俺の問題だ
クルセルドの目が覚めて面会が可能になったのは、それからさらに三日後のことであった。アスカとエレナは神官に連れられて病棟へと向かった。
ベッドで上体を起こしたクルセルドは、青い法衣を纏った若い女神官に食事をとらされていた。すりつぶして柔らかく煮込んだ穀物を匙ですくって口に運ばれるのがよほど恥ずかしいのか、彼はただでさえ嫌がっていたのを、二人の姿を確認するなり口を閉ざしてそっぽを向いてしまった。
「何かお召し上がりになりませんと、薬も飲めませんわ」
「いい、不味い」
文句を言っている少年を見下ろし、アスカは無言かつ無表情、エレナは苦笑を浮かべて「こら」と叱った。それから神官に「代わりましょう」と言って器と匙を受け取る。神官はベッドサイドの椅子から立ち上がりエレナに譲ると、部屋の隅に控えた。
「ほら、クール」
エレナがにこやかに差し出せば、クルセルドは眉を寄せたものの、大人しく口を開いてそれを受け入れた。少しずつその動作を繰り返す様子を眺め、アスカは壁にもたれて腕を組んだ。時間はかかったものの、結局器を空にしたクルセルドはエレナと神官に褒められた。
神官が食器を下げるために部屋を出ていき、クルセルドは改まってアスカとエレナを見比べる。言いにくそうに唇をもごもごと動かした後で「あのさ、」と切り出す。
「ザッシュ、は……?」
当然の質問であった。アスカは目を細め、エレナは俯いた。
「あいつ、馬鹿だからあっさり魔王の黒魔法で操られただけなんだろう?俺たちを裏切ったわけじゃないんだよな?」
「……ええ」
「だよな!それなら、エレナの指輪で何とかできたんだろ」
ぱっと引きつった笑顔を浮かべているクルセルドとは対照的に、エレナの表情がどんどん暗くなっていく。アスカも僅かながら苛立ったように目を閉じた。クルセルドはそんな二人を見て、シーツを握りしめた。
「……なんでここにザッシュいないんだ」
少年は大きな釣り目をアスカに向けた。
「殺したのか?」
「……そんなことできるはずないだろ」
「それなら、なんで」
「……クール、やめなさい」
エレナが低く咎めたが、クルセルドはシーツを握る力を強め、アスカを睨みつける。
「まさか、逃げたのか?」
「クール」
「操られて、俺を斬らされたあいつを、そのまま置いて逃げたのか!」
「クルセルド!」
エレナが怒鳴って、クルセルドは言葉を止めたが息を荒くし興奮した様子である。それを受けるアスカはただ黙ってそこに立っていた。反論などなく、彼は少年の言葉をすべて肯定していた。
部屋に沈黙が落ちる。窓から優しく吹き込んだ風がふわりと薄いカーテンを揺らした。エレナは相変わらず硬くシーツを握りしめるクルセルドの手に己のそれを重ねた。
「落ち着いて、よく聞いて。ザッシュはね……、もう、助けられないの」
エレナはゆっくり、痛みをこらえながら事実を伝えた。ザッシュはすでに一度死んでいて、魔王によって蘇生され、その魔力で以て身体を動かせていたことを。たとえアスカがアンジェリカ・シルバーを用いて黒魔法を破ったところで、彼はただの死体に戻るだけだということを。
クルセルドは驚きこそしたが、それ以降声を荒げることはなかった。悔しそうに唇を噛み、小さく震えた。
「ごめん……、俺のせいだ」
ぼそりと呟いたクルセルド。アスカは壁から背中を離すと、椅子に腰かけるエレナの隣に立って彼の頭に手を置いた。くしゃり、と橙に近い赤毛が指に絡む。
「誰も気付かなかった。お前の責任じゃない」
「……でも」
「それより、謝る相手が違うだろう。自分がどれだけ暴れたか、覚えてないわけじゃないだろうが」
うぐ、と言葉を詰まらせるあたり、アスカの言う通りクルセルドは暴走時のことを覚えているようだ。しかし部屋を見回しても二人以外の人物はいないし、ちょうど戻って来た女神官も青い法衣の小柄な少女であった。
「あの怪力女、どこにいるんだ?」
エレナは心配そうにアスカを振り仰ぎ、彼は面倒くさそうに舌打ちをした。レックスは、ミシェルも無事で休んでいると言う。そして彼女はこの数日間、アスカたちの前に姿を見せていなかった。怪我や火傷はあったが、聖族が回復魔法を使えばたちどころに治る程度であったはずなのだが。
アスカは不審に思って大聖堂内を探したが見つからず、神官たちに尋ねても返ってきたのは「ミシェル?さあ?」という回答ばかりであった。
「ねえ、あなたは知っている?」
エレナは神官の少女を振り返ったが、彼女も首を傾げるだけだ。
「何をでしょう?」
「ミシェルはどこにいるのかしら」
