第6話 ◆ ほんとにそれ、侍従?
家に帰ると、
父は居間の長椅子で眠りこけていた。
今日は外で深酒をしたらしい。
「…………。」
昨日より、幾分申し訳なさを覚えた。
だが――仕方ない。
妻と子のためだ。
あくまでも、騎士にはなれない。
居間の机に座り、
ウルリックは書類を広げた。
「明日までに覚えといてね。」
そう言われて渡された、
エドリックの来月の予定。
どうやらその先に、
顔が治ったウルリックを連れていくつもりらしかった。
予定の中には、船旅も外交先の海外もあった。
それらを侍従用の手帳に書き込みながら、
ウルリックは思う。
これって、本当に侍従の仕事なのか……?
今日一日を王弟邸で過ごしてみて気がついた。
本来、侍従は屋敷にいるものらしかった。
外遊先にまで付き従うのは、
おそらく従者の仕事だ。
「だから……エドリック様付きなのか?」
「あら、帰ってたの。」
顔を上げると、
母と姉が居間へ入ってきた。
二人とも、買い物帰りらしい。
「父さん、また飲んでるの?」
「今日は外で飲んできたみたいだ。」
「もー、ホントいい加減にしてよね。」
姉が呆れながら、
長椅子で眠る父を見る。
「…………。」
家ではああでも、
父が騎士団で厚い信頼を得ていることを、
今日初めて実感した。
母へ目をやると、
眠る父にそっと毛布をかけていた。
「この人はどうも、酒癖だけがね。」
「酒癖だけかしら。」
姉は首を傾げている。
「ところでウルリック、新しい仕事先って?」
母に言われてはっと気がついた。
そう言えば。
言ってなかったかもしれない。
「エーレンベルグ家。」
「は?」
二人は固まった。
姉が驚いて声を上げる。
「あんた、王弟家で働いてるの!?」
「まだ二日目だけど。」
母は、ウルリックの手元の手帳に目を落とした。
「……外国にまでいくような仕事なのかい。」
「俺も今日知りました。」
「何やってるの。」
「侍従。」
母は黙った。
「ほんとにそれ、侍従?」
姉は疑いの目を向けた。
懐から契約書の束を取り出し、二人に渡す。
「…………。」
「……本当だ。」
侍従にしては高すぎる給金と、補償。
手厚すぎる労働環境。
多少、怪しくても――
騎士よりは。
「……私も、侍従の彼氏見つけよっかな?」
契約書から顔を上げた姉は、
母から小突かれていた。
◆
王弟家の訓練場には、
朝から木剣の乾いた音が響いていた。
勤務三日目の朝。
なぜか侍従の俺は、
木剣で主人と打ち合っていた。
「お二人ともお見事です!」
すぐ傍で、
三男のエリオットがにこにこと観戦している。
「やっぱり動けるね。」
「……ありがとうございます。」
木剣で押し返しながら何とか答えるが、
正直余裕はまったくなかった。
エドリック――
この人こそ、かなり動ける。
ウルリックは父に鍛えられ、
騎士団入団まで漕ぎ着けてはいたが……
エドリックは外交官のはずだった。
なのに。
「そこまで!」
エリオットの声が掛かった。
「ありがとうございました。」
互いに礼をし、下がる。
「あー、疲れた。」
言うエドリックの顔は、
まだまだ余裕そうだった。
「お疲れ様でした。」
「ありがとう。」
駆け寄るエリオットから手巾を受け取り、
エドリックは汗を拭いた。
「外交官には、体型維持も必要なんだよね。」
そうなのか。
だが、その割には随分と楽しそうだった。
「父と、僕と、イーサンとエリオット。」
エドリックは数えるように指を折る。
「四人だけで訓練するのも飽きちゃって。君が来てくれて助かるよ。」
――なるほど。
エドリックの強さの理由はそこか。
そういえば王弟も、
「騎士にはならなかった」と言っていた。
ならなかっただけで、
鍛えられていない訳ではなさそうだ。
