初めてにしては上出来だろう
キン!と高い金属の合わさる音がした。しかしアスカの短剣は幅の広いヴァイスの剣を押すどころか、ほとんど瞬時に跳ね返されている。そちらを囮に、首を狙った左手の剣もかわされ、柄の打撃が脇腹に入った。
「フレイム!」
むせ返るアスカの隣から炎がほとばしって、鎧の人狼に襲い掛かる。だが、一閃。大剣は魔法の炎を切り裂き、風圧でかき消してしまう。
「っ、やっぱりな!」
クルセルドは舌打ちをして、「おいアスカ!」と膝をつく青年を呼んだ。
「ああ、何とか骨は折れてない」
「アスカ、クール。ここは俺が何とかする。二人はあっちだ」
剣を構えたザッシュは、二人に狼の群れを示した。ミシェルが棍で打ち据えているものの、いかんせん数が多い。それ以上に彼女を苦戦させているのは、突っ立っているだけのエレナだ。ミシェルは防御魔法を駆使しつつ、彼女を守りながらの戦闘で明らかに劣勢だった。
とはいえこの頭目はヴァイスであり、彼を倒さねば狼たちは何度でも立ち上がる。しかもアスカの剣もクルセルドの魔法もまともに効かない強敵だ。いかにザッシュでも一人でしのぐのは難しいだろう。しかし彼は二人に背中を見せて、低く告げた。
「行け」
アスカとクルセルドは顔を見合わせて、頷いた。しかしアスカはクルセルドに続いて駆け出す前に、小さく呪文を詠唱した。
「我の言の葉は神の言の葉、以て彼の者を駿天となす――ファスト」
「おお?」
強化魔法の対象はアスカ自身ではなく、ヴァイスと対峙したザッシュであった。
「……他人にかけるの、初めてにしては上出来だろう」
「ああ、ありがとう」
ザッシュの言葉を聞いて、アスカは駆けた。左から襲い掛かってきた狼の爪を弾いたミシェルの反対から跳びかかったもう一匹を横合いから蹴り飛ばす。
「ブレイク!」
地面が動き、突き出した無数の鋭い岩の棘を狼たちは後方にジャンプしてかわした。
「あーあー、やっぱりその辺の魔物とは出来が違うな。普通ならあれで串刺しなのに」
「むしろ敵に足場を作っただけではありませんか?」
「……」
ミシェルの指摘にクルセルドは唇を尖らせた。それを横目に、アスカはエレナの前に立つ。美しいその目には、火花を散らして打ち合うザッシュとヴァイスが映っていた。
アスカはそれを確認して数秒、彼女に背中を向けた。そして今度はミシェルを呼ぶ。彼女はすぐに気付いて、ヒールで彼の腹部の打撲を治した。アスカは短剣を構え直し、クルセルドの魔法で変化した地形を足場に突進してくる狼に向かった。
跳びかかってきた狼をしゃがみ込んでかわし、逆手に構えた左の剣と相手の勢いを利用して腹を裂いた。次に咆哮した狼は右の剣で目を突いて蹴り飛ばす。
「我の祝福は神の祝福、以て彼の者を剛力となす――ブレイバー!」
「!」
「アスカさん、ブレイバーとファストの重ねがけはできません!」
「ああ、問題ない」
ブレイバーは全身の筋力を向上させる強化魔法だ。脚力増強の副産物としてスピードも若干上がるがそれに特化したファスト程の効果ではない。ただ、いまひとつ一撃に重さの足りないアスカの補助には充分である。
「おい犬ころ、立ち止まってたら吹っ飛ぶぞ。ストーム!」
様子を窺っていた狼たちの中心に突如出現した旋風。それは狼たちを飲み込んで巻き上げ、突き出た岩の針山を破壊する。
半数程度は宣言通りに吹き飛ばされ地面に叩きつけられたが、残りは素早くかわしており、クルセルドは舌打ちした。左右に展開した彼らはアスカに狙いを絞ったようである。
今まではクルセルドの作った地形が足場にこそなれども一匹ずつの攻撃に数量を抑えていたのだが、それが一気に押し寄せる。
「アスカ、右だ!左は――」
おそらく任せろ、と続くはずだったクルセルドの言葉。しかしそれは途切れ、同時に放たれるべき魔法も発動しなかった。代わりに上がったのは呻き声。クルセルドを弾き飛ばしたのは、ヴァイスに先刻のアスカと同じく吹き飛ばされたザッシュの身体だ。
アスカは舌打ちをして一番に跳びかかってきた狼を切り伏せたが、いくら何でも四方からの波状攻撃すべてに対処はできない。
「――バリア!」
バチッ!と電流が弾けたような音がして、狼の身体が見えない壁にぶつかり跳ね返された。アスカとは背中合わせに翻る白い衣。ミシェルの対物理防御魔法である。アスカは八つ裂きにされるのを逃れたが、刹那ののちにはそれ以上の非常事態であると気づく。
