アグリオ樹海
──アグリオ樹海は、ラトゥリアの街の西側に位置している。
馬車を降りた魔導士ミレイユは、リューマに借りた白亜の長杖を手に、樹海の中を進んだ。
普通の森と違い、足元には溶岩質の地面が広がっている。
そこに雨風で土が堆積し、できあがった薄い土壌に草木が根を張っている。
よって、足元が非常に悪い。
黒い溶岩と、その上を這う樹々の根で、どこもかしこもデコボコだ。
裾の長いローブと革のブーツという装いのミレイユには、とことん相性の悪いフィールドといえる。
空を飛び交う鳥の声。吹き抜ける風の音。
頭上を覆う葉の間から陽の光が差し、カーテンのように揺れている。
見渡す限りの樹、草、溶岩。
『魔劫結晶』らしきものは、どこにも見当たらない。
もう少し情報を整理してから来るべきだったと、ミレイユは反省する。
……いや、これでいい。
どうせ調べたところで、大した情報など出てこないのだ。
とにかく現地を調査すること。
これが採掘への一番の近道だ。
(……そうよ。私にはあまり、時間がないのだから)
ミレイユは、長杖をぎゅっと握る。
何としてでも、『魔劫結晶』を手に入れる。
そうすれば……そうすれば、きっと……
──と、その時。
白亜の長杖が、ミレイユの手の中で、ぱぁあっと光を放った。
「な……何……⁈」
驚きながらも長杖を観察していると……光は次第に弱まり、静かに収まった。
怪訝な表情で見つめるも、それ以上は何かが起こる様子もない。
「……あの店主といい、何なのよ、この杖」
ミレイユは気を取り直し、『魔劫結晶』の捜索を再開した。
すると、
「……ん?」
珍しい色の蝶がミレイユの方へ飛来し、長杖の上に留まった。
銀色と紫色の美しいグラデーションに、三日月のような形の黄色い模様。
シラツキジャノメチョウ。
二百年前、魔王軍が攻めてきた折に魔界から入り込んだ外来種だ。
それに気付いた途端、ミレイユは目を輝かせ……
「──束縛の泡!」
魔法の呪文を唱えた。
直後、シラツキジャノメチョウは虹色のシャボン玉に捕えられた。
それを手のひらに浮かべ、ミレイユは呼吸を荒らげる。
「魔界産の昆虫っ……こんな簡単に捕まえられるなんて……!」
そう言っている間に、もう一匹。今度は別の虫が長杖に留まった。
赤と紫の強烈な警告色を持つ、足の長い昆虫──
「ま、マダラシュリョウバッタ! これも魔界産っ!」
同じようにシャボン玉の魔法で捕獲するミレイユ。
さらに、今度は足元で何かがピョンと跳ねた。
思わず足を上げて見下ろすと、
「こっちはガンセキアオガエル! 束縛の泡!」
やはり、すぐに魔法で捕らえる。
何ということだろう。
長杖が不思議な光を放った途端、魔界産の外来生物が次々に現れた。
これは……この長杖が齎した効果?
あるいは、偶然か?
(生物を呼び寄せる魔法なんて聞いたことがないし……きっと偶然ね)
もしかすると、このアグリオ樹海は魔界産生物の宝庫なのかもしれない。
そうと決まれば……手当たり次第に、お持ち帰りだ。
ミレイユは「うへへ」とよだれを垂らしながら、捕えた三匹をバッグにしまい、「いざ!」と振り返る。
そうして、樹海の奥へと踏み出そうとしたところで、
「──グギャギャアッ!」
目の前に、三体のゴブリンが立ちはだかった。
って……
(いつの間に⁈ さっきまでいなかったのに……!)
驚いたものの、ミレイユはすぐに冷静さを取り戻す。
精神生命体である精霊を扱うには、精神の安定が欠かせないからだ。
敵は三体。それぞれ手に短剣を持っている。
ここは樹々が生い茂る森の中。炎の魔法は殺傷能力が高いが、延焼する恐れがあるため使えない。
風で吹き飛ばすのもあまり意味がない。
水と氷を駆使して凍結させるのはアリだが、モンスターの素材をすぐに回収したいミレイユとしては極力避けたいところ。
ならば……
ミレイユは、白亜の長杖に意識を集中させ──
「──白き雷鳴!」
雷の魔法を発動させた。
対象の頭上から一直線に雷を落とす術だ。
三体のゴブリンの上に、白く瞬く電流が集まる。
刹那──
──バリバリバリ……ドォォオオオンンッ!!
……想定の五倍の威力で、雷が落ちた。
「へっ?」
ミレイユが素っ頓狂な声を上げる。
ゴブリンたちは瞬時に消し炭となり、手にしていた短剣と、数本の牙だけが、乾いた音と共にその場に落ちた。
今のは……本当に自分が発動させた魔法か?
平静に努めたとはいえ、奇襲を受けたミレイユの精神状態は万全ではなかった。
それなのに、この威力。
もしかしなくても……
「この長杖による、威力の増幅……?」
魔法の威力は使役した精霊の多さで決まるが、前述の通り精霊は意思疎通のできない不可視の存在だ。
この場にどれほどの数が浮遊しているのかもわからないため、精霊の数が不十分であれば望む魔法が顕現しないことだってある。
それなのに、今の威力を瞬時に発揮したということは……相当な数の精霊を集め、的確に使役する能力が、この長杖には込められているということ。
こんな代物を、たった二千ゼリンで貸しているなんて……あの店主、ますます謎だ。
(他の杖にも妙な性能が秘められているのかしら……ちょっと気になるわね)
とりあえず、ゴブリンの素材も手に入った。
思いがけない収穫に恵まれているが、『魔劫結晶』はまだこれから。
この調子なら……きっと手に入るはず。
ミレイユは長杖を握り直し、アグリオ樹海のさらに奥へと、足を踏み出した。





