第18話 ◆貂と兎。
「金貨五百枚にて、レナール様が落札されました。」
会場に、木槌の音が高らかに響いた。
気付けに効く、木の根の汁を煮詰めた液体だった。
これ自体は違法ではない。
だが、煎じ方次第でイール王国内で禁止されている薬品を製造できるらしい。
「では、次の商品を。」
男の声と共に、十品目の商品が壇上に運び込まれた。
人夫が二人がかりでやっと持ち上がる大きさの木箱だった。
「――これも落とす。」
すでに三品ほど落札していたが、
エドリックは迷うことなく、組んでいた腕を解いた。
重要なのは中身ではない――
裏から運び出さなければならない大きさの商品であること。
裏の搬入口に自然に近づくために、
それを競り落とすことが必要だった。
「こちらはこれまでの商品とは異なり、少量での販売ではございません。」
男の口上が始まった。
「ここにお集まりの皆様の手元に、すでにお届けしました“試供品”。
その、原料となる花の種でございます。」
会場中が、どよめいた。
「搾った油からは皆様方がご存じの品を得ることができ、畑に蒔けば、より多くの種子を得ることも。」
――明らかに、客達の空気が変わった。
「育て、花を咲かせ、再び種を収穫することで、皆様方の商いに豊かな財を呼び込む――幸運の花の種でございます。」
「……まずいな。」
エドリックは、息を呑んだ。
これまでに開かれた競りでも、
すでにいくつかの箱が各地へ流れている可能性がある。
もしも、イール国内に流出していたら……
今ここにある一箱を押さえれば済む話ではない。
「では、金貨五百枚から。」
ウルリックは、主人を見た。
珍しく目が笑っていない。
「千枚だ!」
第一声で、倍の値段になった。
誰もが、その価値を理解しているようだった。
無限に膨らむ財の種――
それを逃すような無欲な者は、
ここにはいない。
「二千。」
「俺は二千五百出す。」
「二千七百。」
皆が次々と、手を挙げる。
「三千だ。」
エドリックが手を挙げた。
「……三千百。」
老齢の伯爵が、少し遅れて手を挙げる。
「では、三千二百。」
エドリックがすぐに返した。
「――他には居られませんか?」
壇上の男が、会場を見渡す。
誰も、手を挙げないようだった。
「では……」
「四千だ。」
木槌が振り下ろされようとした瞬間。
会場の最後列から声が上がった。
振り返った途端、
エドリックの視線が凍りついた。
「――ディアオ様から、金貨四千枚が提示されました。他には居られませんか?」
壇上の男が言う。
ウルリックは、その声の主を見た。
会場の最後列。
深い頭巾に顔を隠した男が、席にも着かずに立っていた。
傍らには、入り口で二人を迎えた少年が控えている。
《貂》ディアオ。
華陽の言葉で、それは美しい鼬鼠に似た獣を意味した。
「……鼬鼠め。」
エドリックが、低く吐き捨てた。
――この男が、巣穴の主なのか。
「四千百だ。」
エドリックは、更に値を上げた。
「四千五百。」
「四千六百だ。」
「では、四千八百。」
鼬鼠は、なおも値を吊り上げる。
エドリックの口元が、苛立たしげに歪んだ。
「――五千だ。」
高らかに、木槌の音が響いた。
振り返ると、貂は既に姿を消していた。
「金貨五千枚にて、レナール様が落札されました。」
◆
「何が《貂》だ、そんな上等な生き物じゃないだろう。」
隣にいるウルリックにだけ聞こえるほどの小声で、エドリックは吐き捨てていた。
「レナール様。」
「なんだい、ヴォルフ。」
嗜めるつもりで声をかけると、
主人はすぐまた“レナール”の顔に戻った。
……呆れを通り越して、感心すらする。
この主人の面倒な性格は、こうして出来上がったのか。
これ以降の商品を購入する意思がないことを伝えると、奥の部屋へ案内された。
中には、先ほど商品を購入した客達が思い思いに寛いでいた。
