なら俺は……、
屋根が低く小さな建物の並ぶラテムの町並みを歩くクルセルドは、口を噤んで下を向いていた。なぜならば、彼の右手をミシェルの左手が塞いでいるからである。
軍に入るまではよくエレナにこうして連れまわされたものだが、彼女以外に同年代の異性との接触は少なかったから、ほとんど初めての経験なのだ。
ミシェルは少々はしゃいだ様子で「あれは何のお店でしょうか」とか「お洋服も子供用みたいですね」とか話しかけているのだが、クルセルドの耳には全く入っていない。当然のことながら返事も皆無だ。
茜差す町、家に戻るのだろうか、ドワーフの子供たちが笑いながら駆けて行く。普段騒がしいのが嘘のように静かなクルセルドを横目で見たミシェルは、そっと手を離した。離れた体温に、クルセルドはほっとして顔を上げる。
「……申し訳ありません、調子に乗りました」
にこり。細められた目、持ち上げられた口角。しかし、その眉尻は僅かばかり下がっていた。その表情にクルセルドは罪悪感のようなものを覚えたが、返すべき適切な言葉が思い浮かばない。
膨大な知識を有し瞬時に周囲と敵の状況を判断して使う魔法を選択するのが魔導士であるし、クルセルドはその中でも最高クラス。だというのに、面白いくらいに頭が全く回らなかった。
「……ん」
「はい?」
なんとかかんとか行動に移したのは、再度手を差し出す、というものであった。不思議そうに瞬きをしているミシェルにクルセルドは視線を合わせない。
「逆なんだよ。俺は右利きだ」
彼が差し出したのは左手。それを見て、ミシェルはさらに首を傾げるというオプションもつけてみせる。
「……格闘ならば私の方が強いと思いますが」
「っせーな!そういう問題じゃねえんだよ、空気読め怪力女!」
「あ、ごめんなさい」
今の一言がクルセルドを傷つけたのに気付いたミシェルが律儀に頭を下げるので、通りすがりのドワーフの夫婦や恋人同士が笑った。クルセルドは色々と恥ずかしくなって、彼女を睨む。
「それとも、何か。半魔と手を繋ぐのはやっぱり嫌ってか」
「え……」
ミシェルは、その瞳をまん丸にしてクルセルドを見つめた。いつも通りの生意気そうな釣り目だが、どこか不安を宿しているようにも思える。
「混、血……?」
「そうだよ、悪いか。あんたが打ち明けたのに俺が黙ってるのは公平じゃねえだろ」
ひとつ、ふたつ、みっつ。彼女の返答を心の中で数えて待った彼に返ってきたのは、ふにゃりとした緩い笑み。いつも、聖女像のような美しい微笑みをたたえるミシェルの、年齢通りの笑顔であった。
「クルセルドさん、私、お腹が空きました」
何ともずれた、色気のない言葉だった。しかし、アスカとはまた違った方向に人づきあいが得意とは言えない彼らには、再度繋がれた手は大いなる一歩となるのであった。
それからは会話こそなかったが、そのまま町を歩いた二人は、旅人用のレストランを見つけて入店とほぼ同時にどちらからともなく手を離した。何となく気まずくて、お互いに視線を妙な方向へと向けている。
しかし向かい合わせに席に着き、注文を終えたころには落ち着いて、「なあ」と切り出したのはクルセルドの方であった。
「これは単に興味だから知らなけりゃそれでいいし、答えられなければそれもいいんだが……、光属性魔法って存在するのか?」
「光属性……、ですか」
イリウスで使用される魔法は、いくつかの種類に分けられる。自然を司る精霊の力を借りる精霊魔法、身体能力を高める強化魔法、魔法障壁を築く防御魔法。これらは多く呪文詠唱によって発動される。また、伝説とされるのが時間と空間を操る魔法だ。
そして、性質的には精霊魔法に近いとされるが魔法陣を使用するのが闇属性魔法――一般的には黒魔法と呼ばれるものだ。これは、封印されている邪神ダークの力を使う。
黒魔法は対象の束縛や操作を行う魔法で、古くはガーゴイルやゴーレム、もしくは死体といった静物操作、悪魔族や吸血族などが他者を使役するのに多用されたが、ダークが封印されたことでそのような強力なものはたとえ相性のいいとされる魔族でも使えなくなった。万一使えたとしても禁術扱いである。
このため現在では上級の闇属性魔法は存在が認知される程度。基本的なものが主には防犯――ちなみにアスカがビギンでひっかかったのがこれである――であったり、危険な物や場所の封印、犯罪者などの束縛に利用される。
