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第5章 反キリスト



     一




 その少年の名は、

 パク・ヨハン(Park Yohan / 朴ヨハン)、

 といった。

 その日は東京州の池袋市にある実家に帰省していた。

 両親は韓国からの移民で、キリスト教を信仰していた。

 その影響もあってか、パク・ヨハンは韓国の福音派の宗教団体に入信し、その団体が経営する大学に留学し、神学を専攻していた。


 「怖ろしいことが起きる」

 と、ヨハンはその朝の動画配信を観て母親に言った。

 ジン・ミツルがアバン資本連合のCEOに就任するだろう、という政府関係者の談話が放送されていたからである。


 「旧日本人が世界を支配するだなんて、ひどい話だねえ」

 と、ヨハンの母親は言った。

 「ひどい話なんてもんじゃないよ、母さん」

 と、ヨハンは言った。

 そして、

 ジン・ミツルの顔の動画を止め、その額の横にある傷跡を拡大し、

 「ほらこれ! 666の刻印だよ!」

 と言った。

 母親はその傷跡の画像を観てもそれが数字には見えなかったが、自分の息子が興奮しているので適当に頷いた。


 福音派が信じる予言には、

 反キリスト、

 と呼ばれる人物が登場する。

 それは、自らをキリストであると称し、カリスマ的な指導力で世界の紛争を解決し、世界政府を樹立する、とされていた。そして、これが世界を統一すると全人類の半分以上が死に絶えると解釈されている。

 ただし、聖書にその「反キリスト(アンティクリストス)」という名詞が登場するのはヨハネの手紙の一節のみで、そこの文面ではたんに「キリストを否定する者」という意味でしかなく、一個人を指す単語ではない。

 反キリストが全人類を不幸にする者となっているのは、『ヨハネの黙示録』に登場する「獣」や『ダニエル書』に登場する「小さな角」や『テサロニケの手紙』に登場する「不法の人」などと混同されているからである。

 ちなみに、よく誤解されているところでは、反キリストには刻印があるとなっている。その刻印とは<666>という獣を表す数字で、それは、右手か、あるいは額に刻み込まれている、となっている。だが、それは『オーメン』というオカルト映画の描写によるものであり、反キリストの額や右手には刻印はない。その刻印が彫られるのは、『ヨハネの黙示録』に登場する「獣」の支配下の人間たちである。その記述によると、刻印のない者は物を売ったり買ったりできなくなるらしい。要するに、<666>は被支配者に刻まれる刻印なのである。だが、これが「支配者の印」として映画で描かれてしまい、そのまま一般に浸透してしまった。

 尚、神学生のパク・ヨハンはキリスト教を専門に勉強しているにもかかわらず、そのあたりの誤解や曲解をそのまま真に受けていた。

 そして、このとき、

 ジン・ミツルは世界政府のようなものをつくろうとしており、その姓は「神」であった。そして、グレート・フジで狙撃された際に頭部をかすめた弾丸によってできた傷があり、それはそう思って見れば<666>の刻印であるようにも見えた。


 「ジン・ミツルを殺す」

 と、パク・ヨハンは母親に宣言した。

 母親は仰天し、

 「何をバカなこと言ってるんだい!」

 と叱った。

 が、ヨハンは、

 ——自分だけがジン・ミツルの額の刻印を見抜いた、

 と思い込み、湯気の出るような興奮にひたっていた。





     二




 パク・ヨハンは念入りにジン・ミツルのスケジュールをチェックした。

 グレート・フジの中で事を起こそうとしても警備が厳しくて無理だろうと思い、どこか外に出たときをねらうしかないと考え、至近距離で襲撃できるチャンスを血まなこになって探した。

 そして、

 神社本庁の行事をひとつみつけた。神社本庁が発足して130周年の式典が2月に行われることになっており、これにジン・ミツルが出席することになっているのを知った。

 アバン資本連合が発足するのはその1ヶ月後となっていた。

 ——よし、これだ、

 と、パク・ヨハンは思った。


 その行事は代々木の神社本庁大講堂で行われることになっていた。

 出席者は1,500名を超える大規模な行事であった。

 ジン・ミツルはそこでスピーチを行うことになっていた。

 ただし、神社本庁と無縁なパク・ヨハンがその行事に出席することには無理があった。

 そこで、パク・ヨハンは過去に起こった重要人物の暗殺事件の手口を調べた。

 そして、一条ネモリン前大統領の暗殺未遂事件を知った。


 それはCIAによる作戦であった。

 ロサンゼルスのホテル内でUSANの建国記念式典が行われ、そのステージ上でネモリンがスピーチを行った際に3名の狙撃手がその命を狙った。3名のうち2名は表情認識ソフトにひっかかって事前に拘束されたが、1名は至近距離で発砲することに成功した。

