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イリウスの空  作者: RUKA
第三章 悲劇の連鎖
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なら急げ

 城に戻ってきたアスカたちを迎えたウィリアムに、ソフィアは深く頭を下げた。ウィリアムが城から出ることはほとんどないので、彼らも初対面である。

 アスカが食堂で事の次第を伝えると、彼らはそろって不快感を示した。


「まさか、勇者の力を以って邪神を復活させようとするとは……、恥知らずの悪魔どもめ」


 吐き捨てたソフィア。ウィリアムは肩をすくめて、アスカへと視線をやった。


「でも、知っていて対処しなかったのは僕であり、ゼルディスだ。王の仕事は争いを未然に防ぎ、または起こったものを止めることだというのにね」

「……何が言いたい」

「君はまだ王ではないが、やがてそうなる。今回君が悪魔族の長を殺したこと、クルセルド君がその配下を全滅させたことは、背負わねばならないよ」


 気が早い、とアスカはため息を吐いた。クルセルドもむっすりとして顔を逸らす。

 そこへ、扉が開いて部屋に入ってきたのはザッシュとエレナ、ミシェルだ。ザッシュの腕には包帯が巻かれている。


「大丈夫か」

「ああ、別にもう痛くもない」

「あまり血も出ていませんでしたので、エレナさんの薬で十分でしょう」


 ミシェルの言葉で全員がほうっと息をつく。お伽話ではゾンビに噛まれるとゾンビになる、などというものがあるから。誰も信じていたわけではないが、あっけらかんとして笑うザッシュを見て安堵した。

 とはいえミシェルあたりに言わせれば全くの作り話というのでもない。昔は噛まれた箇所に細菌が入り込み化膿、腐食、最悪は死に至ることが多かったせいだ。エレナが消毒をして薬を塗ったから問題ない、と彼女は再度説明した。

 他者を己の眷属に変える契約には膨大な魔力が必要となり、限られた種族の限られた者だけが行える代物である。その契約を行ったことのある人物はと言えば、若者たちを労った後、やって来た竜人の騎士に現状を尋ねていた。

 ソフィア曰く。ヴァイスが配下の狼とともに姿を消して数日後、惨劇は起こった。久方ぶりに自室から姿を見せたゼルディスは、変わり果てた姿であったという。髪は乱れ、目は荒み、全身から邪気を放っていたと。そして、彼が王の間の玉座に座る頃。通ってきた道はペンキで塗りたくったように赤く染まっていた。


「私はその場にいたわけではないが……、魔族は一部狂暴化、奉公に来ていた人間はほぼすべて死亡したそうだ」

「そんな……」


 エレナは真っ青になって呟き、その身体をミシェルがいたわるように支えた。彼女も、否、他の誰もが分かっていたはずだ。彼らはそれを止めるために旅に出たのだから。


「魔王軍も半減だ。確かに私がお迎えに参じたのはその意思があったからだが……、そうでなくても、今魔王軍でまともに動ける部隊はここに来ている場合ではないのだよ」


 そして、これでもう魔族全体に魔王の狂乱は知られるところとなった。ドレイクたちは王宮への立ち入りを禁止して、ボローディア市民には避難を呼びかけている。


「とはいえ、テメにはカカ山を封鎖されているし、トープまでの大森林と平野にも魔物が多くてな」


 ソフィアのその言葉を聞いて、アスカはぎろりと彼女を睨んだ。


「おい、待て。避難って、タルス大陸からか」

「そうだ。距離が離れれば、魔王の影響も多少は緩和される」

「狂暴化して人を襲う魔族を、別の大陸に放つつもりか?」


 そんなことをしたら、タルスだけでなく、世界中で魔物のみならず高位の魔族による事件が起こりかねない。そうなれば人間も聖族も絶対に黙っていない。


「では新たな王は我々にただ座して次は自分かこの子かと、怯えながら暮らせと?この状況に立ち向かえるほど強い者など、ほんの一握りなのだぞ。弱き者に、逃げるな戦えと、あなたはそう仰るか」


