第十三話:白鷺の切腹丸・ディレイド・パケット
「……はぁ。やりたかないねー、ホンマによー。タイムアタックのスタートラインが『腹切丸』とか、どんな悪趣味なブート設定やねん」
お菊井戸のセクターを離れた俺たちは、観光客の流れから外れ、城内の不気味なスポット――通称『腹切丸』と呼ばれる、薄暗い井戸曲輪の影へと滑り込んだ。実際にはここで切腹が行われた記録はないらしいが、漂う霊気の歪みは一級品だ。
俺は歩きながら、静かに指先で印を組んだ。
「――【太裳:認識阻害】」
俺の「無色の氣」が太裳の術式を起動し、周囲の空間座標をわずかに書き換える。直後、楽しげに自撮り棒を掲げていた一般観光客たちの視線(観測ログ)から、俺、道満、博雅の三人の存在が完全にステルス(隠蔽)された。
「……消えたな。よし、ここから先が『非公開エリア』のバックドアや」
博雅が木製の厳重な柵の奥、通常ならアク禁(立ち入り禁止)がかかっている暗い通路を睨みつける。
一歩、その闇へ足を踏み入れた瞬間、俺の網膜が激しく点滅した。
歴史ある国宝の木造構造が、まるで劣化したテクスチャのようにドロドロと崩れ落ち、その奥から「真っ黒な回路図」のような光の線が不気味に剥き出しになっていく。
「……城の神域が、現在進行形で上書き(オーバーレイ)されとるわ。気ぃつけや、晴明、博雅。このドメイン、完全に敵のサーバーに同期されかけてる」
道満がコートの袖から指先を覗かせ、術のノイズを警戒しながら周囲をスキャンする。
「……急ぐぞ。コードの進行度が『1』に達する前に、残りの三人を引きずり戻すんだわ」
一方その頃。観光客の喧騒が響く、通常の順路天守閣への階段。
「あ、見て泰臣さん! あそこの柱、なんか変な光の線が見える気がする……!」
周囲を見回しながら、雅がそう声を上げた。
普通の人間なら「気のせい」で片付ける微かな地脈の歪みを、彼女ははっきりと捉えている。キャバ嬢としてのテクスチャの高さだけじゃなく、この子、多少の霊感(スキャン能力)を持ち合わせていやがるらしい。
不安げな彼女の隣で、親父は「お、どれどれ?」とデレデレした声を出しながら、鼻の下を伸ばして彼女の肩を抱き寄せた。
「ホンマやねぇ、雅ちゃん。じゃあ、この泰臣さんがちょっと『おまじない』パッチを当ててあげようじゃないか」
泰臣は雅に見えない角度で、タバコを挟んだ右手の指先を素早く動かした。
空間の虚空に、鋭い氣の残光で描かれる『六芒星』の呪術コード。
パシッ、と空間が爆ぜるような微かな音が響く。
親父が城内のあちこちにわざと刻み込んでいるのは、神域の地脈を一時的にバグらせる「遅延パッチ(綻び)」だった。
「――チッ。上書きの処理速度が、一瞬だけ数ミリ秒落ちたな」
どこか遠く、城の最深部でハッキングを実行している『内側の敵』が、この不自然なシステム遅延に舌打ちしているに違いない。
「……さぁて、雅ちゃん。次はあっちの絶景セクターへログインしに行こうか」
大物の幽霊にもキャバ嬢にもモテ散らかすクソ親父は、夜の街と変わらない足取りで、敵のアクセスログを最悪な形で引っかき回し、俺たちのための時間を強引に稼ぎ続けていた。




