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第7話 ◆侍従、家を買う。そして。

「ねぇ、本当にこれでよかったの?」


薄手のショールを羽織った彼女が、

深緑の瞳でウルリックを見上げて言った。


「どうしたの、ソニア。」


彼女の蜂蜜色のゆるい巻き毛が、

夕刻の風に揺れた。


春はすぐそこなのに、

陽が落ちるとまだ少し肌寒かった。


「うちの両親と一緒に住むことよ。」


仕事を終えたウルリックは、

その足でソニアの家を訪れていた。


今の仕事と、住む場所について。


外交官であるエドリックに同行し、

長期間、国を離れることもあるらしいこと。


その間、身重のソニアが夜を一人で過ごすことになる不安。


子供が生まれたなら、なおさらだ。


だから、二人で暮らす家が見つかるまでの間

ソニアの両親と一緒に住ませてもらえないか。


そう、相談しに来たのだった。


「お父さんもお母さんも来ていいって言ってるけど……。」


ソニアは、

ウルリックの実家――

ファルク家の両親に気を遣っているようだった。


「私が、ウルリックの家に住むことだって……。」


「絶対ダメだ。」


即刻、拒否した。


壊れた扉。

親父の大声。

頻繁な騎士達の飲み会。


「胎教に悪い。」


親父なら、

ソニアの腹に向かって、

毎日「騎士になれ」と言い続けるに違いない。


「でも……。

お金だって、貰いすぎだって言ってたわ。」

「だって二人分だし。」


先ほどエドリックから受け取った、

今月分の住宅補助金。


それを二人分の家賃と食費として、

ソニアの両親に丸ごと渡してきた。


ウルリック自身、

受け取った時にはその額に驚いた。


二人分の生活費としても十分だった。


「それに、気も遣うでしょ。」

「そりゃ、多少はね。」


「だったら、しばらく別に住んでいたって……。」

「嫌だ。」


ウルリックは、はっきり言った。


「俺は、ソニアと離れる方が嫌だ。」


「……ウルリック。」


秋の終わり頃には、家族が増える予定だ。

だから、それまでは二人でいたかった。


「秋までに、家を探そう。」

「うん。」


「できれば、君の家の近くで。」

「うん。」


「できれば、居間は広い家で。」

「……うん。」


「扉が丈夫で。」

「……うん?」


「壁にひびが入りにくい家だ。」

「……ウルリック?」


ソニアの表情は、不思議そうだった。


親父が来るなら、

それくらいは絶対に必要だ。


防音対策もしたいくらいだ。


「気をつけて帰ってね。」

「ああ。」


ソニアに見送られ、ウルリックは門を出た。


そのまま自宅へ向かおうと歩きだし――


隣家の前で、立ち止まった。


門前に立てられた札には、

こう書いてあった。


『売り家』


「……売りに出てるのか。」


声に気づいたソニアが、

門の内側からこちらを覗いた。


「うん。最近、仕事が決まったって言って出て行ったの。音楽家だったみたい。昔はうちとも仲良くしてたのよ。」


「…………。」


ソニアの家の隣。


ウルリックの頭の中では、

ものすごい速さで家の条件が整理されていた。


庭付き、一戸建て。


二階建てで日当たりが良く、

大通りに面している。


治安もいい。


市場も近い。


見たところ、

壁も扉も造りがしっかりしてそうだった。


古いが、目立って気になるような崩れはない。


音楽家の家なら、防音もしてありそうだ。


――すぐにも、売れてしまうんじゃないだろうか。


ここなら、王弟邸からも徒歩圏内だ……。


ウルリックは、

懐から折り畳んだ書類を取り出した。


担保も利子もない――

エーレンベルグ家の住宅貸付金。


勤め始めて、まだ三日だった。


だが。


『いい家が見つかったら、買うといい』


今朝言われた、

エドリックの言葉が脳裏をよぎった。


……安心、安全、安定の王弟家。


「――今から行ってくる。」


「え?」


「売主のところへ。」


「今から??」


「陽が落ちるまでまだ少しある。」


「明日にしたら……。」


「いや、今すぐだ。」


ウルリックは、

札に記された連絡先を確認した。


「一緒に行こう。」


驚いているソニアの手を取り、

足早にそこへ向かう。


売れてしまってからでは、遅い。



          ◆



エーレンベルグ家勤務四日目。


その日の朝は、

エドリックの身支度から始まった。


「家、買ったんだってね。」

「はい。偶然、妻の実家の隣が売りに出ていまして。貸付制度を使わせていただきました。」


「いい住まいが見つかったようで、よかったよ。」

「ありがとうございます。」


エドリックは、

なぜかとても上機嫌だった。


今日は、王宮ではなく外回りの予定らしい。


いつもと少しだけ、身支度の段取りが違った。


「ところで君、髪を編めるかい?」

「……やったことありません。」


言われて気がついた。


そうか……

主人の髪が長いと、

侍従は髪を編めないといけないのか。


「だよねぇ……。」


予想通り、と言った顔で

エドリックは少し考えるようなそぶりをしていた。


そして、窓際の椅子に背を向けて座る。


「ちょっと、やるだけやってみてよ。」


「……こうでしょうか。」


姉がやっていたのを思い出しながら、

何とかやってみる。


よく手入れされた金髪に櫛を通し、

三束に分けて交差させていく。


あ、引っ張りすぎた。


こっちは緩い。


なら、こうか。


……これでいいんだろうか。


「……できました……。」


言ったものの、自信はない。


「どうでしょう。」

「…………。」


酷い出来栄えだった。


あっちの方は飛び出してるし、

こっちの方はほつれている。

結び目は、真っ直ぐ下を向いていない。


エドリックは、しばらく手鏡をじっと見た。


「……下手くそだね。」


自分でもそう思う。


「すみません。」

「まぁ、やり方を知ってるだけ上出来だよ。」


言いながら、

髪をほどいて、自分で編み直していた。


……できるんだ。


「はい、次は君の番。」

「何がですか?」

「いいから座って。」


「……?」


言われるままに椅子に座る。


エドリックが、ウルリックの髪に櫛を通した。

そのまま手際良く編み込んでいく。


「はい、できた。」 


あっという間だった。

手鏡を渡される。


ウルリックの背には、

完璧な三つ編みが仕上がっている。


「……ありがとうございます。」

「練習しといてね。」

「はい……。」


首を傾げながら、礼を言った。


なぜ、

侍従の俺が主人に髪を編まれているんだ?


「顔は、ちょっとマシになってきたね。」


エドリックが、両頬を覗き込む。


腫れはほとんど引いていたが、

青紫のあざはまだはっきりと残っていた。


「薬布で隠そう。」


侍女を呼び、薬箱を取りに行かせる。


そして、

自らウルリックの両頬に薬布を貼り付ける。


……いや。

だから、それが侍従の仕事……。


「うん、これなら何とか。」


鏡の中には、

両頬に白い薬布を貼り付けた男が映っていた。


あざは幾分か隠れ、

先ほどより痛々しさは薄れている。


「ありがとうございます。」

「今日は出かけるよ。服はそのままでいい。」


「このままですか?」

「うん、ちょうどいい。」


何がちょうどいいのかは、

よく分からなかった。


ウルリックは私服のままだった。


改めて見ると、

エドリックも今日は普段より随分と地味な色合いの服を着ていた。


「どちらへ行かれるのですか?」


尋ねると、

エドリックは意味ありげに微笑んだ。


「港。」

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