第5話 ◆エーレンベルグ、あと二人。
全く、昨夜は酷い目にあった。
殴られこそしなかったものの、
父と騎士団長に朝方まで泣きつかれ、
ほとんど眠ることができなかった。
そんなウルリックの酷い寝不足と、
両頬に残るあざを見たエドリックは。
「その顔で隣に立つのはやめてよね。」
そう言い残し、王宮へ出かけて行った。
やはり、性格が悪いに違いない。
顔のあざが落ち着くまでは、
屋敷内の仕事を覚えるようにとの指示だった。
他の侍従達から仕事を教えてもらい、
段取りを覚える。
「ウルリックさん、そちらのものはリネン室へ。」
「ウルリックさん、エドリック様用の茶器はこちらになっております。」
「ウルリックさん、エドリック様の一日の予定は……。」
「…………。」
ウルリックは、ふと手を止めた。
仕事はそう難しくはなかった。
だが。
――なぜ、全員こんなに丁寧なんだろう。
自分は、昨日入ったばかりの新人だ。
しかも侍従の経験などない。
「ウルリックさん……」
「あの。」
「はい?」
「新人の私に、なぜ皆さんそんなに丁寧なんでしょう。」
尋ねると、
一瞬、先輩の侍従が固まった。
「――エドリック様付きですので。」
それだけ言って、
彼は作業に戻っていった。
何だか、少し怯えているようにも見えた。
なんなんだ。
浴室の備品を確認しながら、
ウルリックは考えた。
エドリック様付き。
……もしかして、
普通の侍従とは違うのか?
だから、待遇がいいのか。
「…………。」
エドリックに、
何かあるんだろうか。
「あの、ウルリックさん。」
「はい。」
顔を上げると、
穏やかな微笑みを浮かべた少年が立っていた。
明るい茶色の髪に、青い瞳。
年の頃は十五、六辺りだろうか。
生真面目そうな、とても丁寧な印象だが……面差しが、誰かに似ている。
隣にいた侍女が、
慌てて頭を下げる。
「はじめまして。三男のエリオット・エーレンベルグです。」
――三男。
雇い主側だ。
言われてみれば、エドリックに似ているのだ。
エリオットは、
ごく自然にウルリックへ手を差し出した。
「お仕事中のところ、申し訳ありません。
兄のイーサンが呼んでおりますので、こちらへ来ていただけますか?」
先輩の侍女へ視線を向けると、
小さく頷かれた。
行っていいらしい。
「……承知しました。」
「ありがとうございます。」
侍女にまで頭を下げ、
エリオットは廊下を歩き出した。
どうなっているんだ、この家は。
「事情は少し、お聞きしています。」
歩きながら話すエリオットの声は、
遠慮がちだった。
「どうやらウルリックさんは、
騎士団入団後に兄の下に就く予定だったようで。」
「そうだったんですか。」
知らなかった……。
と言うことは、
また説得だろうか。
昨日の父と団長の様子を思い出し、
ウルリックは眉を寄せた。
嫌だな。
「こちらが兄の部屋になっています。」
そう言って、
軽く扉を叩いた。
「入れ。」
「どうぞ。」
扉まで開けられる。
……それは、
侍従の俺の仕事だった。
「失礼致します。」
妙な居心地の悪さを感じながら、
ウルリックは中に入った。
落ち着いた設えの部屋の奥で、
これまた落ち着いた様子の男性が長椅子に腰をかけていた。
ほとんど黒に見える、
深い濃茶色の髪。
端正な顔立ちは、
王弟殿下に似ていた。
険しそうな眉に、
深緑の瞳は鋭い。
背はエドリックほど高くはなかったが、
体つきはしっかりしていた。
――見るからに、騎士だった。
手にしていた本を置き、
静かに立ち上がる。
「イーサン・エーレンベルグだ。突然呼び出してすまない。」
そして、
ウルリックと握手を交わした。
「座ってくれ。」
そう言って、
ウルリックに席をすすめる。
「……失礼します。」
本当に、
どうなっているんだろう。
長椅子の座り心地は、
驚くほど柔らかかった。
「――俺は、兄上ほど話すのが上手くない。だから単刀直入に言う。」
そう話すイーサンは、
エドリックより随分年上に見えた。
……こっちの方が、
長男なんじゃないだろうか。
「団長に、お前を引き留めて来いと言われた。」
やはり。
予想通りの言葉に、
ウルリックは身構えた。
「……すでに、契約書にサインしましたが。」
「わかっている。だから、団長に言えと言われたことだけ言わせてくれ。」
イーサンは、
一息吸った。
「騎士団はいいぞ。熱い友情、男の浪漫。共に死戦を潜った後の酒はうまい。騎士団最高。騎士団はお前を待っている。――以上だ。」
「……ちっとも心は揺らぎません。」
「わかってる。俺もそう思う。」
イーサンは、
とても苦いものを噛んだような表情をしていた。
その声に、気持ちはちっともこもっていなかった。
「今日、団長の新人達への当たりがいつもより酷かったんだ。」
「昨日は、我が家で酔い潰れてましたが。」
「……それは、本当に申し訳ない。」
なぜか、
イーサンが頭を下げる。
「ウルリックは入団後、俺の下に就く予定だった。」
「…………。」
ファルク家は代々騎士を輩出してきたが、
爵位を持つ家ではない。
ウルリック自身も、
騎士を目指す者が通常踏むはずの従者や従騎士の段階を経験していなかった。
「団長は、ウルリックの入団を心待ちにしていたらしい。」
……今更ながら。
随分と期待されていたんだな。
昨日、酔っ払っていた父と騎士団長に、
少しだけ申し訳なく思えた。
「……俺も、正直惜しいとは思う。だが、妻子のためにした決断に間違いはないと思う。団長には、俺から話をしておこう。」
「ありがとうございます。」
ウルリックは深々と頭を下げた。
イーサン様は、なんて話のわかる人なんだ。
目の前の机の上には、
読みかけの本が置いてあった。
ウルリックの知っている騎士達は、
おそらく本なんか読まない。
この人は、あの騎士達とどうやって上手くやっているんだろうか。
「失礼します。」
再び扉の開く気配がし、
淡い湯気の立つ茶器が運ばれてきた。
「どうぞ。」
「あ、どうも……。」
ウルリックは茶器を受け取り、顔を上げた。
――思わず固まった。
「……エリオット様。」
「私もご一緒させてください。」
そう言ってエリオットは机の上に茶器を並べ、
ウルリックの隣に座った。
なぜか、にこにこしている。
「エリオットの淹れる茶は美味いぞ。」
「ありがとうございます。」
三男は嬉しそうだった。
イーサンは何の疑問もなく、
茶を口にしている。
……淹れたんだ……。
自分で。
茶を。
この家の侍従の仕事は、どこにあるんだろう。




