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イリウスの空  作者: RUKA
第三章 悲劇の連鎖
21/36

俺はこれでも怒っているんだ

 吹き抜けのらせん階段から横に伸びた通路をしばらく歩くと開けた場所に出た。朽ちて残骸となったテーブルや長椅子があるところを見ると、食堂か何かだったのだろう。


「しかし、二千年前の建物がよく残っているよな」

「そうね。壊れているとはいえ物もそのままで……、変な感じだわ」


 アスカはエレナを抱いたまま、長椅子を軽く蹴ってみたが、それはすぐにぼろりと崩れてしまった。はあ、とため息をついた彼を見上げてエレナがその名を呼ぶと、「腕が疲れた」などと返ってきた。


「重くて悪かったわね!」


 ぷりぷりと怒っているエレナをいったん床に下ろし、アスカは周囲を見回した。さて、問題はここからの脱出である。アスカがクルセルドたちと別行動をとっても同じ場所に入れたように、出口もいくつかあるはずだ。それを見つけなければならない。だがここは地下であり、外の様子は分からなかった。


「まずは階段か」

「……アスカ」

「ん?」


 エレナが呼ぶので見下ろすと、彼女は目を瞬かせて意外だと言わんばかりの表情である。


「何だか、楽しそうね」

「……そうか?」

「この前も思ったけど、君、もしかして冒険とか探検とか、好きなの?」


 幼い頃は、おそらく。などとアスカは答えず、また視線を別の方向へ向けただけだった。後ろでエレナが小さく声を立てて笑うので、どこか気恥ずかしさを感じた。


「ああ、やはり、こういうことでしたね」


 ふと、奥から甘い声音がした。アスカが身構えると、ゆったりと足音が近づいてくる。闇の中、それでも目が利くアスカが見つけたのは、先ほどのホールでエレナの隣にいた悪魔族の青年であった。


「はじめまして、勇者様。私は悪魔族の長、フェーレンと申す者。ご足労、感謝いたします」


 立ち止まった青年は胸に手を当て慇懃に頭を垂れた。見た限りには人間にもいそうな優男だが、どうにも鼻につく。


「クールたちはどうしたの?」


「まだ、戦っておられますよ。ただ、女神官様ひとりで五十人を相手にするのでは時間の問題と思われますが」


 悪魔はアスカを見据えると、その笑みを深くした。


「あなたにとって悪い話ではないのです。我々の言葉を聞いていただけませんか?」

「面倒くさそうだから嫌だ、と言ったはずだが聞いてないのか」

「魔王として破滅の待つ未来を生きるのではなく、ただの人として普通に生きて死ねる、という話なのですが」


 僅かに、アスカの眉が動いた。彼は数秒相手を睨んだ後、短剣を収めた。「アスカ!」とエレナから非難の声が上がるが、無視をする。


「闇の神ダークが復活すれば、魔王の力は完全なものとなります。待ち受けるのは混沌。その時我々は聖王を屠り女神ライトも倒すのですから、ただ器としての素質があるだけの人間など、歯牙にもかけぬでしょう」

「……なるほどな。邪神を復活させて、あとは見て見ぬふりさえしておけばそのうち女神に押し付けられた役割は消滅する、と」


 その通り、とばかりに悪魔は軽く手を叩く。アスカはその様子を見やり、眉間に寄った皺を消した。


「まあ、悪くないな、楽そうだ」

「アスカ!」

「正直、世界なんぞどうでもいいし。わが身が平和だったことなんかないから、聖魔戦争が起ころうと俺自身に大した変化はない」


 悪魔のフェーレンは、アスカの冷静な反応を見て目と唇で美しい弧を描いた。

 勇者は、決して善人ではない。女神と聖女に選定された特別な人間。その特別とは、狂王を倒す力と次の王として器足りえること。人格については一切触れられなかった。過去、私利私欲に駆られて魔族を混乱させた王もいるし、怠慢の塊で統治など全くしなかった王もいる。