「ミシェル!出すぎだ!」
「え――」
一喝されたミシェルは、己が弾き飛ばした狼が着地し、アスカに向かっていたものも方向転換をして初めて気づいた。彼女は最終防衛ラインであった。アスカが前衛、後衛のクルセルドが一時離脱を余儀なくされた状況で、彼女は飛び出してはならなかったのだ。
「エレナ!」
「エレナさん!」
ザッシュの身体を押し上げたクルセルドが火の球を放つが、狼たちは器用にそれを避けて一気に駆け抜ける。エレナは弓矢こそ手にしていたが、その弦を引き絞らない。
「エレナ!」
アスカが手にした短剣を投げるのと、狼の牙が少女の腹に食いつくのと。早かったのは、後者であった。アスカの剣は狼の背中に突き刺さったものの、同時にエレナの身体が宙を舞い鮮血が飛び散った。
「っ……、エレナ!」
何とか立ち上がったザッシュとクルセルドは顔面蒼白。誰よりも早く行動したのはミシェルであった。
「我は神の子、神の使徒、祈り願いて彼の者を癒すべし――ヒール!」
倒れたエレナの傍に膝をつき食い破られた腹に手を当てるミシェルを狼たちが取り囲んだ。
「フレイムアロー」
無数の炎の矢が狼たちに降り注ぎ、彼らは貫かれて焼かれ、かわした半数は後ろに跳び下がったが、次の瞬間には着地すべき地面が沼へと変化していた。
「クルセルドさん!」
「いいからお前はエレナを助けろ!間に合わなかったら殺すぞ!」
ほとんど悲鳴のような声を聞き、ミシェルは全神経をヒールに集中させた。それを確認したザッシュも再び剣を取り、ゆったりと近づいてくるヴァイスへと向かった。
剣戟が響き、爆音が鳴る。いまだに一歩も動けていないのはアスカだけだ。剣を握る力がふと弱まる。
いつも、そうだ。盗賊団大地の剣も。そのあと、少し一緒に行動をした商人や旅芸人たちも。アスカが人と関わることの楽しさを思い出したり、幸せだとか感じたりすると、何故かそれを奪う奴らが現れる。
それが勇者の宿命というのなら、悪いのは魔王だろうか。それとも、特に魔力も高くなければ特別な能力があるわけでもない人間を勇者にした女神と聖女だろうか。はたまた、そんな仕組みになっているこのイリウスという世界そのものだろうか。
ぐらりと足元が歪んだような気がしたが、アスカは何とか踏みとどまり、落としかけた剣を握りなおした。
「ああ……、今は、どうでもいいな」
ほんの少し前までのアスカなら、崩れていただろう。もしかすると、あの日と同じように逃げ出していたかもしれない。ヴァイスたちをいかに自分に引き付けて、この場から離れるか。そんなことを考えただろう。しかしアスカはほんの少しばかり変わっていた。
今は己の悲運を嘆いている場合でも、世界を憎んでいる場合でもない。無論、逃げる算段を立てている場合でもない。彼がすべきは目の前の敵を排除して仲間を助けることだ。
数の減った狼たちはクルセルドの精霊魔法が圧倒している。ならば、とアスカはザッシュを見やる。
牙を光らせるヴァイスはすでに言葉を失っているようであった。漏れているのは咆哮と呻き声だけである。ザッシュが何かしら話しかけているようであるが、それも理解していない。
狼の瞬発力と腕力はすさまじく、踏み込んでは大振りの一撃。ザッシュもファストで反射速度を上げてはいるが、よけるのが精いっぱい。まともに打ち合えば多くは弾き飛ばされている。それでもアスカであれば弾かれた直後の一撃で真二つのところを受け止めているのだから、真正面からやりあえるのはやはりザッシュだけだろう。
とはいえ、彼にも限界はある。何度も重たい大剣と打ち合っている腕の筋肉と、何よりもその得物である。
「んんー、テメで手入れできてないからなあ」
冷や汗をかきながら、ザッシュは苦笑いした。今目の前にいる人狼が正気であれば、「馬鹿者!」と怒鳴られたであろうか。
ザッシュはヴァイスの大ぶりの一閃を寸でのところでかわす。あと半歩遅ければ首が皮一枚でつながる程度であっただろう。しかし紙一重での回避はその身体のバランスを崩させた。
「しまっ――」
「いや」
低い声はヴァイスの背中から。幅が広く重量のある大剣は、思い切り振ると遠心力で身体の後方まで行ってしまう。その、大きな刃の上。黒髪の青年が短剣を構えていた。
アスカは刃を蹴り曲芸師顔負けの身軽さでヴァイスに詰め寄り短剣を閃かせた。
