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イリウスの空  作者: RUKA
第二章 血と命と心
16/36

吸血鬼じゃないか?

 ラテムでエレナの怪我も回復し、新しい武器も手に入った。アスカたちは手を振るドワーフに別れを告げて、次なる目的地へと出立した。向かうは吸血族ウィリアムの屋敷だ。ラテムの西に広がる湿地帯を抜け、亡都ゾアゴよりの位置にあるらしい。魔王の城がある都ボローディアへは遠回りになる。

 空気は湿気が多く肌にまとわりつくようであり、何より足場がよろしくない。全員嫌な顔をしつつ湿地帯を行く中、一人普段と変わらず爽やかなのがザッシュだ。その背中には幅の広い大剣がある。ヴァイスの武器をラテムの職人たちがザッシュの身長に合わせて鍛え直したのだ。


「ザッシュ、あれずっと欲しがってたんだろ?」

「らしいわ。ヴァイスに勝ったら、って約束と聞いたけど……」


 こそこそとエレナとクルセルドが話している。師匠を超えること、それはおそらくザッシュにとって不本意な形で現実となっただろう。

 アスカは隣のミシェルをちらりと見やり、尋ねた。ラテムで一度これまでの話を総合し、出てきた疑問である。


「なあ、本当に聖王は死者をよみがえらせることができるのか?」

「どうでしょう……、少なくとも歴史の書物にそのような記載を見たことはありません。ですがレックス様はそう仰っていますし。魔王の目的が死者の蘇生である以上、そのあたりもウィリアム様に確認せねばなりませんね」


 ミシェルは、聖族の語る歴史をすべて素直に信じていない。所詮は勝者の書いた歴史書だ。都合の悪い部分は削除してあることだろう。


「ウィリアム様は、二百年前の聖王討伐に加わった魔族と聞いています。何か私たちにもかかわる情報をお持ちかと」

「魔族が?聖王を?」

「ええ。聖族としては表ざたにしたくない出来事ですけれど……、それは魔族も同じだったようですわね」


 聞き耳を立てていたエレナたちが振り返り口をあんぐりと開けているので、どうやら知らなかったようだ。


「魔王ゼルディスはかつて勇者を導き、聖王を倒したのです。その時の恩を返すべく、私が派遣されております」

「それ、本当……?」

「はい。魔王は自らイエル大陸まで兵を率いてやってきたそうです。狂った聖王の強力な魔法を一発で破ったとかなんとか」


 ミシェルは人差し指を立てて説明をする。聞いているエレナは白目をむきかけた。それは今彼女たちが阻止しようとしている、聖族と魔族の正面衝突ではないか。


「ああ、まあ、ゼルディスならやりかねない」

「割と他人の迷惑顧みないもんな、王様」


 ははは、とザッシュは笑い、クルセルドは苦い顔で頭の後ろで手を組んだ。アスカはじい、とエレナを見下ろす。何というか、ラテムで涙を流す姿を見た時よりも彼女が「魔王の娘」なのだと実感がわいた。


「じゃあ、そのじいさんに魔王の倒し方を聞けばいいってことだな」


 ミシェルが頷き、アスカは息をつく。彼は先の戦いでヴァイスにまったく歯が立たなかった。相変わらず、強力な魔法が使えるわけでもない。エレナの指輪があるとはいえ、それで魔王が倒せるとは思えなかった。何か特別な道具や儀式が必要なのかもしれない。


「面倒くさい……、歴代の勇者が倒し方くらい残しておけばいいものを」

「いや、残さないだろ、普通。言いたくねえだろうし」

「なんで」

「なんでって……」


 クルセルドは続けようとして、やめた。彼はエレナを振り返り、その罪悪感に満ちた表情を見つけると口を閉ざした。眉を寄せるのは当然アスカだ。


「おい……」

「目的地に着いたら話してやる。とりあえずは……」


 クルセルドの掌に炎が燃える。彼が手を振れば炎が走り、湿地が燃えた。あぶりだされた魔物はザッシュの一閃で真二つになる。しかし、クルセルドの火がおさまらず足場に広がった。


