第十一話:白鷺(しらさぎ)のエコー・旧知のアーカイブ
翌朝。ホテルをチェックアウトした俺たちは、寝不足の重いログを引きずりながら、朝一番の姫路城へとログインした。冬の澄んだ空気の中、白鷺城は昨日と変わらず白く聳え立っている。
「……はぁ。やりたかないねー、ホンマに。……にしても、朝っぱらから外人が多くなったなぁ、ここも」
親父の泰臣が、観光ルートに溢れる多国籍なパケット(人混み)を見ながら気だるげに呟いた。今や城内は外国人向けの案内スタッフや翻訳デバイスが飛び交う、完全にグローバル化されたドメインだ。
俺たちはそんな一般の観光ログからフェードアウトするように、一直線にお菊井戸のセクターへと向かった。
「……博雅、道満、雅さん。ちょっと観測ログを誤魔化すぞ。……【太裳:認識阻害】」
俺が印を結び、周囲の一般人の網膜にブラインドをかけた、その時だった。
井戸の底から、ねっとりとした黒い霧……ではなく、拍子抜けするほど軽やかな白いエフェクト(煙)が立ち上り、一人の女性の姿をレンダリングした。
「――あら。今代の安倍家の当主じゃないか。……泰臣、二十年ぶりかい?」
現れたのは、日本三大怪談の一角。皿を数えてバグり散らかしているはずの、あの「お菊さん」だった。だが、その口調は驚くほど気さくで、居酒屋の常連客みたいなノイズを放っている。
「お、お菊さん……? 本物……? なんでこんな明るいん……?」
道満が目を丸くし、博雅も「もっとこう……キィィィンって呪いのパケット飛ばしてくるかと……」と箸が転がったような顔で絶足している。
「おや、そこの若いお仲間さんたち、妙な顔をしてるね。……何百年も幽霊やってるとねぇ、昔の怨念プログラムなんて忘れちまうのさ。毎日数える皿のデータも、もうとっくに飽き飽きだよ」
ケラケラと笑うレジェンド幽霊の明るさに、俺たちのシミュレーションは完全に狂わされていた。だが次の瞬間、お菊さんの目が、すっと俺の座標に固定された。
「……ん? おや、おや、おや……」
お菊さんは俺ににじり寄ると、その鼻先で俺の「氣」をクンクンとスキャンし始めた。その瞳の奥に、一瞬だけ、何百年もの歴史の重みが冷たく明滅する。
「あんた……傾国の狐の匂いがするねぇ」
「……ッ!?」
俺の心臓のCPUがドクンと跳ね上がる。
お菊さんはそれを見て、ニヤニヤと楽しそうに親父の方を振り返った。
「泰臣、あんたって奴は……。笑っちまうねぇ。あんた、またとんでもない『禁忌のソースコード』を作っちまったねぇ。……それにしてもさぁ」
お菊さんは今度は俺の顔をまじまじと見つめ、遠い目をして懐かしそうに顎に手を当てた。
「あんたの母さんには、本当に手を焼かされたよ。なんせ日本中の幽霊や妖、野良も含めた陰陽師、全員が本気を出して、総がかりで戦って、どうにかどうにか互角だったんだからねぇ」
「……は? うちの、母ちゃんが……?」
俺は完全に面食らった。あの、家でいつもガミガミうるさい、あらあら、うふふで親父を物理的にデリートしかねないあの母ちゃん(葉子さん)が、日本中の怪異と陰陽師を同時に相手にして、かつて【九尾の狐(妖狐)】としてそんな規格外の戦争(大戦)を起こしていたなんて、どんなバグった裏設定だよ。
「……人聞きが悪いな、お菊さん。俺はただ、真っ当に次世代へのパッチ(息子)を当てたつもりだわ」
親父はタバコに火を点けながら、のらりくりとかわす。
なぁ、あんたならどう思う?
隣室の死体に怯えてログインしてみれば、待ち受けていたのは怨念を忘れたレジェンド幽霊。
その上、俺の中に眠る最大のバグ(九尾の狐)のログと、母ちゃんのチートすぎる過去の戦歴を、一瞬でぶち開けられちまった。
「……やりたかないねー, ホンマによー。……お菊さん。母ちゃんのバグった昔話に付き合う前に、まずはこの城を覆っとるあの黒い霧について教えてくれへんか? 昨日からずっと不気味なノイズが走っとるし、ホテルでも人が死んでる。この城で一体何が起こってんねん」