「ミシェル……、さあ、そのような方は存じ上げませんね」
眉を下げ困ったように笑って「すみません」と言うその姿に、三人は驚いた。ミシェルの白い法衣は一定期間の修業を積んだか、好成績で養成校を卒業した神官が着ることのできる色だ。そうでなくても、彼女は強い魔力を持ち、その防御魔法はこの大聖堂に勤める神官数名がかりで防ぐこともできなかったクルセルドの魔法を反射したのである。そんな実力の持ち主が認識されていないはずはなかろう。
アスカはひたすらに困っている様子の彼女に「おい」と続けて尋ねた。
「レックスは知ってるよな」
「はい。大神官ですので」
「ミシェルはその部下だ。聞いたことないのか」
「申し訳ありません、存じ上げません」
「銀髪の女の子よ。私たちと一緒にレックスさんが連れて来たでしょう」
「さあ」
神官の答えを聞いて、アスカは眉を寄せ、エレナは彼を見上げ、そしてクルセルドは首を傾げた。
「しっつれいしまーす」
一応のノックをしてからではあったが、それとほぼ同時に扉が開き、能天気な声とともにレックスが入って来た。彼を見てすぐに口を開きかけたエレナを、アスカが片手で制した。
「聖王がお呼びですよ、勇者様」
「わかった」
「私も行くわ」
「『お呼びじゃない』って言いますけど、彼」
立ち上がったエレナを見たレックスは首を傾けながら身振りばかりは言いにくそうなふりで告げたが、エレナはそこで引き下がらない。
「上等」
僅かに引き釣りながらも浮かべられた笑みを見て、隣のアスカはため息をついた。
※
「……なんでいる、小娘」
玉座の前に来た二人と連れてきたレックスを見下ろし、聖王は不快感を丸出しにして言った。
大聖堂の奥の通路を進んで、魔導装置を使って階層を上がり、そのたびに増していたエレナの緊張は怒りに置換されたようである。
「あの、私あなたに何かしました?」
刺々しい声音を受けても、聖王シランは眉一つ動かさない。ただ静かに片手を振って、傍に控えていた神官だか官吏だかを下がらせた。そして玉座から腰を上げ、一段高くなっている場所から降りてくる。
流石のエレナも思わず一歩下げそうになった足をとどめ、隣のアスカも色々な意味で逃げ出したいのを堪えた。ただ一人、軽い空気を纏ったまま笑い声を掌で押さえているレックスには、シランの鋭い視線が刺さる。
「貴様も下がれ、レックス」
「えー、こんな、面白そうなのに」
「いいから、ミシェルの様子を見て来い」
「はいはい」
レックスは肩をすくめた後、踵を返した。ふわりと揺れた白い法衣。アスカはそれを見送り、また僅かに眉間にしわを刻んだ。
神官たちが知らないと口をそろえるミシェル。だが大神官レックスと聖王シランには当然のように共通認識されているミシェル。問いただすべきだろうかとも思うが、隣で散っている火花はそれを許さない。
エレナを見つめるシランは、ゆるりと目を細める。その菫色の瞳には憎悪の感情がにじんでいた。
「やはり、美しいな」
「……もう、あなたにおだてられても嬉しくありません」
「そこは喜べ。本心だと言っただろう」
シランの指先はためらいなくエレナの頬に伸びたが、それはアスカの右手が阻んだ。
「触るな」
シランはアスカの行動に驚くでも怒るでもなかったが、それはまるで彼のことが見えていないかのようでもあった。
「黄金の髪、白い肌、翡翠の瞳。お前はきっと、母親に似たのだろうな」
「え?」
菫色の瞳は不自然に揺らぐ。二百年の時を生きる、人間の枠から外れた人間の心を映して。やがてシランは僅かに目を伏せた。
「……心配するな。私はお前を傷つけることはできないし、むしろ守らねばならない。聖王としてだけでなく、私個人としてだ。お前やその母をどれだけ憎んだところで、私は結局あの方を裏切れはしないからな」
シランは力なく笑い、アスカはその手を離した。その様子を見るエレナは不思議そうに瞬きをして、零すように「何故」と言った。
「私には、あなたのことが分かりません」
「かまわんさ。私のことを理解できるのは、この世でひとりだけだから」
そう言って自嘲するシランはそっとアスカを見た。僅かに首を傾げて見せた聖王を見て、アスカはエレナに声をかける。
「あんた、クルセルドのところに戻っていろ。ミシェルのことは聞いておくから」
「でも」
「俺の問題だ。あんたに関係ない」
少し強い口調で言うと、エレナは長い睫毛を震わせる。それは、ラテムやウィリアムの屋敷での言葉とは違っていた。エレナのことを考えた結果ではなく、どちらかと言うと出会った頃と同じ、完全なる拒絶であった。
