第16話 ◆狐と狼。
――とうとう、三日が経ってしまった。
港町に向かう馬車に揺られながら、
ウルリックは眠気と戦っていた。
まだ夜明け前だった。
エドリックも眠いらしく、
向かい側の席で目を閉じている。
改めて見ると――
女性だけでなく、男性からも恋文が届くのも納得の顔立ちだ。
「……何見てるの。」
……バレていた。
瞼を閉じていても、その目はよく見えるらしい。
「君の名前、今日はヴォルフね。」
片目だけ開けながら、エドリックは言った。
「僕はレナール。」
「街に入った瞬間から、監視されてると思って。」
――《狼》ヴォルフに、《狐》レナール。
「……そのまますぎませんか。」
「いいんだよ、鼬鼠にはもうバレてる。」
《鼬鼠》。
「巣穴にさえ入り込めればいい。」
どうやら、鼬鼠が獲物だそうだ。
「鼬鼠狩りですか。」
「そう、鼬鼠。」
そう言うエドリックは、珍しく苦々しい顔をしていた。
『鼬鼠狩り』
エドリックは、この仕事をそう呼んでいた。
鼬鼠は、一つの巣穴に執着しない。
ある程度の利益が出れば、
自らが狙われる前にその巣穴ごと捨てる。
配下の者も、根城も、すべて丸ごと手放す。
そして大元の鼬鼠だけは、
決して尻尾を掴ませない。
そうやって足がつかないまま、
イール王国内で何度も犯罪を繰り返す鼬鼠を追い、その巣穴を潰すのが仕事だそうだ。
今回の件にも、
その鼬鼠が絡んでいるらしい。
「面白くないんだよね。」
国王が求めているのは、
鼬鼠の巣穴を広げさせないことだった。
一つ潰せば、それで十分。
次ができたら、また潰せばいい。
だがエドリックにとっては、
それでは足りないらしい。
「いつも、あと一歩のところで逃げられる。」
それが、癪に障るようだった。
「なぜ、国王陛下は掴みに行かないんですか?」
疑問に思って尋ねると、
エドリックは意味深に口角を上げた。
「さすが、君はせっかちだね。」
そして、いつもの微笑みに戻って息をついた。
「相手が、華陽国の王族だからだよ。」
◆
馬車が港町に入った頃には、空がうっすらと白み始めていた。
借りている家へ着き、
エドリックから受け取った鍵で扉を開けた。
中へ一歩踏み込んだところで、
エドリックが、ウルリックを制止するように手を挙げた。
「……誰か入ったな。」
エドリックは、唇に指を当てた。
余計なことは話すな、と言うことだ。
そのまま、棚の裏や窓枠の下を順に指差す。
「ヴォルフ。」
「……承知。」
言われた場所を調べると、黒い小さな箱のようなものが出てきた。
エドリックはそれを水の入ったカップに沈めた。
「――これで全部かな。」
「何ですか、これ。」
「盗聴器。」
「黎明国の発明品らしい。
音を、離れた場所から聞き取れるんだ。」
そう言って、顔を上げた。
「僕たち、ずいぶん警戒されてるみたいだね。」
エドリックは辺りを見回しながら声を張った。
他にも仕掛けられていることを分かったうえで、相手側に聞かせているのだろう。
水に沈んだ盗聴器を眺めるウルリックへ、
エドリックは悪戯っぽく目を細めた。
「これ一つで、家が一軒買えるよ。」
ウルリックは目を見張った。
――家三軒分を、水に沈めてしまった。
◆
まずは、鼬鼠の配下から信頼を得なければならないらしい。
“レナール”は金を持て余し、
最近になって裏の商売に手を出した若い貴族。
“ヴォルフ”は新しく雇われたその配下。
そしてまとまった量を買い付け、
それを捌けるだけの金と販路を持つ、
大口の買い手だとあちらに認めさせたかった。
そのためにまず、
二人は港近くの賭場を訪れていた。
朝だというのに、中にはすでに何人もの客がいる。
エドリックが姿を見せると、奥の卓にいた男がすぐに手を挙げた。
「ヴォルフ。」
仮の名を呼ばれ、ウルリックはその卓に近づき、椅子を引いた。
エドリックはそこへ、当然のように深く腰を下ろした。
「やあ、久しぶりだね。」
「レナール、この間のものはまだあるのか。」
男は待ちきれない様子で、身を乗り出していた。
「まあ、慌てるなよ。」
いつもより少々崩した言葉で話しながら、ウルリックへ視線をやる。
ウルリックは手にした革鞄から、