 ソフィアの問いかけに対して、アスカはすぐには答えられなかった。例えば逆の立場だったとして、アスカはやはり「なんでこんなことに」「面倒くさい」とそう言って関わろうとせず、できる限り遠くへ逃げようとするだろう。少なくとも、テメの船の上であの妙な神官と会うまでは、そうだった。

 しかし、運命とやらを受け入れて立場が変われば感覚も変わるらしい。アスカは静かな目で竜人の女騎士を見つめた。


「ああ、そうだ」

「……ほう」

「その不安も恐怖も、これまでお前たちが魔王ひとりに押し付けていたもので、これから俺が引き受けてやるものだろう。だったら、最後くらい付き合ったらどうだ」


 ゾアゴの暗い空。闇色。それはボローディアの魔王のもとへと流れ続けている。きっとゼルディスの目にはこのイリウスの空は実に暗いことだろう。そしておそらく、彼を倒したアスカもそうなるのだ。


「……ふっ」


 小さく声を漏らしたソフィアの竜の髭がゆらりと揺れた。アスカには分かりづらいが、彼女はどうやら笑ったようである。覗いた牙を見て僅かに身を引いた。


「気に入ったぞ、新しい主よ」

「は、あ?」

「その言葉、我が竜人族に代々受け継ぎ、お主が狂った際にはそうさせよう」


 ソフィアが満足そうにそんなことを言う理由が、アスカには分からない。彼女は「だがな」と続けた。


「魔族の避難は現魔王ゼルディスの最期の命令だ。少なくとも我が夫には逆らうことなどできんよ。ヴァイス殿がいたなら違ったかもしれないが」

「……」

「これ以上傷つけたくないと。自分が何とかする、時間を稼ぐ、だから逃げろ。さっさと勇者を連れて来い……、だそうだ」

「お父さん……」


 ミシェルに支えられたエレナは目に涙を溜めている。それをちらりと見やって、アスカは小さなため息をついた。ミシェルがゆっくりと首を横に振るので彼はそれ以上何も言わなかったが、気に食わない。魔族の言い分も分かるが、結局迷惑をこうむるのは力のない人間である。


「だったらさっさと行くぞ」


 立ち上がったアスカを見上げたクルセルドがぱちりと瞬きをした。


「何だ、珍しくやる気あるんじゃねえか」

「さっさと片づけるのと、時間使いまくってその間にリーコラン大陸で魔族が暴れるのと、どっちが後で面倒だと思っている」

「ごもっとも」


 頷いて、少年魔導士も席を立った。それを見てクスクスと笑うのはウィリアムで、そんな彼に声をかけるのはソフィア。


「貴殿も是非ボローディアへおいでください。魔王を倒せば万事解決と行かない以上、我々にはあなたのような方のお知恵が必要です」

「うーん、それは遠慮しておこう。僕はただ長く生きているから君たちより少し昔のことを知っているだけ。魔族の未来を考えるにあたって必要なものではないよ。それに……」


 ウィリアムは、黙って後ろに控えていたカトレアを少し振り返って、微笑んだ。


「僕と彼女の身体はもってあと一年程度。ここで静かに終わりを待たせてくれないかな」


 視線と言葉を受けたカトレアは、「仕方ないですね」とでも言うように苦笑を浮かべた。顔を見合わせたのはエレナとミシェルだ。

 実のところ、エレナは自分の身の振りについて決めかねている。ウィリアムはエレナがここにいてもいいと言う。永くない命だというのなら、カトレア以外の手助けがあった方がいいのかもしれない。


「では、ドレイクにはそのように伝えましょう。ところで我々はすぐにでも発てるのだが、お主らはどうかな?」

「俺はそのつもりだが……、エレナは?」

「え?」


 アスカは少しばかり驚いている様子のエレナを逆に不思議そうに見て、尋ねる。


「できる限りミシェルの魔力消費は抑えた方がいいだろうし、止血剤や毒消しくらいは用意しておいてほしいんだが。ストックあるのか?」


 エレナの瞳はまん丸になった。それを受けてアスカはますます怪訝そうな表情を作る。二人に気付かれない程度に、ウィリアムとカトレアがぷっと笑った。


「ごめん。確認しないと……」

「なら急げ。誰かのとこの困ったお父さんがお待ちかねらしいからな」

「う、うん!」


 大きく頷いたエレナが飛び跳ねるように部屋を出て行き、アスカはまた小さなため息をついた。まったくもって手のかかるお姫様である。放り出すのは簡単なはずなのに、アスカにはそれができなかった。できなくなっていた。


