第15話:「鎖、ひとつ」
朝から胸がざらついていた。
空は晴れている。
だがこういう日は、だいたい何か起きる。
外周区が騒がしいという報せが入ったのは昼前だ。
刻印暴走。
少年。
十にも満たない。
治療を受けた直後。
……嫌な符合だ。
⸻
人垣を割る。
焦げた匂い。
泣き声。
怒号。
「治療士のせいだ!」
「勇者が甘いからだ!」
石が飛ぶ。
聖騎士が盾を構える。
だが視線は一方向。
レオンだ。
⸻
少年は地面で痙攣している。
刻印が白く――いや、黒を混ぜた光を噴き出している。
暴走が深化している。
通常の副作用じゃない。
黒変。
焼け焦げる匂いが強まる。
皮膚の下で光が暴れている。
レオンが膝をつく。
迷いは――ある。
ほんの一拍。
群衆を見た。
その奥。
灰色の外套。
灰燼の灯。
見ている。
試している。
選択の瞬間を。
⸻
少年が衣を掴む。
「……こわい」
小さい。
それだけだ。
理屈は無意味になる。
レオンが息を吸う。
だがその前に。
黒変が跳ねた。
少年の背が反る。
刻印の黒が拡張する。
触れれば焼ける。
治癒だけでは追いつかない。
⸻
カイルが動いた。
反射だった。
理屈じゃない。
少年の肩を掴む。
「大丈夫だ」
その瞬間。
俺の盾が――
うっすらと、緑に光る。
世界樹の紋章。
胸の奥がざわつく。
守りたい、という感情が跳ねた。
それに呼応するように。
少年の刻印の黒が、揺らぐ。
光が安定する。
暴走が一段、収まる。
レオンが目を見開く。
俺も分かる。
これは医療じゃない。
干渉だ。
⸻
黒は完全には消えない。
だが拡張が止まった。
時間が生まれる。
レオンが決断する。
「……俺は医者だ」
第一段階。
解放。
空気が沈む。
深い光が落ちる。
鎖が引きずられるような感覚。
黒変を内側から縛る。
収束。
完全沈静。
少年の呼吸が戻る。
助かった。
⸻
だが民衆が見ていたのは、順序だ。
黒が跳ねる。
勇者が触れる。
黒が揺らぐ。
その後に、治癒が完成する。
構図が完成している。
⸻
レオンの脛から血が落ちる。
膝が崩れる。
カイルが抱き止める。
「ふざけんな……!」
怒鳴るが、震えている。
群衆は静まり返っている。
奇跡を見た顔だ。
いや――
神話を見た顔だ。
⸻
灰色の外套が動く。
女が母親に囁く。
「勇者が触れた瞬間、止まったでしょう?」
事実だけを言う。
母の目が潤む。
「神の御業……」
言葉が落ちる。
誰も否定しない。
⸻
レオンが息を整えながら言う。
「偶然だ」
声は掠れている。
「再現性はない」
医者の言葉だ。
だが民衆は医者じゃない。
見た。
触れた瞬間、止まった。
それで十分だ。
⸻
「……兄さん」
カイルが小さく呟く。
俺の盾の光は、もう消えている。
だが余韻は残る。
アルドの気配を、あいつは感じたはずだ。
黒幕には見えない。
灰燼の灯は、ただ“結果”しか見ていない。
そこが救いでもあり、火種でもある。
⸻
「担架だ」
俺が言う。
聖騎士が動く。
空気が変わった。
怒号は消えた。
残ったのは、畏怖。
⸻
レオンが呟く。
「……明日も治す」
俺は答える。
「当たり前だ」
止めれば壊れる。
止めなくても壊れる。
ならせめて、自分で選べ。
⸻
だが今日。
鎖がもう一本、増えた。
レオンの足枷じゃない。
勇者の首輪だ。
黒を止めた存在。
血を流す治療士を支えた存在。
象徴は、もう人間ではいられない。
制度が揺れたとき。
人は神を作る。
それがどれほど危険でも。
王都は静かだ。
だが信仰は、もう始まっている
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