有翼の異形
時間は少し戻り──夜明け前。
タシナの森の奥。フリムは、息を潜めていた。
彼女が今回ギルドから受けた依頼は、『棍棒のトロール』の討伐。
この個体も、武器商人の馬車を襲撃したとの報告が上がっていた。
(武器を狙うモンスターの件は落ち着いたと思っていたのに……また現れるなんて)
情報によれば、『棍棒のトロール』は明け方の街道に現れ、武器の積まれた馬車を狙うらしい。
フリムは今、その現場付近に身を潜め、標的が現れるのを待っていた。
彼女の手には、両手斧──重厚なバトルアックスが握られている。
言わずもがな、リューマの店で借りた武器だ。
相手が棍棒を使うなら、重さと切れ味のあるバトルアックスで一刀両断してこいと渡された。
月光を受け、青白く輝く美しい刃──
フリムはリューマと、彼の貸し出す武器を信頼している。
だから今回も、絶対に討伐できると確信していた。
そして……
(…………来たっ)
標的が、巨大な影を落としながら、現れた。
樹々の茂る森から、ズシン、ズシンと巨体を揺らし、街道へと歩み出るトロール。
太い腕に握られているのは木製の棍棒。
間違いない、討伐依頼のターゲットだ。
同時に、フリムの耳に車輪の転がる音が微かに聞こえた。
街道の向こうから馬車が近付いてきている。
どうやらトロールは、この音を聞きつけて現れたらしい。
(また馬車を襲うつもり? そんなこと、わたしが許さない!)
フリムは茂みの中から躍り出て、トロールの前に立ちはだかった。
「わたしの名はフリム! 馬車を襲うモンスターを倒すよう依頼されていますが、あなたが改心するというのなら手を引きます! どうしますか⁈」
お決まりの問答。
が、それに対する返答も、やはりお決まりで、
「グウゥ……グオォォオオッ!」
だった。
フリムは交渉を諦め、バトルアックスを構える。
「残念ですが、あなたが武器を振るう以上、わたしも戦うしかありません!」
棍棒を振り上げるトロール。
自身の身長の何倍も高い位置から振り下ろされるその攻撃に、フリムは動かない。
直撃する寸前の、ギリギリまで引き付け──前方に転がるようにして回避。
その勢いを利用し、トロールの太い脚をバトルアックスで斬り付けた。
「グォオオンン……!」
低く唸り、後退するトロール。
怯んだその一瞬を、フリムは逃さない。
「これで……おしまいですっ!」
──ザンッ……‼︎
白銀のバトルアックスが、閃光のような軌跡を描く。
フリムが放った鋭利な斬撃により、トロールの胴体は真っ二つに分断され……
ズシン、と崩れ落ちた。
巨体が、塵となり霧散していく。
討伐完了。バトルアックスを背負うフリムの後ろを、幌馬車がガラガラと通過した。
馬車が襲われる前に討伐できてよかった。
フリムはほっと安堵しながら、地面に残った棍棒と二本の牙を見下ろした。
「『鎖鎌のトロール』ほど厄介な相手じゃなかったけど……どうして人間の武器ばっかり狙うんだろう?」
呟きながら、転がっている棍棒に手を伸ばす。
モンスターたちは、武器を持っていることが多い。
彼らが魔族だった頃の武器をそのまま使っているか、廃村や野外に放棄されたものを拾って使っているかのどちらかだ。
そのため、モンスターが所持している武器は大抵ボロボロで、かなり年季が入っている。この棍棒と同じように。
モンスターには知性がないから、人間が持つ新しい武器を「欲しい」と思うことさえない。
少なくとも、これまではそう考えられてきた。
しかし……その常識から外れた挙動をする個体が、複数現れた。
その原因は、一体何なのか。
一部の個体に、知性を取り戻すような変異が起きているのだろうか?
