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イリウスの空  作者: RUKA
第四章 神と精霊
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あんた何やったんだ

 シランは、セルーゴに関して詳しいようだった。街が入り組んでいるのは、二百年前の聖王討伐における市街戦の折、大きな建物を残して多くの家や店が破壊されたためだそうだ。即位間もない王が指揮を執るよりも早く住民たちが思い思いに街を作ってしまった。おかげで大聖堂への大通りを使わなければ攻め込みにくい形になっている。


「聖族は警察機構こそあれ、武力を行使することに特化した軍隊をもちません。この通りさえ守ればある程度は持ちこたえられるので、それはそれでよいのでしょうね」


 魔法障壁を破るには、ザッシュやヴァイスのように魔法そのものを無効化するか、障壁を上回る魔力をぶつけなければならない。前者はかなり人材が限られるうえ対物理障壁では通用しないし、後者は後者で上級魔導士を束にするくらいの魔力がいるだろう。もしイリウスにそれが可能な集団があるとするなら、魔王軍くらいのものだ。


「戦争になったら、ですか……」

「まあ、ここに魔族が攻めてくるなんてありえないでしょうけどね」


 からりと笑ったシランに、アスカもエレナも笑い返せない。このままでは遠からずゼルディスは攻めてくるだろうし、そもそも二百年前に街を破壊したのはウィリアムとカトレアだ。


「すみません。面白い話ではありませんね。お詫びに、私のおすすめの場所に案内させてください。もちろん、お時間があれば、ですが」


 アスカのことなど眼中にもない様子のシランは、エレナの手を取ってにこりと笑った。エレナは意見を求めるようにアスカを見上げたのだが、彼は面倒くさそうに小さな欠伸をしていた。それを見るなりエレナは眉を吊り上げて不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「せっかくだしお願いしようかしら」

「喜んで」


 二人が手を取り合い微笑む様は、まるでお伽話の王子様とお姫様である。「ああ、片方本物だった一応」などとぼうっと思いつつ、アスカは彼らに従った。



 歩くことさらに暫く。三人は大聖堂の前にまで到着していた。


「おすすめって、ここですか?」

「はい。といっても正確には時計塔、ですが」


 そう言ってシランは西棟の一角を指さした。大きな文字盤の掲げられた時計塔である。


「一般人の立ち入れる一番高い場所です」


 時計塔の入り口には見張り立っていなければ扉も閉ざされていない。本当に何の警戒もなく一般に公開されているのだろう。棟の中には壁沿いに上へと続くらせん階段があり、最下層から見上げただけでは頂上が見えない。


「ええーと」

「上る、のか……?」


 流石に足が疲れている。エレナは引きつりアスカはげんなりとしたのだが、シランは「まさか」と口元に手を当て苦笑した。


「こちらへどうぞ」


 促されたアスカとエレナの位置を確認して、シランは壁の柱の一つに触れた。すると、彼らの足元、円形の床に同じく円陣が浮かび上がった。ゴゴ、と小さく低い音がして、床そのものが持ち上がる。


「魔導装置……!」


 驚くエレナにシランは「そんなに驚いていただけるなんて」と楽しそうに笑う。この時計塔しかり、大聖堂の奥の王宮しかり、セルーゴの階層の高い建物には標準搭載だそうだ。


「本当に詳しいんですね……。セルーゴの方……、ですか?」

「ええまあ。出身はアルカディア王国ですが。聖族の神官ほどではありませんが、彼の国で聖騎士の称号を得られる程度には魔法を使えますよ」


 アルカディア王国。リーコラン大陸最大最強の国である。その国で騎士と言えば厳しい訓練を受けて試験に合格した者、中でも聖騎士はヒールやウォール、バリアなどの回復と防御の魔法が使える者を指す。リーコランにおいては普通の人間がまともに戦っても勝てない相手の代表格だ。

 アスカは今更ながら逃げ出したくなったけれど、エレナにその気がないのだから仕方がない。今のところシランからは敵意などは感じないが、彼が何を意図しているのかもアスカにはさっぱりだ。

 例えばアスカが勇者だとかエレナが魔王の姫君だとかいう情報が知られているとしても――、とそこまで考えて、アスカは素早くエレナの右手をとった。正確には、指にはめられた銀色ができうる限り見えないように包み込む。


「え、何……」

「いいから、このまま」


 アンジェリカ・シルバーの存在と能力がどの程度周知されているものなのかアスカは知らないが、あまり見せびらかすべきものでもないだろう。少なくともリーコラン大陸では聞いたことがないし、タルスではほぼ伝説扱いだったが、ここは聖都セルーゴ。イエル大陸だ。事情も勝手も違うのである。

