重くないわけがないだろう
悪魔族の青年たちは、腐っていた。彼らは他の魔族に比べて非常に劣っている。強力な魔法は使えず、身体能力も人間並み。実力主義の社会では常に見下され、まともな働き口すらほとんどない有様。
ならば、とリーコラン大陸で人間と交わり商売をしようとすれば、悪魔族と分かった瞬間に断られる。人間にとっての悪魔はダークの使い。かつて人の心を操り世界に闇を広げた邪悪な存在であり、嫌悪と恐怖の対象だ。もう、そんな高度な魔法など彼らは使えないというのに。
先代、先々代の悪魔族の長は、悪事に手を染める若者すら出てきたこの状況を憂慮し、悪魔族にも等しく権利を主張し保護してくれるように魔王に掛け合った。だが再三にわたる上申はゼルディスによって一蹴された。
最早我慢がならぬ。我らは闇の神ダークの側近。魔族の長と言っても差し支えないというのにこの仕打ち。王よ狂え、邪神をあがめよ、女神を倒せ。フェーレンと仲間たちの言葉は悪魔族の若者に瞬く間に広まった。
魔王軍に悟られぬように人を集め、ゾアゴを拠点にして不平不満を吐き出しあう。大半のものはそれで大方のうっ憤を晴らしていたのだが、彼らの頭目であるフェーレンは違った。「こうだったらいいのに」と口にしていただけのことを、実行に移したのだ。
そして今彼らはさらってきた魔王の娘を取り戻しに来た者たちの足止めをしている。いつもとぐろを巻いていたゾアゴの王宮は彼らの知らない戦場となっていた。
悪魔族だからと言って、誰もが闇属性の魔法を使えるわけではない。フェーレンのように独学とはいえ学ぶことすらしていないからだ。しかし、乗り込まれた時には苦戦していた相手に対し、彼らは今優位に立っている。
魔封じの陣で、魔導士の少年は戦力外、神官の女も得意の防御や回復ができない。何の効果か、圧倒的攻撃力の剣士も身動きが取れなくなっていた。
勝てる。何事もなせなかった自分たちが、仮にも魔王を倒さんとする勇者の一行に勝てるのだ。その興奮は、彼らの武器を取る力を強くさせた。しかし。
「さあ、次はどなたですか!」
三つを繋ぎ合わせた、己の身丈ほどの棒を振り回す聖族と思しき神官の女。彼女は見かけに反する怪力の持ち主であった。棍の一撃を食らえば内臓が損傷し、骨は砕ける。無論彼女も無傷ではないし衣服も汚れあちこち破れているのだが、その二本の足はしっかりと床を踏みしめていた。
「ミシェル!」
右横からの攻撃を防いで、逆に吹き飛ばした彼女の反対から襲い掛かったが、少年の声で反応した彼女は即座に身をかがめて足を払い、左の拳を倒れこんできた相手の顎に叩き込んだ。
「私のことはお構いなく!クルセルドさんは早く魔法陣を!」
「礼くらい言えよ、怪力女!」
ちょこまかと動き回っているのは精霊魔導士の少年だ。逃げ回っているように見えるが、彼は魔法陣を破ろうとしているというのである。
「させるか!」
「っせえ、どけ!」
小柄な少年の前に大男が立ちはだかるが、少年は振り下ろされた鉈をひらりとかわしてその懐に潜り込むと、腕を抑えて胸倉を掴み、投げ飛ばした。
「あれ、クールはいつの間にそんなことできるようになったんだ?」
「苦手なだけで、ある程度は教えられてんだよ!つーかお前はまだ動けねえのか、ザッシュ!」
「ううん、さっきから頑張ってはいるんだが、下手に動くと意識が飛びそうになる。なんでだろうな、ははは」
笑い事ではないのだが、剣士は何も問題視していないかのように笑った。多勢に無勢なうえ、戦力は半減どころの話ではない。彼らにとって今は窮地のはずなのに、余裕すら見える男は悪魔たちにすると非常に腹立たしい。
「俺たちを馬鹿にしやがって!」
「ああうん、してる。すまんな」
だって、と。剣士の男は実に爽やかな、悪意など微塵もない笑顔を浮かべた。
「君たち、弱いだろう」
「なっ……!」
動けないくせに。立ち上がれてもいないくせに。悪魔たちの胸に巨大な炎のように怒りが立ち上った。自然、彼らの標的は現在もっとも弱体化してしまっている男に定められた。
「やっちまえ!」
