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イリウスの空  作者: RUKA
第二章 血と命と心
12/36

手伝ってくれるか

 人狼族は、狼の力と俊敏性、そして高い知性を持ち合わせた一族だ。ヴァイスの家系は祖父の代から魔王に仕え、軍に所属している。

 彼の仕える王は、漆黒の髪と瞳を持つ美丈夫である。あまり表情をころころと変える人ではないが、真顔で冗談を言い放ったり城の清掃員ひとりひとりまで把握していたりと、見かけよりは親しみやすい人柄であった。

 難点を上げるとするなら、誰にも相談せずに大事を決めてしまうところ。魔王の独裁制をとる魔族とはいえども、側近の意見くらいは聞くべきである。ヴァイスの祖父はそれに盛大に巻き込まれたらしく、晩年までぶつくさと文句を言っていた。

 さて、それはヴァイスもかつて祖父がその地位にあった大将に昇格してしばらくのことだった。魔王はある日ふらりと城を出ていくと――勝手に抜け出すのも悪い癖かもしれない――、戻ってきた時に赤子を抱えていた。隣には非常に美しい人間の女。


「は……?はっ?陛下?」

「妻と娘だ。よろしくな」


 ヴァイスは自慢の我が耳を疑った。かつて戦いで失った右目が見えていたなら違うのだろうかなどと一瞬考えもしたが、そうではない。証拠に、隣にいる中将ドレイクが竜の髭をピンと立てている。


「よ……、よろしくではございません!」


 ドレイクが殆ど咆哮に近い声を上げた。魔王は慣れているので肩をすくめただけだが、隣の婦人は違う。驚き怯え、彼の後ろに隠れた。


「お前、そんなだから婚約者にビンタされるんだぞ」

「今それ関係ありませんから!」


 全身を竜の鱗でおおわれている竜人族のドレイクは顔色の変化が分かりづらいが、恥じ入っていることはヴァイスにも分かるし、なんなら彼と声をそろえていいと思う。


「陛下、ゼルディス様。急に仰せられましても、私もドレイクも、他の者も困惑してしまいます」

「そうか、好きなだけ困れ」


 真顔で言い放つ魔王。ヴァイスは口を噤み、ドレイクは「ああ……」とこぼして額を抑えた。だが、その様子を見る人間の娘が一番困惑しているようであった。

 王と妃が立ち去り、ヴァイスとドレイクは当然のごとく「今晩一緒に飲むか」という話になった。普段は誘っても乗らない生真面目なドレイクの方からの申し出だったので、よほどこたえているのだろう。

 ヴァイスは魔都ボローディア中央、魔王城内の自室にドレイクを招き、葡萄酒の栓を開けた。無骨だが丈夫な木製のカップに注いで、疲れ果てた様子のドレイクに渡せば彼は珍しく素直に受け取った。


「陛下はご自身の立場を弁えておられるのだろうか……」

「まあ、別に何の問題もないがな」


 真面目なせいか妙に考え込んでしまっているドレイクに、ヴァイスはあっけらかんとして言った。

 最初こそ驚いたものの、冷静にさえなればどうということはなかった。王が嫁をとったり子をなしたりすることを律する規則などどこにもない。ドレイクもそれは理解しており、彼の懸念は別にあるようだ。


「確かに二千年の歴史の中で、王がひとりどころか複数の女性と子をなした例はある。だがな、ヴァイス殿。問題は今それをしているのがゼルディス様だということだ。あのお方の考えは我々の想像を軽く飛び越える」

「ふむ……」


 ゼルディスは聖魔戦争終結後に立った王の中で最長の統治期間を誇る。一言で言うなら賢君だ。ただし、けっして、ただの「いい王」ではない。

 およそ二百年前、ヴァイスの祖父の代。魔王は、自発的に聖族の領地であるイエル大陸に軍を率いて乗り込んでいる。

 一部の関係者しか知らぬことであるが、傷つきタルス大陸に逃げてきた勇者からの頼みであったこと、またごく小規模の精鋭部隊であったことから、それほど問題視されてはいないし、正当なものとすら言われる。

