第10話 ◆守りたければ、死ねない。
「今日はここまででいいよ。」
ウルリックの実家の前で馬車を止め、
エドリックは言った。
「おかげで大分捗ったよ。君は本当にいい侍従だね。」
「そういう貴方は、いい性格をされています。」
「褒め言葉として受け取っておくよ。」
ウルリックが馬車を降りると、
ちょうど、通りの向こう側から姉が歩いてきた。
「姉さん。」
「お帰りなさい。」
ウルリックは、姉の荷物へ視線を落とした。
両腕に下げた買い物袋には、酒瓶がいくつも入っている。
「また、飲んでるのか。」
「そう。」
姉は露骨に嫌そうな顔をした。
どうやら、今日も居間では騎士達の酒盛りが始まっているらしい。
姉から荷物を受け取ると、
背後で馬車の窓が静かに開いた。
「君のお姉さん?」
エドリックが、
馬車の中で柔らかく微笑んでいた。
「初めまして、エドリック・エーレンベルグです。」
見事なまでの、猫被りだ。
「エマ・ファルクと申します。弟がお世話になっております。」
――こっちも一緒だった。
ウルリックの主人だと分かるなり、
姉は王族式の礼を取った。
……そんなの、初めて見た。
エドリックは姉弟を見比べ、
穏やかに目を細めた。
「お母様似だね。」
「よく言われます。」
「綺麗な方なんだろうね。」
エマは驚いたように目を瞬き、柔らかく笑った。
「ありがとうございます。」
「エドリック様。」
酒瓶を両手にぶら下げ、
ウルリックは片眉を上げた。
姉でまで遊ぶのはやめてほしい。
「何かな?」
「そろそろお時間では。」
言ったところで、無駄そうだ。
この主人の人たらしは、
どうやら天性のものらしい。
「では、エマ嬢。またいずれ。」
名残惜しげな響きを残し、
馬車の窓が閉じられた。
車輪の音が遠ざかっていく。
その姿を見送りながら、
エマはぽつりと言った。
「……綺麗なお方ね。」
「見た目はね。」
ウルリックは、もう騙されない。
あの微笑みに絆されると、ろくな目に遭わない。
「騎士とは大違い。」
「もっと物騒だよ。」
「え?」
「何でもない。」
ウルリックは両手が塞がっているので、
家の扉は姉が開けた。
中に入ると――すでに酒臭かった。
今日は人数が多そうだ。
居間の方から、話し声が聞こえる。
「……そう、昔からいっつもエイモンが美味しいところを持っていくんだ。今回だって、結局はそうじゃないか。私は三狼の息子が揃うのを楽しみにしていたって言うのに……。」
騎士団長は、今日もいた。
泣きながら、部下らしい騎士達に愚痴っている。
あの人達も、連れてこられて可哀想に。
居間に繋がる台所に入り、
酒瓶の入った袋を、そっと置いた。
「じゃあ姉さん、俺はこれで……。」
「ちょっと、あんた逃げるつもり?」
じとっと睨まれる。
「誰のせいでこうなってると思ってるのよ!?」
小声で、怒鳴られる。
もっともだ。
だが、ウルリックは明日も仕事がある。
「母さんは……。」
「風邪ひいて寝込んでる。」
「…………。」
妻が風邪で寝込んでいる時に客を呼ぶなんて、
とんでもない夫だな。
ギャリックは。
「帰ったのか、ウルリック。」
背後から父の声がした。
見つかった……。
振り向くと、
入り口を塞ぐように父が立っていた。
「ちょっと付き合え。」
「…………はい。」
珍しく、父の足元はふらついていなかった。
目も座っていないし、声もはっきりしている。
「まあ座れ。」
若手の騎士達に囲まれた、
騎士団長の隣の椅子を指す。
……一番危険な席だった。
「こいつ、息子。」
「……お邪魔します。」
ギャリックの雑な紹介に、
なぜかざわつく若手の騎士達へ軽く会釈し、
ウルリックは席に着いた。
本来なら、同じ日に騎士団へ入っていたはずの者達だった。
その間に座るのは、妙に気まずかった。
一応酒を勧められたが、ウルリックは小さく首を振り、それを断った。
「明日の仕事があるので、お酒は飲めません。」
「そうなのー?
