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第8話 ◆もう引き返せない。

その日の馬車は、質素だった。

いつもとは違い王弟家の家紋が入っていない。


「ここで停めて。」


港から少し離れた所で、

エドリックは御者に声を掛けた。


そこは、人目につかないような場所だった。


「ここで降りるんですか?」

「うん、僕の見た目は目立つからね。」


どうやら、

ここでは目立ってはいけないらしい。


帽子を渡される。

エドリックも、鍔の広い帽子を目深に被った。


「ついて来て。」


歩くエドリックの少し後ろに着く。


王族と侍従。


と言うより……外見だけで言うと、

商家の若旦那と使用人のように見える。


――これが、ちょうどいいのか。


何かお忍びの用事とかだろうか。


港に近づくにつれ、潮の匂いと人々の声で騒がしくなっていく。


荷を運ぶ人夫。

日に焼けた船乗り。

異国の品で溢れた市場では、

商人達がこぞって品を勧めてくる。


「ねぇ、ウルリック。」


そのうちの一軒に目を向けながら、

エドリックは懐から財布を取り出した。


「あそこの店で買い物して来てくれる?」

「何を買うんですか?」

「入って右側にある棚の中で、二番目に値段の高いものを。」


そう言い、ずっしりと重い財布を渡された。


二番目に値段の高いもの……。


何だそれ。


「――すみません。」


言われるままにウルリックは店の扉を開いた。

店の中は薄暗く、

壁中が、小さな引き出しの並ぶ棚で埋め尽くされている。


店主は外国の者らしかった。


返事もなく、

じっとウルリックから目を離さない。


「……これを。」


右側の棚を見渡し、

並んだ品の一つを指差す。


言われた通りの、二番目に値段の高いものだ。


値段はわかるが、商品名は……読めない。


何だこれ。


ウルリックには、

黒くて乾いた汚い塊にしか見えない。


しかも、目玉が飛び出るほど高い。


「はいよ。」


財布から金貨を取り出し、店主に手渡す。


……なんだか勿体無い気がする。


黒い塊は、赤い紙に包まれていた。


「今日の潮目は、西から来るよ。」


「……はい。」


よく分からなかったが、一応頷いた。


港の挨拶だろうか。


店の外へ出ると、

少し離れた場所でエドリックが待っていた。


「これでいいんでしょうか?」

「うん、多分。」


包みを渡すと、中身を確認する。


「――違うな。」


違うのか。


「他には何か言ってなかったかい?」


「……えっと、『今日の潮目は、西から来るよ』って言ってました。」


「なるほど、西か。」


通じたらしい。


ウルリックにはさっぱりわからない。


「――あそこだな。」


町の西側の通り。

そこには多くの露天商が店を連ねていた。


その中の一軒。

エドリックは手前で立ち止まる。


「次は、これを持ってあの店へ。」

「はい……。」


「店主へ渡す時に、

『赤い月の日に仕入れた木の根を。』

と伝えるんだ。」


「はい。」


「本数を聞かれるから『8匹分』って答えるように。」


「……はい。」


この主人、本当に信じて大丈夫なんだろうか。


どう考えても、ただの買い物ではなさそうだった。


「――赤い月の日に仕入れた木の根を。」


「本数は。」

「八匹分。」


「――三日後に左の港に届くそうだ。」


そして、渡した包みをそのまま突き返される。


要求された金額を払うと、

今度は青い包みを渡された。


「――買って来ました。」


「ご苦労様。」

「エドリック様。」

「何だい。」


「これは何の買い物でしょうか。」

「肩こりに効く、乾かした木の根っこだよ。」


青い包みを開けながら言う。

茶色い棒のようなものが束になって入っていた。


いや、違う。

そういうことじゃない。


どう考えても、

危ない取引にしか思えなかった。


「あぁ、当たりだ。」

「当たり?」


「おまけがついてたよ。」


包みの中に、頼んでいない品が紛れていた。


小さな、白い紙の包み。


中には白い粉状のものが入っていた。


「何ですかそれ。」


「禁止薬物。」


「…………。」


ウルリックは口を閉ざした。


「他には何か言ってた?」


「『三日後に左の港に届くそうだ』と言っていました。」


「三日後か。左の港……。」


エドリックは、

何かを考えるように黙りこむ。


「エドリック様。」

「……ん?」


「そろそろ教えていただけないでしょうか。」


禁止薬物の購入は、

どう考えても侍従の仕事ではない。


犯罪だ。


疑いの目を向けるウルリックに、

エドリックは小さく微笑んでみせた。


「ここだと話せないからあとでね。」


それだけ言って、エドリックは再び歩き出した。


港の喧騒から離れ、人通りの少ない町外れへ向かっていく。


しばらくして立ち止まったのは、

小さな家の前だった。


「ここ、僕が借りてる家。」


エドリックは慣れた様子で門を開き、

懐から鍵を取り出した。


「別宅ですか?」

「ううん、仕事部屋。」

「仕事……?」


外交官の……?


「今だけね。」


扉を開け、

何でもないことのように家に入る。


「まあ、座っててよ。」


「…………。」


言われたものの、

落ち着いて腰を下ろすような気分になれなかった。


机の上には、先ほど「禁止薬物」と言っていた白い紙包みがいくつも転がっている。


壁際の棚には、大小様々な瓶が並んでいた。


中に入っているものは、

よく分からない葉に、木の実。


骨らしきもの。

虫の死骸。

動物の角。


何に使うものなのかさえ、見当もつかない。

 

エドリックは店で購入した赤と青の包みを、

その棚に無造作に置いた。


「これね。」


机の上の白い包みの山の中に、

先ほどの“おまけ"をポンと投げる。


「最近、華陽国の生薬に紛れて、禁制品が流されているんだ。」


「――私、父になる前に犯罪者になるつもりはないのですが。」


「大丈夫。これは僕の仕事だから。」


「外交官ですよね?」


「うん。」


「――国王直属の、ね。」


「…………。」


ウルリックは、言葉を失った。


『国王直属』


おそらくそれは、

ただの外交官ではないのだろう。


禁止薬物を取り扱う程度には。


――危険だ。


「……私は、王弟家の侍従です。」


「そうだよ。」


エドリックの微笑みは、

どこか満足げだった。


「僕専属の、ね。」


「……そういうことか……。」


ウルリックは呻いた。


頭の中で、これまで積み重なっていた違和感が、一つの答えに向かって収束していく。


侍従にしては、高すぎる給金。

高待遇すぎる雇用条件。

他の侍従達の態度。


『エドリック様付き』の意味。


安心、安全、安定の王弟家。


その信用が、ガラガラと音を立てて崩れた。


何より。


――――住宅貸付。


もう、引き返せない。


「それじゃあ、お茶でも淹れてもらおうかな?」


エドリックは、これまで見たことがないほどの

楽しそうな笑みを浮かべていた。

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