「おい!」

「俺じゃねえよ!こいつら……!」


 地面をうごめく蔦。表面は炎に焼かれているが、耐性でもあるのかダメージにはなっていないようだ。


「植物系には大抵効くんだけどな……!」


 クルセルドの舌打ちを聞きながら、アスカはミシェルの棍に絡んだ蔦を切り捨てる。


「大丈夫か」

「ありがとうございます」

「打撃は効かなさそうだな。あんたは下がってろ」


 頷いたミシェルは、アスカに対してファストをかける。しかし足元は僅かにぬかるみ、普段ほどの速さが出ない。


「だったら、これでどうだ」


 クルセルドの魔力が地中の水分を反応させて一帯がみるみるうちに凍り付いた。同時に地を這っていた魔物の蔦にも伝染したようで動きを止める。炎を纏っていた蔦はザッシュが一蹴した。


「アスカ、この手の魔物はどこかに核がある。探して引きずり出せ!」


 ザッシュが氷を割る蔦を斬りながら言った。核を潰さない限り、この魔物は倒れないのだ。アスカは氷を蹴り駆け出す。それを狙って新たな蔦が襲い掛かるが、彼はそれを素早くかわし、別のものは短剣で切り捨ててまた敵の攻撃の合間を潜り抜けた。


「スピードだけならお前より上なんじゃねえか、ザッシュ」

「だろうなあ。余分な動きはないし、見極めが的確だ。ラテムで新調した武器も合ってるんだろう」


 軽い魔鉱石を使った、しかし切れ味の鋭い短剣二振りだ。今までアスカが使っていたのは一般的な旅人が護身に使うものだが、今のそれは、技術はあるが純粋な剣士ほどの腕力がない魔法剣士に重用される類のものだ。


「まー、魔法使えないけどなー」

「最短距離を最速で行ってんだからいいんじゃね?倒せればいいんだよ、倒せれば」


 などと雑談をしながらザッシュとクルセルドが蔦を切り落としていると、アスカが駆け抜けた先で気味の悪い悲鳴が上がった。どうやら彼が核を突いたらしい。

 湿地帯のぬかるみの中から、巨大な藻のような魔物が姿を現した。脳天――といってもいいのかは疑問があるが、球体から剣を抜いたアスカは空中で身を捻りひらりと着地する。

 そしてもう一度剣を振り上げたが、それよりも早く、敵の中央にあった一つ目を矢が貫いた。巨大な魔物は転がりもんどりうって悲鳴を上げた。おそらくは毒薬も使ったのだろう、魔物はボロボロと身体を風化させやがて塵となった。


「エ、エレナ……?」


 喉を引きつらせたのはクルセルドだ。湿った風に遊ぶ黄金の髪、構えた弓の弦はいまだに震えていた。


「何という腕前、威力……!」


 アスカが放置した蔦を潜り抜け急所を的確に射抜いたエレナにミシェルは両手を合わせて感動しているが、クルセルドは背中に嫌な汗をかいた。対照的に、剣を収めたザッシュは「あはは」と笑った。


「おーい、エレナが怒ってるぞ。アスカ、何やったんだ君」

「別に、怒ってないわよ」


 つん、とそっぽを向いたエレナを見て、アスカはザッシュやクルセルドと顔を見合わせて肩をすくめた。彼女が何かにつけてアスカの言動に怒るのは今に始まったことではない。


「まあ、それはどうでもいいんだが」


 ギロリ、睨みつけた翡翠の瞳に気付いていないわけはないだろうに、アスカはそれを無視した。


「怪我は?」

「……え?」

「ザッシュが下がってたしミシェルもいたから大丈夫だろうけど」


 大怪我をしていないのは明白だが、エレナはミシェル以上にあの蔦との戦闘には不向きだったはずだ。かすり傷のひとつ、ふたつあっても不思議ではない。アスカはじっとエレナを見下ろしたけれど、彼女はやはり腕を組んで顔を逸らしてしまった。