騎士団なら、毎日飲んだって大丈夫だよー?
ギャリックなんて、飲めば飲むほど強くなるって言われてたんだよ。騎士団の酔いどれ狼って……。」
案の定、騎士団長が絡んでくる、
何だそれ……。
ただの悪名じゃないか。
「ウーベルト!いらんことを言うな。」
珍しく、父が焦っていた。
「あー……確かに俺は酒好きだ。だから酔いどれる前の、まだまともなうちにお前達に言っとく。」
父はそう言って、
ウルリックと若手の騎士達を順に見渡した。
酒が入るとまともでなくなる自覚があったことに、ウルリックは少し驚いた。
「俺らの若かった頃は、今より戦が多くてな。
若手は前線に送られてばかりいた。」
若手の騎士達は、一斉に頷いていた。
「俺も、ウーベルトも、エイモンも。
生き抜くだけで毎日必死だった。」
「気づいた頃には、周りはみんな妻子を持ってたんだ。俺らは遅かった。いつ死ぬかも分からんうちは、家族なんか持てないと思っていたからだ。」
「騎士は、人を守る仕事だ。
守ると言うからには、先に死ねない。」
ギャリックは、部下の騎士達を見渡した。
「だから、お前らに言っておく。
守りたければ、死ぬな。
騎士になると決めたのなら、この言葉を必ず守れ。」
そして、最後にウルリックを見た。
「――たとえ、騎士じゃなくてもな。」
「それだけだ。じゃあ、あとは好きなだけ飲め!」
そう言い、ギャリックは酒を一息に飲み干した。
待っていたように、騎士達は一斉に酒杯を酌み交わし始める。
結局のところ、皆酒好きらしかった。
「ウルリック、帰っていいぞ。」
「……はい。」
酒席が再び騒がしくなる中、
ウルリックは席を立った。
「…………。」
珍しく、父がまともなことを言っていた。
どうやらギャリックは、
息子が帰るまでは酒を控えていたようだった。
……何だ。
俺、やっぱり親父の息子だったんだな。
守りたければ、死ねない。
「…………。」
ギャリックが今日まで生き残っていた理由は、
運や強さだけではなかったのかもしれない。
居間を出る前に、
ウルリックは足を止め、もう一度振り返った。
泣き言を言う団長に軽口を叩き、
父はいつも通り豪快に笑っていた。
「でもギャリック、俺は次の三狼が揃うのが見たかったんだよ……。」
「なら、ウーベルト。ファルクの騎士はエマの子供に期待すればいい。」
台所から酒を運んできたエマが、
片眉を吊り上げる。
「はぁ? 絶対嫌よ、騎士なんて!!」
――最低だった。
その時、玄関の鐘が鳴った。
来客を知らせる合図だ。
エマは酒瓶を卓へ置くと、
怒った足取りのままウルリックの横を通り抜けて居間を出て行った。
廊下の先で、玄関の扉を開けた。
瞬間。
「――夜分にすみません。」
「――――」
エマの動きが、止まった。
「ギデオン・ヴェルナーです。」
短い銀髪の青年がそこに立っていた。
長身で、騎士の隊服を身につけている。
「父がこちらで、ご迷惑をお掛けしていると聞いて――」
「おう、ギデオン!」
ウーベルトが居間から廊下を覗き込み、
片手を上げる。
「父さん。やはりこちらでしたか。」
「だってファルクの息子がぁ……」
「続きは家で聞きます。帰りますよ。」
姉は、まだ固まっている。
まるで時間が止まっているようだった。
視線が、ギデオンから離れない。
「父がご迷惑をお掛けしました。今すぐ連れて――」
「――――エマです。」
「……え?」
しばらくして、
姉はギデオンを見つめたまま、小さく名乗った。
誰も、名前は聞いていないのに。
エマの顔は、真っ赤だった。