 ただ当時王に従ったヴァイスの祖父は常々言っていたのだ。一歩間違えれば聖魔戦争の再発であったと。そして、世界を救うことだけが目的だとは思えなかった、と。

 魔王ゼルディスは非常に優秀な王である。表情豊かでこそないが、臣下との関係は良好で、高いカリスマ性のもと魔族は統一される。しかし、その腹の底を誰も知らない。


「これまで女に深入りすることはなかったのに、今更……。妙ではないか?」

「……それだけあの娘が良い女子だということでは」

「ならいいが」


 そうして二人一抹の不安を抱えながらも酒と一緒に飲み込んだ五日後、彼らは再び驚くことになった。エリシアという名のその娘が、にこにこと笑って子供を連れてきたのだ。子供と言っても彼女が生んだばかりの赤子ではない。七、八歳だろうか。やせこけた人間の少年であった。


「この子、この城で面倒を見てもいいかしら」


 曰く、リーコラン大陸から来た傭兵ギルドの一味であるという。おそらくは、という前置きはつくが。 魔物の群れとの戦闘中に仲間とはぐれ、傷つきさまよっていたところをエリシアが保護していたそうだ。

 保護といっても、ほぼ強制的に怪我の手当てをして食事を分けていただけ。ある程度怪我が治れば、少年はエリシアのもとを去り、時たま顔を見せる程度となっていた。しかしエリシアが男に連れられて姿を消したので追いかけてきた、と言うわけである。ゼルディスとは面識があるようで、荒んだ目で睨んでいた。


「相変わらず可愛げのない」

「……殺す」

「威勢が良くて結構だ」


 ナイフを振りかぶった少年の頭を押さえたゼルディスはその襟首を掴むと、ヴァイスに向かって投げつけた。


「陛下!」

「ヴァイス、そのガキを鍛えろ。筋はいいから使えるぞ」


 両腕で抱きとめた少年を下ろし、視線を下げたヴァイスは彼の顔を覗き込んだ。幼い、としか形容できぬ顔立ち。こんな年齢の子供を人間たちはどうして置き去りにしたのだろうか。去来する憐憫の情に目頭がふと熱くなる。


「……お前、名は」

「ザッシュ」


 そうか、と。ヴァイスは子供の頭を爪がひっかかないように気を付けながら数度撫でた。かつん、と靴のかかとを鳴らして近寄ったのは赤子を抱いたエリシアである。

 彼女がザッシュに視線を合わせて膝を折ると、スカートの裾とたっぷりとした金髪が揺れた。


「ザッシュ、大きくなったらこの子を守ってあげてくれない?」

「……赤ちゃん。エリシアの?」

「そうよ。エレナっていうの」


 エリシアが赤ん坊の腕を取ってザッシュに差し出す。少年が恐る恐るその指先を近づければ、弱々しい指が彼の細かな傷のついた指先をきゅっと握った。


「……」


 少年の荒んでいた目が僅かに輝き、ほんのりと頬が染まった。頑丈だが冷たい石造りの魔王の城にあって、その空間だけがまるで花畑のような雰囲気である。


「ヴァイス殿」


 やや咎めるような声はドレイクのものだが、ヴァイスは太い腕を組み振り返ると、言った。


「可愛いからよくないか」

「ヴァイスならそう言うと思った」


 ゼルディスが珍しく口角を持ち上げ、ドレイクはいつものようにため息。「決めたからにはきちんと育てるように」などと釘を刺してきたドレイクは、十数年後に同じような流れでエレナの拾ってきた半魔の少年を部下として従えるようになるのだが、今はまだそれを知ることはない。



 さて、魔王の妃とはいえ、エリシアはただの人間の娘である。どのような経緯でそうなったのかは定かではないが、北の大森林の入り口で自給自足の生活をしていたそうだ。薬草の知識が豊富で、たまに街で薬を売っていたのを、ふらりと城下におりたゼルディスに見初められた、ということらしい。