「大丈夫よ!馬鹿!」

「……あんたのその理不尽さはどこで身につけたんだ?」


 アスカは渋い顔をしたが、それでもエレナに手を差し出した。


「ほら、行くぞ。足元、さっきより不快じゃないが滑るから気をつけろよ」

「……うん」


 エレナはほんのりと頬を染めてその手を取ろうとしたが、それよりも早く割って入ったのはクルセルドだった。


「そんなに手を繋ぎたいなら俺がやってやるよ、お兄さん」


 クルセルドは目を吊り上げつつギリギリとアスカの手を掴んだ。別に手を繋ぎたいわけではないが、大して痛くもないので、アスカは「そうか」などと受け入れて歩き出す。


「でもお前、俺に掴まっているよりミシェルに抱き上げてもらった方が楽なんじゃないのか」

「絶対に嫌だ!つか、俺が歩きにくいわけじゃねえから!」


 先に歩き出した二人の背中を見つめたエレナは釣りあげていた目と眉を元に戻し、苦笑した。その肩を軽く叩いたのはミシェルである。


「何?」

「差し出がましいことを申しますが、アスカさんはやめておいたほうがよろしいかと」

「え、な、何のこと?」


 エレナは一瞬で頬を染め上げたが、ミシェルの表情にはからかうような色はない。それどころか、悲壮感すら漂わせているではないか。エレナはそれを見て目を伏せた。


「私は……、エレナさんに、傷ついてほしくありません」

「……ありがとう。ミシェルは優しいわね」


 ミシェルはふるりと首を横に振った。エレナはその銀髪を撫でて、先を行くアスカたちを見やった。先頭に立ったザッシュが後ろ向きにクルセルドの両腕を掴んで、その間にアスカ。二人ともザッシュに引きずられるようになっている。幼い子供が遊んでいるかのような光景に、エレナもミシェルも少し頬を緩めたのであった。



 吸血族の長ウィリアムは、ラテム湿地帯の西側に住んでいる。これは二千年の昔に魔王から与えられた吸血族の領地であるが、聖魔戦争後、王都がボローディアに代わってからは長らく誰も住んではいなかった。

 これを整備し再度ウィリアムに与えたのはゼルディスであった。彼は二百年前の聖王討伐に協力した人狼ゲイルには魔王軍大将の座を、ウィリアムには地位の代わりに城を与えたのである。以後ウィリアムはと言えばその城に引きこもり、何をしているのかはさっぱり分からない。

 元々吸血族は悪魔族と同じく黒魔法を得意とした一族で、ダークが倒された後は急激に力を落とした。実力、それも主に戦闘力を評価される魔族においては没落貴族扱いだ。王直属の軍くらいしかまともな組織もない魔族だから、誰も気に留めていないが。


「それでも普通新年とかその他もろもろの行事には各部族の長なら顔くらい出すものなんだけど、来ないらしいのよ」


 エレナもエリシアも表に立つことはなかったし、そもそもほとんど城にはいなかったから会ったことがないのは当然なのだが、あのヴァイスが「またウィリアム殿が来なくてドレイクが激怒」などとぼやいているのはよく見た。


「俺は、吸血族のことだからまた昔みたいに人間の血を吸ってんじゃねえかって噂聞いたぜ」


 クルセルドが言うと、反応したのはミシェルであった。「ああそれは」と指を立てる。


「事実と言えば事実ですね」

「はあ?」

「何と言いますか、聖族の汚いところと言えばそうなのですが。吸血族には医療研究に協力いただいています。代わりに研究結果を共有していますよ」


 たとえ研究目的であれ、血を抜く、という行為には聖族のみならず人間も嫌悪感を抱く。それを平和と非暴力を掲げて神の使徒を自負し、かつ人間からは尊敬される聖族が堂々と行えないのだ。そこで、魔族である吸血族が代行しているという。

 聖魔戦争の終結後、これもダーク封印の影響だろうが、吸血族はかつてのような衝動的かつ限度のない吸血を行わなくなった。それでも生命維持のためには人間の血液が必要だそうで、元々人間側との秘密裏な協力関係があった。聖族がそれに目を付け吸血族が了承したのである。


「汚れ役を押し付けたってことか。確かにそれじゃ吸血族は魔族の表舞台には立てねえな。ばれたらあちこちからボコボコにされる」

「まあ、私が言っても言い訳にしか聞こえませんが、聖王様にその感覚はなかったでしょう。お友達ですから、『血液採取?ウィリアムに頼めばいいんじゃないかな?』くらいのノリかと」

「王様ってどこでもそんな感じなのか……」


 クルセルドにしては珍しく聖族に親近感を覚えた。そして、一行が見上げるのは石造りの古城。立派な構えで、植木などはきちんと整備されている。何せ古い建物なので蔦がはったり一部劣化していたりするものの、それはそれで雰囲気が出ている。何の雰囲気か、といえば。


「金目のものがありそうだな」

「真顔でそういう発言やめてくれる?」


 アスカを睨んだエレナの頭には角が生えたようだ。しかしアスカもアスカでミシェルとクルセルドの会話などほぼ聞いておらず、外観から侵入ルートを考えていたのだから仕方がない。