 たまたま、ネモリンが腹をくだしていて便を漏らし、狙撃された瞬間に身体をのけぞらせたために弾丸は命中しなかったが、そのアクシデントがなければ暗殺は成功していたはずだった。


 その3人目の狙撃手は女であった。

 瀬戸グン、

 という名の旧日本人で、USエアフォースのフライトアテンダントをしていた。階級は二等空尉であった。写真を見たかぎりでは、美人だった。

 が、狙撃を行った際、瀬戸グンには左手と両足がなかった。


 ネモリンが拉致されてアフガニスタンの刑務所に放り込まれた際、政府は大統領令にサインを必要とした。で、そのサインを取り付けるために瀬戸グンが派遣された。が、瀬戸グンも同じ刑務所内に拘束された。そして、そのときに受けた暴行と虐待により瀬戸グンは子宮と左手と両足を失った。

 狙撃手となった瀬戸グンは、両足と左手がないことを利用した。 ステージ上に置かれた照明器具の土台部分につくられた小さな箱のなかに身を隠したのであるが、左手と両足があったならばその箱に入ることはできなかった。そして、その箱がそれだけ小さかったがために、だれもそこに狙撃手が身を隠しているとは想像しなかった。


 ——この女はスゲー、

 と、パク・ヨハンは思った。


 CIAの作戦が失敗したのは、そのことが事前に中夏の国家安全部に漏れていたためであった。

 作戦を阻止したのはスン・チョン(山本キリル)であった。

 瀬戸グンが2発目の弾丸を発射したときには右手を失っていた。スン・チョンに撃たれたのである。そのことに驚いた瀬戸グンの頭部をスン・チョンはさらに撃った。

 作戦が事前に漏れたのは、それがCIAの作戦だったからであった。


 ——オレひとりでやれば必ず成功する、

 と、パク・ヨハンは考えた。

 そして、自室の壁に瀬戸グンの写真を貼った。

 にこやかに微笑んだ瀬戸グンの美貌はパク・ヨハンを夢中にさせた。





     三





 ジン・ミツルと1,120名の高僧たちはパク・ヨハンの暗殺を予知する夢を視た。

 だが、パク・ヨハンの名前まではわからなかった。


 ——若い男が自分の手足を切り落としてやって来る、

 というのが合成映像から得られた予知情報のすべてであった。

 ただ、その男はジン・ミツルに対して、

 「反キリスト!」

 と叫んでいた。

 

 「式典への出席を控えたほうがよろしいのでは?」

 と、だれもが進言した。

 だが、ジン・ミツルは言った。

 「これはチャンスかもしれん」

 

 「チャンスとは?」

 と、山剛が尋ねると、

 「狂信的なキリスト教徒を一掃するチャンスさ」

 と、ジン・ミツルは言った。

 


 式典は5ヶ月前から準備が進められ、代々木の神社本庁大講堂に物品の搬入が開始されるのは3日前からとなった。

 日本圏には約8万の神社があったが、神社本庁の組織に加盟しているのは7万ほどであった。宮司の数はさらに少なくて1万ほどでしかなく、それらの中には副業を持っている者が多く、専業の者は5千人程度であった。各都道府県にはそれぞれに神社庁があり、そこから式典への出席者が選出された。


 「人選は厳格に行ってください」

 と、神社本庁の総長は各神社庁に通達を出した。が、暗殺者の襲撃の可能性については言及しなかった。


 統理である天皇については、健康上の理由で欠席していただこう、という話が出たが、天皇はその話を一笑に付した。

 「ジン・ミツル氏がスピーチなさるというのに、主催者であるわたしが欠席するなどあり得ない」

 というのが天皇の言葉であった。


 が、ムーチェン大統領は欠席し、副大統領が代わりに出席することとなった。





     四

 



 パク・ヨハンは狂気の決断をした。

 材木を切断するための電動ノコギリの台座に自らの左足を乗せて膝から下を切断し、さらに、左手の肘から下も切断した。右足も切断するつもりだったようだが、左足を切断してしまったために右足を台座に乗せられなかったらしい。

