第2章 席巻(後半)
五
USANがアフガニスタン北部のフェイザーバードという都市で人民解放軍と戦ったのは一条ネモリンが大統領に就任した3ヶ月後のことであった。
事の発端はカブールに成立した新政権とのリチウム鉱山をめぐる交渉だった。一条ネモリンがその新政権に拉致されたりして事態が深刻化し、ネモリンが解放されたところでUSANはカブールを空爆した。が、新政権の残党が北部に逃げ、フェイザーバードで人民解放軍の支援を受けて市内に立て籠もり、市街を要塞化した。
中夏政府がそれらの残党に加担したのは、中夏政府もアフガニスタンのリチウムをねらっていたからである。
戦端がひらかれたときには、アバン・キャピタルの自社ビルは完成していた。
スタジアムは大きく拡大され、その上にドーム屋根がかぶせられ、1軍のプロ野球チームの本戦を呼べるほどのものに造りかえられていた。周囲の土地を買い足して駐車場も拡げた。
さらに、山剛はアメリカ圏で経営不振にあえいでいたプロ野球チームをひとつ買い込み、その本拠地を静岡市に移転させた。
これにより、宮間ケンイチ市長の面目は大いに立った。
「集客交流施設をつくる」
という公約が1年以内に実現したのである。
尚、そのドームの北側には20階建ての大きな四角い建物が張り出していて、建物全体を上から見ると前方後円墳のような形になっていた。その「前方」の部分の地下は倉庫となっており、最上階はアバン・キャピタルのオフィスとなっていた。オフィスの窓からは富士山の上半分が見えた。
そして、地下の倉庫内には黄金や銀や白金やレアアースなどが積み上げられた。
アバン・クォン(阿房宮)、
というのがそのビル名であったが、地元民はこれを「ジンミツルドーム」と呼んだ。
——静岡にMLBチームが来た!
ということで、ジンミツルドームは連日大盛況となった。
またたく間に建設資金の1割が回収された。
尚、その土地と建築物はジン・ミツルの個人名義になった。外交特権のあるジン・ミツルは所得税も固定資産税も免除されるからである。
ジンミツルドームで静岡市が賑わっていたちょうどその頃、USANはアフガニスタンで人民解放軍に勝利した。
ロボット戦闘機とロボット歩兵による攻撃がメインであったため、人員の損害はゼロであった。 これにより、USANの軍事産業関連の株価は大いにあがった。
「今だ、売れ」
と、山剛は部下に指示した。 株ばかりでなく、USANの国債なども高値で売却できた。 その現金で山剛は船とトラックとその燃料を買った。燃料は備蓄用の巨大なタンクを買ってそこに保管した。
六
ロサンゼルスのUSCB(中央銀行)が破壊され、元帳を管理していたコンピュータがダウンしたのは山剛が有価証券を売りまくった1ヶ月後であった。
USANの経済は順調に復興しているように見えていたが、実はそれは見せかけの虚像であった。
エノーマス・マンデイの後、USAN政府は国債を大量に発行しつづけ、それをUSCBに買い取らせることで経済崩壊を抑えていた。USCBは世界経済の安全弁であった。
が、その安全弁が大破した。
ちなみに、一般の銀行同士のマネーのやり取りはUSCBのコンピュータの中の元帳に設定されてある「当座預金口座」を通じて行われていた。が、そのコンピュータが破壊された。データのバックアップは厳重に保護されてあったはずなのが、これも破壊された。
エノーマス・ウェンズデイのときにも預金の引き出しに制限がかかったが、長い行列に並んで順番を待てば僅かながら生活費を引き出すことができた。倒産が相次いだために給与が出なくなっていたが、出た場合の振込はされていた。
が、このときはそういう振込も止まった。通貨のデジタル処理による決済を代行する会社も一斉に業務を停止したため、市民は現金でしか買い物ができなくなったのだが、現金がまったく引き出せなくなった。
ちなみに、この場合には裏技とも言える解決策があった。政府が運用しているモスコンにインストールされてあるAIアプリのレジスレイター(行政府代行システム)にUSCBの業務を代行させれば事は深刻化せずにすんだ。
だが、そうならなかった。
一条ネモリンの情婦となっていた美人補佐官が中夏のスパイで、ネモリンを裏から操っていたのである。
結局、USCBの元帳を復元するには取引が行われていた末端の銀行の記録を集めて統合することになり、最低でも4ヶ月という期間を要した。
ネモリン大統領は市民やマスコミの目をそらすために中夏への報復攻撃を決意した。
ロボット戦闘機とロボット爆撃機をつかっての攻撃となり、作戦名は、
ドラゴン・スレイヤー・オペレーション、
と名づけられたが、これは中夏の息の根を止めるというほどの作戦ではなかった。
中夏の12都市にある火力発電所が攻撃目標とされただけで、原子力発電所や核兵器関連施設は攻撃目標からはずされた。作戦の目的は、市民やマスコミの目をそらし、USCBの元帳を復元するための時間を稼ぐ、というだけのことだったからである。
ただ、中夏の戦闘機やミサイルの生産ラインを止めて人民解放軍による報復を抑えるためには四川省の成都の発電所を必ず叩いておかねばならなかった。逆に言えば、成都以外の発電所はどうでもよかった。
そして、結果的には、その成都の発電所だけが破壊できなかった。
——USANの作戦失敗!