「物理的な罠ならともかく、こういう古い建物には黒魔法系の仕掛けがあることが多いから苦手なんだが」

「黒魔法は基本的に魔法陣使うから、ある程度の魔力のある奴が手順を守れば破れるぞ」

「だから、アスカは侵入することを前提にしないで。っていうかなんかわくわくしてない?クールも乗らないの」


 自分たちは教えを乞うべく正面からウィリアムを訪ねるのである。エレナは額を押さえたが、ザッシュが腹を抱えてくつくつと笑っているので、肘鉄をお見舞いしておいた。


「ふふ、では、参りましょうか」


 ミシェルは笑って先頭を行く。門をくぐり、シンメトリーの庭を抜けて玄関にたどり着くと、木製のドアをノックする。しかしながら、反応はない。再度同じようにするも、結果は変わらなかった。


「ほら」

「何がよ!忍び込ませないからね!」


 アスカの言葉にエレナが噛みついた。エレナがどうしたものかと頭を悩ませ始めた直後である。そのドアはゆっくりと開いた。


「鍵、かかってないぞ」

「ザッシュ!」


 すんなりと入っていくザッシュとアスカを見て、エレナは肩を落とした。

 魔王の娘とはいえども、彼女をそのように扱うのはヴァイスくらいのもので、彼女自身あまり強く自覚しているわけではない。それに相手は魔族の中でも最高齢だそうだ。流石の彼女でも無礼を働いたうえで「いいから知っていること吐きなさい」とはなかなか言えない。


「諦めろって。アスカはともかく、ザッシュは戦闘回避なんて発想がないんだから」


 クルセルドに肩を叩かれミシェルに慰められつつ、エレナも彼らの後に続いた。

 ひんやりとした玄関ホール。中央には左右に向かって階段が設けられ。上層階へと続く。無論一階にもいくつかの扉があるが、すべて閉ざされていた。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

「吸血鬼じゃないか?」

「お願い、二人ともちょっと黙ってて」


 エレナはザッシュとアスカにそう言って、空気を吸った。


「すみませーん!どなたかいらっしゃいませんかー!」


 広いホールに少女の声が響き渡った。しかしそれが空気に溶けて消えてしまっても、誰かが姿を見せてくれる様子はない。しかしこんなに広い城だ、人数が少なければ時間がかかるのも道理としばらく待てば、「あらあ?」と高い声と足音がして人影が現れた。

 二階中央の扉から出てきたのは、深いスリットの入った艶やかな深紅のドレスを纏った妙齢の女だった。濃い茶色の、緩く波打つ髪を背中に流した彼女は扇を手にして石の上に敷かれた絨毯を踏み階段を下りる。


「お客様なんて珍しいわね」


 ゆったりと、彼女は余裕を持った笑みをたたえてアスカたちを見回した。一方の彼らはといえばきわどい衣装と豊満な胸に目が行っていた。その例にもれなかったエレナだが、ハッとして一歩進み出る。


「エレナと申します。ウィリアム様はいらっしゃいますでしょうか」

「こんなに若いお嬢さんが、旦那様に何か用?」

「手短に申し上げることが難しいのです。ゼルディスの娘が参ったとお伝えください」

「ああ、なるほど。分かったわ。聞いているから安心してちょうだい」


 女の言葉にエレナの肩から力が抜ける。女はその様子を見て階段を下りきると、胸に手を当てて頭を下げた。しかしその対象は仮にも魔族の姫君であるエレナではなく、アスカに対してであった。


「私はカトレア。ウィリアムにお仕えする者です。あなたを歓迎いたします、勇者様」

「……それ、やめてくれないか。気持ちが悪い」

「ふふ、でしょうね。そういう顔しているわ」


 顔を上げたカトレアは扇を持つのと逆の手をアスカの頬に伸ばした。


「あと、結構好みの顔よ、坊や」

「どうも。俺もあんたみたいな女は嫌いじゃない」


 紅を引いた唇が妖艶に弧を描いたが、アスカは眉一つ動かさずに淡々と返した。反応したのはむしろエレナである。「アスカ!」と怒気もあらわに声を上げたが、それにも彼は答えない。カトレアの整った顔と抜群のスタイルを眺めているだけだ。