咆哮と、鮮血。アスカの刃はヴァイスの見えていたもう片方の目を潰した。そしてそれはザッシュが体勢を整えて剣を振る余裕と、ヴァイスの無防備な瞬間を作る。
「ザッシュ!」
「おお!」
渾身の一撃は、ヴァイスの鎧に覆われていない首を切断した。噴水のように赤が散り、剣士の顔を濡らす。ぐらりと大きく傾いた人狼の身体は、やがてどさりと崩れ落ちたのだった。
それを横目で見やったクルセルドは僅かに口角を上げる。
「サンダーボルト!」
空を裂いた雷が残った狼たちの身体を貫いた。暴走した狼の群れが全滅するのと同時、クルセルドは地面に膝をついた。
「クルセルドさん!」
「エレナは!」
ぐりん、と振り返ったクルセルドに、ミシェルは力を抜いて頷いた。
「大丈夫です。傷口は塞ぎました」
はあ、と息をつき、クルセルドは大地に寝そべった。
「クール、エレナ!」
声を上げたザッシュと、その後ろをアスカが走ってくる。クルセルドは緩く親指を立てて見せた、が。
「ザッシュ後ろだ!」
アスカとザッシュの背後に、首だけになったヴァイスが跳びかかっている。クルセルドは飛び起きたが、間に合わない。大きく口を開き、光る牙はアスカの喉を狙った。
「アスカ!」
ザッシュに呼ばれるが、アスカにかけられた強化魔法は切れているし、そもそも防げるほどの力が残っていない。激烈な痛み、もしくは死を覚悟したアスカだったが、それは結局訪れなかった。
耳の横をかすめた矢が、狼の口の中に突き刺さったのだ。ヴァイスの首はそのままアスカに牙を突き立てられずに地面に落ちた。防いだのは、ミシェルの膝から起き上がったエレナであった。
――我ら人狼族は忠義の一族。たとえこの身が朽ちて首だけになっても、陛下と姫様たちを守りましょうぞ
――じい、ちょっと何言ってるか分からないわ
――はは、姫様はそれでよいのです
青白い顔に汗を浮かべた彼女は、懐かしくそして今はただただ悲しいだけの思い出にその形の良い眉を寄せていた。
「……ヴァイスは、首だけになっても、戦うわよ……」
とぎれとぎれにそれだけ言って、エレナの身体は崩れ落ちた。ミシェルが慌てて抱き留め、再度ヒールをかける。せっかく塞いだ傷口がまた開いてしまっていた。
「無茶を……」
渋い顔をしたミシェルの前に膝をつき、エレナを覗き込んだのは先ほど助けられたアスカであった。彼は指先だけを額に浮かんだ汗のしずくにそっと触れさせて、尋ねる。
「大丈夫、なのか?」
「ええ、何とか。でも、これ以上の魔法による急速な回復は逆に危険です。数日はラテムに留まり、エレナさんの薬を使いつつ、ヒールを弱めに日に数度、といったところでしょうか」
「そうか」
頷いたアスカはエレナを抱いて立ち上がる。アスカも無傷ではないし、ミシェルの腕力なら少女の身体ひとつくらいどうということはなかったのだが、彼女は何も言わなかった。
「おい、ちょっと肩貸せ、怪力女」
「わっ」
ミシェルと肩を組んだのはクルセルドだ。彼はやや下方から彼女をじっとりと睨む。ミシェルの身長はアスカと変わらず、クルセルドよりも高い。少し不満そうにしながらも、彼はぽつりと言った。
「ありがとな」
「え?」
「エレナを助けてくれて。俺たちだけじゃ、守れなかった」
少年は、悔しそうに言う。ミシェルは目を細め、それからクルセルドをしっかりと支えると、先に町に戻るアスカの背中を見据えた。
「いいえ。仕事ですので」
「……そうかよ」
ミシェルは小さく笑ってクルセルドの身体を見やる。見た目に大きな傷はないが、おそらくザッシュとぶつかったときに骨にひびくらい入っているだろう。魔導士は押しなべて剣士のような強靭な肉体を有さないものだ。
「ザッシュさんは、流石ですわね。あれだけの剣戟を受けて大きな怪我はなさそうです」
「ああ、まあな。でも、たぶん、あれは……」
言いかけて、クルセルドは口を噤んだ。ヴァイスは上級魔族。ラテムのドワーフたちが無事なのにヴァイスが暴走するとは思えない。あり得るとするならば魔法による意識操作だ。
完全に理性を失ったのでなければ、ヴァイスほどのつわものだ。エレナに忠告のために駆け付ける余裕を作れたかもしれないし、ザッシュやアスカに手心を加えることもできたかもしれない。
ザッシュはひとり、狼たちの躯が転がる大地に立っている。クルセルドはそれを背中で感じながら、ミシェルには振り向かないように言って町に戻った。