小さな紙包みを取り出し、男の前に置いた。
「おお、これだ。待ってたんだ。」
男は満足げにその包みを確認し、懐にしまった。
「それと、こっちも試してみてくれ。」
ころんとした小さな丸い塊を数粒
男の前に転がした。
赤い紙に包まれ、両端を捻るように止めてある。
「なんだこれは。」
「新作だよ。」
「効くのか?」
エドリックは黙って微笑んだ。
「試してみるとわかるよ。」
「……そいつぁ、いいな。」
男は、何か効果を期待しているらしかった。
「だが、あんまりやり過ぎるなよ。」
「すると、どうなる?」
エドリックは低く、声を潜めた。
「少量ならいい。だが、やり過ぎると……。」
男が、息を呑んだ。
「歯が使い物にならなくなる。」
……虫歯のことだ。
「頭も、いかれちまうな。」
摂りすぎによる集中力の低下。
「それに、身体が変わっちまう。」
肥満のことだろう。
「……あぁ、気をつける。」
男は神妙な顔つきで頷き、
その粒も懐にしまった。
そして男は、ウルリックの知っている相場よりも明らかに高い金額を払った。
代金を受け取り、その顔を見る。
男は、やっと欲しかったものを手に入れた時のように満ち足りた表情でその場を去った。
複雑な気持ちに、ウルリックはなった。
「……なんだい、ヴォルフ。」
「いえ……。」
眉を顰めるウルリックを尻目に、主人は
目を細めていた。
「レナール、あれをくれ。」
そして、“レナール”は訪れた次の客を、
席に招いた。
ウルリックは再び、
黙って紙包みを鞄の中から取り出した。
「…………。」
いいんだろうか。
その後も、二人は港のいくつかの店を回った。
酒場に煙草屋、会員制の遊戯場など……
停泊中の船の乗組員達は、暇を持て余している。
「効くのか。」
「試してみるとわかる。」
船乗り達は、航海中の眠気覚ましや酒酔い・船酔いの緩和、精力増進など、あらゆる効果を求めてレナールの所へ商品を買いにやってきた。
その度に、ウルリックは紙包みを出し、大金を受け取る。
昼を過ぎる頃には鞄はすっかり軽くなり、財布はずっしりと重くなっていた。
包みの中身は――ただの砂糖菓子だった。
人は、効くと思って口にすれば、
ただの砂糖でも効果を得られるらしい。
◆
借家に戻ったのは、昼をすっかり過ぎた頃だった。
エドリックは遅い昼食を済ませると、
「夜まで寝る」と言って、さっさと奥の部屋に引っ込んだ。
「君も寝ておくといいよ。」
予定の時間まではまだかなりある。
三日後。
リック像の左側。
港の名前のついた店。
広場で子供から押し付けられた許可証と……開始の時間。
「八匹分」
二つ目の店でそう頼んだ木の根は、11本入っていた。
頼み方そのものが、巣穴に潜り込みたい客からの合図。
実際に入っていた本数が、開始時間を示していたらしい。
あの日から三日後の今日。
リック像から見て左側の、
港の名のつく店で、十一時開始――
「……ソニアどうしてるかな。」
今夜は帰れそうになかった。
ウルリックも長椅子で仮眠を取ることにした。
それから、しばらく――
ウルリックが目を覚ました頃には、窓の外はすでに夕暮れを迎えていた。
目の前の机には、
薄紙で包まれた小さな薬袋がいくつも重ねて置かれていた。
一つを手に取り、
置かれていた灯りに透かしてみた。
中にはサラサラとした粉状のものが入っている。
――これ、どれくらいの金額で取引されるんだろう。
「――燃やしちゃダメだよ。」
振り返ると、そこには仮眠から目覚めたエドリックが立っていた。
葡萄色をした異国風の前合わせの衣装を身につけている。
下ろした髪を半分だけ結い上げ、そこに簪を挿していた。
「煙にしても、効果があるんだ。」
思わず、ウルリックは灯りから薬袋を遠ざけた。
「興味あるかい?」
悪戯っぽく“レナール”は微笑んでいる。
ウルリックは首を横に振った。
「……少し舐めてみたけど。
これはヤバいね、一人でやるもんじゃない。」
……舐めたんだ。
一人でダメなら、二人でもダメだろう。
「まあ、金になるならなんでもいい。」
盗聴器に拾わせるように、
エドリックは口にした。
「行こうか、ヴォルフ。」
“ヴォルフ”は頷いた。




