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イリウスの空  作者: RUKA
第二章 血と命と心
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だから、死ねない

 カカ山を越えるのは一日では足りない。ましてアスカたちが山に入ったのは昼過ぎだ。彼らは野宿を避けるため、魔鉱石の採掘場を目指した。

 ここで採れる鉱石は魔王領側の町へ運ばれて加工、商人の手によって各地に売られる。平時には、魔力の弱い人間には取り出せない鉱石を魔族が、魔族があまり得意ではない取り纏め指揮や取引を人間が担うことが多い。

 しかし彼らが辿り着いた採掘場は閑散とし、人間も魔族も、ひとりとしていなかった。寝泊りできる小屋があり、また誰かに許可を得る必要がなかったのは幸いだが、魔王の狂乱がタルスの経済すら低迷させているのを再認することとなった。

 さて、通常であれば採掘場の関係者が使う小屋で、アスカはエレナに衣服を掴まれて出ていくのを阻害されていた。


「だから、どうして夜に外に出ようとするかな。夜の方が魔物も活発だって分かってるわよね」

「別に、一人で先に進むとか引き返すとは言っていない。だったらどこで寝ようが俺の勝手だろう」


 大体、とアスカはクルセルドへと視線をやった。

 あの後、何とか笑いの収まったザッシュが女性陣を落ち着かせて、合流してから。クルセルドはミシェルに向かって怪我をしない程度まで弱めた精霊魔法でちょっかいを出している。

 しかし、風が吹きつけようと、水が降ってこようと、ミシェルはもう棒を振り回して怒ることはなかった。にこにこと笑いながら、防御の魔法で応戦したのである。クルセルドの魔法はミシェルの作り出した魔力の壁に阻まれ彼女まで届かない。

 ザッシュなどは「ミシェルも凄いなあ」などと、魔法障壁を維持し続ける彼女を称賛するが、アスカにこのプチ魔法合戦はたまったものではない。


「この状況で眠れる奴がいたら紹介してくれ」

「え、そこに」


 口元を引きつらせて言ったアスカに対し、エレナが指さしたのは、くわあ、と大きな欠伸をするザッシュだった。剣を抱いて胡坐をかいた彼はゆっくりと目を閉じた。

 こんなに騒がしいのに本気で寝るつもりか。驚いたアスカの顔に、ミシェルに弾かれたクルセルドの水魔法がかかった。

 輪郭をたどり、水滴がぽたりと落ちる。ミシェルが少し困ったように「すみません」と謝って、クルセルドがぷくく、と嘲笑をくれた。


「……寝ろ、クソガキ。それに、いくら何でも無駄撃ちしすぎだ」

「確かに、それはそうね。ミシェルも、クルセルドに合わせてくれなくていいのよ」


 クルセルドもミシェルも、ほとんど魔力を放出しつづけているに等しい。どうやら彼らの魔力はアスカに比べれば無尽蔵と言えるほどだが、遊びにしては勿体なさすぎる。

 エレナにも窘められたクルセルドは肩をすくめたが、ミシェルは苦笑して首を振った。


「いえ、私のことはお構いなく。それに、聖都では同年代の方とお話しする機会がないので、少し楽しいです」


 両手を合わせ少し恥ずかしそうに笑ったミシェル。アスカとエレナは顔を見合わせた。

 聖族は人間や魔族に比べて長命の部族が多い。中にはある一定の年齢で見かけの成長が止まってしまう部族もあるという。

 ミシェルの外見年齢はアスカと同じか少し上だ。恐る恐る「失礼だと思うけど」と尋ねたのはエレナだ。


「ミシェルって、何歳……?」

「はい、今年、十六になりました」

「年下!」


 アスカも驚いたが、エレナなど後ろにひっくり返りそうだ。ミシェルの年齢を五つ、六つ見誤ったらしい。

 落ち着いた立ち居振る舞いや、アスカに対し真意を読み取らせない表情の作りがそうさせた部分は大きい。ただ、外見、主に身体つきが最大の原因だ。

 ゆったりとした法衣は通常身体のラインが分からないようになっているが、それでも想像に難くない曲線である。先刻クルセルドの魔法で晒された足も白く、柔らかそうではあれども適度に引き締まっていた。