「見た目は他のモンスターと変わらないのに……なんでなのかなぁ?」
一人零し、トロールの牙を拾おうとした……その時。
「──キシャシャッ」
そんな、奇妙な笑い声が聞こえたかと思うと……
次の瞬間。フリムの背中が、軽くなった。
背負っていたバトルアックスが、消えたのだ。
「えっ⁈」
驚いて辺りを見回す。
と……
街道に建てられた道案内の看板の上に、誰かがいた。
最初フリムは、人だと思った。
月光を背に、こちらを見下ろす人間に似たシルエット。
しかし、よく見ると違う。
緑色の頭髪には角が二本生え、背中にはコウモリのような羽が付いている。
鎧の下の身体は硬い鱗に覆われ、爬虫類に似た長い尾を生やしている。
まるで……人間とモンスターを掛け合わせたような姿。
そんな奇妙な存在が、フリムの背負っていたバトルアックスを肩に担ぎ、不敵な笑みを浮かべ、こちらを見下ろしていた。
「なっ……!」
武器を奪われた。
まさか、先ほど倒したトロールと同じ、人間の武器を狙う特異なモンスター……?
「か、返してください! そうすれば、あなたに危害は加えません!」
フリムは慌てて看板に駆け寄る。
いつものように、誠実な言葉を投げかけながら。
返ってくるのは、知性なき威嚇のはずだった。
そう、いつもならば。
だが、今回は──
「──ほう、こいつはいい武器ダ。お目当てのモノがようやく見つかったかァ?」
返ってきたのは、人語。
フリムは耳を疑い、戦慄する。
(うそ……モンスターが、喋った?)
その驚愕をあざ笑うかのように、人ともモンスターともつかないその異形は、「キシャシャッ」と笑って、
「こいつはいただいていくゼ。大人しく譲るってんなら……危害は加えずにいてやル」
フリムの言葉を模倣するように言うと……漆黒の翼を広げ、飛び去っていった。
「ま、待ちなさい!」
追いかけようとするが、異形はあっという間に森の奥へと消えていく。
フリムの足では、とてもじゃないが追いつけない。
フリムは立ち止まり、愕然とする。
そして……顔面を一気に青くし、両頬を押さえた。
「どうしよう……リューマさんに借りた武器、盗まれちゃった……‼︎」
◇◆◇
──その後、フリムはタシナの森で、武器を奪った異形のモンスターを探した。
しかし、まったく見つけることができないまま夜が明け……ひとまずラトゥリアの街へと戻ってきた。
「と、とりあえずリューマさんに報告を……リューマさんなら、失くした武器を探す武器とか持ってるかもしれないし……!」
もはやリューマを便利屋か何かと勘違いしている節があるが、フリムは一縷の望みを託し、正直に報告することにした。
が……いつも『貸し武器屋』を開いているひさしの下に、リューマはいなかった。
武器を並べている敷き布も、立て看板すらない。
「あれ? 今日はお休み?」
珍しい。昨日バトルアックスを借りた時には何も言っていなかったのに。
だが、さいわいなことに、フリムはリューマの下宿先を知っている。
目の前にある宿屋『アルヘナポルク』だ。
まだ昼前だし、きっと出かけてはいないはず。
フリムは彼がいることを願いながら、『アルヘナポルク』の扉を潜った。
「おや、あんたかい。今日は随分と早く来たんだね」
女将のアゼリアがフリムに気付き、受付カウンターの向こうから言う。
すっかり食堂の常連なので、昼食を食べにきたと思われたのだろう。
フリムはカウンターに近付き、焦りながら尋ねる。
「アゼリアさん、こんにちは。実はご飯を食べにきたわけじゃなく、リューマさんを探しているのですが……」
「なんだい、リューマに用事かい? あいつなら自分の部屋にいるよ。今朝、外に出たと思ったらすぐに戻ってきて、それからずっと引きこもっているんだ」
「引きこもっている……? 何かあったんですか?」
「さぁねぇ、あたしの知ったこっちゃないよ。用があんなら、ついでに様子を見てきてくれないかい?」
フリムはきょとんとしながらも、「わかりました」と答えた。
リューマが、引きこもっている。
珍しいこともあるものだと、フリムは思う。
確かにリューマは一見無気力だが、部屋に引きこもるようなタイプではない。
むしろできる限り外に出て、一ゼリンでも多く稼ごうとする性格のはずだが……
「まさか、具合でも悪いのかな……?」
だとしたら、ますます具合の悪くなるような報告をこれからすることになる。
何せ、彼の商売道具であるバトルアックスが、得体の知れないモンスターに奪われてしまったのだから。
フリムはますます罪悪感を覚えながら、アゼリアに教えられた廊下の奥にある部屋に辿り着いた。
ここが、リューマの部屋。
ごくっ……と喉を鳴らし、フリムは恐る恐る、扉をノックした。





