第9話 ◆僕専属の、ね。
「初めは、船乗り達の不審死だったんだ。」
淹れたての茶を飲みながら、
エドリックはゆっくりと話し始めた。
「亡くなったのは、外国船の乗組員ばかりだったからね。外交問題に繋がる前に調べろと、国王から僕に仕事が回ってきたんだ。」
「…………。」
「そのうち、不審死した船乗り達が利用していた薬問屋に行き着いた。船酔いや二日酔いに効く生薬を、常備していた者達らしくてね。」
「…………。」
「調べているうちに、生薬に紛れて渡される“試供品”の噂にたどり着いた。僕も何度か“試供品”を受け取ったんだけど……使っているように見えなかったんだろうね。すっかり警戒されちゃって。」
「…………。」
「ここしばらく、行き詰まってたんだよね。ちょうど良く、君がうちの面接に来てくれたものだから。本当に助かったよ。」
「…………。」
「ねぇ、聞いてる?」
ウルリックは、終始俯いたまま動けなかった。
膝に肘をつき、
組んだ両手へ額がつきそうなほど項垂れている。
固まっていた。
――正直、聞いてはいなかった。
頭の中は、
別のことでいっぱいだったからだ。
――俺。
ウルリック・ファルクは。
若くして妻と、
これから生まれてくる子供を得て。
安定した侍従の職に、
就いたと思っていた。
そして昨日、
街で家を買った。
親子三人で暮らすための、
理想的な家だった。
庭付きの一軒家で。
日当たりも良くて。
居間が広くて、
扉も壁も丈夫な――理想の家。
なのに――
今日は港で、
禁止薬物を手に入れる片棒を担がされている。
「俺は……犯罪を犯してしまったのか……。」
立ち直れなかった。
「ああ、それは大丈夫だよ。」
エドリックは、
白い紙包みをひらひらと揺らした。
「あくまでも、これは店側からの“試供品”だからね。君に購入の意思はなかったし、それに対する金も払っていない。」
「…………。」
いや。
違う。
そういうことじゃない。
一番の衝撃は――
面白がっているこの男の手中に、
まんまと収まってしまったことだった。
「――エドリック・エーレンベルグ。」
「何だい、侍従。」
エドリックが、
にっこりと微笑んだ。
――『国王直属特別外交官』
エドリック・エーレンベルグ。
表向きは外交官。
だが、国王からの勅命を受け、
外交上の問題を裏から処理するための諜報活動を任されている。
王族でもあるため、
現場では広い権限を行使することができる。
国王にとって、
この上なく使いやすい人材のようだ。
だから、
こんな性格をしているのか。
「おかしいとは……思っていたんだ。」
ウルリックは、深いため息をついた。
今から後悔しても、もう遅い。
「何もおかしくないよ。」
エドリックは、心外そうに言った。
「僕は侍従を雇って、僕の手伝いをしてもらってるだけだよ。」
「侍従の仕事に、主人の仕事は含まれません。」
「なら、従者や護衛として頼んでいたら、君は引き受けてくれてたかい?」
「お断りします。」
「だろ?
だから、侍従なんだ。」
そして、楽しそうに付け加えた。
「僕専属の、ね。」
要するに、
逃がすつもりはなかったらしい。
「何でこんな仕事をしてるんですか。」
王族なら、
仕事などしなくても暮らしていける。
普通の外交官であるだけでも十分なはずだ。
「多分、君と同じ理由だよ。」
エドリックは紅茶を一口飲み、
さらりと言った。
「僕、優秀すぎるんだよね。」
「…………。」
「国王が逃がしてくれなくって。」
にっこりと笑う。
「ね、君と一緒。」
「……自分で言いますか。」
要するに、
この男からは。
もう逃げられないということらしい。
「腕が立って、見た目が良くて、頭が良くて、口が硬い。それに、仕事ができて――死ねない理由のある者。」
エドリックは、指を折りながら数えていく。
俺のことなのか?
