いと賢き者よ、賢しき眼を見開き、賢明なれば
「少年、実は君に用があってきたんだ」
世間話をするように、今日の夕食の献立を話すように智慧卿は言葉を紡いだ。
「少年が欲しい、私のものにならないか」
「え?」
周囲に薔薇が咲き乱れる様を幻視するような物言いである、これを聞いたルームが3歩ほど下がって警戒態勢になってもなにもおかしくないだろう。この言い方ではそのものズバリのド直球な愛の告白であるうえ、初対面の男にそんなことを言われれば戸惑うのも仕方がない。
「す、すみません。僕はちょっと、そういう嗜好はないので」
「ん? 誤解があるようだ。私は何も君を性的に消費しようというわけではない、君の身体に用があるだけなんだ」
「か、身体が目当てなんですか!?」
「いや違う違う、私のワードチョイスが間違っていたな。なんと言えばいいか、そうだ。君の肉体に興味があるので調べさせて欲しいと言うべきか」
「やっぱり身体を狙ってるじゃないですか!!」
「んー、懐かしき故郷でも言い回しは難しかったが、ここでも変わらないようだ。もっと直接的に言おう、君の身体に宿る【寄生】の研究をさせてもらいたい。もちろん報酬は払う、何不自由ない暮らしも保障しよう。【寄生】の研究が終わった暁には君に自由と特別な身分を与えよう。もちろん君の仲間と宿屋も学会で保護しよう。危険なことはしない、君の意思も最大限尊重しよう。如何かな?」
これは所謂ヘッドハンティングという奴である、教戒からも似たようなことをされていたが今回は本気も本気である。なにせ学会のトップが自ら出向いてスカウトをしているのだ。その重大性は計り知れない、しかもこれは智慧卿である。姿を見ることすら難しいと言われる智慧卿が出張ってくるという意味をルームは正しく理解していた。
「(断れば学会がそのまま敵に回るってことか……!!)」
「さあ、返答を願いたい」
そう、これは脅迫である。学会の頂点の誘いを断るということは、それ即ち学会への叛意ありと見なされてもおかしくない。そして、学会にしろ教戒にしろ武界にしろ、敵対した者をわざわざ生かしておくほど慈悲深いわけではない。
「少し、時間をください」
「良いだろう、私は寛大だ。期限はこの演劇の公演が終わるまでとしよう。色よい返事を期待しているよ、これは強制ではないから断ってくれても構わない。よく考えてくれると嬉しい」
「分かりました、智慧卿のお誘いですから慎重に考えます」
「はは、気負わなくて良い。軽く返事をしてくれれば良い、それで全ては始まる。輝かしき時代の幕開けがすぐそこにあるのだよ」
そう言って智慧卿は姿を消した、煙に紛れるような不思議な移動であった。
「はぁ……困ったなぁ」
座り込むルームの周りに苗床亭の面々が現われる。【白箱】で休んでいたはずだが、さすがにこの状況で何も言わずにだんまりを決め込むことはできなかったのだ。
「あれは、自分の誘いが断られるなんてことは思ってもいないという顔でありんした。旦那さんの仰せのままに従うでありんすよ、それが泥船でも喜んで乗り込むでありんす」
「ルー、大丈夫だから。どんな風にしても私は笑って付き合うからね」
「なんでも良いよ、ヒューはもう決めてるの。死ぬまで離してあげない」
「余はあの男は好かぬ、そなたを道具のように見ていたゆえな。だが、そなたの決断を余は支持しよう。我らは共生の約定を結んでいる、そなたが決めた道が我らの道なのだ」
それぞれが思い思いに言葉をかけていく。1人じゃない、それだけでルームはなんにでも立ち向かえるような気がしていた。それと同時にこのかけがえのない仲間達を危険に晒すことへの不安も増大してしまったのは皮肉だった。
「ありがとう……本当に」
「こう、えんのほうも、ちゃんと、やるのよ、わたしはあなたの、半身、だから、みっともないことは、ゆるさない、から」
ふらふらとしながらなんとか言葉を発している、ヴァンシイは未だに智慧卿より受けた攻撃の影響が抜けていない。それでも言わなければと力を振り絞っている。
「無理しすぎだよ、まだぐらぐらしてるでしょ」
「うる、さい、わたしは、宿主、の、ために、」
「分かった、みっともない真似はしないよ。僕は苗床亭の主人なんだ、誰にも恥じない決断をする。安心して」
「ふふ、はじめ、から、そういう、ふうに、す、れば、いいの」
最後まで力を使い切ったのかヴァンシイはまたもやルームの中に戻っていった。
「さて、どうしようかな」
相手は学会である、教戒の時のようなコネは通用しない。智慧卿サトウの言を信用すれば別に何も悪いことはないように思える。しかし、相手の言っていることを無条件で信じられるほどルームは優しい世界では生きてこなかった。
「十中八九、実験体としては破格程度の扱いを受けることになるかな。薬漬けならまだ良い方か、全身解剖まで考えていそうだし。相手は智慧卿、学会のトップだから僕の考える最悪をさらに越える実験をされるのは間違いない」
学会で保護されるとは、実験体になる代わりに仮初の安全を受け入れるという事に他ならない。人権に類するものは認められず、死ななければ良いだろう程度にしか扱われないことは確実である。学会にとって実験体・被検体とはその程度の価値しか持たないのである。ルームの場合は無二のモルモットであるために丁寧に扱われることはあるだろうが、それだけである。しかも相手は智慧卿、どんな事をされてもおかしくはない。
「かといって、断れば僕は学会に消されるだろうし」
学会を敵に回すとなると、それと同規模の組織でなければとても太刀打ちできない。数にしろ、質にしろ、いとも簡単に踏みつぶされる。ましてや個人など、一騎当千の猛者であっても眠らずに戦い続けていてはいずれ息切れする。それ以前に対策を練られて殺される、薬品、兵器、なんでもありの学会の相手など誰もしたくはない。
「教戒……アンサさんに頼む? ダメだ、あの人は現実を見ている、たとえアンケさんに言われても僕をかばうようなことはしない。武界は? ダメだ、むしろ良い修行だとしか言われない。あとは頼れそうなところは……学会の知り合いを巻き込むような真似はしたくないし」
対学会として使えそうな組織は関わりを拒否する、対立する組織の内部に働きかけるにも伝手がない。なにより学会の仲で智慧卿に逆らう者など存在しない。袋小路に入りかけた時に3つの案がルームの頭の中によぎった。
「あの2人に頼るか、それともこっちの人たちに助けて貰うか、それとも」
ルームの頭の中で3本の道が回り続ける、いずれを選ぶのが最も良い結果を導くか、その結論は公演が終わるまでに出さねばならない。