 エレナはパクパクと口を開閉させながら、掌を己の胸に当てていた。小高い丘と雄大なタルス山脈くらいの違いはありそうだ。


「だ、大丈夫だ。エレナだって成長の余地がないことはない、たぶん!」


 おそらく、慌てたクルセルドは地雷を踏んだと思われる。エレナが肩を震わせたのを見やって、アスカは気配を消しそろりと小屋を抜け出したのであった。

 ドアを閉めて、数歩離れると、中からはこもってはいるが間違いなく女の高い怒声が聞こえた。僅かに驚いたアスカであったが、巻き込まれることもなくほっと胸を撫で下ろした。

 アスカは小屋から離れて、採掘場の方へと足を動かす。誰もいない採掘場。強力な魔鉱石でも手に入れば、資金の足しにもなろう。

 しかし彼は採掘場の入り口から先へ、どうにも進むことができなかった。妙に空気が悪いように感じる。アスカは不快感に顔をしかめた。

 魔石や魔鉱石はそれ自体が魔力を有し、加工することで魔導士の補助を行ったり魔力のない者でも簡単な魔法が使えたり、もしくは強力な武器や便利な道具となる。

 しかし加工前のもの、特に産地などはそれぞれが魔力を発し複雑な魔法磁場を形成している場合もある。ある程度耐性があるか慣れれば健康被害をもたらすことはないが、魔力の低い者は体調を崩してしまう。

 ぐらりと頭を揺さぶられたような感覚に、アスカは鉱石泥棒を早々に諦めた。

 はあ、と息を吐き、星空を見上げる。小屋の明かりは小さくなっていた。おそらく少年少女はやっと大人しく就寝する気になったのだろう。

 アスカは、採掘場前の開けた場所、その隅に置いてある荷車に乗った。おそらくは採掘道具の運搬用であろうそれはアスカが座っても十分な広さがあった。

 彼はまだ自分が魔王を倒す力を持った唯一の存在であるなどと認めてはいないが、仮にそうだったとして自分たちは「世界を救う勇者様ご一行」としてはまとまりも緊張感もないな、と思う。エレナあたりには「それをアスカが言う?」と腰に手を当て文句を言われそうだが。

 と、そこまで考えて、アスカは己の口角が僅かに持ち上がっていることに気付いて、元の愛想のない表情に戻した。誰が見ているわけでもないのにちらりと周辺の気配を探ってため息を吐く。

 やはり、誰かとともにいる、仲間と助け合うというのがアスカには慣れない。テメに戻ると決めたのは彼自身であるが、それでも盗賊団を抜けて以降殆ど単独行動しかしていなかった彼がすぐに変われるわけではなかった。

 自分が手を出さずとも鋭い一閃が敵を斬り、攻撃魔法が圧倒する。多少姿勢が崩れたところで後ろから弓矢の援護があり、自分の魔力ではない強化魔法で楽に動ける。彼にとってそれは非常に効率的で魔物との戦闘は易い。最初はただそれだけだったが、いつしかむずがゆさを感じるものとなり、やがて喜びに変わっていた。

 けれど、それを終わらせるのもまたアスカ自身だ。否定しつつも、ずっとどこかで感じていた可能性。レックスが指摘した可能性。彼らを思うのであれば、アスカは一行から抜けるべきなのかもしれない。


「ふあー、やっぱり山は冷えるなあ」


 欠伸とともにそう言ったのはザッシュである。どうやらアスカが物思いにふけっている間にそれなりの時間は経過していたらしい。

 剣を手にした彼は大きく伸びをして、驚くアスカの隣にやってきた。流石に大男のザッシュである。荷車はギシギシと音を立てて揺れた。


「あんた」

「俺はもう寝たからさ、交代するよ」

「は?」

「見張りだろ?」


 にこにこ。ザッシュは笑う。アスカにそういうつもりはなかったのだが、彼らにしてみれば小屋から距離を取り眠らずにいるアスカがしているのは見張り以外の何でもないのである。

 驚くだけのアスカに対し、ザッシュは少し首を傾げた。


「寝ないなら話していてもいいけど。聞きたいこともあるし」

「聞きたいこと?」

「少しな、不思議なんだよ。アスカは何とか逃げて生き延びようとするわりに、俺たちを頼ることに抵抗があるだろう。なんていうか、言行不一致だよな。クールじゃないけど、凄く面倒くさい奴だぞ、君!」