「なかなかいなかったんだよねぇ。」
最後の指を折り、
ため息をつくように目を閉じた。
「初めは騎士を連れて歩いてみたけど、駄目だった。外交の場では、相手が萎縮する。」
なるほど。
それで、侍従。
「それに、こういう調査で騎士を連れて歩けば、取り締まりだと思われて警戒されちゃうんだよね。だから、君がぴったりなんだ。」
「……つまり、危険なんですね。」
「そう。だから必要。」
エドリックは自分の頭を指さし、小さく笑う。
「自分で考えられる、剣がね。」
その微笑みは、
ウルリックにはもはや物騒にすら見えた。
「さて、じゃあ早速考えてもらおうかな。」
エドリックは、
机の上に赤と青の包み紙を何枚も並べた。
その傍らには、
“試供品”とされる白い粉薬。
「ここ数ヶ月で回った店の包み紙と、そこで手に入れた品だ。
ここに、大量売買が行われる場所への糸口があるらしい。今度こそ、現場を押さえたい。」
「俺に、拒否権は?」
「ない。」
間髪を入れずに返された。
「……今日も、家に帰りたいよね?」
「…………。」
帰りたい。
今すぐに。
ウルリックの勘は当たっていた。
やはりこの主人――相当、性格が悪い。
◆
「なるほど、あれか。」
二人のリックは、
街の中央広場に立つ英雄像の前にいた。
ちょうど昼時で、
広場を囲む飲食店や露店は、腹を満たそうとする客達で賑わっている。
「僕らも食べながら考えようか。」
そう言って、エドリックは財布をウルリックへ渡した。
「あの店と、あの店。それとあの店。全部二人分ずつね。」
指で順に店を示していく。
要するに、買ってこいということだろう。
「あ、それと。その財布は君が持ってて。」
「……はい。」
いいんだろうか。
金貨の重みでずっしりとした財布を、
こんなふうに簡単に人へ預けるなんて。
少なくとも、ウルリックにはできない。
「――買ってきました。」
「遅かったね。」
「三店舗も指定するからです。」
エドリックは、広場に設置された長椅子に座っていた。
周囲には、同じように昼食を取る船乗りや商人達の姿もある。
買ってきた包みを開きながらも、
エドリックの視線は英雄像から離れていなかった。
「左の港か……。」
海を背に立つ英雄・リックの像。
「錨に、渦に、松明。」
赤い包みに書かれていた華陽国の文字。
そこへ紛れるように描かれていた記号は、リックの象徴を指し示していた。
この港に錨を下ろし、
松明を掲げ、
海の渦を象徴とする金の尾を靡かせて、
イール王国を開いた英雄リック。
「まあ、普通に考えれば、リック像の左側ってことだよね。」
「そうだと思います。」
他に描かれていた象徴もまた、
イール王国中に伝わるリックの伝承へ結びつくものばかりだった。
「あとは場所か。」
肉包みにかぶりつきながら、
エドリックは考え込む。
ウルリックは手元の青い包み紙へ視線を落とした。
こちらは地図だった。
リック像を中心にした、
観光客向けの街の案内図。
それを意匠として洒落た図柄に仕立ててある。
「……これ、変じゃないですか?」
「ん?」
「港の印が、多い。」
本来の港とは別に、
地図のあちこちへ“○○港”と書かれた印が散らばっている。
白帆港。
潮見港。
金尾港。
渦灯港――
本来、そこには別の店があるはずだった。
「見せて。」
エドリックが身を乗り出した。
その時――
「お兄さん、これあげる。」
不意に声を掛けられ、
ウルリックは小さな手から何かを押しつけられた。
「……何ですか、これは。」
振り返った時には、
もう子供は人混みの向こうへ走り去っていた。
ウルリックの手の中に残されたのは、
小さな金の胸章だった。
それを見たエドリックが、
ふっと笑う。
「……やっと、招待されたみたいだ。」