「ウルリックさんもどうぞ。」
「ありがとうございます。」
手巾を受け取りながら頭を下げる。
これでは、どっちが侍従だか分からない。
「なんだ、終わったのか……。」
背後から声がして、ウルリックは振り返った。
訓練着姿のイーサンが、
木剣を手にして立っていた。
心なしか、残念そうに見えた。
「見た目より、重いよ。まだ痺れてる。」
手首を振りながらエドリックが笑った。
どうやら、先ほど受けた一撃の話らしい。
「そうか!やはりファルク家だな。ギャリック殿の剣も重い。受けると、腕がもげそうなほど痺れるんだ。」
イーサンの目は、
これまでにないほど輝いていた。
長椅子に座っていた時よりも、
幾分か声が大きい気がする。
――この人もやっぱり、騎士なのか。
「エリオット、構えろ。」
「えぇ〜……。」
三男は、見るからに嫌そうだった。
あまり剣を握るのが好きではなさそうだ。
片や、イーサンは肩慣らしのように木剣を振り回している。
……俺でも、相手をするのは嫌だ。
「……では、兄上お願いします。」
「うん、いいよ。」
手にした時計をエドリックに渡し、
エリオットは木剣を握った。
時間制限つきの打ち合いらしい。
「はい、始めー。」
向かい合う二人とは対照的に、
エドリックの声には、全く緊張感がなかった。
再び、訓練場に木剣の打ち合う音が響きだす。
エリオットは避けるだけでも精一杯だった。
というより……。
受けると、飛ばされそうだ。
「ところでウルリック。住むところは決まったのかい?」
「まだです。しばらくは、妻の実家にお世話になろうかと思ってますが……。」
「うん、その方がいいと思うよ。」
エドリックは、打ち合う二人から目を離さないまま続けた。
「外交官の仕事は、長期間家を空けることも多い。夜間に女性一人では不安だろう?」
やっぱり、同行が必要なんだ。
「もちろん、遠征中は特別手当がつくよ。」
ウルリックの不安を見透かしたように、エドリックは笑った。
「だからこれ、先に渡しておくよ。」
「何ですか?」
「今月分の住宅補助と、住宅貸付のための書類。」
「住宅貸付?」
「契約書に書いてあったはずだよ。」
イーサンの一撃に、エリオットがふらついた。
エドリックは表情も変えずに話し続ける。
「王弟邸から徒歩圏内の家屋の購入に、エーレンベルグ家から資金を貸し付けることができる制度。担保も利子もないから、いい家が見つかったら買うといい。」
「…………。」
確かに、
契約書に書いてあったような気がする。
だが、あれは確か、
長年勤めた者が使える制度じゃなかっただろうか。
「……要るだろ?」
「ありがとうございます……。」
なぜ、自分が対象なのか。
一瞬、不安がよぎったが、妻と生まれてくる子供のことを思えば断る理由はなかった。
ウルリックは書類を受け取った。
「兄上……!」
その時、エリオットから悲痛な声が上がった。
「何だいー?」
「ちょっと、長すぎませんか……!?」
半ば悲鳴のような声に、
エドリックは時計に視線を落とした。
イーサンは、なおも容赦なく打ち込んでいる。
なんとか受け流しながら、
エリオットは叫んでいた。
「兄上!」
「……ああ、忘れてたよ。」
「兄上ぇ!?」
「はい、そこまでー!」
礼を終えた途端、エリオットは膝をついた。
肩で息をしている。
「……どうぞ。」
ウルリックは手巾を渡した。
「…………。」
エリオットは、
膝をついたまま軽く頭を下げた。
声も出せないようだった。
イーサンは、汗もかいてはいない。
……化け物かもしれない。
逆に、
よくあの時間を無傷で耐えたものだと、
エリオットに感心した。
立ち上がるエリオットに、
ウルリックは肩を貸した。
勤務三日目。
やっと、侍従らしいことができた気がする。