「そいつはただの人間だ!」
「まずは動けない奴からだ!」
四、五人で固まって襲い掛かれば、身動きの取れない人間など簡単だ。だが、その目論見は甘く、ドガッ、という鈍い音と共にそれこそまとめてなぎ倒されてしまった。
「卑怯ではありませんこと!」
翻る銀髪と白い法衣。ミシェルがザッシュを背中にして、立ちはだかったのである。
「役に立たないくせに挑発すんじゃねえよ、脳みそスライム馬鹿剣士!」
黒い光を放つ線、その一か所を踏みつけなじった少年は目を吊り上げて叫んだ。敵ながら、悪魔たちも賛同したい。とはいえ肩を組んで仲良くなるはずもなく、クルセルドの横合いから殴り掛かった。クルセルドはそれをもろに受けたが、よろめきながら舌打ちをして、身をひるがえした。
高い魔力と素質を持った、生意気な少年。悪魔たちが最も嫌うタイプである。追いかけようとするが、それはミシェルの棍が阻止した。
「あなたたちが弱いのは、事実です」
「何だと!」
「己の不運を、悪いのは世界だ、社会だと毒吐いて。変わるべきは周囲だと言う。相手がどれだけ大きな存在かも知らず、無謀な」
流石に息を切らしながらも、ミシェルはその瞳の光を失わず、むしろ爛々とさせた。
「世界や社会がそう簡単に変わったら誰も苦労などしませんわ。そんなことより、自らを鍛える努力をなさったらいかがですか。誰かに認めてもらいたいなら、相手の変化を望むのなら、まずはそこからです」
「聖族は、まったく綺麗ごとが上手だな!」
ミシェルとザッシュを囲み、方々から武器を構えて飛び掛かる。力のあるものも、それを封じられればこの通りではないか。元より持たざる者である悪魔たちはその怒りを打ち下ろした。
「ああ、そう。そいつが言うと言葉が綺麗すぎて薄ら寒いんだよな」
ガキィン、と、悪魔たちの武器は防がれた。突如、目の前に現れた岩石の壁によって。ミシェルとザッシュの四方に展開した壁は、果たして彼らを守るものか、それとも、閉じ込めるものか。少なくとも、本来の使い方は後者である。
足元から浮かび上がっていた黒い光は、少しずつ薄くなり、やがて消えていく。反対に膨れ上がるのは、振り返った先に佇んだ魔導士の魔力だ。
「お前たちには合わねえだろうから、魔族風に言い換えてやろう」
放たれた水流。あるものは壁まで押し流され、あるものは圧で潰され、あるものは大量の水を肺に取り込んでしまった。魔法陣を構成する核の最後のひとつを踏み消したクルセルドは、水を得た魚のように炎と水と風を操る。
「邪魔者は潰せ!文句を言う奴は踏みにじれ!誰でもない、自分の力で、すべてを蹂躙しのし上がれ!」
炎が躍り、氷の刃が足を止める。風の槍が貫いて巻き上げた。ゾアゴの闇の力で向上しているとはいえ、元は魔力の低い悪魔にしてみれば、ほとんど理不尽な仕打ちである。
「四属性を詠唱なしで使う、橙色の髪の魔導士……、こいつ!」
「魔王軍歴代最年少魔導士部隊長……!」
戦慄する悪魔たちに、クルセルドは「気づくのおせーよ」と嘲笑を浮かべた。
「魔力が低いなら剣、槍、ありとあらゆる武術、それも駄目なら知略、奸計!高い所へは、非力な翼じゃなくそうやって行くんだよ!」
言葉通りの蹂躙。どこか楽しそうですらあるクルセルド。悪魔たちは近寄ることもできない。
「神様なんか何もしてくれねえし、アスカはもっと何もしてくれねえ。なのに、エレナに手を出したから、お前らこの先のチャンスは全部ここで潰すんだぜ」
ギラリと、怒りの光。さあ、と青ざめたり、小声で許しを請うたりしている悪魔のことなど、クルセルドは見ていないし、見ていたとしても許さない。
「――エクスプロージョン!」
大爆発が起こって、若者たちは後悔の中でその意識を失ったのであった。
クルセルドはほっと息をつき、土の魔法を解除する。ぼろりと崩れた壁の向こうから、ミシェルとザッシュが姿を見せた。
「おう、終わったぞ」
「俺今回本当に何もしなくてよかったなあ」
ぐるぐると肩を回すザッシュへと、クルセルドはやや呆れた視線を送った。
「なんともないのか?」