攻撃魔法ではないとはいえ、ダークの魔法が存在する以上想定されるのが、女神ライトの力を使う光属性の魔法である。魔法の研究者の間では、聖族の魔力と非常に相性が良い強化魔法がこれに当たるのではないかと言われている。
ミシェルは難しい顔をして、しばらく考えていた。というよりは何かを思い出しているようである。
「聖族の間では、ある、と言われています。私はあまり詳しくありませんが、黒魔法に対して白魔法という名で研究もおこなわれているようですが」
「……どうした?」
言えないならそれでいい、と言ったクルセルドだが、歯切れの悪い回答には突っ込んでしまう。ミシェルは硬い表情で続けた。
「強化魔法がライトの力を借りているという説はかなり有力とされます。黒魔法では心身の支配と操作を行うことができますので、ある意味類似していると言えますからね。ですが、上級白魔法となると……、研究をすべきか否かでまず聖族の中でも割れています」
「は?」
「強化魔法の中で特筆すべきはやはりヒールです。その上級となった時、行きつくのが蘇生魔法なのですよ」
「!」
「命を弄ぶ、踏み込んではならない領域の魔法です。魔族も使える、使えないにかかわらず上級黒魔法は禁じられるでしょう」
なるほど、と。クルセルドは腕を組んで天井を見上げた。確かに、いかに研究熱心の聖族でも躊躇うだろう。そして、仮定がひとつ。
「ヴァイスの件だけど、状況からしておそらく上級黒魔法だろ、あれ」
「可能性は高いかと」
「……魔王は、黒魔法を使いこなすってことか?だとしたら聖王は」
「!」
ミシェルは驚愕したが、次の瞬間さらに大きな驚きによって打ち消された。それは、「失礼します~」と料理を運んできた店員のせいだ。
「なっ……!」
「あ?」
穏やかそうな表情、青みのある黒髪。身長はアスカと同じくらいで、ドワーフ族でないのは一目で分かった。怪訝そうなクルセルドの正面ではミシェルがどのような表情をすべきか分からないといった様子でひとり口を開閉させている。
「レ……、レックス様!」
「は?」
「君たち面白いお話をしていますねえ」
布の衣服に店員の前掛けをつけたこの男が、聖族の大神官レックス。流石のクルセルドもミシェルの言葉に驚いた。
「な、何しにいらっしゃったのですか!」
「ミシェルがお友達と楽しくやっているかなー、とパパ心配で」
「お友達……、いえ、その前にパパとか言わないでください!気色悪いですわ!」
「きしょ……、辛い……」
レックスは丸い盆を胸の前で抱えていじけてしまった。ミシェルは珍しく真っ赤になっているが、クルセルドとしてはどう反応したものやら分からない。
「あんたが……、大神官?」
何とか絞り出した言葉に対し、レックスはちろりと視線を投げてから微笑んだ。
「はい。初めまして。そういう君は――精霊魔導士ですか?魔族、いえ、半魔ですね。非常に優秀なようだ」
「!」
クルセルドは、思わず身構えた。クルセルドの魔族としての特徴はその魔力の高さのみ。一見しての判別はそれなりの経験やら魔力やら諸々が必要で、ましてや混血かどうかなどは言わなければ分からないものだ。
少年が感じた緊張の方は悟っていないのかそれともどうでもいいのか、レックスは器用に指先で盆をくるりと回した。
「君は頭がいい。でも惜しい。封印されて弱いダークの力を源とする黒魔法が使えるのは魔王が狂王と化したから。事態が進行すればするほど、強力なものを使えます。そしてこれは聖王も実は同じです。女神ライトの力はあまりに強力なので、いつでも誰でも使えるわけではない。光の力を体内にため込み狂った聖王くらいなんです」
「は……?」
クルセルドはレックスの言葉を理解すると、唇の端を引きつらせた。
「おいおい、大神官様がそんなこと打ち明けていいのかよ」
「何、聖族の一部は知っていますよ。それに、遅かれ早かれ君らも知ることになるのです。ウィリアム君に会いに行くのでしょう?」
「そう命じたのはレックス様です」
「はは、そうでしたぁ」
へらへらと締まりのない笑みを浮かべながら、レックスはエプロンの腰のひもをほどいた。キッチンの方で困惑している様子のドワーフに近づいて、盆と一緒に返す。
「ま、今回は本当に君の様子を見に来ただけですよ、ミシェル。この旅も戦いも君たち自身のものですからね。私は高みの見物をしておきます」
ひらりと手を振ったレックスは店を出ていく。慌ててあとを追ったのはクルセルドだ。肩書こそきっちりしているが、怪しすぎるし、何よりも自分が知らないことを知っている。
「おい!」