 つまり、彼女は政治的な能力や後ろ盾、経済力があるわけではない。故に何か仕事が与えられるというわけではなく、城の片隅でエレナを育てながらのんびりと生活をしている。

 ヴァイスに稽古をつけてもらっていない時間帯のザッシュも大抵そこにいるのだが、その日彼は城内を全力で駆けて師匠のもとに向かった。

 一昨日の大雨で橋が流れ、分断されてしまった地域がある。橋を架けなおして建物被害の状況を把握するのに軍の部隊を派遣して云々、などと苦手な分野の話を聞かされていたヴァイスは、「師匠ー!」という子供の叫び声に作りかけていた鼻提灯を割った。


「何事だ、騒々しい」


 ドレイクと、行政担当官が渋い顔をした。息を切らせたザッシュはヴァイスと首を傾げる魔王を見やり「エレナが!」と言った。


「姫様がどうした」

「エレナが……、立った!」


 がた、と音をさせて立ち上がったのはゼルディス。ヴァイスは目を見開き彼を振り返る。


「非常事態です、陛下」

「行くか」

「陛下!」

「会議中ですぞ!」


 非難の声が上がったが、魔族の中にあって小柄なゼルディスはひらりと彼らの身体の間を潜り抜けた。


「お前たちのいいようにしてくれ。その程度の処理、いちいち俺の指示などいらんだろう」

「そういう問題では」

「信じている、任せた」


 こういう時ばかりにこりと笑って、彼は部屋を出ていく。ザッシュが従い、追ってヴァイスも飛び出した。


「何だ、ヴァイスも来たのか」

「私はあの手の話は専門外でございまして。それより姫様が転んで怪我をする方が問題です」

「なるほど」

「そういうわけで、お先に」


 人狼族の脚力は他の部族のそれを上回る。床を蹴ったヴァイスは誰よりも早くつかまり立ちに成功した幼い姫君を見ることができたのだった。

 そんな風に、ヴァイスはザッシュに剣の稽古をつけながら、エリシアとともにエレナの成長を見守った。エレナは彼を「じい」と呼び、その尻尾を気に入ったようで、下手をすると小一時間は掴んだまま離さないので、仕事に行くときにはザッシュと一緒に配下の狼を代わりに置いた。

 ゼルディスとエリシアは仲睦まじく、子供たちはすくすくと成長し、穏やかな時間が流れること数年。変化は、突如として起こった。


「陛下、今なんと仰せられたのです」


 ある日の夜。王の執務室に呼び出されたヴァイスは、窓の外を見るゼルディスの背中を見て何とか言葉を絞り出した。しかし、返ってくる言葉は無情。


「エリシアとエレナを城から出す。ザッシュもだ」

「何を急に……、何か不都合がありましたか」

「いいや、気分だ」


 振り返った魔王は冷徹な眼差しをヴァイスに向けた。ぞくりと背筋を走った悪寒に一歩足を引きそうになったヴァイスだが、何とか踏みとどまった。

 しかし、やはり彼がいくら考えたところで、ゼルディスが何を思ってそんなことを言い出したのかさっぱり分からなかった。


「陛下」

「……何、エレナも三歳だし、俺もちゃんと仕事をしないと怒られる。会いたければ行けばいい。俺もお前もな」


 王は、僅かに肩をすくめて苦笑して見せた。あまり表情を出さない彼には珍しく、ヴァイスは息をついた。


「祖父が、いまわの際まで陛下を案じておりました。陛下は誰にも頼らないと。大切なことを話さない。ひとりで抱え込んで解決しようとすると。今、ようやく同じ思いにいたりました」

「そうか……。ヴァイス、俺はな、もう十分生きたんだよ。そろそろ、終わりの準備をしなけりゃならない。手伝ってくれるか」


 魔王や聖王は不老不死。彼らにとっての終わりとは、混迷の始まりを意味する。

 ヴァイスはゆっくりと膝をついて王に頭を垂れた。彼らの王は優秀で、人望も厚い。けれど、孤独なのだ。この城で、どうしようもなく、ずっと、孤独なのだ。それを癒したのがきっとエリシアであり、エレナなのだろう。


