エピローグ(前編):ポスト・コンパイル・ストリートの残響
大騒動の翌々日。姫路の冷たいアスファルトの匂いも、母ちゃん(葉子さん)の七本目の妖気が引き起こした神戸全域のピンク色のホワイトアウト(大パニック)も、表向きのシステム(日常)は驚くほど平然とリブート(再起動)されやがった。
午後二時。一階の喫茶「フォックステイル」の店内は、いつもの気怠いジャズのBGMと、珈琲豆を挽く静かな音だけが流れている。
俺はカウンターの奥で、頼まれもしねえのに道満と博雅のために炭酸抜きのコーラをグラスに注ぎながら、心底ダルそうにため息を吐き出していた。
「……はぁ。やりたかないねー、ホンマによー。事件がクローズしたと思ったら、今度は学校のノートの写しを催促されるログインループかよ」
「しゃあないやん、晴明。うちら三日間も姫路のドメインに潜りっぱなしやったんやから、出席ログ(出席日数)が完全にエラー起こしかけとんねん」
カウンター席で、芦屋家の次期当主たる道満が、お気に入りのピンクのペンを転がしながら愚痴をこぼす。その隣では、源家の次期当主――あの夜、相坂トンネルの前で男泣きしてすべての迷いをタスクキルした博雅が、真面目な顔で世界史の教科書を開いていた。
「……俺は、智規叔父さんの残した警察の引き継ぎログを、親父(博臣)と一緒に整理してたからな。加茂家の保憲からも、さっき緊急の回線が届いたぞ」
博雅がスマートフォンの画面を俺たちに向けてスキャンさせる。
保憲からのパケット(調査報告)によれば、姫路署と兵庫県警本部に蔓延していた『コレクター』の薬物汚染ルートは、金原の率いる武上組の物理ハック(手入れ)と県警の精鋭によって、表向きは完全にデリート(一掃)されたらしい。
『ただし、安倍君。あの「コレクター」のボスを名乗るアドミン(主犯)の生体ログだけは、相坂トンネルの騰蛇の火の海からも検出されなかった。奴らはまだ、別の暗黒ドメイン(深層)で回線を繋いだまま潜伏している。……いらん心配だけど、神戸のストリートの防壁は下げないでおきなよ』
メッセージの最後に添えられた、保憲らしいあざとい警告。
俺がそれを見て苦虫を噛み潰していると、カランカラン、とドアベルが鳴り、高級スーツに身を包んだ瀬戸の旦那が静かにログイン(入店)してきた。その後ろには、姫路からトンボ返りしてきた武上組の金原組長が、直立不動で張り付いている。
「おぅ、ハル坊。泰臣の野郎は、まだ上の事務所か?」
「瀬戸の旦那。ええ、親父なら二階の探偵事務所のセクターで、母ちゃんの機嫌取り(マッサージ)パッチを当てるのに全リソース割いてますわ」
俺が呆れ顔で二階の天井を指差すと、瀬戸の旦那は深くソファに腰掛け、金原から受け取った裏社会のログ(報告書)をテーブルに置いた。
「金原からの報告やがな、九州の『睦会』の連中、うちの若い衆が総出で報復の手入れを仕掛けたら、案外あっさりとサーバー(本部)を明け渡しよったわ。智規のハッキングが弾けた時点で、奴らの休戦協定破りのプログラムも完全に瓦解したってわけよ。……まぁ、日本の裏社会のパワーバランスは、これでひとまず正常値アップデート完了やな」
「……ホンマ、瀬戸のオヤッサンと泰臣さんの貫禄には恐れ入りましたわ。姫路の地脈がどうこう言う前に、極道の拳が一番のデバッグやって、若い衆も全員脳内に焼き付けて帰りましたわ」
金原がドスの利いた声でしみじみとログを吐き出す。
極道界のトップと、呪術界の御三家。それらが一本のダークウェブで繋がった最悪の事件は、こうして一応の終幕(パッチ適用)を迎えたわけだ。
瀬戸の旦那たちがアイスコーヒーを一気飲みして「じゃあな、ハル坊」と夜のストリートへ戻っていった、その直後だった。
トントン、と階段を下りる音がして、二階から腰を押さえたクソ親父が、ようやく一階の喫茶店へとログインしてきた。
「あー、腰がエラー吐いとるわ。葉子さんの奴、七本目の妖気を維持したままマッサージしろとか、どんな無理ゲーなタスク要求してくんねん……」
「自業自得だわ、クソ親父。なぁ、今だから聞くけどさ、何で母ちゃんのあの『七本目の封印』をわざわざそんな営みのノイズ(ディープキス以上)でしか解除できねー仕様にしてんだよ。もっと呪符とか印とか、普通のシステム設定(解除コード)があったやろ」
俺がカウンター越しに冷たい視線をぶつけると、泰臣はカウンターの椅子に腰掛け、珈琲を一口すすってから、いつになく真面目な「掃除屋」のトーンで語り始めた。
「……なぁ、晴明。お前はまだ、安倍家の封印術の本質をデコード(理解)しとらんようやな」
「あ? 本質って何やねん」
俺の問いに、泰臣はタバコに五芒星のジッポで火を点けながら、静かにソースコードを読み解いてみせた。
「安倍家の封印術ってのはな、ただ呪文を唱えれば起動するような、そんなヤワなプログラムじゃねえんだわ。あれはな、『その術者の最も得意なもの(デバイス)』を通してこそ、最大の出力(システム権限)を発揮する性質のものなんだよ」
「……得意なもの?」
横で教科書を読んでいた博雅と道満も、親父のその意外に深い呪術の解説に、思わずスキャン(耳を傾ける)を走らせる。泰臣は紫煙をくゆらせながら、淡々と続けた。
「そうや。ある優秀な先代の術者は『呪符』の書き込み処理に全霊力を同期させた。またある芸術家肌の術者は、『絵を描く筆』のストロークを媒介にして、神域の封印パッチを当てていった。……それぞれが、自分の魂が一番熱くなる得意分野を使って、封印術を完成させた」
「なるほどな。じゃあ、親父のその『得意分野』は何だったんだよ」
俺の真っ当なクエリに対し、クソ親父はフッ、と不敵に口角を吊り上げ、ジッポをパチンと閉めてから、最高に自然な、そして最高に最低な笑顔を吐き出しやがった。
「――俺が得意なのは、【夜の営み(ベッドの上のハッキング技術)】なのさ…晴明ちゃん」
「「「「「――――……」」」」」
その瞬間、喫茶「フォックステイル」の一階の全トラフィックが、絶対零度まで一瞬でフリーズ(処理落ち)した。
「やめろって言うたやろ、道満!! 親の最高出力をそんな生々しいソースコードで同期(納得)したくなかったんだわァッ!!」
「晴明、うちは何も言うてへん! 親父さんが勝手に自白(ログ開示)したんや!」
顔を真っ赤にしておしぼりで耳を塞ぐ道満と、やっぱりこの親父の遺伝子だけは永久デリートしたいと心から絶望する、晴明の名を継ぐ俺。博雅にいたっては、世界史の教科書で顔を隠してガタガタと震えている。
……なぁ、あんたならどう思う?
平安より続く安倍家の特級封印術が、クソ親父の「夜のテクニック」という最低最悪のデバイスで最適化されてるストリート。
やりたかないねー、ホンマによー! でもまぁ、これが俺たちの生きる、最悪にバグり散らかした神戸の日常の『エピローグ』なんだわ。
(エピローグ・後編へと続きます)




