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智慧卿

 「みんな聞いて頂戴!! 劇場の方から打診があったわ、なんと公演を延ばして欲しいって」


 公演は3日間の予定であったが、予想外の好評によって公演が伸びることが決定した。なお、そのあたりの交渉・相談は最も人間に近いプロトが行っている。【古代語り】とルームのどちらも体力は余人を遙かに超えているので倍の6日間になったところで特に問題はない。はずだった。


「はぁ……はぁ……」

「大丈夫だか? 途中からしんどそうだったけんど」

「だい……じょうぶです……ちょっと疲れた……だけで」


 今のルームは女性らしい動きができるように身体を改造されている状態である。それは喩えるなら重力10倍の世界で動くことに等しい負荷をもたらす。もとの日程である3日ならば全身筋肉痛で済む程度であったのだが、今や疲労困憊状態となってしまっていた。


「ごめんなさい、まさか延びるだなんて思っていなかったの」

「ヴァンシイは悪くないよ、僕の身体が、耐えられないのが、原因だから、もっと鍛えておけば良かった」

「違うのよ。もともと3日間保たせられるくらいの状態にしていたの、もっとちゃんと考えていれば良かった。穴があったら入りたいわ……」


 普段の不敵な態度は彼方に消え去り、今にも泣きそうな顔を見せまいとヴァンシイは顔を覆った。もしもルームから安全に離れられるのなら本当に穴に入っていたかもしれない。それほどまでに自らを恥じていた。それを見てルームの中に悪の心がむくむくと生じる。それはすなわち悪戯心である。


「(今なら僕の方が主導権を握れるのでは?)」


 いつもリードをするパートナーの滅多に見れない弱った姿は、疲れ切ったルームを血迷わせるのには十分だった。


「うっ……!!」

「痛むの!?」

「これくらい、大丈夫、僕は大丈夫だから」


 演技の経験でもって磨きをかけた絶妙な表情である。苦しみを感じさせつつ気遣いをしていることが分かる引きつった笑顔。これは最高に罪悪感を引き出す表情であった。


「で、でも」

「大丈夫、僕は大丈夫だよ。引き受けたことは最後まで責任を持ってやり遂げるよ」


 無理をしているのを分からせつつ、さらに無理を重ねて笑顔を作る演技という高等テクニックが炸裂した。普段のヴァンシイであるのならこれが演技であることを見抜くことは可能だった。しかし、今は動揺している、とてもとても動揺している。だから見抜くことはできなかった。実際にはキツいはキツいが別に死にそうな程ではないくらいの疲労度である。


「お願いよ、無理はしないで……」


 とうとうヴァンシイが本当に泣き出してしまう。少しやり過ぎたかと思って実はそんなにキツくないということを言おうとした時、ヴァンシイがぴたりと動きを止めた。


「そうだ、ここを菌糸の森にしてしまいましょう、そうすれば宿主を苦しめるものはなくなるわ。それが良い、それが良いわ。そこでずっと静かに暗く湿った場所で暮らしましょう、何も辛くない、何も苦しくない、楽園でゆるゆると生きましょう、それが一番、それが最善」


 ヴァンシイの周囲が急激に菌糸に覆われ始める。明らかな暴走の兆候である。言っていることを実現させる力をヴァンシイは持っている。それをした時に世界から討伐対象認定されることを考えることはできていなかった。


「ヴァンシイ!? 大丈夫!! 僕は大丈夫だから!! そんなに疲れてないっていうか、全然大丈夫!! ヴァンシイがあんまり気に病むから意地悪したくなっただけだから!!」

「ほんと? それも無理をして言っているに決まっているわ、宿主は嘘つきだもの」

「本当!! 本当だから!!」


 自分が元気であることを示そうと動いて見せようとするが、既にルームの身体は菌糸に覆われてしまっていた。動くことは難しい。


「動けもしないじゃない、やっぱりここは沈めましょう」

「く……!! マズいな……」


 【古代語り】のメンバーも居ればベヒーモスも居るので本当にここが菌糸に沈むことはないのだが、その場合だと確実にヴァンシイが攻撃を受けることになる。絶対強者とも言える彼女らの攻撃を食らえばそれは致命傷にならずとも重傷は免れない。下手をすれば消滅までありうる。


「なにか、手段を」

「ダメよ、これは決定したこと。一緒に沈みましょう」


 猶予はあまり長くはない、あと少しでヴァンシイの暴走は悟られる。そうすれば何か取り返しの付かないことになるのは明らかなのだ。


「はは、少年。あんまり女の扱いは上手くないな。じゃじゃ馬にはじゃじゃ馬なりの扱い方をするものだ、下手に刺激をするともろとも大けがをすることになる」


 若い男、いやルームと同じくらいの少年の声。ぶかぶかの白衣を着てなぜかぐるぐるの模様が入った眼鏡をかけている。その手には分厚い本、そして謎の液体が入ったフラスコがあった。


「一旦落ち着かせなきゃいけないな、ほいほいっと」


 無造作に投げつけられた2本の試験管が空中でぶつかるとその場で爆発が起きた、それによって生じた薄い緑色の煙は意思を持つかのようにヴァンシイを取り巻く。


「あ、れ、宿主が、ふたり、さんにん、よにん、ぐにゃぐにゃまがって、ぐるぐるまわる……?」


 そこまで言うとヴァンシイの首がカクンと落ちる、どうやら意識を失ったようだ。意識の喪失にともなってルームの身体の中に戻っていく。菌糸もまたヴァンシイの制御を離れてぱらぱらと散っていった。


「ははは、危なかったな少年。重ね重ね言うが女の扱いには気をつけ給えよ」


 そう言ってルームに手を差し出す白衣の少年。


「ありがとうございます、それで貴方は……?」

「ん? ああ、名乗っていなかったか。というか少年は私の事を知っているのではないかね?」

「いえ、存じ上げていないはずですが……」


 見た目通りの年齢で無いことは分かる、加えてその手管を見る限り学会所属の者であることも推測できた。しかし、ルームにはこの白衣の少年に心当たりはなかった。初対面であることは確実なはず、となれば残る線は知り合いの知り合い、もしくは伝聞による認識である。ここに思いおよんだ時にルームの頭にある存在が浮かんだ。とても信じられないが、それしかないので素直に口に出すことにした。


「もしかして智慧卿、ですか」

「正解だ少年、私こそが学会の頂点。この世界の知の頂点だとも、以後お見知りおきを」


 三核卿の一角、智慧卿サトウは屈託のない笑顔で笑った。









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