 妥協したパク・ヨハンは、そこで簡単に止血をして救急車を呼んだ。


 手術室に運び込まれたときにのパク・ヨハンは意識がなかった。 母親はあまりのことに半狂乱となったが、切断された左手と左足を持って病院に駆け込み、医師や看護師たちに怒鳴りちらした。

 そのせいもあり、医者たちはパク・ヨハンの左手と左足を見事に縫合した。


 病室で目を覚ましたパク・ヨハンは自分の身体に左手と左足が戻っていることに気づき、愕然とした。

 だが、あきらめなかった。


 「この手足はオレのじゃない!」

 と、パク・ヨハンは言い続け、縫合された手足を切り離すよう医師たちに訴え、あらゆる説得をはねかえして再手術を行わせた。


 無事に左手と左足が切断されるとパク・ヨハンは神に祈り、

 ——このわたしに任務をお与えくださったことに感謝します、

 と、念仏のように何度もつぶやいた。

 自分こそは神の楽器であり、全人類を救うための戦士であり、天国行きを約束された者であると信じており、その確信は手術後の痛みがひどかったぶんだけ硬く凝縮されていた。


 その様子を見た医師や看護師たちは、その青年を救ったことに疑問を感じた。

 母親は自分の息子が何を考えているのか理解できず、泣きながらひたすら神に祈った。





     五




 入院後3週間でパク・ヨハンは自宅に戻ったが、大学には戻らなかった。

 恐れおののく母親に対して、

 「オレには最高級の義手と義足がいる」

 と言うと、母親は韓国に残留していた自分の親に頼んでカネを工面した。


 細くて軽くてコンパクトに折りたためる義足と義手を手に入れたパク・ヨハンは小さな箱の中に入る練習を開始した。また、義足で走ったり義手で懸垂をする訓練もはじめた。

 さらに、グアムに旅行して射撃の練習をしてみたが、射撃の才能はなかった。

 そこで、暗殺には吹き矢を使うことにした。吹き矢は銃よりも軽いし嵩張らない。音も出ない。

 パク・ヨハンはその吹き矢の針の先に毒を塗ることにし、毒の研究も開始した。



 式典会場の設営と装飾を請け負う業者が決まったのは式典の3ヶ月前であった。 パク・ヨハンはその業者が臨時に採用する作業アシスタントに応募した。 面接では左手と左足がないことは言わず、キリスト教の大学に席があることも隠した。

 

 「式典が行われている間は別室で待機するような感じですか?」

 と、パク・ヨハンはまず質問した。

 「事前準備と後片づけをしてもらうだけなので、式典の当日は来ていただかなくてけっこうです」

 と、面接した中年の女性は言った。


 愛想のいい青年を演じきったパク・ヨハンは採用された。


 「会場設営は式典の1週間前からです。その頃になったらまた連絡します」

 と、中年の女性は言った。

 「よろしくお願いします」

 と、パク・ヨハンは朗らかに言った。




 神社本庁は、天皇制が廃されて天皇が統理の任につくようになったときに15階建てのビルとなり、その最上階が大講堂になっていた。南西の窓からは明治神宮の森が見え、北の窓からは代々木駅が見え、そのビルのすき間から新宿のビル群も見えた。

 

