第16話:「削られる命」
王都外縁の石畳は、朝になると白く光る。
夜露を舐めた冬の陽が、何事もない顔で照らす。
三日目の巡回。
奇跡を待つ列が、今日も伸びている。
俺はその言葉が嫌いだ。
奇跡は、配分を隠す。
誰かが得れば、誰かが減る。
だが群衆は、そこを見ない。
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少年が走っていた。
数日前まで脚を引きずっていた子だ。
母親が何度も頭を下げる。
レオンは肩をすくめる。
「礼は刻印に言え。俺は医者だ」
乾いた声。
だが目は少年の歩幅を測っている。
仕事だ。
酔っていない。
信じてもいない。
ただ観察している。
だが周囲は違う。
「勇者様が選んだ治療だ」
「神の導きだ」
言葉が変わり始めている。
医療が、信仰に翻訳されていく。
カイルは戸惑う。
否定しきれない。
否定すれば、救われた者を否定することになる。
そこを、黒幕は見ている。
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老女が前に出る。
「孫の手を、もう一度だけ握りたい」
レオンが膝をつく。
光が走る。
その瞬間。
俺は見た。
隣の少女の包帯が滲む。
レオンも気づく。
理解している顔だ。
均衡が動いた。
どこかの灯が、わずかに弱くなった。
だが止めない。
老女の背が伸びる。
涙が零れる。
「握れます……」
同時に少女が崩れる。
誰も因果を結ばない。
だが俺とレオンは知っている。
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「やめろ」
俺が言う。
返事はない。
老女は救われる。
少女は座り込む。
誰も怒らない。
それが一番残酷だ。
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「今日は終わりにします」
カイルが言う。
選んだ。
初めて、自分で線を引いた。
その瞬間。
人垣の奥。
灰色の外套が、静かに動く。
灰燼の灯。
女は少女の隣に膝をつく。
優しい声で言う。
「勇者様が選んだのよ」
責めない。
肯定する。
「神はすべてを一度には救えないの」
言葉を置く。
否定できない言葉。
少女はうなずく。
老女は涙を流す。
周囲が静まる。
不満が、信仰に変わる瞬間だ。
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撤収。
背中に視線が刺さる。
崇拝と、計算。
誰を優先するか。
その話になり始めている。
選択権を持つ者は、神に近づく。
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夜。
宿。
レオンが目を開ける。
「黒変を確認した。均衡がずれてる。……奪っている可能性がある」
カイルが顔を上げる。
「奪う?」
「証明はない。だが負荷の波形が揺れた」
理屈だ。
だが事実だ。
「それでもやるのか」
「俺は医者だ」
静かだ。
「目の前の命を救わない理由にはならない」
「じゃあ隣は?」
沈黙。
一瞬。
レオンの目が揺れる。
「選ぶ」
戻れない。
完全に。
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窓の外。
灰色の外套が、街路に立っている。
夜の灯を見上げながら、女が呟く。
「削られるほど、神に近づく」
血を流す治療士。
選ぶ勇者。
救われた者。
救われなかった者。
条件は揃っている。
神は天から降りない。
削られ、選び、許され、崇められることで作られる。
女は計算している。
あと一押し。
大規模事案。
“勇者でなければ止められない災厄”。
それが起きれば。
民衆は完成する。
信仰は加速する。
そして勇者は逃げ場を失う。
⸻
部屋の中。
カイルは眠れない。
今日の少女の目が浮かぶ。
救えなかった目。
救われた老女の目。
どちらも自分を見ていた。
「俺は……」
言葉にならない。
神ではない。
だが人でも足りない。
その中間に、立たされている。
⸻
俺は盾を見る。
世界樹の紋章は、静かだ。
だがあの日の黒変を、あいつは止めた。
理屈じゃない。
想いに反応した。
それを民衆が知れば。
完全に神話になる。
今はまだ、見えない者だけが知っている。
だが黒幕は、結果だけで十分だ。
⸻
王都の灯は減らない。
減ったのは――
勇者の逃げ道だ。
神は外に求められ始めている。
そしていずれ。
あいつは叫ぶことになる。
「俺は神じゃない!」
その言葉は、否定ではない。
祈りになる。
それが最も皮肉だ。
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