「アスカ、私」
「あんたが知る必要はないだろうと言っている。さっさと戻れ」
エレナはまだ何か言いつのろうとしたものの、一瞥すらもくれない青年に口を閉ざしてしまった。そしてシランに丁寧に一礼すると、背中を向けた。
少女の足音と気配が遠ざかり完全に消えると、シランはふと目元を緩めた。そして硬い表情を崩さないアスカに対して、玉座の奥の間を指さして見せた。
「アスカといったな。お前ボードゲームはできるか?」
「は……?」
エレナがいた時とは打って変わって、シランは穏やかであり、まさしく聖騎士だの聖王だのという肩書が似合う好青年になっていた。戸惑うアスカを気に留めていないのか、彼は友人にするがごとく手招きをしてアスカを奥へと誘導した。
玉座の間の奥にはひとつ小部屋があって、その広さは人二人やっと入れる程度。身体の大きな巨人族などであればなかなか難しいだろう。落ち着いた調度品も置かれており、王が誰かと密談でもするにはちょうどいいのかもしれない。
シランは「まあ、かけていろ」などと言ってアスカに着席を促すと、自分は狭苦しい室内を動いてポットを用意した。ガラス製の入れ物からスプーンですくっているのは茶葉だ。
「……貴族とか王様とかっていうのがそんなことしていると妙だな」
素直な感想を言うと、シランはからりと笑った。
「私はこれでも父方の血筋はそこそこなんだが、母親の身分が低くてな。子供の頃は庶民と変わらない生活だったのだ。料理も掃除もするぞ」
それに、と振り返ったシランはポットを置いて、サイドの棚からボードゲームを引っ張り出してきた。
「お前も魔王になったところで傅かれて喜ぶ性質には見えんな」
アスカは「確かに」と頷いた。シランはまずカップに茶を注ぐと、ひとつをアスカに手渡した。それからあまり広くはない丸いテーブルの上に正方形のボードを広げる。二つ折りになっていた中からは白と黒の駒が出てきた。
「チェインとか久しぶりに見た……」
チェイン・ゲームはイリウスで最も知られるゲームである。戦争を模したものとされ、ボード上のマス目を陣地として駒を配置、進軍させ、相手の王の駒をとった方が勝ちだ。
駒にはそれぞれ役があり、進められる方向と範囲、またスキルが設定されている。例えば「剣士」は正面およびその両隣の駒を倒せて、前後左右にある自軍の駒が取られそうな場合に自分と位置を入れ替えることで庇うことができる。白の「天使」と黒の「悪魔」は「王」の周囲のマスにしかいられない代わり、ゲーム中に一度相手の「王」「天使」「悪魔」以外の駒を裏切らせることができる、など。
巷では単純にゲームとして親しまれているし、軍や支配階級が教養として身につけていることもある。アスカも子供の頃に遊んだ記憶があるが、苦手だったのであまり触れてはいないしルールもおぼろげである。
「なんでこんなもの……、話があるんじゃないのか」
「その話を分かりやすくするためだ」
そう言われて、アスカはしぶしぶ駒を手に取る。それは黒の王、つまり「魔王」を象徴するものだ。
「だが、お前の方から聞くことがあるのだろう?先にそちらから済ませようか」
「……ミシェルのことだ。彼女はどこにいる?何故あんたとレックス以外に通じない」
回りくどく尋ねても無意味と、アスカは直接そう聞いた。するとシランは驚いた風もなく「ああ」と頷く。
「ミシェルという神官はこのセルーゴには存在しない」
シランは申し訳なさそうな、恥ずかしそうな、複雑な表情である。下がった眉からは呆れも見えた。
「いや、それは語弊があるな。学校の成績だとか神官としての権限だとかはまともなものだ。安心していい」
「……混血なのと関係あるのか」
「まあな。あとは私のせいだ。王の権限を超越して本来神官になれない半聖を養成校にねじこんだから」
聖王は魔王と違い法や人事の認可権はあっても決定権はない。その認可権ですら形骸化したものだ。
「なんでそんなことを」
「混血は忌避される存在で、ゆえに数が少ない。だが私たちにとっては勇者に次いで己を殺せるかもしれない大事な存在だ。私も、ミシェルが寿命を迎える間には狂うだろうしな。どうしてもそばに置いておきたかった」
「……」
「あの、大怪我していた魔導士も混血なんだろう。考えることは、同じだ」
一通り駒を並べて、シランはティーカップに口をつけた。それを見て、アスカも一口茶を飲む。赤みの強い茶色。口の中に広がった香りは優しかったが、彼の心は穏やかにはならなかった。
「さて、ゲームを開始しよう」
シランは手にした白の「槍兵」を一マス前に進めた。