 そんなアスカの心配などエレナもシランも気付いてすらいない。エレナなど、少し目を伏せて唇を尖らせ、何事かぶつぶつと文句を言っている。


「つきましたよ」


 ガコン、と音がして床が僅かに揺れた。時計塔の文字盤の裏が展望フロアになっていた。四つの壁の内三つに大きな窓があった。エレナは魔導装置の床を下りるとさっさと歩き出すので、アスカもその隣に続く。


「へえ」

「……あまり離れるな」


 ぐ、と手を引いて窘めると、エレナは少し驚いて彼を見たが、すでにアスカは彼女を見ていない。


「何というか……、お二人、距離が近いですよね」


 シランが不満そうに言うと、エレナが「え!」と声を上げてまた赤面するが、アスカは涼しい顔のままである。


「目を離すと妙な男に言い寄られるようだから、気を付けることにした」


 アスカとシランの視線の間で火花でも散っているようである。エレナは慌てたが、少々舞い上がってもいるようで積極的に止めには入らない。

 先に引いたのは意外にもシランの方で、「それは置いておいて」と西の窓を指さした。三人が並んでも十分に外を望めるそこからは、セルーゴ西部と夕焼けが一望できた。


「わあ……!」

「美しいでしょう?私のお気に入りです」


 エレナの目には、徐々に明かりの灯る家々と夕日が美しく映っていて、「ねえ」とアスカの手を引き見上げた。しかし、彼はというと光景に見とれるのではなく、明らかに驚愕していた。


「アスカ?」


 彼は、ぎこちなく振り返る。反対側、つまりは東側だ。


「明るい……」

「え?」


 アスカも、時間は把握しているつもりだった。けれどどこか認識がずれていた。店じまいをしている花屋。明かりのつき始めた街並み。けれど彼の目に、東の空は明るいまま、ほとんど暗くなっていないのである。より正確に言うなら、西側も暗くなり始めるとは思えなかった。まるで、街全体が巨大な光のヴェールに包まれているかのように明るいのだ。そう、亡都ゾアゴとは逆に。

 この光は、エレナの目には映っていない。彼女はただ表情をこわばらせたアスカを心配そうに見るだけである。そんな彼女を見ているのはシランだ。彼は目を細めると「お優しいのですね」と呟いた。


「え……?」

「ここまでくる間もそうですが……、あなたはすぐに色々なことに気をかける。旅人であるあなたがセルーゴの内情など心配する必要はないのに」

「お人よしとおせっかいはよく言われます」


 エレナはちらりとアスカを見て答えた。


「優しく、美しく。あなたのような人は、誰からも愛されるでしょう」

「あ、いえ、そんな……」


 直球な褒め言葉に、エレナは照れてしまう。シランはと言えば、そっと金色の髪に手を伸ばして僅かに触れた。


「冗談でもお世辞でもありません。この髪も肌も、宝石のような瞳も、何もかもが美しいのです」


 外の光景に気付いて少々動揺していたアスカが鳥肌を立てたのは、決してシランの歯の浮くような台詞のせいではない。そこに乗せられた、憎悪だ。


「エレナ!」

「え?」

「……」


 アスカはエレナの手を引いて、抱き留める。数歩分離れたシランは舌打ちした。その菫色の瞳には、それまでの優しさはなく、好青年は姿を消していた。


「やっと警戒が緩んだと思ったんだがな。思ったより反応がいいではないか」


 腰に手を当てたシランの栗色の髪が、犬の尾のように振れた。


「何者だ、あんた……!」

「今、私の肩書と目的は関係ない。個人的に少々……、そこの娘が世を儚むほど絶望するか、泣き叫んで許しを請うかする姿が見たいだけだ」

「性質悪すぎるだろう」


 アスカは持っていたナイフを取り出した。毎度のことながら勝機は非常に薄い。どうしたものかと考えているアスカなど、シランはやはり眼中に入れていないようで、エレナを見て首を傾げた。


「若い娘だから適当に惚れさせて捨てればよいかと思っていたんだが意外と堅いな。さてどうするか」

「それならもういいだろう。あんたに褒められて、結構舞い上がっていたんだ。凹んで動きそうにないから勘弁してくれ」


 いまだにぽかんとしているのはエレナ。聖騎士シランはエレナに対して個人的な、そして強い憎しみを持って近づきましたと言っているのだが、よく理解できていないようである。