「仰せの通りに。姫様はザッシュが必ずや守りましょう」

「ありがとう。ああ、ドレイクたちには黙っておいてくれ。あいつら頭固いから」

「激怒するのが目に見えておりますな」


 顔を上げて見れば、王は少しばかり目元を赤くしていた。宿命により二十代前半の容姿を保っているせいだろう、とても幼い表情であった。



 それから時は過ぎ。ヴァイスは職務の合間に森の入り口にある小さな屋敷を訪れては弟子に稽古をつけ、木登りに興じる姫君をたしなめ、妃には姫の成長に合わせるように足の遠のく王の近況を告げた。

 やがて、ひょろひょろだった少年は立派な体躯の剣士となり、姫君は無謀・無茶・無理という言葉がしっくり来てしまうあたりが残念だが両親の美貌を受け継いだ優しい娘に育った。彼女の連れてきた魔導士の少年はドレイクに反発しながらも大人が舌を巻くほどの戦績を上げている。そして。


「……そうか。亡くなられたか」

「ああ。姫様は気丈に振舞っておられたが……」


 エリシアが森の屋敷で死んだ。三つの種族の中で最も短いと言われる人間の寿命にしても早すぎる死であった。


「葬儀は」

「それは軍人である我々の領分ではあるまい。そもそも、陛下にそのつもりがあるのか……。訃報自体、私はできればヴァイス殿ではなく陛下の口から聞きたかったが?」


 ドレイクは書類を机に投げ出し、疲れたように目頭を押さえた。ヴァイスは書類を一枚とり、顔をしかめる。真偽のほどは分からないが、港町トープからタルス平野を抜けようとする行商人を襲う魔物が増えているというのだ。


「悪いが、今の最大の案件はこちらだ。陛下のお耳に入れようにも、部屋からお出ましにならない」

「……今は、そっとしておくべきだろう。私たちだけで対処できぬことでもない」

「まあな……」


 ドレイクは深く息をつく。彼の心情を表しているのか、竜の髭が揺れた。しかし、ややあって彼は席を立つ。


「明後日、タルス平野へ向かう。ヴァイス殿は城に残ってくれ」

「心得た」


 それから三か月余り。ドレイクが率いる部隊の遠征は予想外の長期にわたった。情報を集めれば集めるほどに、魔物の被害が広範囲にわたっていることが分かり、ドレイクは部隊を分散させてこの対処に当たらねばならないという。

 ドレイク以下魔王軍兵士は決して口にはしないが、感じ取っていた。徐々に、自分たちを律する王の力が歪んできているのだということを。

 ヴァイスは遠征から戻った兵士を休ませ、別の場所へとまた送り出しながら、本当に部屋に籠りきりになってしまった王を思う。十四年前の、あの日。彼は何を思い「手伝ってくれ」と言ったのだろうか。

 城の一角に作られた花壇。とはいっても植えられているのはただの花ではなく薬草の類だ。ザッシュが稽古でよく怪我をするからと、エリシアがここから採取して薬を作っていた。

 手入れをする者が減り、やがていなくなったその花壇は荒れていた。見下ろすヴァイスの隻眼には痛みが広がって、それを慰めるように配下の狼が一匹足元にすり寄った。彼はしゃがみ込み、狼の毛並みを撫でる。


「どうした、お前も姫様に会いたいか?」


 狼は、くうん、と甘えるように鳴いた。よし、と膝を叩いたヴァイスが立ち上がったので、その意思をくんだ狼はぶんぶんと勢いよく尻尾を振った。

 ボローディアの北にあるタルス大森林。その入り口にこぢんまりとした屋敷がある。もともとは小屋のようだったのだが、ゼルディスがエリシアの断りをさらに断ってそれなりの建物を建てた。緑に覆われた静かで美しい邸宅だが、どこかもの淋しい雰囲気もある。

