第4章 大宮司ジン・ミツル(前半)
第4章 大宮司ジン・ミツル
一
——ミン・ムーチェンがジン・ミツルの軍門に下った!
というニュースは世界の経済人や政治評論家たちを驚かせた。
そして、チベットがテロ支援国家の指定を外されると、その国債の値段は一気に元値を上まわった。
アバン・キャピタルは先物取引市場で注文を入れたリチウム20万トンを5倍の値段で売り抜け、紙切れ同然の値段で購入したチベット国債をほぼ20倍の値段で売った。
また、USANの国師となったジン・ミツルは富士山の5合目から8合目までを手に入れた。
このとき、富士山本宮浅間大社を浅間神宮に格上げする件については統理のご意向もあって承認された。そして、ジン・ミツルは大宮司となり、それまでの宮司は少宮司となった。ちなみに、少宮司のいる神宮は伊勢神宮のみであったので、浅間神宮は伊勢神宮と同格となったことになる。
「ジン・ミツルは世界を買うつもりか!」
という批判が左翼系のマスメディアで燃え上がった。
が、同時に、
「ジン・ミツルに従うことこそが唯一のサバイバル戦略である」
という服従派も現れた。
それらの者たちは浅間神宮の氏子となり、せっせと富士山を登るようになった。
が、それらとは別に、ジン・ミツルの投資判断を逐一真似する投資家が現れ、
アバン・チルドレン、
と呼ばれるようになった。
これは、アバン・キャピタルが自己資金を十分確保したことで外部出資者に出資金を返却するようになったことからはじまった。返却されることを嫌がった出資者たちは配当のサイクルを10年単位に延ばされることになったのだが、それならばアバン・キャピタルの投資内容をそっくり真似すればいいのだ、ということになり、そういう追随の仕方がひとつの戦略として広がったものである。
そして、それらの追随者は次第にジン・ミツル個人を宗教的に崇拝するようになった。
尚、そういう信者はあるときから爆発的に増えた。 ジン・ミツルが富士山の山頂にピラミッド型の大神殿を造営したのがきっかけである。
富士山の噴火口の上に巨大な円錐形のピラミッドが完成したのは浅間大社が浅間神宮となってから12年目のことであった。富士山の標高は4千メートルとなり、ピラミッドの壁面から5合目までの斜面がソーラーパネルで覆われた。
頂上までは基本的に徒歩でしか登れないようになっていたが、身障者用のシャトルカーも用意された。垂直離着陸機用のポートも造られてあり、政府関係者や神官たちが使える。怪我人などの搬送や食糧などの搬入にも使われる。
5合目からの登山道は山腹をぐるりと廻りながら登るようになっている。吉田ルート、富士宮ルート、須走ルート、御殿場ルートの4つのルートがそれぞれ山腹を螺旋状に廻っており、神殿の入口の9合目で合流するようになっていた。入口には堅牢な門と鳥居がある。そこからの階段は山頂まで直登するようにできており、かなりの急勾配である。尚、冬期間でも登山できるよう、それらの道には屋根を出せるようになっていた。
山頂には社殿がある。浅間造りと呼ばれる特殊な二階建て構造の本殿とそれに付随する摂社と末社、そして拝殿がある。本殿は瑞垣で四角く囲まれてあり、その外側に透塀で囲んだスペースがある。その瑞垣と透塀の間のスペースに摂社と末社があり、透塀の外側の手前に拝殿がある。一般の参拝者はその拝殿までしか入れないが、透塀は格子状の塀なので奥が透けて見え、拝殿の横にまわると本殿も見える。
ちなみに、本殿に祭られているのはコノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)であるが、摂社が祭る神には新たにイワナガヒメ(石長比売)が加えられた。
それらの社殿の外側には強風対策の設備がある。これを閉じるとドーム型の屋根ですべてを覆い隠せるようになっている。
山頂に向かう直線の階段の中間地点にはピラミッド型の建築物への入口があり、内部には病院、警察署、レストラン、リゾートホテルなどがある。それらをつなぐエレベーターもある。最深部には浄水設備や貯水タンクがあり、排泄物を処理する設備も設置され、また、レジスレイターver2.0がインストールされたモスコンも配備された。ソーラーパネルによって得られる電力の半分はそのモスコン用であった。 そのピラミッド部分の最上階はアバン・キャピタルのオフィスになっていたが、その下のフロアには1,120名の能力者の居住空間がつくられ、QTRの技術提携によって予知夢をハイクオリティなデジタル画像にできる装置が人数ぶん設置されていた。ここには空間粒子説を基にした輪廻転生説の研究施設も併設されている。その下のフロアには能力者たちの道場があり、一定の能力が認められれば一般の者も修行に参加できる。
