迷子
──今から三百年前。
リューマはまだ、魔界で暮らしていた。
年齢は二百歳。
人間でいえば、ほんの十歳くらいだ。
身寄りのないリューマは、魔王軍の養成施設で育った。
剣術の才を認められ、将来は将官も夢ではないと評価されていた。
そんな彼が、どうして現在のような覇気のない守銭奴に成り果てたのか。
それには、あるきっかけがあった。
リューマには、幼馴染がいた。
同じ養成施設で育った少女、アリシアス。
彼女は魔法研究の分野における若き天才……否、魔法オタクだった。
「大変よ、リューマ! 別の世界に行ける方法が見つかったわ!」
白衣を靡かせ、アリシアスが言う。
リューマは剣の素振りをしながら顔を顰めた。
「はぁ? 別の世界ぃ?」
「そうなの! 大昔に開通した痕跡のある〝世界樹の回廊〟が見つかってね! 比較的近い場所にある果実へ行けるみたいなの!」
興奮したアリシアスの話はいつも小難しく、リューマにはよくわからなかった。
なので、「はいはい」「わかったよ」「好きにすれば?」と聞き流すのがお決まりだった。
この時もそんな調子で、適当に同調していたら──
「──……なんでこうなった」
リューマはいつの間にか、別世界へと転移していた。
思い返すと、アリシアスは「実験」だとか「人間界」だとか言っていた気がする。
見た限りでは、リューマが暮らす魔界と変わらない景色に思えるが……
と、樹々が生い茂る森の中を見回していると、
「ん……? こんなところに子供が?」
樹の向こうから、誰かが現れた。
大人の男だった。
ブロンズの髪に蒼い瞳。鎧を身に纏い、長剣を携えている。
リューマは戸惑い、警戒する。
格好からして兵士。
別世界から来たことがバレたら、捕虜にされるかもしれない。
腰に差した剣を抜こうと、リューマは構えるが……
「見かけない顔だな。僕はマディス・ラヴディ。この領地の警備隊長だ。迷子なら保護してやるぞ?」
目の前の男は優しく言って、リューマに手を差し伸べた。
──リューマはマディスに連れられ、人間の街に辿り着いた。
そこでの暮らしは、魔族のそれと大差なかった。
ただ一つ、大きく違うのは……
人間たちは争いを好まず、とても穏やかで、親切だということ。
魔族は精神生命体。
替えの利く肉体の強さより、精神の強さがものを言う。
そのため、魔族の多くは高圧的で、攻撃的で、尊大だ。
そんな魔王軍の大人たちばかり見て育ったリューマにとって、人間は殊更弱々しい生き物に見えた。
(見ず知らずの子供にここまで低頭な姿勢を見せるとは……こいつら、プライドってモンがないのか?)
マディスが所属する警備隊の屯所でお菓子をごちそうになりながら、リューマがそんなことを考えていると、
「マディス隊長。また例の『畑荒らし』が出たそうです」
隊員の一人が部屋に飛び込み、そんな報告をした。
リューマはお菓子を齧りながら、(畑荒らし?)と首を傾げる。
その様子を見たマディスは、何を思ったのか、
「わかった。……迷子くん、君も一緒に来るか?」
と、リューマを誘った。
──結論から言えば、『畑荒らし』とは、隣の領地から畑の野菜を盗みに来ている連中のことだった。
マディス率いる警備隊は、この盗人たちを捕まえた。
こういう事件は、リューマの暮らす魔界でも度々起こる。
魔族の常識では、穏便に済むことなどまずありえないのだが……
「今年は類を見ない大凶作で……幼い子供を食わせるために必死だったんだ。本当に申し訳ない」
頭を下げ、謝罪する盗人たち。
それに対し、マディスは……にこやかに笑い、
「許す!」
あっけらかんと、言ってのけた。
理解が追い付かず、リューマは唖然とする。
「子供を食わしてやれないなんて、さぞ辛かっただろう。そうだな……こうしよう。君たちへの罰は、この畑の手伝いだ。そしたら、ここで採れる野菜の一部を君たちにやる。食ってもいいし、売ってもいい。どうだ、やってみないか?」
マディスの提案に、盗人たちは涙を流しながら感謝した。
その出来事は、リューマにとって理解し難いものだった。
〝許す〟。
その概念が、魔族にはなかったから。
「──なぁ。さっきの連中、何故見逃したんだ? こっちの強さを見せつけて、二度と盗みができないよう傷め付けるべきだったんじゃないのか?」
街に帰る道中、リューマがマディスに問う。
するとマディスは、
「うーん。それも一つのやり方だが……それじゃあ根本解決にはならないと思うんだ」
「根本解決?」
「そう。彼らは飢えに苦しんでいただろう? ここで彼らを捕らえて罰したら、今度は彼らの家族が盗みを働くかもしれない。それを罰したら、次は残された子供たちが……これじゃあ悲しい争いの繰り返しだ」
そして、マディスはリューマに微笑みかけ、
「当然、畑を荒らされた住民のことを思えば怒りも湧いてくる。けれど、こういう時こそ、〝許す〟という選択肢が重要になるんだ。彼らは仕事と報酬を得て飢えを凌げる。うちの街としても働き手が増えてありがたい。双方に利益を得られる、いい解決方法だろう? 物事をいい方向へ動かす原動力は『恨み』ではなく『恩』だ。少なくとも僕は、そう信じている」
その瞬間……リューマの脳天に、衝撃が走った。
やられる前にやる。
やられたら、二度とやれないよう数倍にしてやり返す。
そんな魔族の常識とは、何もかもが違う考え方。
〝怒る〟でも〝責める〟でもなく、〝許す〟。
(なんて……なんてデカい精神の在り方なんだ……‼︎)
衝撃のあまり、リューマは震えた。
すげぇ……人間って、超強ぇ。
この精神を見習えば、俺も……人間のようなデカい器の持ち主になれるだろうか?
「まぁ、君も大人になればわかる話で……って、あれ?」
……そこで。
マディスの隣から、リューマが消えた。
唐突に、元の魔界へと戻ってしまったのだ。
元々、半日限りの転移であると言われていたこと思い出しながら、リューマは──アリシアスの研究室に帰ってきた。
「おかえり、リューマ! 別世界はどうだった?」
アリシアスが、ワクワクしながら尋ねる。
しかし、リューマは……
「……人間って、すげぇ」
瞳を輝かせ、惚けたように呟くのみだった。





