その10 母の遺したもの
アリアは窓の外へ向けていた目を、ふと机の上へ落とした。その時、視界に入ったものがあり、驚いて思わずそれを手に取った。
「え、これって」
写真立てだった。写真の中には、四人の男女が写っている。シンシアと、さっき写真で顔を見たばかりのスバル、そして……故人である翠魔のファイア・ローランと、黄魔のステア・コーダ。ステアはアリアの母親だ。
くだけた感じのパーティーで撮った写真だろうか、それぞれにちょっとおしゃれした雰囲気だ。ラトスが写っていないのは、ラトス自身が撮影者だからだろう。
先ほど見せられた地球の写真に比べると、明らかに明度も彩度も落ちる。だが、良い写真だった。皆若く、表情が生き生きとして、話し声が聞こえてきそうだ。笑顔が眩しく見え、胸が鈍く痛んだ。この中の二人はもうこの世にはおらず、一人は行方が分からない。
「ここは、もともとステア様のお部屋だったそうですよ。……できる限りステア様がご存命だった当時のままにしておきたい、というラトス様の強いご意向があって。お洋服とかもクローゼットに少し残ってますので、もしご不要なものがあればおっしゃってください」
ソフィアは気を遣うように声を落として、アリアにそう説明した。アリアは黙って頷くと、写真立てを机に戻した。
ラトスには今、恋人がいる。身寄りのないアリアを親身になって育ててくれた女性、シルヴィアだ。彼女は、ラトスに導かれて中央国へ赴くアリアを、快く送り出してくれた。今も西国からアリアを見守ってくれている。ステアがラトスの恋人だったのは、はるか遠い昔、アリアが生まれる前の出来事。
(分かってる。それとこれとは、別の話だ)
アリア自身も今なお、失われた過去の恋にとらわれている。時が経ち、傷が浅くなることはあっても、完全に癒えることはないだろう……この先もずっと。亡き恋人のこの部屋を、そっと守りたいと思うラトスの気持ちも、痛いほど分かる。
意識して写真から目を逸らし、改めて部屋を見回した。
まだ全然自分の部屋という感覚がないが、一人掛けのソファーに置かれたくたびれた旅行鞄を見つけ、少しほっとした。西国で詰めてきた、自分の荷物だ。
「あ、そうそうこれ、ラトス様が持ってきてくれたんですけど。でもっ、アリア様、本当にお荷物これだけですか⁉ 少な過ぎません?セイア様のお荷物もちらっと見ましたけど、本だけで大きな箱が三つもありましたよ?」
「物は増やさない主義だからな。今は身軽なのがスタイリッシュな時代だろ」
恰好をつけてそんなことを言ってみたが、アリアの荷物が少ないのは単純に貧乏だからだ。着替えが少し、ペーパーバックの本が数冊、あとは大切な手紙や小物などが少し。鞄に詰めると、普通に旅行に行くくらいの荷物に収まってしまう。
思いついて近くのクローゼットを開けてみた。仕立ての良いワンピースやドレスが十枚ほど、ハンガーに吊るされて入っていた。甘いフリージアの香りがふわりと鼻腔をかすめる。
オフホワイトのワンピースを一枚手に取って、自分の身体に当てると、思った以上にしっくりと馴染んだ。ステア・コーダが自分の母親だと知ったのはつい最近だが、やはり血がつながっているだけあって、顔は似ていなくてもスタイルや好みは似ているものかもしれない。
(ぜんっぜん、記憶とかないけどな。初めて写真見たのも、つい最近だし)
そんなことを考えながら、ソフィアに声をかけた。
「これ、俺が着てもいいの?」
「もちろんいいですよ、この部屋にあるものは全部好きに使ってください。デザインとか少し古いかもしれませんが、まだ着られると思いますよ」
ソフィアはにこやかにそう答えた後で、「あっ」と小さく声を上げた。
「アリア様、制服ってもしかして、女子用の方がいいですか?男物を着ることが多いとお聞きして、男子用の制服をご準備しようかと思ってたんですけど」
「えっ……それって、自分で選べるの?」
「それはもちろん!アリア様は、神魔候補ですよ? よろしければ、制服は女子用と男子用、両方ご用意させていただきます。その他にも、ご入用のものがあればなんなりとおっしゃってください。ものすごく高価なもの以外でしたら、ご用意できると思います」
アリアは、目を白黒させながら頷いた。今までは、シルヴィアのお陰で不自由こそしなかったものの、そこそこ貧乏暮らしだった。少し贅沢がしたいと思えば仕事を増やすしかなく、無理をしてアルバイトを入れたこともあった。
こういったことの一つ一つが、特別待遇なのだろう。それだけ与えられた役割が大きいということだ。浮かれた気持ちにはなれない。




