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イリウスの空  作者: RUKA
第二章 血と命と心
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邪魔なだけだ

 ラテムの宿に滞在して三日。ミシェルはほとほと困り果てていた。食事や薬は事情を知ったドワーフたちが好意――色々とちらつかせはした――で用意してくれるのでどうにかなっているが、問題は男たちだ。

 ザッシュとクルセルドはふらりとどこかへ行ってしまってエレナの顔も見に来ないし、アスカは宿屋の屋根の上から降りてこない。


「あいつらなりに気をつかってくれているのよ」


 すでに意識ははっきりしているものの、ミシェルに絶対安静を命じられているエレナは、身体を拭いてもらって衣服を着替えながら苦笑した。

 アスカは元々人と関わることを避ける男だし、クルセルドも器用な方ではない。ザッシュに関しては、彼自身に思うところがあるのだというのは明らかであった。


「おいミシェル。エレナ起きてるか?」


 声は、部屋の入り口であるドアではなくて、窓から。硬直したのはミシェルと、当然のことながらエレナだ。彼女はシャツに半分腕を通しただけで、まだ前は全開である。

 しかし夕焼けを背景にする青年は驚くことも興味を持つこともなく、淡々とした調子で言った。


「ああエレナ。話がある。服着ろ」


 窓から侵入しかけたアスカの顔面めがけて、塗り薬の入っていた木製の器が投げつけられた。アスカはそれをよけ、窓枠に膝だけでぶら下がった。腹筋に力を込めて上体を持ち上げると、部屋の中から棒が突いてくる。


「ミシェル?」

「……ひとつ、女性の部屋に窓から来るとは何事ですか。ふたつ、エレナさんはお着替えの途中です。出直しなさい!」


 ミシェルはその怪力で以てアスカの足首を掴んで逆さ吊りにすると、建物の外に放り投げた。


「少なくともアスカさんは気をつかっているわけではないと思いますけれど……?」

「ああ、うん。あいつは基本的に自分の都合しか考えてないわ……」


 エレナはボタンを留めてがくりとうなだれる。何故だろうか、半裸を見られたことよりも特に何の反応も示されなかったことの方がショックである。

 さて一方、地面に落とされたアスカは何とか着地して、宿屋を見上げる。


「その運動神経だけは獣並みだなお前」


 呆れた声はクルセルドだ。夕焼けのおかげで赤毛がキラキラと輝いて見えた。アスカは彼を一瞥すると立ち上がり、今度はきちんと建物の入り口に回る。


「ザッシュは?」

「今日も工房。ああいうのは職人に任せるしかねえって分かってるくせにな」


 ヴァイスとの一戦で、アスカとザッシュの剣は使い物にならなくなってしまった。幸いにもラテムには腕のいい職人がそろっているので、新たな武器を鍛えてもらっているところなのだ。

 アスカとクルセルドが宿屋に入ると、一階のロビーでミシェルが腰に手を当てて待ち構えていた。それを見て、アスカは肩をすくめる。


「アスカさん!あなたという人は――」

「元気そうで何よりだ」

「え?」


 アスカはミシェルの存外細い肩を軽く叩いた。


「エレナは俺が見ているから、少し休め。いくら何でも魔力を使いすぎだろう」


 ミシェルは現在アスカとエレナにかけた防御魔法を維持し続け、加えてエレナの治療も行っている。ヒールでの回復は抑えているとはいえ、並大抵の労力ではあるまい。


「半分は俺に偉そうなこと言っておいて自分は小さい切り傷を瘡蓋にするのが限界で防御に至ってはからっきしだったそこの魔導士様のおかげだけどな」

「なっ……」


 アスカのとげとげしい指摘にクルセルドはかあっと顔を赤くした。確かに以前ファストしか使えないアスカを馬鹿にしたことがあったが、今ここで持ち出すなど。他人に興味がないわりに根に持つタイプなのかもしれない。