 その敷地内に入ると、狼たちは尾を振って駆け出した。彼らは子供の頃からエレナとともにあった世代だ。久しぶりに遊んでもらえるとばかりに嬉しそうである。しかし、ややあって不思議そうに屋敷の周りをうろうろし始めた。


「どうした?」


 すん、と。ヴァイスはその自慢の鼻で空気を吸う。そして彼らの戸惑いの理由を察した。どうやらエレナが留守らしい。きっと森に薬草でも採りに行ったのだろう。当然、付き従うザッシュもおるまい。


「はは、残念だったな……」


 言って狼の頭を撫でながら、ヴァイスは胸騒ぎを覚えた。何故だ、何かが引っかかる。


「姫様……?」


 屋敷のドアに手をかける。その扉はあっさりと開いてヴァイスと狼たちを受け入れた。妙だ、と思う。 留守なのは仕方がないにしろ、エレナにもザッシュにも玄関には鍵をかけるようにと幼い頃から言いつけてきた。ザッシュは腕が立つがゆえに危機意識が低く抜けたところもあるが、エレナはしっかりしている。それに、何より。


「においが……、薄すぎる」


 一時的に家を空けているにしては、残り香が弱いのだ。鼻の利くヴァイスたちですら集中しなければならないほどに。つまり、エレナが家を出てからかなりの時間が経過しているということだ。


「っ……、お前たち!姫様を探せ!タルス大森林、ボローディア中を!」


 ヴァイスの命令で狼たちは散り散りに駆け出した。ヴァイス自身も城へ取って返し、ドレイクに手紙をしたためた。数日経て受け取ったドレイクも飛んで戻ってきた。もとより城への帰還中であったそうだが、かけた時間は通常の三分の二だ。


「エレナ様が行方不明とはどいうことだ!」

「そのままだ。探させてはいるが、手掛かりすら掴めん。ザッシュも姿を消しているから一緒にいるとは思うが」

「……陛下に報告は」

「まだだ。今、これ以上お心を乱すようなことは……」


 ヴァイスの言葉にドレイクは盛大に舌打ちをした。真面目で品行方正な彼に似合わぬ仕草であった。


「……ならばヴァイス殿の部隊は撤収を」

「何?」

「クルセルドが人の話も聞かずに飛び出したのだ!それで十分だ。そもそもこの状況で人探しに戦力を割くわけにもいかんだろう!」


 ドレイクが叫ぶ。戦場にいた彼の心身の疲労を思えば、ヴァイスは怒鳴り返す気にはならなかった。ドレイク自身も失言に気付いたらしい。立派な牙ののぞく口を小さく動かし「すまない」と言った。


「ドレイク?大丈夫か」


 ヴァイスは硬い鱗とさらに鎧にもおおわれた背中を軽く叩いた。ドレイクは忌々しそうに顔をしかめて息を吐いた。


「タルス平野で、ガーゴイルとの戦闘になった」

「ああ、あそこは遺跡が多いからな……」


 侵入者を阻む、石像の魔物だ。聖魔戦争以前に魔族によって使役されていたものの名残である。ヴァイスやザッシュ並みの剣士ならばともかく、そのあたりの武器では傷をつけるのがやっと。魔法は効くがクルセルドはトープまで派遣しており、その時まともに戦えたのはドレイクとごく一部の熟達兵士のみだった。


「戦闘自体は何とかしたが……、聖族の巡礼者がいたのだ。それを守って、私の部下が死んだ」

「……そうか」

「なのに奴ら、遺跡が壊れたと我らを非難してきたのだ!私の部下は、今、目の前で死んだというのに!」


 いっそガーゴイルの餌になってもらえばよかったとすら、その瞬間のドレイクは思ったのだ。大将という地位にありながら、感情に任せた浅はかな思考であった。彼は今、それを恥じている。


