夏の予感と、夏祭りの約束
聖華高校の終業式が終わり、校内は明日から始まる待ちに待った夏休みへの熱気と解放感に包まれていた。
橘樹は、教室の自分の席で返却された期末テストの成績表をじっと見つめていた。
「……まじかよ」
「どうした橘、絶望したか? 赤点だったか?」
隣の席の友樹がニヤニヤしながら覗き込んできたが、成績表に記載された数字を見るなり、目玉が飛び出さんばかりに驚愕した。
「はぁぁぁ!? 橘、お前数学Ⅰ『88点』ってどういうことだ!? 前回の倍以上取ってるじゃねえか!」
「フフフ……伊達に血の滲むような特訓をしてないからな」
樹は誇らしげに胸を張った。
(血の滲むような特訓=図書館で涼香先輩に手手を握られながら教わった勉強会)
赤点回避どころか、平均点を大きく上回る高得点だ。
クラスの男子たちが「橘の奴、覚醒したぞ……」とざわめく中、樹は忍ばせたスマホに目をやった。
『テスト結果、どうだったかしら?』(涼香先輩)
メッセージの短文。樹はすぐに返信した。
『数学88点でした! 全部先輩のおかげです!』
一秒も経たないうちに『既読』がつき、すぐに返信が返ってきた。
『……やるじゃない。少しは見直したわ』(涼香先輩)
画面越しのやり取りだけで、涼香が少し誇らしげに鼻を鳴らしている姿が目に浮かび、樹の口元は自然と緩んでしまった。
その日の夜。
夏休みの初夜ということもあり、二人は樹の部屋で祝勝会(兼夕飯)を開いていた。
テーブルの上には、涼香が作ってきてくれた豪華な『唐揚げと彩り野菜の南蛮漬け』。甘酸っぱいタレがジューシーな唐揚げに染み込んでいて、夏バテも吹き飛ぶ美味しさだ。
「改めまして……涼香先輩、テスト勉強教えてくれて本当にありがとうございました!」
「ふん、私が教えたんだから当然の結果よ。でも……よく頑張ったわね、橘くん」
涼香は唐揚げを小さく口に運びながら、嬉しそうに目を細めた。
ベランダのサッシからは、少し生ぬるい夏の夜風が吹き込んでくる。
遠くで鳴くセミの声、近所の公園から聞こえる子どもたちの歓声。いよいよ本格的な夏が始まるのだという実感が湧いてくる。
「ねえ、橘くん」
涼香がグラスの冷茶を一口飲み、ふと話題を変えた。
「夏休みの予定……何か決まっているかしら?」
「予定ですか? うーん、基本は部活と……あとは家で宿題かゲームですかね。ご存じの通り、両親も海外ですし」
「……そう」
涼香は安堵したように小さく胸を撫で下ろした。
「なら……来週の土曜日、予定をあけておきなさい」
「来週の土曜日ですか? 何かあるんですか?」
「……これよ」
涼香は自分のカバンから、一枚の綺麗なチラシを取り出し、テーブルの上に滑らせた。
そこに書かれていたのは――『第45回 青楓川 花火大会・夏祭り』の文字。
「花火大会……!」
「ええ。地元ではそこそこ大きな祭りらしいわ。……あなた、祭りは好き?」
「好きですけど……先輩、一緒に行ってくれるんですか?」
樹が驚いて尋ねると、涼香は照れ隠しにツンと顎を上げた。
「なによ。テストで良い点を取ったご褒美よ。それに……私だって、屋台のりんご飴や焼き鳥くらい食べたいわ。一人で行くのも味気ないでしょう?」
「それって……いわゆる、夏祭りデートってやつですか?」
「っ……! デ、デートなんて一言も言っていないでしょう! ただの……そう、労いのお出かけよ!」
一瞬で真っ赤になる涼香。
だが、断らないあたりが彼女の素直で可愛いところだった。
「でも、大丈夫ですか? 夏祭りとなると、学校の生徒もたくさん来るかもしれませんよ? 僕たち、学校では『他人のフリ』って約束でしたし……」
樹が懸念を口にすると、涼香は琥珀色の瞳を少しだけ悪戯っぽく輝かせた。
「ふふ、大丈夫よ。完璧な対策を考えてあるわ」
「対策?」
「浴衣を着て、髪型を変えて……ついでに伊達メガネでもかければ、誰も私だって気づかないわ。夜だし、混雑しているもの」
「浴衣……! 先輩の浴衣姿ですか!?」
「な、なにをそんなに興奮しているのよバカ!」
涼香は真っ赤になってポカポカと樹の腕を叩いた。
「別に……あなたに見せるために着るわけじゃないわよ。お祭り気分を味わうためなんだから!」
「でも、めちゃくちゃ楽しみです。先輩の浴衣姿、絶対似合いますし」
「~っ! 本当に口だけは達者なんだから……」
涼香は両手で真っ赤な顔を覆い、テーブルの上に突っ伏してしまった。
パタパタと照れ隠しに足を揺らす姿は、学校の生徒が見たら腰を抜かすほど愛らしい。
「……じゃあ、来週の土曜日の夕方、駅前で待ち合わせね」
「はい! 楽しみにしています、涼香先輩」
「……遅刻したら、金魚すくいにしちゃうんだから」
「金魚すくいは無理がありますって」
二人の笑い声が、夏の夜の部屋に響き渡る。
長く、甘い夏休みが始まる。
誰にも言えない二人だけの秘密の距離は、夏の熱気とともに、さらに熱く加速していくのだった。