娼館の女主人は、男娼と酒を飲み、
未亡人は、老執事に紅茶を注がせていた。
軍人崩れの男は、購入した商品の捌き方を小柄な商人と算段しているようだった。
漏れ聞こえる話では、傭兵部隊に売りつけるらしい。
……危なすぎる。
「レナール様、こちらへ。」
エドリックが席に着くと、商会の男が競り落とした商品の目録と金額が書き込まれた書類を差し出した。
・商品目録四、金貨三百枚
・商品目録六、金貨八百枚
・商品目録九、金貨五百枚
・商品目録十、金貨五千枚
合計で金貨六千六百枚。
――城が買える金額だった。
「まずは手付金を――」
「必要ない。」
小切手と羽ペンを渡そうとする男を遮って、エドリックは片手を挙げた。
「即金で。」
ウルリックは、
背負っていた革袋を机の上に置いた。
どん、と鈍い音がして木製の机が揺れた。
袋の口を開けて見せると、中には小分けにもされていない金貨がぎっしりと詰め込まれていた。
――俺がやった。
エドリックに命じられ、
商品が落札されるたびに。
小分けにされていた金貨の袋を、
その金額分ずつわざわざ開封した。
合計で六十六袋。
少々、骨が折れた。
「確認してもらえるかな?」
エドリックは、溜まった鬱憤を晴らすように、
商会の男へ穏やかで意地の悪い笑みを向けていた。
刻限までの時間を稼ぐため。
向こうの人員を割き、注意を逸らすため。
色々と理由はあるらしかったが、
半分くらいは嫌がらせだろう。
「……おい、誰か人を呼んでこい。」
商会の男は裏方に声をかけ、
金額の確認に人を集め始めた。
ウルリックが胸元から懐中時計を取り出し、
時刻を確認する。
約束の刻限まで、あと四半刻ほどあった。
「――ああ、それと荷物の運び出しの経路も確認したい。誰か案内してもらえるかな。」
獲物を捉えるように、狐の目が光った。
商会の男は一瞬面倒そうな顔をしたが、
太客であるレナールを無碍にすることは出来ない。
「ヴォルフ、頼めるね。
僕は気が変わったから、もう少し競売を見てくるよ。」
そう言い残し、
エドリックは会場の方へ足を向けた。
――あと、四半刻。
◆
潮の匂いが、鼻をついた。
先ほどの部屋の奥に、
水路に繋がる両開きの扉があった。
水路脇に案内されながら、
ウルリックは周囲を確かめた。
通路というには十分すぎる幅の足場だ。
海から直接運び込んだ荷を、ここで降ろすのだろう。
黒い水面には、小さな船が一艘浮かんでいる。
「大口の荷はこちらから海へ運び出します。
その先で馬車へ積み替えるのが、一番人目につきにくいでしょう。」
「……そうか。」
頷きながら、ウルリックは背後を振り返った。
部屋へ繋がる両開きの扉には、水路側から掛けられる太い閂が備えられていた。
ここを閉ざせば、会場側に残された退路は
表側の入り口だけになる。
そこは、間もなく別の者が押さえる手筈だった。
足場の右手奥には、一階へ続く階段があった。
位置的に見て、表の船具店へ通じていそうだった。
ウルリックは懐中時計を確かめた。
刻限までは、まだ少しある。
「では、競りが終わるまで先ほどの部屋でお待ちください。」
「…………。」
案内役の男の腰には、短剣が下がっている。
商会側の人間は、全員武器を携帯していた。
ならば……。
こちらも、武器が必要だ。
ウルリックは立ち止まった。
「あちらの階段も確認したい。」
案内役の男に、右手奥の階段を指し示す。
「一階に続いているだけですが……。」
「レナール様は慎重なんだ。万一の退路も確保するように言われている。」
「……わかりました。」
男は面倒そうに息を吐き、
ウルリックを連れて階段へ向かった。
「上は、船具店になっています。」
「人はいるのか。」
「商会の見張りがおりますので、ご安心ください。」
なるほど。
では――静かに。
「動くな。」
狼は動いた。