 「当日はこれらの窓はすべて塞ぎます」

 と、式典のディレクターは言った。

 千々和颯麻ちぢわそうま

 という名の神主だった。

 北九州市の古い神社の宮司の息子で、普段は経理を任されていた。

 会場設営の担当者は平身低頭しながらその神主の話を聞いた。

 パク・ヨハンはその担当者の配下の者のアシスタントのひとりとなった。


 「左右の壁は白木綿の幕で覆いますが、入口横の受付テーブルには正絹の幕をつけてください」

 と、千々和ディレクターは細かな指示を出した。

 パク・ヨハンは椅子の搬入をしながらその声に耳を傾けていた。

 そして、自分が身を隠す場所を探した。


 ステージの中央には演台が置かれ、その左右には大きな生け花の台座が置かれていた。当日はその台座の上にフラワーアレンジメントが置かれることになっていた。

 図面によると、奥の壁にも幕が張られ、その手前に仮設の大きな祭壇が組み上げられることになっており、天井からしめ縄が吊られることになっていた。

 式典は伊勢神宮の大宮司による祭祀ではじまる。

 そのとき演台はステージ下に置かれることになっていた。が、フラワーアレンジメントは最初から最後まで動かさないことになっていた。


 来賓の控室は下のフロアに用意されていた。 その部屋の作業については別の企業が担当していて、パク・ヨハンはその部屋に入ることはできなかった。


 パク・ヨハンがフラワーアレンジメントの台座のまわりをぐるぐる廻っていると、

 「おい、椅子が足りないぞ」

 という声がしたので、パク・ヨハンは急いでステージを降りた。





     六




 その日の夜、パク・ヨハンはカゴに入ったネコを持ってコロンビア人が経営するバーに行った。

 吹き矢に使う毒を手に入れるためだった。


 その店は、アメリカ圏出身の友人に、

 「コカインの密売人を知らないか?」

 と、尋ねてみて紹介された店だった。

 「常連にならないと相手にしてくれないよ」

 と、その友人が言ったので何度も店に通い、何度目かでやっとコカインを購入できた。それで何度かコカインを買って信用をつけ、

 「実は、他にも欲しいものがあるんだけど・・・・・・」

 と、切り出した。

 

 パク・ヨハンは買ったコカインをすべてトイレに捨てていた。欲しかったのは、バトラコトキシン、という毒であった。

 これは、モウドクフキヤガエル(猛毒吹矢蛙)というカエルの背中から分泌される毒であり、0.02ミリグラムで大人ひとりが死に至るとされていた。で、そのカエルはコロンビアにしか棲息していなかった。

 

 「バトラコトキシンを買いたい」

 と、パク・ヨハンが言うと、コロンビア人は監視カメラのない路地裏に入り、

 「何人ぶんだ?」

 と言った。

 「ひとりだよ。でも、試してみないとわからないから5人ぶんは欲しい」

 と、パク・ヨハンが言うと、コロンビア人は、

 「オマエがやるのか?」

 と尋ねた。


 コロンビア人の裏組織では殺人も請け負っていた。なので、仕事が欲しかったらしい。

 それで標的となる人間がだれなのかをしつこく訊かれたが、パク・ヨハンは答えなかった。

 

 そして、その夜、パク・ヨハンはバトラコトキシンを0.1ミリグラム手に入れた。 それは、高さ3センチほどの小さな褐色の瓶に入っていた。底の方にうっすらと淡黄色の結晶がへばりついているだけのもので、それが本物かどうかは視ただけではわからない。

 

 パク・ヨハンはその場でポケットから手袋だして右手にはめ、吹き矢の矢を取り出し、矢の先の針を瓶の中の結晶につけ、その針でカゴの中のネコを刺した。

 しばらくするとネコは四肢を突っ張らせて痙攣を起こし、そのままグッタリして呼吸を止めた。


 「よし」

 と、パク・ヨハンは言ってコロンビア人に握手を求め、カネを払い、ネコの入ったカゴの蓋を閉じ、それをゴミ袋に入れてゴミステーションの箱の中に放り込んだ。


 コロンビア人は嫌なものを視たために顔をひきつらせ、

 「オマエ、コカインのやりすぎだよ」

 と言った。


 



     七




 

 式典の前日、大講堂の設営作業は午後3時に終了し、作業員たちは帰宅の途についた。パク・ヨハンも皆と一緒に玄関を出たが、忘れ物をしたと言って同僚たちと別れ、最上階の大講堂に戻った。

 が、そこでは千々和ディレクターが最終点検を行っていたため、パク・ヨハンは女子トイレの中に隠れた。


 そのまま深夜まで息を殺して便器の上で過ごし、夜明け前に大講堂に入った。


 フラワーアレンジメントの台座は白木の箱で、高さが1メートルほどだった。四隅に足があり、その高さは30センチほどで、箱自体の高さは70センチだった。内部は狭かったが、それでもパク・ヨハンにとっては充分なスペースがあった。

 尚、台座の側面は固定されてあり、扉などはなかった。床に向いている底板も固定されていたが、パク・ヨハンはその板を取り外しできるように細工しておいた。

 ただし、フラワーアレンジメントがすでに設置されてあり、そのままの状態で花や枝を動かさずに台座の中に入るのは困難だった。そこで、パク・ヨハンは台座の足が接地している床に鉛筆でマークをつけ、台座をステージの手前までずらし、ステージからはみ出た部分から中に潜り込み、台座をそろりそろりとずらして鉛筆のマークに合わせた。フラワーアレンジメントを乗せたままの作業であったためにミスがゆるされなかったが、パク・ヨハンはやり遂げた。義足と義手は中に潜り込む際にはずし、胸に抱くようにして底板を戻した。