一歩店の外へ出たクルセルドがレックスの姿を見つけることはなかった。通りにはドワーフが数人行きかうのみで、彼は忽然と姿を消していた。しかしすぐに姿を隠せるような路地があるわけではない。
「どこ行った」
「無駄です。どうせもうセルーゴに戻っています」
「はあ?」
ひょこ、と店から顔を出したミシェルは呆れ顔で「テレポートです」と言った。
「もう、目立つからそこらで使わないように聖王様から言われているのに……」
「ちょっと、待て。テレポートって……」
「任意の場所に瞬間移動する魔法です。神出鬼没なんですよ、あの人」
やれやれ、とばかりに席に戻ろうとするミシェルの肩を、クルセルドは両手で掴んでこれでもかというほどに顔を寄せた。少し下から見上げられて、ミシェルは「え」と小さく声を漏らす。
「あの男、時空魔法が使えるのか……?」
「じ、時空魔法……、というのですか?」
「文献、っつってもお伽話みたいなやつの中にしか出ない伝説の魔法だ!白魔法どころの話じゃない!お前、不思議に思わなかったのかよ!上司なんだろ!やっぱり脳内お花畑か!」
興奮した様子のクルセルド。ミシェルは勢いに圧倒されて「あの」とか「その」とかしか答えられていない。彼はそんな彼女を離すと、爪を噛んだ。
「っそ、気に食わねえ……!」
「レックス様は大抵の方にそう言われます」
どうどう、とクルセルドを落ち着かせて、ミシェルは彼を席まで誘導する。クルセルドも座ってから息を吐き、まだ冷めてはいない料理に手を付けた。
クルセルドは暫く黙っていたが、やがてじろりとミシェルを見上げた。
「……もしかして、テメであいつとアスカを接触させたか」
「……クルセルドさんは、冷静だと本当に頭のいい方ですね」
ミシェルの貼り付けたような笑顔に、少しクルセルドの距離が遠くなる。
「おかしいと思った。あいつが自分に何の利もないのに俺たちを助けに来るわけがない。そういうの、脅しって言うんだぜ」
「さあ……、実際にどんな話をしたのか私は存じ上げませんから。それに、少なくとも私自身はあなた方の味方ですよ。『勇者を探し、これを助ける』が絶対命令ですので」
「どうだか。あの男の動き次第で変わるんじゃないのか?」
「それはありません」
ミシェルははっきり答えた。というよりはその答えしか返さなかった。以降は沈黙し、料理を口に運び咀嚼するだけ。クルセルドはその態度を拒絶と取り、一度舌打ちをして自身の食事を再開させた。
※
夜の帳が下りて、部屋には月明りが差し込むのみ。ベッドに腰かけたアスカは泣き疲れて眠る少女の頬にかかる髪をよけた。目元は少し腫れている。こんなものをクルセルドたちに見つかろうものなら命を捨てる覚悟を決めねばなるまい、などと苦笑した。
アスカは、実の両親の顔をおぼろげにしか覚えていない。殆ど大地の剣に育てられたようなものだ。それでも彼は身を挺して魔物から守ってくれた両親を大切に思うし、育ての親である盗賊の男のことは尊敬している。
そんな存在を殺すと決めたエレナの痛みはいかほどのものだろう。父親のせいで我を失いそれでも「逃げろ」と言った戦士にとどめを刺した心情は。
――私にアスカのことは分からないけど。想像することはできるのよ
いつかエレナはそう言ったが、果たしてアスカに同じことができているだろうか。アスカはひとつ息をつき、視線を滑らせた。月の光を返すのは、エレナの細い指にはめられて銀色の指輪だ。
アスカはそれをじっと見つめたあと、僅かに触れてみた。やはり、何の変哲もない指輪に見える。エレナ自身、母親の形見以上の価値はないといった口ぶりであった。しかし、彼女はそれを用いてテメに働きかけるつもりだったはずである。
触れたエレナの手は、アスカのそれに比べると細く華奢だった。さらりとした肌の触感は、薬を作るがゆえの効果なのだろうか、それとももとよりそういう体質なのか。世の女性たちからすれば羨ましいことだろう。
そんな彼女の手から、彼はするりと指輪を抜き取った。そのままベッドから腰を上げ、足音を立てずに部屋を出る。誰の目に留まることもなく宿屋を後にした彼が向かう先は、まだ明るいドワーフたちの工房だ。
ドワーフたちの工房は昼夜を問わず稼働している。どうやら交代制らしい、とはザッシュの言葉であった。加工する材料によっては常に監視が必要な場合もあるらしい。
