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イリウスの空  作者: RUKA
第二章 血と命と心
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嫌な予感だけはよく当たる

 タルス山脈カカ山を東から西へ越えると、そこは魔王の統治する魔族の住まう場所である。魔族はほとんどの場合個人または部族単位での行動をとり、それぞれの中にある秩序体系の中で生活している。

 そして、人間や聖族に比べるとどうにも気性が荒い者が多いのも特徴で、不満があると武器を手にしてしまうことも少なくない。女神ライトの教えと、元老院で採択され聖王の名のもとに施行される法律に従う聖族から見れば野蛮と言われることもしばしばだ。

 魔王による統治とは、主に部族間で起こるもめごとの調停である。その手段としては様々なものがあるわけだが、最終的に武力介入にまで発展することもある。このため、聖族は廃止している軍隊を、魔王は従えている。


「魔王軍は基本的にバラバラな魔族にあって唯一まともな統率の取れた組織だし、大将なんて上級魔族だ。物理的な力も強ければ魔力も強い。敵に回らなきゃいいんだけど」


 あと少しでカカ山を出る。麓にはラテムという職人たちの町があるので、そこを目指しているアスカたちだ。

 タルス山脈西側に来たことのないアスカに「お前本当に何も知らねえな」と馬鹿にしつつもかいつまんで説明したのはクルセルドだった。

 しかしアスカは大した反応を見せず「へえ」と頷くのみだ。それを見たザッシュが笑い、エレナが額を抑えた。


「クール、たぶんアスカは魔王軍がどれだけ強いか分かってないぞ」

「……嘘だろ」

「普通に人間やってたら魔王軍と敵対することなんかないからな。知るわけないだろ」


 さも当然とばかりに答えたアスカにクルセルドは唸る。最後尾にいるミシェルがクスクスと笑った。アスカはむっとしたが、知らないものは知らないのだから仕方がない。


「……大将二人、ドレイクとヴァイスに俺の精霊魔法は殆ど効かない」

「ん……?」


 アスカはクルセルドの言葉に耳を疑った。彼の魔法は多彩で強力、小物の魔物なら一瞬で塵にしてしまうし、その様子をここまで何度も見ている。クルセルド本人も精霊魔法には自信を持っているようだ。だが。


「ミシェルと同じ防御魔法か?」

「いや、あいつら確かその手のものは使えないはずだ。純粋に強いんだよ」


 クルセルドは「化け物どもめ」などと毒づいた。アスカはふと引っ掛かりを覚えて少年を見下ろした。


「というかお前、さっきからその口ぶり、知り合いなのか?」

「あ?言ってなかったか?ついこの間まで働いてた」

「は?」

「魔王軍。ドレイクは上司だ。堅物で大嫌いだけどな」


 いつか、クルセルドはエレナとその母親に勧められた場所で働いていたと言っていたが、なるほど確かに軍隊は彼の高い魔力を活かすにはうってつけだろう。

 ぽかんとしているアスカに追い打ちをかけるのはザッシュ。


「ちなみにヴァイスは俺の師匠だ。まだ一回も勝ったことがない!」


 ケタケタと笑うザッシュにクルセルドが蹴りを入れたが、大した効果はない。アスカはと言えば、そんな二人を見ていた目をエレナの方へと動かした。

 金色の長い髪、翡翠色の瞳。肌は旅をしてきたとは思えないほど透き通り、紅を乗せたわけでもないのに唇は艶やかだ。そう、一言であれば美少女と形容する、中身は無謀な正義感に溢れたかなり我儘な少女。

 しかしアスカはそんなエレナに今更甘ったるい感情から見とれているわけではなく、ただ、見ていた。とはいえ見られている側からすれば、それは少々動揺すべき事態であった。


「え、な、何……?」

「いや」


 アスカは視線を外すと、そっと歩幅を狭めてミシェルと並んだ。彼女は人間の町や村にある教会の聖女像と見紛うばかりの完璧な笑みをたたえ、「あら」と言う。


「よろしいので?」

「構わない」

「お優しいのですね」

「ただの面倒くさがりだろう」


 自嘲とともに答えればミシェルはクスクスと笑うのだが、すぐにそれをかき消した。


「ご安心を。魔王軍はクルセルドさんのおっしゃる通り上級部族で構成されています。現状、魔王の影響により狂暴化したと思われるものの中で最上級はカカ山のガルーダ。これも言語を解さぬ程度の知能です。魔王軍は今のところ敵ではないでしょう」