 呆れ気味のアスカはエレナを支えてナイフを構えるのだが、その様子を見つめるシランの眉が吊り上がる。


「ああ、まったく忌々しい小娘だ」

「エレナ、あんた何やったんだ」

「……し、知らないわよッ!」


 殺意すら通り越していそうな怒りと憎しみを読み取って、アスカはエレナに問いかけるが、やっと我に返った彼女からの返答は予想通りであった。


「捕まえて奴隷として売り飛ばしてもいいんだが……、流石に」

「そーんなことしたら勇者様の怒りを買っちゃいますから駄目ですよー」


 間延びした声はシランの背後から。窓の外からひょっこりとのぞいてきたのは脱力した様子のレックスであった。彼は「よっと」などと言いながら、時計塔の中に入ってくる。

 レックスを一瞥したシランは不機嫌丸出しで咎める。


「浮くな、飛ぶな、目立つな」

「陛下が魔導装置下ろさないからでしょうが」

「なら下で待っていろ」

「そうもいきませんよ。王宮の女官たちに『レックス様がどこか飛ばしたでしょう!』とかって私が怒られたんですからね」


 子供のように両手を上げて文句を言うレックスと、聞き流すシラン。二人の様子を見ていたアスカとエレナはやがて顔を見合わせた後、再度シランの方を見た。


「陛下、って……」

「まさか……、あんた聖王か!」


 驚く二人にレックスはにこりと笑いかけると、人差し指でシランの頬をつついた。


「そうですよ。二百年の間に性格歪みまくって裏表は激しいわ自分勝手だわ、その癖淋しがり屋で子供っぽいところは抜けていないわの困ったさんですが、これが聖王シラン様です」

「レックス、貴様給料カットするぞ」


 二百年前、魔王ゼルディスの助力を受けて、当時狂乱の中にあった聖都において王を倒し、新たに聖王となった勇者。アルカディア王国出身の聖騎士シラン。

 彼はとても不機嫌そうな表情で、喜ぶことなく新たな勇者とその仲間を迎えたのであった。



 聖王は一日に二度、朝と夜に大聖堂で女神に祈りをささげる。今日もその時間だそうで、シランはげんなりとした表情で大聖堂へと向かった。それを見送ったレックスは、アスカに笑いかける。


「これが魔王との最大の違いでしょうねえ。魔族の王への信頼が本人にあるのに対して、聖族の忠誠は基本王ではなくて女神ライトにある」


 王といえども、もとはただの人間。少しでもライトの教えをおざなりにしようものなら、聖族全体から総スカンをくってしまう。ただでさえ王の政治的権限は制限されている上にシランは元老たちと対立することも多いから、下手な動きはとれない。


「ああ、混血、それも魔族の血が流れている者を助けたなんてシャレになりませんから、くれぐれもばれないようにしてくださいね」


 へらあ、と人差し指を立てたレックス。アスカはエレナと顔を見合わせた。シランはアスカたち、特にエレナを快く思っていないようだが、そのリスクを冒しても治療をして宿舎を提供してくれているというのだろうか。

 彼らの疑問を読み取り、レックスはケタケタと笑う。


「陛下がお姫様を嫌いなのはほんっとーにただの個人的なやつなんですよ。それに、根は純粋で真面目な方ですから、口で言うほどひどいことはしないはずなので心配しないでください」


 エレナは戸惑いながらも「はあ」と頷いた。

 アスカはエレナとともに食事をとって、ひとりあてられた部屋へ戻った。レックスが言うには、クルセルドの治療は順調、ミシェルも自室で大人しく休んでいるとのことだ。しかしながら、完全回復にはかなりの日数を要するだろうとも。

 アスカは窓を開けて空を見上げた。確かに昼間よりは暗いし青くはないが、白んだ空に眉を寄せた。シランはあの時計塔から見える夕焼けを美しいと言ったけれど、きっと彼には見えていないはずだ。


――お前の目に、このイリウスの空は美しく映っているか?


 そして、アスカにそう尋ねたゼルディスにも、見ることはできない。

 ゾアゴの闇はボローディアへと流れ、やがてタルスを覆い、リーコラン大陸とイエル大陸にも流れるのだろう。そしてここ、聖都セルーゴでこの光と衝突する。

 アスカはその瞬間を想像しかけて、首を振ってやめた。今彼のおかれている状況で最悪の事態を考えたとして、気が滅入るだけであった。

 面倒くさい考え事はやめてベッドに身を投げたものの、柔らかく広いそれはどこか違和感を覚えてしまって、なかなか寝付くことはできなかった。

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