その12 イグーラの部屋へ
入ってきた時はあまり分かっていなかったが、この敷地内にはいくつかの建物がある。今いるのは東棟、先ほど訪れた談話室は本館。本館には講堂や会議室、教室などの比較的広い部屋があり、東棟は基本的にいくつもの居住スペースがある。
ラトスに続いて階段を降りながら、目の前の背中が少し緊張しているように感じられ、アリアは思わず声をかけた。
「ひょっとして怖い人ですか?イグーラ様」
ラトスはそれを聞いて、背を向けたまま軽く肩を竦めた。
「怖くはないよ、基本的には穏やかな爺さまだ。だがまぁ、俺はちょっと苦手かな」
「どうして」
「会えば分かる。いや分からんか、その方が幸せかもなぁ」
アリアとセイアは何となく顔を見合わせた。そのうちに、三人は一つの扉の前にたどり着いた。ここはちょうど、セイアの部屋の真下に当たる。ラトスは背筋を伸ばすと、扉に付けられたノッカーを二回打ち鳴らした。
「失礼いたします」
すぐに中から反応があった。ガチャリと扉が開き、小柄な老人が顔を出す。
「おうラトス、早かったのぉ。さぁー入んなさい入んなさい」
老人は、比較的アリアの想像通りの姿をしていた。いかにも魔法使いらしい、古めかしいローブを羽織り、木製の杖を手にしている。頭頂部の髪はすでに皆無、長い後ろ髪と伸ばした顎ひげは共に真っ白。目の色は薄いブルー、そして左目にはモノクル。アリアの想像と少し違ったのは、彼がいかにも温和そうなオーラを出していたことくらいだろう。
「二人ともようこそ。話はラトスから聞いとるよ。紅茶でいいかな?」
老人は嬉しそうにそう言いながら、杖をついてちょこまかした動きで部屋の奥の方へ入っていった。アリアとセイアは「お邪魔します」と小さな声で言うと、恐る恐る中へと足を踏み入れた。
部屋の内部は意外と普通だが、壁にしつらえられた大きな棚には、古そうな書物と茶色っぽい瓶などがたくさん並べられている。うっすらと薬の匂いがしたが、すぐにそれは華やかな紅茶の香りに打ち消された。
「まぁ、そんな固くならんで。座んなさい、二人とも。ラトスも、突っ立ってないで」
促されて、三人は丸い木のテーブルを囲んで席に着いた。イグーラは、自ら紅茶を一人一人の前に置き、自らも席に着くと、アリアとセイアをかわるがわる見た。
「とりあえずは自己紹介といこうかの。わしはイグーラ・フォトリス、だいぶ昔の黄魔様じゃ。今では、ただあれこれ指図して威張ってるだけの老いぼれじゃよ」
「アリア・コーダです。初めまして……」
「初めまして、セイア・バトルです。今後いろいろとお世話になります、よろしくお願いします」
二人が挨拶をすると、イグーラは髭を撫でてにっこりと目を細めた。
「こんな日が来るとは、長生きはするもんじゃの。……さて、まずはアリア・コーダ。おまえさん、自分がどういう立場でここへ呼ばれたのか、聞いているかね?」
にこやかな笑顔のままでそう切り出され、アリアは返答に困った。聞いていると言えば聞いているが、実感は伴っていない。
「……ちょっとまだよく分かってないかもしれないです。俺……えっと、私の父親が不老不死だという話は、さっき聞かされました」
微妙な気持ちでそう答えた。自分の口から出た『不老不死』という単語が、あまりにも現実離れして聞こえる。イグーラは頷き、自分の前の紅茶を一口飲んで息をついた。
「そうじゃな。そこはまぁ、理由としては大きい。しかもおまえさんは、父親……スバルによく似ておる。だが、こうやって見ると、どことなくステアにも似てる気がするのぅ」
しみじみとそう言った後、イグーラはラトスへと目を移し、意味ありげに片目をつぶった。
「スバルとステアの子は死んだ、という噂はまことしやかに囁かれていたし、わしも正直、そう思っていた。仮に生きていたとしても、まぁ見つかることはないだろうと。……執念だのぅ、ラトス。まさか見つけ出してくるとは」
「…………」
それを聞いて、アリアも思わずラトスに目を向けた。ラトスは目を逸らし、それには何も答えなかった。
ラトスが自分のことを、長い間探していたことは知っている。それは『執念』なのか、それとも亡きステアへの『執着』なのか。アリアの気持ちは複雑だった。ラトスのことは信用しているし、恩もある。だが本当のことを言えば、ラトスにはもっと、今の恋人であるシルヴィアに目を向けて欲しい。
「そして、セイア・バトル。『北国の悪魔』じゃの。ラトスもまた、ずいぶんな問題児を拾ってきたもんじゃ」
イグーラの面白そうな声に、はっと我に返った。セイアはアリア以上に緊張した面持ちで、だがまっすぐにイグーラの方を向いていた。
「そういう言い方はないでしょう、イグーラ様。こいつの境遇はご存じのはずです」
抗議するようなラトスの声に、イグーラはぱたぱたと片手を振って見せた。
「分かっとるよ、ただの冗談じゃろうが。時にセイア、叔母君は息災かの?」
「は……、叔母ですか?はい、元気にやっていますが……」
戸惑うセイアを眺めながら、イグーラはにこにこと紅茶を飲んだ。ラトスはやや苦い、だがどこか心配そうな表情で、隣に座るセイアを見守っていた。
「叔母をご存じなのですか?」
「うん。叔母君から、何も聞いとらんかね?昔……おまえさんが生まれたばかりの頃に一度、顔を合わせとるよ。『セラディーズにその子を預けませんか』と提案に行っての。まぁ結果的に、こっぴどく振られたわけじゃが」
「えっ……?」
セイアは今度こそ言葉を失った様子で黙り込んだ。沈黙の中、イグーラが呑気に紅茶を啜る音だけが響く。