「あんの……!」


 エレナは拳を作って震わせた。ここがウィリアムの城でなければ、彼女はすぐさま弓矢を準備していたことだろう。カトレアはそんな彼女を一瞥したが、すぐにアスカに視線を戻してその指先で彼の輪郭をなぞった。


「じゃあ、お姉さんとダンスでもいかがかしら」

「そうだな……、構わないが」


 キィン、と。響いたのは金属音。鞘から半分抜いた短剣と、カトレアの扇がぶつかっていた。


「あまり得意ではないから早々に終わらせたい」

「まあ、つれないのね」


 アスカが止めた刃を一気に引き抜き、もう一振りも抜けば、カトレアは軽やかな動きで間合いを取った。


「え、え?」

「あの女!」


 エレナとミシェルが困惑し、クルセルドが激昂する。三人を「まあまあ」と押しとどめたのはザッシュだ。


「敵意があるにしてはすぐに攻撃してこなかった。試されているんだろ」

「その通りよ、お兄さん。そこの小娘ちゃんたちはそんなことも気付かなかったかしら?やぁねえ」


 ぱらぱらと開いた扇で口元を隠したカトレアはエレナとミシェルに蔑みの視線をくれた。


「安心してって言ったでしょう?殺したりはしないわ。怪我はするかもしれないけれど、その時はこの私がちゃあんと看護してあげるからね」


 片目をつむって見せたカトレアに、アスカは「それはどうも」と無感動に返した。口の中でファストを唱え、床を蹴る。振り上げた左手の剣は扇に受け止められ、右はかわされる。弾いた勢いで、カトレアの扇が一閃。黒髪が一筋宙を舞った。


「ミシェル並みの怪力か、あんたは」

「さあ、どうかしらね。ミシェルちゃんを知らないからなんとも。けれどこの鉄扇に倒せないものはなくてよ」


 ひらりひらりと、それこそ舞踏用の扇と同じように扱ってはいるが、彼女の言う通りそれは鉄でできており、閉じれば打撃、開けば斬撃とかわるがわるに攻撃が放たれる。アスカは剣ではなく蹴りを入れたが、それも難なく受け止められた。


「……分が悪いかもな」


 呟いたのはザッシュだ。アスカとカトレアのやり取りをクルセルドは目で追うのがやっとだし、エレナとミシェルに至ってはほとんと視認できてきない。アスカはファストを使っているとしても、カトレアは強化魔法を唱えていないにもかかわらず、だ。


「元のスピードがアスカより上なんだ。それに彼女、扇を使ってはいるがあれたぶんサブウェポンだぞ」

「え?」

「剣士……、いや、正統派の騎士だな」

「あらやだお兄さん、いい目をしているのね」


 だけど、とカトレアはいったんアスカと距離を取って扇を閉じた。


「私はもう騎士ではないし、剣は取らないわ。二百年前にね、決めたのよ」

「何だ、若作りのばあさんか。残念」


 とん、と。つま先を床に当てたアスカの言葉にカトレアは目を細めた。


「坊や、言っていいことと悪いことがあるのよ」


 ぱらりと扇が開く。


「アスカにデリカシーを求めちゃダメなのね……、よくわかったわ」

「というか、反応すべきは年齢ではないと思うのですが」

「だから、あいつ結構馬鹿だって」


 仲間たちの批判は聞こえないふりをして、アスカは剣を構えなおした。対峙しているカトレアは、衣装こそ無防備そのものだというのに、全身どこにも隙がない。

 間の読み合いをすること数秒。動いたのは、カトレアのドレスであった。床に着くかつかないか、ギリギリの長さの裾がふわりと不自然に揺れたのである。これに気付いたのはクルセルドだ。


「アスカ、精霊魔法が来る!よけろ!」

「ウィンドカッター」


 アスカを威圧しつつ呪文詠唱を終えたカトレアが扇をひるがえせば、放たれるのは風の刃。当たればその辺の魔物を半分にすることができるとアスカも知っていた。それでも少しだけ迷ったが、間一髪でかまいたちを避ける。

 カトレアとしては狙いが外れた、わけではない。最初から彼女の標的はアスカの背後にいるその仲間たちだ。


「あら、酷いのね、勇者様!」

「いや、問題ない」

「我の息吹は神の息吹、以てここに破邪の壁を築かん――ウォール!」


 バチィ!と魔力と魔力がぶつかった。前に出たミシェルの銀髪と法衣が翻る。棍を握る力は普段よりも強く奥歯を噛みしめてはいるが、力は拮抗してはいない。カトレアの風の精霊魔法は打ち消された。