 悪魔は知る。人間の心は弱くもろいものだ。最終的には自分のことが一番大切で、欲望が勝利する。


「では、どうぞこちらへ。あなたと私の力で、ダークの封印を――」

「それは断る」


 あっさりと、先ほど頷いたのと同じくらい簡単に、アスカは拒否の言葉を述べた。フェーレンは驚きこそしたが笑みを崩すことはなく、「いかがなさいました?」などと問うた。アスカははあ、とまるで呆れたようなため息をついた。


「エレナが泣くだろう、それ」

「……は」

「それに、元々あんたたちの要求に乗ってやるつもりはない。悪いが、俺はこれでも怒っているんだ」


 アスカは、悪魔たちに紛れてエレナの泣き声を聞いた。それを笑う彼らを見た。それでもお人よしの彼女が悪魔たちにも慈悲を見せるものだから、アスカは仕方なく助けたし話を聞いたに過ぎない。

 そこでようやくフェーレンの笑顔が消えた。だがそれも一瞬のこと。彼は「さようですか、残念です」と大して残念そうでもなく言った。


「ですが、それも想定の範囲を出てはいません。ねえ、姫様?」


 低く、甘く、思わず聞きほれるような声。アスカが一瞬戸惑った隙に動いたのは、それまで座り込んでいたエレナであった。


「なっ……!」


 アスカの腰にあった短剣を一振り抜いた彼女は、それを彼に向かって構えたのである。アスカは片足を引き、フェーレンとエレナに対し半身に構える。


「おいエレナ、そんなに怒ることないだろ」

「違うわよ、馬鹿!身体が勝手に……!」

「分かってる、冗談だ」

「こんな時にやめてくれるかしら!」


 本気で怒鳴ったエレナは、キッ、と悪魔を睨んだ。


「先ほども申し上げましたが、悪魔である私の元々の能力は心身の操作。本来使えませんし、使えても対象に魔法陣を刻まねばならないのですが……。闇の中心であるこのゾアゴでなら、声ひとつで十分です」


 楽しそうに口元を歪め、フェーレンは「さて、どうしましょう」などと言った。アスカはとりあえずもう一振りの剣を抜いたが、うかつに動けない。


「これなら、私に従っていただけますか?勇者様」


 エレナの細い腕が持ち上がり、両手で持った剣の先は彼女の白い喉に触れた。アスカが怒りを込めて睨みつければ、フェーレンは実に嬉しそうにした。アスカは剣を握る力を強めた。仲間たちがいたならばもう少し策もあるだろうが、今、アスカはひとりである。大人しく従うか、それとも――。


「アスカ!」


 彼の思考を一瞬止めたのは、高い凛とした声だった。僅かに震えるエレナは、笑っていた。少し刃先の当たった首筋から赤を垂らして、しかし気丈に。ざわついていたアスカの心が凪いでいく。ふっと一つ息をついた彼は、彼女に背を向け悪魔に切っ先を向けた。


「……なるほど。あなたの意志は姫の意志、ですか。愚かですね」

「そうか?」

「勇者とはまるで木偶。女神と聖女に振り回され、挙句姫の意志の通りに動く滑稽な人形のようだ」

「俺の命をどう使おうと、俺の勝手だ。あんたたちの評価もどうでもいい」


 アスカの口元に、薄い笑みが浮かんだ。対照的に、悪魔の顔から笑顔が消えた。あらわになったのは苛立ちである。

 先天的に力が弱く、努力だけで認められることはなく、小物とそしられ。世界の混乱の始まりにやっと反撃の狼煙を上げた。復権に消極的な先代の長を廃し、禁じられた闇の魔法に手を出して。それはすべてフェーレンの意志であり、覚悟を持った行動であった。

 しかし今彼の目の前に立つ青年はどうだろう。神によって選ばれ、特殊な力を持つ。そのくせ自分で何も決めない。他者の感情や指示に流されるままに生きている。だが、満足そうな、余裕すらうかがえる笑みを浮かべた。