「ドレイクは、やはり賢い。私ならその聖族、その場で斬って捨てている」

「ヴァイス殿……」


 ぽん、とドレイクの肩を叩いたヴァイスは隻眼をゆるめた。ドレイクは真面目で融通が利かず、自尊心も高い。ヴァイスから見れば生意気な後輩である。だが、彼が人一倍の努力をしていることも知っていた。


――陛下、あの子供、本当にドレイクにお任せになるので?彼自身混血を毛嫌いしておりますが……

――元々、竜人族も似たような立場だからな。その中でもドレイクは身体が小さく弱かった

――ほう、そうは見えませんな

――だろう?だから、そこから這い上がる術も知っているのさ


 いつかのやり取りを思い出し、ヴァイスは口元を緩めた。不思議そうに首を傾げたドレイクの髭を引っ張れば「何をする!」と怒鳴られる。


「あまり思い詰めて怖い顔をしていては、また嫁にひっぱたかれるぞ」

「余計なお世話だ」


 ふん、とドレイクは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。おそらく本人たちは気づいていないのだろうが、叱られたクルセルドが同じ仕草をしているのをヴァイスは何度か見たことがあった。


「五百年だ。五百年、陛下が守った平和だ。我らが戦争など起こしてはならんぞ、ドレイク」

「分かっている」


 ドレイクが頷き、ヴァイスも同じ仕草をとる。エレナのことは気がかりだが、ザッシュはついているだろうし、クルセルドが探しているというのならば彼女の身の安全はある程度保証できよう。彼らの仕事はできるだけ魔物の被害を防いで、万が一の際には迅速に対処することである。



 エリシアの死から約一年。魔物の発生と被害は拡大する一方である。ドレイクとヴァイスは交互に出陣しては領内の治安維持に奔走していた。魔物が活発になると、それから身を守るために皆武器を取る。それが少しずつ過熱して、理性を失ったわけでもないのに悪党集団になってしまうこともあった。

 兵士たちはもちろん、ヴァイスもドレイクも、そして行政官たちにも疲労がたまっている。魔王ゼルディスはといえば、誰が何を言っても聞く耳を持たず会議にも顔を出さない。たまにふらりと部屋から出てはいるようだが、その行動を完全に把握できている者もいなかった。


「我らの知る陛下はもういらっしゃらないのだ」


 魔王不在により、この一年定期的に行われている会議で、誰かが言った。激怒したのはドレイクである。


「我ら高等魔族が信じずして誰が陛下を信じるのだ!そのような発言は民の不安を煽るだけと心得られよ!」

「しかし、実情を最も把握しておられるのはドレイク大将では?この一年の出陣回数は尋常ではありますまい」


 竜人は鋭い爪を拳に隠し、歯噛みした。図星なのだ。


「あの、こういうのはどうでしょう」


 悪魔族の一人が手を上げた。彼らは血筋こそ魔族だが、その実腕力に優れるわけでも五感が発達しているわけでも、魔力が高いわけでもなく、人間と大して変わらない。彼らは二千年前、闇の神ダークの側近であった一族で、ダークが封印されたことで力をほぼ失ったといわれる。


「魔王なり聖王なりが狂うのは元より聖と魔、光と闇のバランスが悪いからです。原因はダークの封印。で、あれば……、その封印を解いてみては?陛下のお心も元に戻りましょう」

「何を言うか貴様!」

「ええ、分かっています。そんな恐ろしいことはできません。元々我ら魔族はダークの駒。邪神復活となれば魔王の狂乱どころではありますまい。ですから、ライトの方です」


 悪魔は長い脚をゆったりと組み替えて、とても美しく微笑んだ。


「ダークと同じようにライトを封じるのです。これで、世界のバランスはとれるのではありませんか?」


 議会がざわめいた。女神ライトは光の神、平和をもたらし、魔族を邪神から解き放った神だ。それを封印するなどと、できるはずもない。しかし彼の言う通り、魔族が愛する王を取り戻すには有効に思えた。