「クルセルドさんの魔法に比べればそよ風ですわね」

「言うじゃない小娘ちゃん」

「あんたは少し油断が過ぎるな」


 すう、と。カトレアの細い首筋に短剣を添えたのはアスカである。今の隙に気配を消し、最高速度で背後に回ったのである。


「最初から、五対一の劣勢なんだぞ」

「……腹の立つぼうやね。ちょっとゼルに似ているわ」


 カトレアは不機嫌そうな表情を作りながらも力を抜いたので、アスカも剣を引いた。


「旦那様、この子たち、まあまあやりますわよ」

「そのようだね」


 落ち着いた、低く甘めの声は二階から。いつの間に姿を見せていたのか、きっちりとした礼装の老紳士がそこにいた。彼はゆったりと階段を下りると、アスカに目礼した後エレナの正面に跪いた。

 エレナはぎょっとしたが、彼は気にした風もなく彼女の白い手を恭しくとった。


「無礼を働いたこと、お許しください、エレナ姫」

「い、いえ!私たちこそ何の前触れもなく訪れてその上勝手に入りこんで……!」

「ふふ、よいのですよ。いらっしゃるのだろうとは、思っていましたから」


 紳士は少しばかり顔を上げ、目を細めた。その一挙手一投足は優雅ささえも見えるほど、洗練されている。


「私は吸血族の長、ウィリアム。お会いできて光栄です、美しい我らが姫よ」


 ウィリアムはエレナの手の甲にそっとキスを落とした。お伽話の王子か騎士か、という仕草に固まったのはエレナだ。顔を真っ赤にして背中に汗を流している。


「エレナさんって、ああいうの慣れていないのですか?」

「城にはほとんどいなかったからなあ。母親もどこかのお姫様ってわけじゃないし」


 ケタケタと笑うザッシュ。クルセルドも若干呆れ気味だが、ひとり、アスカだけが再度剣を抜いていた。


「その手、放せ」

「アスカ?」

「……」


 エレナは色々な意味で動揺を見せたが、ウィリアムは変わらずに微笑みを浮かべたまま、彼女の手を放して立ち上がった。


「ヴァイスのことがある。俺はそもそもあんたたちを味方だと思ってはいないからな」

「ヴァイス……?ゲイルさんの孫だね。彼が何か――」


 ウィリアムは険しい表情のアスカたちを見回し、事を察したのか短く息を吐いた。


「大丈夫。まだ魔王狂乱の影響は上級魔族に達してはいない。もしもヴァイスに異変があったならそれは直接王と接触したのだろう。私は、そうならないようにこうして王都から離れた地に配置されているのだよ」


 ウィリアムは少し悲しそうに笑っていた。そしてアスカたちの顔をひとりひとり確認する。


「聞いてはいたが、ゼルもよくここまで都合よく人を集めたものだ。しかし、君は?」


 視線が止まったのは、聖族の女神官。ミシェルは頷き、懐から一通の手紙を差し出した。


「まずはこれを。聖王様から、あなたに渡すようにと」

「!」


 ウィリアムは少々驚き、手紙を受け取ると中を確認した。書いてある内容は薄いのか、ものの数秒で読み終わったようで、彼は一度便箋を握りつぶした。


「旦那様……」

「すまない」


 意外なことに、眉根を寄せ、今にも泣き出しそうなのはカトレアだった。ウィリアムは丸めてしまった手紙を広げて、無造作に彼女に渡した。それまで無駄なく隙なく洗練されていた彼の動きがやけにぶっきらぼうであった。


「あの」

「いや、あなたのことも書いてはあるけど、ほとんどが私的な内容だよ。あなたたちには関係ないね」


 ウィリアムは困ったように笑って、手紙を握りしめるカトレアの肩を抱いた。アスカたちは一連の動作に首を傾げたが、それ以上聞くこともなかった。


「色々とお話ししたいことはあるのだけど、長くなるのでまずは皆さん一休みしてください。一階の部屋を好きに使って構わないよ。この城には私とカトレアしか住んでいないからね」


 老紳士はそう言って礼をした。エレナが釣られるように頭を下げて、相手は身をひるがえしたのだった。

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