「にしても、さっさと片づける、とは勇者殿は大した自信家だな。今の魔王陛下には我ら上級魔族でも思うように近づけぬというのに」


 ソフィアの竜の髭が揺れた。そうだな、とアスカは頷く。


「まあ、俺はともかく、こいつらが誰かに負ける気がしない」


 くい、と親指で示されたザッシュとクルセルドは、「わー」だの「どうしたこいつ、頭打ったか」だの好き勝手に言った。

 魔王ゼルディスの実力など、アスカは知らない。ただ、ザッシュが返り討ちにあったというし、伊達に五百年生きているわけではないだろうな、と漠然と思う。悪魔の闇魔法を見るに、それを最大限使いこなすのであろう魔王に簡単に勝てる気はしていない。それでも、彼にはもう不安がる権利はないのだ。


「……ああ、面倒くさい」


 ぼそっと零された言葉を聞いて、ソフィアはぱちぱちと瞬きをした。



 整然と並んだ竜騎士隊三十騎。アスカたちも予備の馬を借りた。ウィリアムとカトレアは魔導四輪を持って行っていいと言ったが、運転できるのがミシェルだけで、その彼女は唯一の防御、回復魔法の使い手だ。無駄に魔力を消費してほしくはないからと断った。

 どんよりと曇った空の下、石造りの古城の前。吸血族の老紳士は穏やかに微笑んで彼らを見送る。馬上から彼を見下ろしたクルセルドは、どこか気まずそうな表情であった。


「なあ、じじい」

「何かな、若き魔導士君」

「あんた、永くねえんだろ。死んだらこの城の書物、もらいに来ていいか」

「こら、クルセルド。口の利き方を――」

「はは、構わないよ。好きにしなさい」


 小さく拳を作った少年。ウィリアムは目元の皺を深めた。


「君の才能は素晴らしい。ダークが封印されてから二千年、あまたの精霊魔導士が生まれたが……、四属性をすべて使うというのは僕の知る限り初代だけだ。君は、彼女に匹敵する」

「!」

「励みなさい。精霊の加護は君にある。それと、アスカ君」


 急に話を振られて、アスカは視線だけをウィリアムに向けた。彼はクルセルドに向けたのとは違う、厳しさを含んだ眼差しで青年を見上げていた。


「君は、そういう存在を従える立場になると、きちんと自覚をしなさい。彼の力は君の力でもある」


 アスカはひらりと手を振っただけであったが、ウィリアムは満足そうにうなずいた。そして、隣に控えるカトレアへと優しく目線をやる。すると彼女は「うげ」と言わんばかりの表情をした後で、小さく息を吐き、腰に手を当てた。


「ちょっと、小娘ちゃんたち!」

「はい!」


 ザッシュとともに馬にまたがるエレナの背筋がシャキンと伸びた。その拍子に後頭部がザッシュの顎をかすめて、剣士は僅かに呻いた。それは気にせず、エレナとミシェルはにこりと笑うカトレアを見た。


「幸せになりなさい」


 それは柔らかく優しい声。エレナの母親のものよりも少し低いが、同じ空気を持った声であった。


「あ、あの!私、また来るので!」

「ゼルの娘が何度も来なくて結構よ!」


 馬上から飛び降りんばかりのエレナの衣服をザッシュが掴んだ。


「……行くぞ」


 アスカが言って、ソフィアが全体に号令をかける。隊列を組んだ馬たちは順次地面を蹴って進みだした。列の中央、守るように配置されているエレナとアスカからは、すぐにウィリアム達の姿は見えなくなったし、逆も同じだ。

 湿気のおかげであまり激しくはない土埃が消えた頃、それでも彼らの向かった先を見ているカトレアを一瞥して、ウィリアムは口角を上げた。


「淋しいかい?」

「まさか。また旦那様と二人きりですもの、嬉しいわ」

「おや、これは光栄」


 ウィリアムはゆったりと頭を下げてカトレアの手を取ると、城の中へとエスコートした。

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