「今のところ、ね……」

「ええ。できうることならこの魔王軍の力も借りて、早期決着を目指すべきでしょう」


 というわけで、と。ミシェルはエレナを呼んだ。


「先を急ぐ旅であること、重々承知でお願いがあります。ボローディアに行く前に、ウィリアム様にお会いしたいのです」


 エレナはその申し出に一瞬驚いたようであったが、ザッシュとクルセルドを見てからゆっくりと頷いた。


「私も、そのつもり。ただ、私も二人も面識はなくて……。会ってくれるかどうか……」

「問題ありません。私とあなたが一緒なら」


 エレナは頷き、右の薬指にはめられた銀色の指輪を反対の手でそっと撫でた。


「ウィリアム?」

「吸血族の長だよ。魔族最高齢とかなんとか?超変わり者の偏屈爺だって聞いたことはある」


 首を傾げたアスカに眉を寄せたクルセルドが答えた。


「ふふ、長生きの老人は大抵変わり者だと相場が決まっておりますわ」


 ミシェルは実感を持ってそう言っているようであった。ともあれ、向かう先は決まったようである。頭をかいたのはザッシュだ。


「どっちにしろ、さっさと山を下りてラテムだな」


 テメでの補給がままならないままにカカ山を越えた彼らだ。そもそも魔都にたどり着くまでの物資が残っていない。

 見えてきた山の麓の小さな集落。ドワーフ族の職人が住まう町である。カカ山や周辺で採れた魔石や魔鉱石を加工し各地に出荷しており、規模は小さいながら豊かな町だ。

 しかし、旅人にはあまり人気とは言えない。アスカとエレナは、町を少し歩いただけでその原因を知ることとなった。


「き、気持ち悪い……」

「……」


 エレナは顔をしかめて口元をふさぎ、アスカは真っ青な顔で無言である。様々な種類の魔力を秘めた素材が集まり、さらに工房で加工するこの町には採掘場と同じ、もしくはそれ以上に複雑で強力な磁場が形成されてしまうのだ。


「エレナも微妙に魔力があるからなあ。中途半端が一番大変だな」


 クルセルドはじと、とザッシュを見たが、彼はあっけらかんとして首を傾げている。


「あんた、平気なのか……?」

「こいつ、それすら感じないほどに魔力皆無なんだよ。逆に珍しいんだぜ」

「クールにそう言われるとなんか照れるな」

「褒めてはねえよ」


 しかしながら、これでは物資を調達するどころか休息もままならない。


「我の息吹は神の息吹、以てここに破邪の壁を築かん――ウォール」


 ふわりと。柔らかな魔力の波動がエレナとアスカをそれぞれ包んだ。身体がみるみるうちに軽くなるのを感じた彼らはにこにこと笑うミシェルに礼を言った。


「助かるわ」

「いいえ、私は、そのためにおりますので」


 アスカたちの不調も落ち着いたところで、彼らは二手に分かれて行動することになった。ザッシュとクルセルドが物資調達、アスカと女性陣が宿探しである。

 ラテムのドワーフ族は、巨人族と反対に非常に小柄で、平均的な人間のおよそ半分の身丈だ。応じて建物も小さい作りで、店も旅人向けのものでなければ入ることすらかなわない。ミシェルなどはきょろきょろとあたりを見回しながら「私の祖先はこんな感覚だったのでしょうか」などと呟いた。


「流石に、ドワーフは踏みつぶせる大きさじゃないだろ」

「……アスカ、やっぱり君ちょっとずれてるわよ」


 エレナに言われて、アスカは不思議そうにきょとんとしただけであった。しかし、その表情はすぐにこわばる。腰の剣に手を添え、いつでも鞘から抜ける体勢になった。ミシェルも同じく棍を構え、エレナだけが二人の様子に慌てた。


「え、何?」

「何か、来る」


 地鳴り。振動に驚いたのだろう、ドワーフたちも飛び跳ねて建物の中に入って扉を閉めてしまった。ラテムの中心通りに土煙が上がった。目を凝らし短剣を抜いたアスカはエレナの前に立つ。それを受けて彼女も一歩引き、弓矢を構えた。

 まっすぐこちらに駆けてくるのは狼の群れ。町中にまで魔物が侵入したようだ。しかし、警戒を強めて迎え撃つ体勢のアスカとミシェルと反対に、エレナは驚いていた。


「あれは……!」


 群れの中心に、ザッシュよりも二回りは大きいであろう体格の狼。鎧を纏い後ろ足だけで走っている。前足はと言えば、見慣れた二人を抱え上げており、うちの一人はじたばたと足を動かしていた。


「おいコラ!下ろせ!」

「クルセルド!」


 叫んだアスカの前にエレナが飛び出した。何を、と彼が驚いている間に先頭にいた狼が彼女に跳びかかった。その前足は彼女の肩にかかり、衝撃は後ろへと細い身体を押し倒す。


「エレナ」

「待ってアスカ!」


 短剣を振りかぶったアスカを止めたのは、場の状況に似合わぬエレナの弾んだ声だった。


「……は」


 エレナを倒した狼はくぅん、と甘えるように鳴いて身をよじるエレナの頬を舐めまわしているではないか。追いついてきた他の狼も噛みつくでも爪を立てるでもなく、尾を振り彼女の周りに集まる。


「これは……」


 ミシェルもアスカ同様困惑しているようだ。二人の周りにも狼たちが寄って、フンフンとにおいを嗅いでくる。


「お前たち、落ち着け!」


 しゃがれた声を発したのは、鎧の狼である。その言葉に従ったのか、狼たちは三人から離れると大人しく座った。鎧の狼が両腕を広げれば、荷物であったクルセルドとザッシュは地面に尻餅をついた。