 指摘をしつつ、しかしザッシュは実に爽やかな笑顔を浮かべている。アスカはそれを見て僅かに身を引き、やがて空を見上げた。


「……俺は、親や、昔の仲間や……、皆の命の上に生きてる。だから、死ねない。面倒くさくても、死んだ方が楽でも、そこからは逃げられない」


 燃えた町、折り重なった肉塊。ひとりだけ立って、駆け出すことのできた自分。思い返し、アスカは拳を作った。彼の中に流れている血は、それを送り出す心臓は、彼だけの力で動いているわけではない。


「けどそれは俺だけの問題で、あんたたちには関係ない、と、思う」

「……じゃあ、なんでアスカはテメで俺たちのところに来たんだ?」


 ゆっくり、星空から隣の男へと視線を下ろせば、ぬっと伸びてきた手が頭の上に置かれた。


「皆、一緒だよ。生きたいし、生かしたいし、守りたいのさ」


 ぐりぐり。頭が左右に揺さぶられるほど強く、ザッシュはアスカの頭を撫でまわした。アスカは暫くされるままになっていたが、やがてハッとしてその手を払った。

 ザッシュは気分を害した様子もなく、やはり爽やかに笑う。


「でも、あれだな。アスカはまだ、生き方を決めてないんだな」

「生き方?」


 首を傾げたアスカを見て、ザッシュは「うーん」と頭を悩ましつつ答えた。


「口で言うのは難しいけど……、譲れないこととか、曲げられないこととか、そういう芯みたいなものかな」


 ザッシュはぽん、と手を叩き「そうだ」と言う。


「とりあえずは、今どうして俺たちと旅をするのか。その理由。聖族に得体のしれない圧力をかけられて仕方なく、じゃなくて。自分の理由をちゃんと考えてみろ。そういうのは、根っこになるぞ」


 細められた目。アスカはそれをじっと覗き込む。彼にザッシュの心の内を読むような能力はないけれど、その中にひとつしっかりとした信念があるのだろうということくらいは分かった。

 そしてアスカはゆっくりと立ち上がる。荷車はまたザッシュの方に傾いたが、彼は「おお?」と軽く声を上げただけだった。


「アスカ?」

「……交代、なんだろう」


 ぼそり、それはとても小さく聞き取りにくい声であったが、ザッシュはしっかりと拾い上げ、そして大きくうなずいた。


「ああ、おやすみ」


 ザッシュに告げられ、アスカは小屋へと戻った。静かに扉を開ければ、雑魚寝のエレナたち。溶けかけた蝋燭の火が僅かに彼らの寝顔を映していた。彼女たちを踏みつけないように隅に移動したアスカは腰を下ろし、壁に背中をつけて目を閉じた。



 ふんわりと、柔らかな風と白い光。瞼の裏が明るくなり、アスカはゆっくりと目を開けた。すぐに合わなかった焦点でも、光を返す金色の髪は認識できた。


「ちょっとアスカ!いい加減起きなさいよ!行くわよ!」


 甲高い声にアスカは顔をしかめた。数拍ぼうっとしたが、ハッとして飛び起きる。目の前に来た少女が腰に手を当て金髪を揺らした。


「気持ちよさそうだったから一応起こさずにおいたけど、流石に寝すぎ!」

「……わ、るい……」


 もう、と鼻を鳴らし、エレナは先に小屋を出ていく。アスカが見渡した室内にはすでに誰もいない。彼は立ち上がり、ゆっくりと彼女の後を追った。

 降り注ぐ朝日。本日も晴天のようである。しかしアスカは爽快感を味わうわけではなく、ぎょっと目を見開いた。


「あ?やっと起きたのかよ。アホ盗賊」

「おはようアスカ」

「おはようございます」


 振り返った彼らの前には、魔物の残骸。切伏せられ、燃えた跡。アスカが寝ている間に襲撃があったようだが、四人でしのいでしまったのだろう。


「アスカ?何ぼーっとしてるの?クールに水でもぶっかけてもらう?」


 エレナが覗き込んでそんなことを言えば、実に生き生きとした表情のクルセルドが「お、任せろ」などと反応した。ふと顔を上げれば、剣を鞘に納めたザッシュと目が合った。彼はいつものように笑ってみせる。


「ほら、大丈夫だ」


 朝日が輝いて、アスカにはザッシュの笑顔が余計に眩しく見えた。ぐずぐずと胸の奥で濁っていたものがその光に照らされて消えていく。


「……そうか、あんたたちは、強いな」

「はあ?今更何言ってんだお前」


 クルセルドはそう言った後、アスカの顔に水をかけたのだった。

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