「まあまあ、お二人とも」


 苦笑したミシェルが間に割って入り、ごく自然にクルセルドの手を取った。アスカは少し驚いた程度だが、クルセルドは先ほどとは別の理由で顔を赤くした。


「クルセルドさん、私、魔石には詳しくないのですが、せっかくラテムにおりますので見てみようと思うのです。少々お時間いただけますか?」

「え、あ、いい、けど……」


 普段の半分以下の声量で同意したクルセルドに、ミシェルはにこりと笑って見せた。そして、アスカには僅かに冷たさを含んだ視線を向ける。


「あまり、彼女を追い詰めるようなことをなさいませんように」


 クルセルドに聞こえない程度にアスカに釘を刺し、彼女は宿屋を出て行った。扉が閉まるのを背中で聞いたアスカは頭をかく。


「勘のいい女だ」


 年下の少女だが、どうにも侮りがたい。それに比べれば、と金髪の美少女を思い浮かべながら階段を上った。

 エレナとミシェルが使っている部屋の前に着いたアスカは、そのドアの前に集まっているドワーフたちを見つけて首を傾げた。輪になった彼らは顔を突き合わせ、何事か話しているらしい。


「……どうした」


 アスカが声をかけると、彼らはぴょんと飛び跳ねてから顔を上げた。


「勇者」

「勇者だ」

「勇者様」


 アスカは僅かに眉を寄せて無言を返す。本当に自分がそう呼ばれる存在であったとして、面と向かって「勇者」などと呼ばれるのはあまり気分がよくない。加えて僅かに輝く期待の眼差しだ。正面から受け止めるには重すぎて、かといって無視して受け流すのも難しい。

 そんなアスカの心中など、ドワーフたちには関係ない。そもそも、彼らがこの宿や食事を無償で提供してくれているのもアスカが「勇者」でエレナたちが「その仲間」だからだ。


「姫様」

「無事」

「元気」

「姫様」

「……ああ、あんたたちのおかげでな」


 アスカはぶっきらぼうに答えたが、ドワーフたちは両手を上げて喜び歌いだした。アスカは彼らに合わせて膝を折ると、唇の前に人差し指を立てた。


「ありがとう、でも少し静かにしてやってくれ」

「しー」

「しー」

「しぃー」


 ドワーフ族は手先が器用で力も強いが、言語を操るのはあまり得意ではないようだ。人間の子供を相手にしているようだ、とアスカは内心でため息をついた。


「それで……、ここで何をしている?」

「勇者、元気」

「ああ」

「武器、皆、急ぐ。もうすぐ」

「もうすぐできる」

「そうか、助かる」


 わざわざそれを伝えに来たのだろうか。工房にはザッシュがいるのでその必要はないはずだが。やや対応に困るアスカに、ドワーフたちは声をそろえた。


「だから、魔王倒して」

「!」

「早く」

「早く」

「魔王」

「倒して」

「勇者」


 アスカは立ち上がり一歩足を引いた。ドワーフの短い言葉ひとつひとつが非常に重たく感じられる。それこそ、まともに受け止めれば押しつぶされてしまいそうなほどに。


「怖い」

「怖い」

「皆壊れる」

「狂う」

「嫌だ」

「怖い」


 悲壮感に満ち溢れるドワーフに対してアスカが感じたのは使命感でも責任感でもなく、小さな恐怖と嫌悪だった。それは彼の胸の内で弧を描き、また戻って突き刺さる。


「そうね、任せて」


 面倒くさい、と。いつものように言おうとしたアスカの言葉を押しとどめたのは、開いた扉と中から出てきたエレナであった。

 彼女は先ほどのアスカと同じようにドワーフたちの前に膝を折ると、「姫様」と口々に呼ぶ彼らに微笑んでみせた。しかしかしこまっているのか別の理由からか、彼らは飛び跳ねた後で距離をとった。


「大丈夫よ。私が必ず魔王を止めるから」


 レストフで村人とともに「誰かが倒してくれる」と言った彼女の言葉は変わっていた。アスカはそれに気づいたが、当然ドワーフたちが知るはずもない。彼らは嬉しそうに歌い小躍りなどしながら去っていく。

 エレナはそんな彼らの背中に手を振って、アスカは彼女を見下ろした。


「あんた」

「話があるんでしょう?とりあえず入ったら?」


 エレナは立ち上がると金髪を揺らしてさっさと部屋に入ってしまった。アスカは一拍置いてそのあとに続く。エレナはベッドに飛び乗るようにして腰かけ、アスカはその前に立った。