松明の灯された大きな工房。アスカにはとんと理解できないが、火をくべた巨大な炉に鉱物が投入され、溶け出てきたものをまたドワーフが運んでいく。歌い囃しながら作業をする彼らをぐるりと見回して、アスカは通りかかったひとりを「おい」と適当に呼び止めた。
「聞きたいことがあるんだが」
「勇者」
「……」
その呼び方をやめてくれ。アスカは面倒くさがって言わなかった。そのまま「これについて何か知っているか」と掌に乗せた銀色の指輪を見せた。
「んー?」
「俺には分からないが、特別な細工でも――」
「アンジェリカ・シルバー!」
指輪を覗き込んだドワーフは、わっ、と両手を上げて逃げ出した。しかしその大声は広い工房に響き、職人たちの歌が止まり作業も止まった。
「アンジェリカ・シルバー」
「光の銀」
「そんなもの」
「あった」
「あった」
「逃げる」
「大丈夫」
「勇者」
ドワーフたちの騒ぎ様とやり取りがアスカにはちんぷんかんぷんである。アスカには細工こそ施されているが高値はつきそうにないただの指輪が、彼らにとってはそんなに驚くような代物なのだろうか。
「なあ、おい……」
説明を求めるアスカを取り囲むドワーフたちだが、その距離はかなり遠い。アスカが一歩前に進めば彼らは飛び跳ねて二歩下がってしまう。しかし興味はあるようで、ひそひそと何か話している。
「……これ以上近づかないから、これが何か教えてくれるか」
「アンジェリカ・シルバー」
「光の銀」
「光の魔力の結晶」
「魔族、毒」
「魔族、力なくす」
なるほど、これは母から娘に継がれた対魔のお守りということだろうか。アスカが再度指輪に目を落とした時、だ。ぽん、と後ろから肩を叩かれた。振り返ると、苦笑気味のザッシュがいた。
「アスカ、たとえ仲間のでも他人の物を勝手に持ち出すのはよくないな」
「……つい癖で」
「直しなさい」
ケタケタと笑ったザッシュにアスカは肩をすくめた。
アスカとザッシュは並んで宿へと道を戻る。その道中で思い切り腹の虫を鳴かせたのはザッシュであった。「おー」などと言って腹を撫でる彼はあたりを見回したが、二人の入れるような店は見当たらない。
「宿の主人がただでくれるんだから我慢すればいいだろ」
「あ、そうか」
ザッシュは手を打ち、歩幅を少しだけ広げた。そして、続いたアスカに、彼は尋ねた。
「それ、そんなに気になったか?」
「……まあ」
「エリシア……、エレナの母親。彼女に魔王からのプレゼントらしい」
「ふうん」
「本当……、腹立つよ。魔王は全部見越していたんだろう」
「ザッシュ?」
歩幅はまた狭まり、速度は落ちて。やがてザッシュは足を止めた。
「エレナが大怪我するのは二回目なんだ。あの指輪がなければ二人とも死んでたんじゃないかな」
ゆっくりアスカを振り返ったザッシュは普段とは違う、愁いを帯びた微苦笑を浮かべていた。
「俺とエレナは一度魔王と戦って負けてるんだ」
「……勇者抜きだったから、か?」
「まあ、それもあるのかもな。でもあれは、俺が魔王ゼルディスをなめていたのが最大の原因だ。」
「ザッシュ」
「あの時、エレナは俺を止めに来ただけだ。始めたのも巻き込んだのも、俺なんだよ」
エレナの母であるエリシアが死んだのは一年前のことだ。エレナもザッシュもおおいに悲しんだし、ヴァイスも見舞いに来た。けれど、ゼルディスがエレナのもとを訪れたのはしばらくたった後。
元々エリシアが体調を崩していることはクルセルドやヴァイスを通じて伝えてあったはずなのにこの間顔を見せず、彼女が亡くなってもすぐに駆け付けなかったゼルディスに、ザッシュは反発した。
「しかも、ゼルディスは家からエリシアの遺体を勝手に運び出した」
ザッシュの表情に憎しみの色がにじんだ。普段のザッシュは能天気で温厚そのものであるが、それは彼の強さが作り出す余裕によるものであり、その根は決して大人しい気性をしているわけではない。
ザッシュはゼルディスを追い、彼をエレナが追いかけた。
「俺はそっち方面の知識が全くないから定かじゃないが、魔王の部屋に魔法陣らしきものがあって……、言ったんだ、『エリシアを生き返らせる』って」
「!」
「許されるわけないだろ、そんなの」
魔王の愚行を止めるべく、ザッシュは剣を抜きエレナは弓を引いたが、手も足も出なかった。
「気が付いたら目の前でエレナが倒れていた。血まみれでさ。でも、指輪のおかげなのか魔王はそれ以上手出しできなかったみたいだ」
何よりも、苦しんでいたのは、泣いていたのは、魔王ゼルディス本人であった。
――頼む、ザッシュ。エレナを守れ……!