 フェーレンは、この男が嫌いだ。憎たらしい。目的を忘れて、徹底的に痛めつけたうえで壊してしまいたいとすら思った。否、あの美しい少女や彼自身を殺すのでは生ぬるい。


「……姫様と勇者様は、悲劇がお好きとお見受けいたしました。どうぞ、存分に」


 キン、と刃がぶつかった。薄くて軽いが丈夫な魔鉱石の刃。エレナの剣を受け止めて、アスカは眉を寄せた。


「まあ、こう来るよな」

「アスカ!」


 エレナの声は悲鳴に近かった。アスカが押し返せば、エレナはいったん間合いを取ったが、すぐに地を蹴って、剣を振りかざす。刃は空を斬り、黒髪が一、二本舞った。素早さも腕力もアスカの方が上なのでかわすのはたやすいが、これではただの消耗戦である。


「姫様を殺すか、姫様に殺されるか。どちらを選ばれますか?」

「俺が死んだら神様の復活とやらはできないんじゃないのか?」

「勇者が死ねば狂った魔王を止められる者がいなくなりますので。ダークの復活が後回しになるだけです」

「ああ、なるほどな」

「納得していないで、何とかしなさいよ!」

「今考えているから、喚くな。というかあんたも考えろ」


 アスカはエレナの剣をかわしつつ、頭を回転させる。エレナを操るのはフェーレンの黒魔法。アスカは危険区域や宝物庫などに仕掛けられた反発や束縛のものなら見たことはあるが、それですら苦手とするし、しかも操作系だ。まったくもって知識がない。

 クルセルドは陣を破ることはできると言っていたし実際今頃その途中なのだろうが、アスカには不可能だろう。そもそも、フェーレン曰く陣を使ったわけではないらしい。そうなると残りは術者の死亡、と言ったところか。

 先ほどまでの美しい微笑みではなく、醜く歪んだ笑みを張り付けたフェーレンを一瞥するが、その間にもエレナの攻撃が来る。やはり、エレナをどうにかしなければ彼を攻撃するのも難しい。


「……圧倒的知識不足みたいなんだが」

「馬鹿!」


 本人は非常に真面目なのだが、エレナにはその無表情がふざけているように見える。彼女は僅かでもその刃が黒髪に触れる度、衣服を裂く度に心臓が止まりそうになっているのだ。嫌だ、止まれ、とどれだけ念じたところで、身体は勝手に動いて青年を傷つけようとする。


「も……、や、だ……!アスカ……!」

「なあ、イチかバチかなんだが」


 翡翠に浮かんだ涙が零れた頃、アスカがぽそりと呟くように言った。え、とエレナが反応した刹那、彼の手からは剣が落とされていた。


「何……!」


 アスカは左手でエレナの右手を掴み、右手で身体を抱くと足を崩してそのまま押し倒した。したたか腰を打ち付けたエレナは痛みに顔を歪めた。アスカはエレナの腰をまたいで、左肩を押さえた。


「ちょっ……!」


 操られているからかそれとも本能か、左手で彼の腕を押したがびくりともしない。こんな状況でも、年頃の娘である。身体中の熱が顔に集まっているのを感じて、エレナは「アスカ!」と自分の上にいる青年を呼んだ。

 しかし彼は左肩を押さえる力を強めると、剣を握ったままの右手を掴んで引き寄せた。二人の間に、刃が光る。


「やだ……、アスカ、君何して……」


 今度は真っ青になったエレナのことなど無視して、アスカはぐっと彼女の手を引き刃に顔を近づけた。


「何とかしてみるから、あんたは泣くな」


 なんとも自信のなさそうな言葉である。自由になる首を横に振るエレナの手を引き寄せれば、刃が彼の頬をかすめた。そして、アスカは少女の白く華奢な手、正確にはその指に額を当てた。


「え……」


 カッ、と。白い閃光。輝いたのは、少女の指にはめられた銀色の指輪であった。その光は二人の身体を包んで、フェーレンはあまりの眩さに目を閉じた。



 指輪から発せられた白い光がおさまっていく。ゆっくり、エレナの指から力が抜けて短剣が床に落ちた。


「ア、スカ……」

「動けるか?」


 彼にしては珍しく柔らかな問いかけだった。エレナは解放された両手を見て、開いたり握ったりしてみる。今までが嘘のように、きちんと自分の思い通りに動いてくれた。それを確認したアスカもやや脱力したように長く息を吐いた。