「で、何?私がお姫様で吃驚?」

「いや、それは薄々気づいていたから特に」


 アスカは、エレナの素性そのものにはあまり興味がない。だから、エレナが自ら明かさない以上、触れずにおいた。しかし、それに付随するいくつかの事実についてはいずれ確認しなければならなかった。


「魔王はあんたの父親なんだよな」

「そういうことね」

「自分の父親を殺そうとしているのか?」

「そうよ」


 エレナは表情を消し、静かにうなずいていく。彼女の細い指先はベッドのシーツに皺を刻んだ。アスカはそれを確認したけれど、問いかけるのをやめはしない。


「なんで」

「なんで、って……。当然でしょ、魔王が狂えばその支配下にある魔族が困るの。ヴァイスを見たでしょ、ドワーフたちだって怖がっているわ。止めるのは、娘である私の役目なのよ」

「でも、それは勇者にしかできなくて、聖族の神官様曰く、俺のことなんだろう?あんたの責任じゃない。だったら戦う必要もない」

「そういう問題じゃ――」

「だから、逃げろ。父親や、知り合いを殺すことが辛いなら、そのせいで自分の身すら守れないなら、引き返して逃げろ」

「え……」


 驚くエレナに、アスカはまるで当然のことを諭すように語り掛ける。


「たぶん、ザッシュもクルセルドも、エレナに魔王を倒してほしいなんて思ってない。むしろこの世界にそんな奴いないだろう。そもそもお姫様の存在すら公になっているわけじゃないらしいし」


 ドワーフたちにエレナは魔王の娘だと伝えたのはクルセルドだった。ついでに魔王軍の紋章を見せたから、彼らはすんなりと信じてくれたのだ。お姫様が勇者を見つけて来てくれた、と彼らは喜んだ。


「もしあんたの言うように何かしらの責任があるとしても、現時点でそれは果たされてるんじゃないのか」

「っ……、それでも」

「それでも、なんだ。戦うのが嫌であんな簡単に自分の命差し出すような真似する奴、邪魔なだけだ」


 ひゅ、と。エレナは息をのんだ。アスカの視線は冷たい。アスカは、あの瞬間、この世の終わりのような顔をしたクルセルドを知っている。何も言わず、ただ怒りを込めて剣を握り再度師匠に向かったザッシュを知っている。

 アスカはエレナがヴァイスとの戦いに積極的に加わる必要はないと思っていた。けれど、あの状況では、彼女は弓を引かなければならなかったのだ。彼女は、己の命を守ろうとしなければならかった。

 エレナは次第に逃げるように俯いていった。両の手はシーツを強く掴んで、細い肩が震える。


「……ごめん、分かってるわ。でも……」


 喉を引きつらせた弱々しい声。アスカはその場で膝を折り、エレナの顔を覗き込んだ。大きな瞳には涙がたまり、揺らいでいる。


「私の、お父さんだもの……!」


 零れ落ちた雫は白い頬を滑り、膝の上に落ちていく。


「昔は遊んでくれたし、自由にさせてくれたし、いつも優しいお父さんだったのに……!お母さん、死んで。そしたら、変なこと言い出して……。あんなの、お父さんじゃない。違う。嫌よ、こんなの……!」

「エレナ」


 嗚咽交じりに吐き出すように話すエレナの頬に、アスカの掌がそっと触れる。しゃくりあげる彼女の濡れた瞳を奥まで覗いた彼は、ほんの少しばかり首を傾げた。


「それが、本当の理由か?」

「……」


 エレナはこくん、と頷いた。そしてシーツから両手を離すと、アスカの首に回しながらベッドから床へと腰を滑らせるように降りた。


「……お父さん、本当は優しいの。こんなことになって一番悲しいのも苦しいのも、お父さんなの」


 ぎゅう、と抱き着いた少女の頭を、アスカはそっと包むように撫でた。


「私、お父さんを助けたい……!お願い、アスカ……、私に力を貸して……!」

「……そうか。分かった」


 小さな嗚咽が聞こえる。肩が濡れて冷たい。アスカはエレナが泣き止んでついでにそのまま寝てしまうまで、彼女を離さずにじっとしていた。

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