「おお、ちゃんと動けるし、変なところもないぞ」
本人が問題ないというので、クルセルドも「あ、そう」と頷いた。そして見やるは何故かわなわなと肩を震わせているミシェルだ。
「……全滅させるのはやりすぎたかな」
聖族は本来争いや殺生を好まない。ミシェルは武器を携行し、その戦闘技術も目を見張るものがあるとはいえ、基本的には同じはずである。どんな文句が聞こえてこようと「こいつらが悪い」で通そう、と身構えていたクルセルドを振り返った彼女は、やはり怒っているようだ。
「やりすぎですわ!」
「だって、そいつらがエレナを」
「二千年前の王宮が、古代建築美術が……」
先ほどの爆発で、階段や壁の装飾が粉々になっている。ミシェルは暫くどんよりと肩を落としていたし、クルセルドは呆れて、ザッシュはからからと笑ったのだった。
※
小さな頃から、アスカは暗い場所や時間帯で行動することが多かった。それは盗賊団で盗みを働くからであり、夜に移動する方がたとえ魔物に襲われやすくても周囲を巻き込む可能性は下がるから。故に彼は暗闇でもある程度、人間にしてみればかなり良好な視界が確保できる。むしろ明るい日光の方がやや苦手なくらいだ。
けれど今、彼の目は何も捕らえない。まるで瞼を閉ざしているかのように、真っ暗だ。どこまでも続く漆黒。真の暗闇。それは彼を無性に不安にさせた。
仲間はいない。助けようとしたエレナは、謎の光に貫かれた。そして声は言う。『貴様のせいだ』と。アスカの存在は罪深く、彼の存在を望むエレナもまた罪を犯した。だから、これは罰。絶望という名の完全なる闇の中で、アスカは永遠を生きなくてはならないのだと。
それは、アスカが望んだことではない。そもそも彼は女神と聖女に選ばれて、あとは流されるまま、魔王を倒すという旅に同行した。エレナが泣いて頼むから、腹を括った。彼女が己の命よりも優先しろと言うのなら、守ることよりも敵を倒すことを優先することだってあるだろう。だがそれは、エレナの死を望むものではない。
それなのに、なぜあんなにも唐突に失うのか。混乱と動揺で頭に血が上っているせいなのか、彼の指先は冷えて、心臓は徐々に凍るようであった。
「……」
アスカは両の掌を上に向け、視線を下に下げる。本来であれば血がべっとりとこびりついた掌が見えただろうが、幸か不幸か彼の目には漆黒が広がるばかりである。
まだ少しばかり残っている感触。ぬくもりが消えて零れ落ちていく様子。目が見えないせいかやけに鮮明に思い起こされた。エレナは、少しだけ笑っているように見えた。そう、満足そうに。
「なら、別に、いいのか……」
ふっと、力が抜けた。魔王も、魔族も、邪神も女神も知ったことか、面倒くさい。エレナがいいならそれで十分ではないか。冷気は指先から胸に広がり、やがて脳に至る。思考すら、ぼうっと靄がかかってきた。
『いいわけが、ない!』
声がした。先ほどの不気味なものとは違う、強くはっきりとした、若い男の声である。
『彼女の心に従うと決めた。だが、それが私の心と反するのであれば、私は私の意志で彼女を守る』
聞き覚えのある声だ、と思って気付く。声を発している者の姿はアスカには見えない。しかしそれは当然なのだ。動いているのは、彼自身の唇であった。
「たとえ、何百年、何千年かかろうとも、必ず……!」
喉が勝手に声を作り、舌と口は勝手に言葉を紡いだ。何だこれは、と思った瞬間。どこまでも続いていた闇に光が差した。
※
「っ!」
持ち上げた瞼。目の前には翡翠の瞳。アスカの視界いっぱいに、鼻先が触れるほどに近づけられた少女の美しい顔と金髪。
「んん!」
エレナは閉じた口から妙な声を出して端が避けそうなほど目を見開くと、跳ね上がるように上体を起こした。アスカはぼうっとする頭で天井を見た。確かに明かりのない地下で非常に見えづらいが、それは確かにそこにある。
ゆっくりと身体を起こし、彼に背を向けてゲホゴホとむせ返っているエレナへと目を向けた。
「ちょ、最悪っ、自分で飲んだっ……、ていうか、変なとこ入った……!ケホッ」
「……あんた、何してるんだ?」