 外から見ただけでは、その台座の中に人間が入っているとは思われなかった。


 ちなみに、パク・ヨハンが用意した吹き矢のマウスピースにはリボルバー拳銃のシリンダーのようなものが接続されてあり、5本の矢を連続して撃てるようになっていた。矢の先は注射器の先端部分を切断したもので、針の中にはモウドクフキヤガエルの毒が仕込まれてあった。

 

 

  


     八




 その日、ジン・ミツルは朝から忙しかった。

 ロシア他の反イスラエル同盟国がイスラエルとの間で停戦協定を結ぶこととなり、その条件としてUSANによる投資事業がロシアとトルコで開始されることとなったのである。置いてきぼりをくったイランがこれに反発し、イスラエルに対して核攻撃をかけると豪語していた。 アバン資本連合の発足まであと1ヶ月と迫っており、USANの投資事業は大きな障壁になりつつあった。連合の加盟国が非加盟国へ巨額の投資をするというのは連合の資本の抜け穴になってしまうからである。


 「ムーチェン大統領、何を考えておられるのです?」

 と、ジン・ミツルは直通電話でムーチェンの勇み足を踏みとどまらせようとした。

 が、ムーチェンはアバン資本連合にからめとられまいとする思いもあり、簡単には引き下がらなかった。


 ジン・ミツルは代々木に向かうリムジンに乗ったあとも説得をつづけた。


 「このままですと、アバン資本連合の発足は先送りになりますが、そうなるとEU経済は立ち行かなくなり、中夏もUSANもその泥沼に引きづり込まれますよ」

 と、ジン・ミツルは最後に言った。

 EU経済が崩壊するという予知情報は大きな社会不安につながるために黙っていたのだが、ついにその件を言った。

 すると、ムーチェンは黙った。


 そのとき、ジン・ミツルが乗っていたリムジンが神社本庁の正面玄関に着いた。

 玄関前には出迎えの人員が数名とセキュリティ関係者が10名ほど待機していた。

 リムジンのドアを開けたのは千々和ディレクターであった。

 ジン・ミツルは手をあげて挨拶しつつもムーチェンの返答を待った。


 「わかりました。財務長官ともう一度相談してみましょう」

 と、ムーチェンは言った。

 ジン・ミツルは、

 「よろしくお願いします」

 と言いながら大きく頷いてリムジンを降りた。




     九




 伊勢神宮の大宮司は長い祝詞をあげた。

 玉串奉奠は10名が名を呼ばれて前に出たが、残りの者は11番目の千々和ディレクターに合わせて二礼二拍手一礼した。


 その後、演台がステージにあげられた。


 最初のスピーチは総長からの式辞で、次が統理である天皇からの告辞で、3人目は伊勢神宮の大宮司による来賓祝辞で、続いて全国神社総代会連合会の会長が祝辞を述べ、5番目にジン・ミツルがステージにあがった。


 そのとき、神殿に向かって右側のフラワーアレンジメントが手前に倒れた。台座が床に当たって轟音を響かせ、花器が割れて飛び散り、水しぶきがあがって多数の花が散乱した。

 千々和ディレクターはあまりのことに度を失った。

 腰かけていた1500名は思わず立ち上がった。


 倒れた台座の陰に人影が見えると大声があがった。

 パク・ヨハンは左肘の上に吹き矢の筒先を乗せ、右手でマウスピースをつかんで息を吹いた。

 1つ目の矢はジン・ミツルの肩に当たったがスーツの下に着ていた防御服を貫通しなかった。2つ目の矢は耳をかすめたが外れた。3つ目の矢が飛んだとき、ジン・ミツルはパク・ヨハンの顔を見ており、首を曲げて飛んできた矢をかわした。


 「反キリスト!」

 と、パク・ヨハンは叫んだ。

 これに対し、

 「君の行為はだれにも感謝されないだろう。が、わたしは感謝するよ」

 と、ジン・ミツルは言った。


 4つ目の矢を吹いたところでパク・ヨハンは警備員に取り押さえられた。



 大騒ぎになり、皆の視線がパク・ヨハンに集中したそのとき、ジン・ミツルが倒れた。

 そのことに気づいたのは千々和ディレクターひとりだった。

 千々和ディレクターはあわててジン・ミツルを抱き起こしたが、ジン・ミツルは全身を硬直させて震えていた。


 「おい! 大変だ!」

 と、千々和颯麻が叫んだとき、ジン・ミツルは静かに息を引き取った。

 その顔は何故か微笑んでいた。

 享年は四七となった。

 妻はいなかったが、認知した子が52名ほどいた。



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