彼はザッシュにそう言った。結局命からがら逃げだして、重傷を負ったエレナの回復を待って転々と旅をした。そしてそのうちにエレナが言い出したのだ。「勇者を見つけて魔王を倒す」と。
「分かっていたはずなんだよ、ゼルディスは。自分がそうなった時、エレナが何を言い出すか」
ザッシュは知っている。寝物語に、父が娘に「悪い王様を倒す勇者の話」を聞かせていたことを。エリシアに贈られた指輪に、魔族を跳ねのける力があることを。
アスカはザッシュを見上げて、「そうか」と頷いた。
「大変だったんだな、あんたも。いや、ある程度予想はしていたが」
「反応軽いなあ」
「まあ、俺は魔王に会ったことないからいまいちピンと来ない部分もあるのは確かだ」
「嫌な奴だよ。あ、ちょっとアスカに似てる」
「おい……」
悪びれた様子もなくからりとした普段の笑みを取り戻したザッシュを見やり、アスカは「それにしても」と息を吐いた。
「エレナは、俺よりよほど伝説の勇者っぽいな」
「はは、そうかも」
アスカはふと夜空を見上げた。彼を取り巻く状況はエレナと出会ってから一変している。関係を持たなかった他者とつながり、この世界の危機を知り。けれど相変わらず星はそこで瞬いているし、朝には太陽が昇るのだ。生きる者の悲しみも幸せも希望も絶望も、何の関係もないかのように。
「なあ、ザッシュ。あんた前言ってたな。旅をする理由をちゃんと自分で考えてみろって」
「ん?ああ、そんなこともあったような」
「……あんたは?あんたはどうして剣を取るんだ?」
何も知らぬ純粋な子供のような両目で、彼は剣士を見た。精悍な顔に、爽やかな笑み。穏やかそうでいて、一見して強者と分かる空気。それらを持った男はやはり笑って答えた。
「俺の命はエレナを守るために使うと、とうの昔に決めている」
誰よりも何よりも好きな人に頼まれたのだ。「この子を守って」と。そして差し出された弱々しい指が、傷だらけの指を強く掴んだその時に、彼は決めた。エレナを守るためならば、彼は師匠と戦うことも、自らの命を差し出すこともいとわない。
アスカはやはり小さくうなずいた。世界が誰かの事情や心情などくまないように、彼らも世界のことなど本当は知ったことではないのだ。戦争を止める、平和を守る、世界を救う。そんなものは建前か、でなければ付属品のようなものだ。
「なら俺は……、エレナが泣いたから、っていうのはどうだ」
「!」
ザッシュは目を丸くしてアスカを見下ろす。すべてにおいて「面倒くさい」と言い、逃げ続けてきた青年が黒髪を揺らして笑った。
月明りに照らされるその顔立ちに、剣士は息をのんだ。アスカは決してゼルディスやエリシアのような美形ではないが、そこには不思議な美しさがあった。
「ああ、いいんじゃないのか?」
ふ、ともう一つ笑みを濃くしたアスカは先に歩き出し、ザッシュは数歩遅れて続いた。彼はその空いた距離をすぐに縮めると、アスカの肩に腕を置く。
「泣かせたんだ?」
「……あっちが勝手に泣いたんだ」
アスカは振り返らない、否、ザッシュを見ることができない。できうることなら全力で逃げ出したいところであるが、彼との実力差は出会った時から感じている。追いかけっこを始める前に取り押さえられるに違いない。
「はは、君基本的に慎重なのに、軽率な時はこれでもかって程だな」
「指輪盗まれるあんたに言われたくない……」
ぼそりと呟いたアスカの脳天に、ごつんと一発拳骨が落ちたのだった。