尚、ジン・ミツルの居住空間は特に定められておらず、予知能力者たちと一緒に道場で寝る場合もあれば下のフロアのリゾートホテルに泊まる場合もあった。特定の場所を決めなかったのは暗殺を防ぐためであった。
このピラミッド型の建築物全体の名称は、浅間神宮霊峰宝殿、とされた。が、一般には、
グレート・フジ、
と呼ばれるようになった。
二
1,120人の予知能力者は、最初のうちは数年先の情景を予知するのが精いっぱいであった。しかし、グレート・フジが完成した頃には数十年後の景色を視ることができるようになった。そして、グレート・フジでそれらの修行僧と一緒に修行するようになったジン・ミツルも、次第にその能力を高めていき、あるとき100年後の世界を夢で視た。
その夢が100年後であるとわかったのは、ボロボロになって崩れかけた浅間神宮の中の電子時計がまだ動いていて、その日付が100年後だったことによる。
そして、その夢はジン・ミツルを絶望させた。
ちなみに、視た夢が予知夢なのかどうかはその夢が脳内のどこに現れたかを検証することでおおよそわかる。
QTR(量子通信基礎技術研究所)は眠っている人間の夢をデジタル画像にして取り出す技術を開発したが、これと一緒にその夢が予知夢であるかどうかを確認するためのデータを集めていた。夢のほとんどは脳が行う記憶の整理によって生じるもので、日中の体験を長期記憶として保存したり、不要な情報を捨てたりする過程で現れる。が、それらは海馬と大脳皮質の間に生じる働きであり、予知夢はまったく別の部位に生じる。
QTRが開発したスキャナーで夢のデータを記録しておくと、夢で視た情景が数日後の実体験と一致していたりした場合、その夢データを後で検証できる。その積み重ねの結果、予知夢は前外側前頭葉か前頭前野のどこかに現れることがわかった。前外側前頭葉とは、自分の行動が成功するかどうかの確率を予測する部位であり、前頭前野は創造的なアイデアを出したり、情報を統合して未来のシナリオを組み立てたりする部位である。
尚、予知がどういうメカニズムで生じるのかは、まだ科学的に解明されていないが、自我を形づくっている空間が宇宙空間と同期するような現象ではないかというのがジン・ミツルの研究所の結論であった。宇宙空間には時間軸があるが、実は時間軸というのは別のアングルから俯瞰できるものであり、宇宙空間と自我の空間が同期するとその俯瞰した状態で宇宙空間を視られる、というのがその論旨であった。
——悪い夢を視た、
と、ジン・ミツルは100年後の情景を視た朝に思ったらしい。が、そのことはだれにも言わなかった。そのことを言わず、他の予知能力者も同じ未来を視るかどうかを検証したかったのだ。
そして、しばらくすると、1,120名の予知能力者たちが次々と人類の存在しない朽ち果てた未来の都市空間を視るようになった。
「我々の今の社会は持続可能ではないらしい」
と、ジン・ミツルは山剛に言った。
山剛はジン・ミツルの予知能力を信じていたが、輪廻転生説については懐疑的で、100年後の未来についてはあまり興味がなかった。
そんなこともあり、
「んまあ、もしも100年後に生まれ変わってみて、自分がイヌやニワトリだったとしても、それはそれで楽しく生きられるような気がします」
と、山剛は言った。
それは、半分冗談であったが、ジン・ミツルは笑わなかった。
それで、
「研究所を拡大する」
と言い出した。
その新しい研究所はチベット国北部のチャンタン高原(蔵北高原)につくられた。
そこには広大な面積の平地がある。標高が高いために空気が薄く、周辺に電波などを発する施設がほとんどない。
空間粒子説に基づく自我の研究を行うためには世界最大規模の巨大な加速器を建造するしかなく、それにはチャタン高原がもっとも適していた。
ジン・ミツルはその加速器の電源のためにヤルンツァンポ川につくられていたダムを補強して発電所を新たに建造し、そこに30名ほどの学者を集め、5部門の研究チームをつくった。
量子神経科学 、
デジタル・不死学 、
意識アップロード学、
M理論物理学、
量子生命工学 、
の5つの部門である。
尚、その加速器関連の投資だけで数千億DENの費用がかかったが、それらの費用の一部は加速器に付加された量子コンピュータの活用で回収できるようになっていた。世界最大の加速器で素粒子をぶつけ合うと、リザーバーコンピューティングという手法で極めて高度な演算機能を抽出することができ、その能力はモスコンの数千倍になる。その演算機能を世界に売るのである。
