝福の歓声が巻き起こった。
人ごみの後方で、葵と白鳥先輩が並んで笑っている。
「ふふ、言っちゃったね、涼香さん」
「ええ……でも、これで完璧よ。彼を狙う虫は、一匹残らず駆除されたわ」
涼香はマイクを置くと、全校生徒の前で、樹の首に手を回し、樹の頬にチュッと音を立ててキスしてみせた。
「あはは……もう諦めたよ。一生、涼香に飼い慣らされてあげる」
「ええ、覚悟しなさいね……私の愛しい樹くん♡」
篝火の火の粉が夜空へと舞い上がる中、二人の恋は一つの「永遠」という答えに辿り着いたのだった——!
(第 120 話:大極上グランドフィナーレ・結婚式とこれからの日常へ続く)