「気付け薬よ!君が急に倒れるから、吃驚したわ」
「……で、寝込みを襲おうと」
なんともなしに言えば、少女の晒された項は真っ赤になったようだ。きっと、正面に回ればその顔は熟れた林檎のようなのであろう。
「馬鹿じゃないの、そんなわけないじゃない!か、勘違いしないでよね!ゆすってもひっぱたいても起きないから、し、仕方なくっ……!」
すでに羞恥のあまり尻すぼみになっていたエレナの言葉は、その喉の奥へと引っ込んだ。背中から身体の前に回された腕が、ぎゅう、と引き寄せてきたからだ。
「ア、ア、アスカ?」
アスカが彼女の肩に額を預ければ、細い首筋に黒髪が触れる。少しくすぐったいと感じながら、エレナは飛び跳ねてドコドコと踊っていた心臓を鎮めた。
「……どうしたの?」
「あんた、身体に穴、開いてないか?」
「はあ?開いてないわよ。何言ってるの?」
エレナはほぼ無傷で、しいて言うなら、強くなった抱きしめる力が痛いくらいだ。
「……」
「何、アスカ、倒れている間に怖い夢でも見たの?」
ふと、エレナの声に笑いがにじむ。彼女には何が何だか分からないが、今後ろにいる青年は普段とはまるで違う幼子のようで、少し可愛らしいとすら思えた。
「夢……、ああ、そうか。そうだよな」
はあ、という安堵のため息がアスカの唇から零れてエレナの肩にぶつかった。しばしその状態で動かなかったアスカだが、やがてゆっくりと腕を離した。
「あんた、あんまり柔らかくないよな……」
「純粋に不思議そうに言わないでくれるかしら?」
もう、とエレナは鼻を鳴らす。胡坐をかいた彼は、目元と口元を少しばかり緩めた。
「やっぱり、そうやってプリプリ怒っている方があんたらしいな」
「……怒らせているのは基本的に君なんだけど」
ギロリと睨めば、彼は肩をすくめて見せた。釣られるように、エレナも吊り上げていた柳眉を戻して苦笑する。
「クルセルドたちのところに戻るか。放っておいても大丈夫だとは思うが」
「そうね」
別の出口を見つける方がこの状況を多少は楽しめるだろうけれど、後が怖い。立ち上がったアスカは床に転がっていた短剣を拾い上げるが、ぺたんと座り込んだままのエレナが動かない。
「どうした」
「……こ、腰抜けてる」
「はあ?」
恥ずかしそうに答えたエレナに対して、アスカは眉を寄せて心底嫌そうな顔を作った。しかしエレナにしてみれば、身体は操られるわ、アスカは急に倒れるわでなかなかに大変だったのだ。ただ、直接の原因はアスカがあのタイミングで目を覚ましたことだけれど。
色々と思い出してまたしても顔を赤くしたエレナはよこしまな思考を追い払うように頭を横に振った。彼女に「何やってるんだ」と怪訝そうに問いかけて、アスカはその前に背中を向けてしゃがんだ。
「こっちも魔力が底ついているんだ。ちょっとだけだからな」
「え?」
「乗れ、歩けないんだろう」
相変わらず、彼の声に優しさなど感じられない。面倒くさい、なんでこんなことに、と容易に読み取れる。何ならフェーレンの悪魔の声音の方がよほど優しく言葉遣いも紳士的であり、非常に魅力的だ。それなのにエレナの心臓は軽く跳ねて、そこを中心にふんわりと温かくなるのである。
エレナを背負ったアスカは、来た道をゆっくりと戻る。古ぼけた階段はひとつひとつ慎重に足を進めた。背負われている方はと言えば、その一歩ごとに少しずつ申し訳なさが積み重なってきていた。
「ごめん、アスカ。重い?」
「重い」
はっきり、きっぱり、即答。この男を相手に「重くない」だの「気にするな」だのを期待するエレナではないのだが、それでも心苦しくはなるわけで、彼の肩と背中に預けていた身体を少し離そうとした。だが、足を抱えているアスカの腕が引き止めるように若干力を強めた。
「……人ひとりが、重くないわけがないだろう」
重たいし、邪魔だし、動きにくい。アスカはぶつぶつと文句を言いながらも、受け入れている。暗いらせん階段を上って、クルセルドの炎の明かりと怒鳴り声に迎えられるまで、彼は彼女を背中から降ろすことはなかった。