ジン・ミツルはその演算機能販売部門を独立させて企業にした。
STE(Space Time Engineering Co., Ltd. / 株式会社 時空エンジニアリング)、
というのがその会社名であった。
社長には山剛が就任した。
施設が完成してSTEが操業を開始するまでには5年という月日を要した。
完成したときのジン・ミツルは40歳になっていた。
種々の実験が行われ、研究が進むと、研究チームは自我の核となる空間の模型を機械的につくることに成功した。
加速器内で粒子を衝突させ、そのエネルギーを一箇所に集中させることで時空に穴を開け、それによって空間を繋ぎ止めている波動のテンションを緩め、そこから特定の「空間子」を周囲の空間の結合から一時的に切り離し、超弦理論が予言していた「余剰次元」方向に磁場をかけることで空間から浮いた状態の粒子を閉じ込める・・・・・・というのがその理論の解説であった。
専門的すぎて一般人には理解不可能だが、とにかく、STEはその理論によって宙に浮く円盤をつくりあげ、それを小型化することに成功した。
ジン・ミツルはそれを、
マニ(Mani / 摩尼宝珠)、
と名づけた。
このとき、ジン・ミツルは45歳になっていた。
STE社長の山剛はそのマニの技術を世界に売ろうと考えた。
が、ジン・ミツルは、
「ちょっと待ってくれ」
と言った。
世界経済はすでにイチジョー・クラッシュから復活していた。中夏とチベット国の間には経済的にも相互依存の関係が構築されていたし、USANは空前の好景気に沸いていた。だが、ヨーロッパはイスラム左翼思想の泥沼から抜け出せずにいて、ロシアはイランなどのテロ輸出国家とよからぬ関係を維持していた。そして、それらの国とイスラエルとの間には緊張状態が続いていた。
マニの原理は発電などの平和利用にも使えるのだが、兵器に応用すると核兵器以上の破壊力を低コストで実現できると予想された。
ジン・ミツルはそれを世に出すことを怖れた。
三
「暗殺者が来る」
という予知情報はかなり前からデータとして得られていた。
ジン・ミツルはそれがいつになるのか、どのような者が来るのか、結果として自分は殺されるのか、といったところを詳細に予知したかったのだが、それができずにいた。
1,120名の予知能力者は野球やサッカーの試合で決勝点がいつ入るかといったことはかなり正確に予知できるようになっていたが、しかし、ジン・ミツルが暗殺者に殺されるのかどうかについては明快なヴィジョンを視ていなかった。傍観者の気分で客観的に眺められない事柄については予知が難しいようであった。
が、あるとき、道場に来た一般参加の能力者から明快な予知夢データを得た。 ジン・ミツルは殺されると判明した。
暗殺者の名は、
レーナ、
と判明した。
おそらくそれは、エレーナの愛称だろうと思われた。
髪は黒く、瞳はブラウンで、年齢は30代前半で、白人女子のようだが東洋人にも見える、
というのがその予知画像を診たところの分析結果だった。
このことから、ロシア人かそれに近い地域の女子だろうということになったのだが、CIAやFBIのデータバンクには該当者がみつからなかった。
以後、グレート・フジではその画像データを元に顔認識ソフトなどで参拝者を厳重にチェックするようになった。
そして、ある日、ひとりの女が9合目の鳥居を通過する際に顔認識ソフトにひっかかった。
該当率95パーセントであった。
「ちょっとすいません」
と、警備員が声をかけると、女は素直に警備員に従った。
が、監視カメラの死角に入った途端に姿を消した。
警備員はその場で死亡していた。
目撃者はいなかった。
「レーナが来ました!」
という連絡を受けたジン・ミツルは、まるで他人事のように、
「そうか」
と言った。
そのまま3日間がすぎた。
神官たちまでが懸命になってレーナの姿を探したが、どこにもみつからなかった。
——逃げたのか?
と、だれもが思った。
4日目の朝、ジン・ミツルはホテルのレストランで朝食をとっていた。
オムレツを運んで来たウエイトレスの顔を見たジン・ミツルはそれがレーナだとすぐにわかった。
部屋には警備員が2名いたがレーナには気づいていなかった。
「なんの用だ?」
と、ジン・ミツルは言った。
が、言い終わらないうちにレーナは発砲した。
ジン・ミツルは胸に2発と頭部に1発の弾丸を受けた。
レーナはその場で射殺された。
——ジン・ミツル死亡!
というニュースは世界をかけめぐった。