「とはいえ、方法が全く分かりませんけどね。聖女アンジェリカがどうやってダークを封じたかなど、我々には知らされるはずもない。聖族も我らのこの発想を想定していますから。それ以前に、狂ってもいない聖王を廃さねばならないかもしれませんし」

「却下だ」


 低くしゃがれた声でヴァイスが言った。場は水を打ったように静まり返る。隻眼は悪魔をギロリと睨みつけ、牙をむき出しにする。


「貴様ら悪魔は何の力もない。前線に立てるわけもない小物が、大戦争を起こそうとするなど、言語道断」

「大将閣下のお気に障ったのなら申し訳ない。ただ、私たちも陛下にはもとに戻っていただきたいのです。そのために考えられる可能性を提示したかっただけなのですよ」


 悪魔は恭しく頭を下げて見せた。ヴァイスの一言でライト封印の件は流れ、以降悪魔が口を開くことはなかった。

 大して議論などなされぬまま、会議はお開きとなった。ヴァイスは帰って行く面々を見送っていたが、やがて一人、例の悪魔族を呼び止めた。


「何でしょう、閣下」

「貴様、どういうつもりだ?できるはずもない女神の封印などを持ち出して、聖族との対立感情を煽るだけではないか」


 悪魔は困ったように眉を下げ「先ほども申し上げましたが」と言った。


「ただの可能性の提示です。もしそのようにとらえられたのであればそれは……閣下がどこかでそれをお望みだからでは?」


 悪魔は囁く。獣の鋭い聴覚を有したヴァイスにそっと、甘く。


「小耳にはさんだことがありますよ?かつて陛下と閣下のおじいさまがそれを計画した、と」

「何……?」

「ああ、すみません、覚え違いでした。狂王となった聖王を倒す勇者に全面協力しただけ、でしたね。失礼を。若造がこれ以上無礼を働かぬよう、これにて失礼いたします」


 悪魔は優雅に一礼し、身をひるがえした。去っていく背中は、ヴァイスにしてみればとても小さく弱々しいのに、どこか薄気味が悪かった。

 頭をひとつ振ってそれを払いのけたヴァイスは、神妙な面持ちで与えられている執務室へ向かうと、壁にかけられた愛用の大剣を手にした。幅広の、魔鉱石を溶かし鍛え上げた頑丈な剣である。それを背中に負い、彼が向かったのは王の私室であった。

 めったやたらと近づく場所ではないが、ヴァイスは幾度か呼び出されたことがあった。大抵はエリシアやエレナの様子を報告させるためで、やはり表情の少ないゼルディスが頬を緩める時間でもあった。しかしこの一年、ヴァイスはこのドアを開けていない。


「陛下。ゼルディス様。ヴァイスです。お話をさせてください」


 前回、魔族にこの試練が訪れたのは五百年も前の話だ。当時を知る人物はもう生きてはいないが、きっと今の魔族に広がるのと同じ不安を抱え祈っていたのだろう。勇者が現れてくれるのを。

 けれどヴァイスは思うのだ。勇者を待ってどうするのだ、と。この扉一枚隔てた向こうにいるのは、闇の力をまき散らし魔族を支配した邪神ではない。真顔で軽口をたたく、嫁馬鹿で子煩悩な自分たちの主君ではないか。そして何より、主君はヴァイスに「手伝ってくれ」と、そう言ったのだ。


「開けていただけぬのなら、破りますぞ」


 ヴァイスは大剣を抜き、振りかぶった。このために持ってきたのだ、鍵のかかった扉を破ることくらいたやすい。割れた扉を蹴り飛ばしたヴァイスは部屋に入り、すぐに足を止めた。


「へい、か……?」


 何かが腐ったような、鼻が曲がるほどのにおいがした。否、それはヴァイスが最も感知しやすい嗅覚でにおいとして感じ取っているだけで、例えばドレイクなら痛みとして感じたことだろう。異様に穢れ歪んだ魔力の渦だ。ヴァイスがもう少し歳をとっていたならば、「邪気」と呼んだだろうか。