「その指輪をくれた親に感謝しろよ」


 魔族の力、特に闇の力を打ち払う光の指輪。まるで何事もなかったかのように落ちた短剣を拾い上げる青年の背中を見つめたエレナは、右手を左手で包んで大きくうなずいたのだった。


「さて、これでもうあんたの魔法は効かない」


 アスカは両手に剣を構えて、地を蹴った。一気に詰められる間合い、悪魔は青ざめた。闇属性の魔法が使えなければ、彼ら悪魔はとても非力だ。


「ま、お待ちください」

「待たない」

「この世界を本当に救うには、ダークの封印を――」

「そんなものどうでもいい」


 刃が弧を描き、鮮血が散る。よろめいた悪魔の傷口を、アスカは容赦なく蹴り飛ばした。痛みに悶える悪魔の肩に左手の剣を突き立てれば悲鳴が上がる。

 倒れたフェーレンの前髪を掴んで顔を上げさせる。アスカは黒い前髪から覗く瞳ににじむ怒りと憎しみを隠す気もないらしい。本来であれば人間の負の感情を好み己の力に変える悪魔ですら身震いした。


「あんたは記憶力が悪いのか?全部言ったぞ。俺は、これでも怒っている、と」


 肉を裂く感触。刃は甘い声と言葉を発する悪魔の喉をかき切った。吹き上がる血潮がアスカの顔を濡らして、その熱さを伝えたが、彼の瞳は凍てついたままである。

 アスカは動かなくなったフェーレンの身体を転がすと、やけにうるさい鼓動を落ち着けるように、目を閉じて大きく息を吐いてから剣を収めた。

 色々、やりすぎたかもしれない。アンジェリカ・シルバーを使うのにほとんどすべての魔力を削がれた。アスカは立ち眩みを何とか踏ん張って堪え、エレナを振り返った。


「親玉も倒したし、クルセルドたちのところにもど――」


 当たり前のことを当たり前に言おうとして、アスカは言葉を止めた。否、息を止めた。もしかしたらほんの一瞬、心臓すら止まったかもしれない。

 下層から床を突き破った白い光が、エレナの背中側から胸を貫いていた。


「え……」


 少し空気を含み、艶やかな唇から血があふれた。細い身体が崩れるように倒れる様が、アスカの目にはコマ送りのようにゆっくり、またはっきりと見えた。


「……エレナ!」


 はっと我に返り、駆け寄る。膝を折って抱き上げるが、エレナは怒るどころかピクリとも動かない。普段血色の良い顔は真っ白で、長い睫毛は伏せられている。口の端から零れた血液が金糸を汚した。


「おい、しっかりしろ!」


 なぜ、どうして。何があった。誰が。疑問はいくらでもわいてくるが、それを問う相手はいない。アスカはエレナが少々気にしているそのなだらかな胸をぐっと押さえたが、血液は止まることなどなく、逆にあふれて衣服ににじんだ。アスカの掌も当然真っ赤に染まる。


「エレナ、エレナ!」


 亡都の広い王宮に、アスカの悲鳴が響く。いくら呼んでもゆすっても、エレナは目を開けないし動かない。たださらさらと、赤と一緒に命がその身体から、アスカの腕の中から零れ落ちるだけだ。


「……い、や……、だ。エレナ、起きろ!ミシェルを呼んでくるから、だから……!」


 ふ、と。何故だろうか。エレナの身体がほんの僅かに重くなった気がした。彼女の血で染まる唇は緩く弧を描いている。これは、彼女のたちの悪い冗談だろうか。だったら、怒ったりしないからさっさとやめてほしい。


「エレナ」

『罰だ』


 少女の顔を覗き込んだ青年の耳に、奇妙な声が聞こえた。それはとても濁っていて、男とも女ともつかぬ。しかも、発した人物の姿はない。まるで、頭に直接響いているかのようだ。


『貴様の罪はその言葉、行動、存在そのもの。それを望んだことが彼女の罪』

「っ……!」

『彼女の罰は肉体の消滅、貴様の罰は永遠の生。絶望に抱かれ苦しみながらイリウスを漂うがいい』

「っあ……、うあああーっ!」


 青年は、少女の身体を抱きしめて、絶叫した。

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