「おっさん、手加減てものを知らねえのかよ」

「少なくとも俺は教えてもらったことがないなあ」


 ぶつくさと文句を言っている二人にアスカは「大丈夫か?」と尋ねる。彼らは面白くなさそうな表情で立ち上がりエレナに駆け寄っている大きな背中を見送った。


「もしかして、あれが」

「そう、魔王軍大将ヴァイス。俺の師匠だ」


 太く毛むくじゃらの腕でエレナの細い身体を抱きしめた人狼はおいおいと声をあげて泣いている。


「よくぞ、よくぞご無事で!」

「い、痛いよヴァイス」


 エレナは少し苦しそうにしながらもどこか嬉しそうだ。ほう、と息を吐いたミシェルが腰のホルダーに武器を収める。ザッシュとクルセルドも苦笑して肩の力を抜いた。しかし、アスカは剣を収めずに手の中で弄ぶ。


「エレナ」

「あ、アスカごめん」


 ヴァイスの腕から抜け出したエレナはぱたぱたと笑顔で彼の傍にやってくる。


「あのね、ヴァイスは魔王軍の大将で、私も小さい頃からよく面倒見てもらっているの」


 ふうん、とアスカはヴァイスへと目をやる。

 顔身体は狼そのものだが、鎧を纏い二足歩行をし、人語を操る。灰色の毛並みが縁取るその目は鋭く、だが片方は黒い眼帯でおおわれていた。背中の大剣はその鞘さえも使い込まれているようで、歴戦の戦士と称するにふさわしい風貌である。

 ヴァイスは腕を組み大きくうんうんと頷いた。


「全くです。幼い頃から私は肝を冷やされることばかり。ザッシュ、お前がいながら何の手がかりも残さず行方不明とはどういうことだ。クルセルドも、作戦行動中に勝手に離脱したそうだな。ドレイクが激怒しておったわ」


 エレナはしゅん、と下を向き、ザッシュは肩をすくめて苦笑い。クルセルドは不服そうに舌を出した。まるで親に怒られる子供の図である。

 どうやら魔物の襲撃ではないと悟ったのであろうか。様子を窺っていたドワーフたちがちらほらと建物から出てきた。彼らを一瞥し、アスカは再度エレナを呼んだ。


「ここは狭苦しいし、いったん町の外に出ないか」

「あ、うん」


 狼の群れを引き連れたヴァイスとアスカたちは通りを引き返し、町と外の境界線である木製の簡素な門をくぐった。その間、ヴァイスはやはりエレナに自分たちがどれだけ心配をして探し回ったかを話し、また無事であることを喜んでいた。

 誰もが表情を緩ませている中で、アスカだけがひとり短剣を握ったまま、つまらなそうにしていた。それに気づいたのはミシェルで、「アスカさん?」と彼を覗き込んだ。


「……いや、何でもない」


 硬い表情のアスカは、エレナの前で改めて膝を折り頭を垂れたヴァイスと配下の狼を見やった。エレナはあたふたと両手を振っている。


「や、やめてよ、恥ずかしい。」

「本当に、エレナ様がご無事でこのヴァイス、安堵いたしました。ですからどうか、この先には進まれませぬよう」

「え」


 目を丸くしたエレナ、アスカは対照的にすうっと細めた。ヴァイスの地面に着いた大きな拳は震えている。


「これは我ら魔族の問題。あなたが背負うことではないのです。どうか、リーコラン大陸にでも渡り、静かに暮らしてください。ザッシュがおります。旅路は必ず守り抜きましょうぞ」

「ヴァイス……」

「じいの最期の願いです。どうか、どうかこのまま……、無事、に……、お逃げくだ、さ……、ひ、め」


 ビシッ、と地面に亀裂が入った。ほぼ同時に地を蹴ったのはアスカだ。戸惑っていたエレナの身体を突き飛ばし、短剣を振る。

 金属同士がぶつかるような音がしたが、彼の剣が受け止めたのはヴァイスの大剣ではなくその鋭い狼の爪であった。腕力でアスカを軽く十歩分は吹き飛ばしてついていた膝を伸ばすヴァイスの隻眼は暗く、意思の光が見られない。


「え、何……」

「何もどうもないだろ」


 受け身を取り立ち上がったアスカは冷や汗をかきながらエレナの呟きに答えた。グルル、と低く唸る人狼。それに呼応するかのように狼たちも腰を上げて威嚇の態勢をとる。彼らの目の上にすう、と切れ目が入ったかと思えば、まがまがしい目玉がぎょろりとのぞいた。


「じい!皆!」


 背中にエレナの悲鳴を聞いてアスカは奥歯を噛んだ。隣に並んだザッシュがすらりと剣を抜いたのが視界の端に映った。


「俺は、魔力は低いし特別な力もないが……、嫌な予感だけはよく当たる」


 魔王軍大将ヴァイス。配下の狼およそ三十。呆然と立ち尽くすエレナを守るように構えるアスカは「ああ、面倒くさいな」とだけ呟いたのであった。

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