 そしてそれを纏っているのは、漆黒の髪と瞳、整った顔立ちの男であった。彼は細身の身体を大きく左右に揺らし、ヴァイスに近づく。その口はヴァイスが見たことのないほどにつりあがっていた。


「ああ、ヴァイスか。お前は、来てしまうと、思っていた」

「ゼルディス様!」


 思わず、彼は剣を構えた。しかしゼルディスは気にした風もなく、ぐらり、ぐらりとふらつきながら歩みを続ける。


「イリウスは、いつも俺に優しくない。望まぬ力を勝手に押し付けて、大切なものは容赦なく奪うんだ」

「陛下、陛下にとって大切なものならば、まだありますでしょう!エレナ様は、姫様はどうするのです!しっかりしてください!」

「エレナ……?」


 ぴたり。魔王は足を止めると、ずる、と床を靴底でこすった。「ああ」という呟きに誘われるように、ヴァイスはその足元を見た。床一面と言っていいほどに、黒い染みが広がっていた。もう跡しかないので流石のヴァイスの鼻もとらえなかったが、しかし。


「父に弓ひいた馬鹿娘のことか?」

「なっ……!」

「ザッシュのおかげでとどめを刺すに至らなくてなあ。逃がしてしまった。可哀想に、余計に苦しい思いをさせたかもしれないな」

「っ……、何という、事を……!」


 ヴァイスの脳裏に、母親譲りの金髪を揺らす少女の顔がよぎる。小さな頃は「お父さん、お父さん」とゼルディスが会いに来るたびにはしゃいで。ヴァイスの尻尾や狼たちの腹を枕に眠るのが好きで。けれどお転婆で、我儘を言ってザッシュを付き合わせて、ヴァイスを困らせた。傷ついたものを放っておけない、優しい娘である。

 何より、ゼルディスにとって、エリシアが亡くなった今、たったひとりの家族である。それを彼は自ら傷つけたというのだろうか。


「陛下、あなたは、もう……!」

「こうなってはもうどうにもならない。これでもそれなりに抑えているつもりなんだぞ」

「く……」


 ヴァイスは剣の柄を握りなおし、再度構えた。ゼルディスは魔族自慢の賢君。このような醜態をさらさせて、また悪化するというのなら、彼は自分の手で主を斬りその尊厳を守る。

 彼の様子を見て、ゼルディスの目に一瞬かつての光がともったようであった。


「お前のそういうところ、好きだ」

「全くあなたは、手がかかる」


 少々無茶なことを押し通すのに協力した時と同じ台詞。さらに言うなら、我儘を聞いてやった時のエレナと同じ台詞であった。

 ゼルディスは笑い、そして目を閉じた。だが、振り下ろしたヴァイスの剣は、あっさりとその手に止められた。素手だというのに、ゼルディスは軽く大剣の刃を取り、押し返した。


「でも、仕方ない。悪いのはこの歪んだ世界だ。俺にばかり優しくないから」


 ぐ、と刃を押しのけたゼルディスはヴァイスの腹を蹴り飛ばした。そんな脚力はないはずなのに、ヴァイスの巨体が部屋の端まで吹き飛んだ。

 膝をついたヴァイスの肩に、ゼルディスの足の裏が乗せられる。力を込めて背中にある壁に押し付けられれば、はめ込まれている本棚から数冊の本が落ちてきた。


「俺は、こんな世界のために十分頑張ってやったと思うんだ。でも、もういい。イリウスが、神々が、エリシアさえも奪うなら、俺は王などやめて世界を壊してやる」

「陛下……」

「ああ、そうだヴァイス。手伝ってくれるだろう?」


 すっと、狼の額に魔王の右手が添えられた。部屋に充満した腐臭。より濃い瘴気がその腕からヴァイスの身体へと這うように移動した。感覚がマヒしていくのが分かる。視界がまがまがしい闇に覆われ目の前の主の姿すら見えなくなった、その時、ヴァイスの意識もまた失われた。

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