という報道は全世界をかけめぐり、DENの信用が崩壊した。
七
「浅間大社の宮司が売却に応じるそうです」
と、山剛がジン・ミツルに報告したのは翌年の12月であった。
富士山は5合目から8合目までは国の所有になっており、8合目から頂上までは富士山本宮浅間大社の所有となっていた。ただし、登山道は東海州の管理となっており、入山料は東海州の収入となっていた。
イチジョー・クラッシュ、
と名づけられた一連の経済崩壊は一瞬のできごとであった。投資マネーの動きはAIによる取引になっている部分が大きく、1秒以内の取引で莫大な損失が発生していた。
これにより、世界の有価証券や不動産の価格は急落した。垂直落下である。東海州の不動産も激しく値崩れを起こした。が、食料品や石油などの生活必需品はハイパーインフレ状態になった。
そして、浅間大社の収入は観光客に依存しており、クラッシュ後は観光客がほとんど来なくなっていた。にもかかわらず、8合目から上の山林や社殿の維持には毎年莫大な経費がかかっていた。とくに冬季に入ると社殿が傷む。修復作業においては資材を山頂まで運ぶコストが凄まじい。
「我々に管理をお任せください。宮司さんはそのまま宮司さんとしてお務めいただいてかまいません」
というのが山剛の提案だった。
管理を任せるというのは、所有権の移転を意味していた。
クラッシュが起きた当初は宮司も強気で、
「ご冗談を・・・・・・」
などと言って笑っていたのだが、ひと冬越してからは態度が変わった。
その年の年末年始は異様に雪が多く、強風の日が多かった。
これにより社殿の修復費が前年の30倍以上となった。資材の値段も人件費も爆上がりしていたのである。
「検討します」
と言った宮司は神社の責任役員会を召集し、売却の件を諮った。
責任役員は7名であった。
「先祖代々祭ってきた神様をわけのわからぬ投資会社に売るというのか!」
と、メンバーのひとりが騒いだ。
氏子総代のひとりで責任役員を兼務している者であった。麓の大きな農家の当主で、その家は百年以上昔から氏子総代を出していた。
宮司は黙った。
すると、
「まあ、しかし、建物や土地の所有権が別のところに行ったとしても、神社をやめるわけではないようですよ。神社を残すという契約になるようです。宮司の人事もこれまでどおりのようです」
と発言する者があった。
これも麓の地主のひとりであった。が、破格の条件でアバン・キャピタルにかなりの土地を譲ることになっていた。
同様の状況下にあるメンバーがもうひとりいて、これは中立の立ち場を守ろうとしていたが、アバン・キャピタルに対する批判的な発言については黙っていなかった。
「わけのわからない投資会社というのは偏見ではないですかね。市から、ちゅ〜るスタジアムを買ったアバンさんですよ。契約どおり野球場は温存されましたし、それどころかすばらしいドームをつくってくれました。そのうえメジャーリーグのチームを連れてきてくれました。地元にとっては恩のある業者ですよ」
この後、責任役員会は3度この件を話し合った。
そして、12月になって山頂に大雪が降り、売却に反対していた責任役員が黙った。
次年度の修復費用をどうやっても工面できないことがわかったのである。
八
この時期のアバン・キャピタルは外部の投資家にもかなりの額の配当を出していた。
そして、配当を受けとった投資家たちはジン・ミツルを神のように崇めはじめていた。
アバン・キャピタル以外にも投資ファンドは多数あったのだが、ほとんどが破産宣告しており、イチジョー・クラッシュをくぐり抜けて資産を増やし、配当までしているところは他にはなかったのである。
ただし、そこはジン・ミツルの予知能力よりも山剛の手腕に負うところが大きかった。
不動産価格は下落していたがその他の物品は数日のうちに値段が2倍になったりすることがあり、現金の価値は日々下落していた。現金を持つことがリスクになっているわけだが貴金属や土地を買うには現金で支払うことになる。そこのところの微妙なやりくりは非常に難しく、AIを使って資金運用しているところは必ず失敗していた。そのような経済の動きに対応するアルゴリズムが既存のAIには組み込まれていないのである。
だが、山剛はタイミングをはかることに天性の才があり、投資家に配当を出しながら地下倉庫の貴金属をみるみるうちに3倍にまで増やした。そして、横浜港にあった原油の備蓄タンクをいくつも買い、東海州ばかりでなく、東京、ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ミュンヘンなどで大きな土地を買いまくった。
——山剛さんはスゴイ、
と、アバン・キャピタルの職員たちは舌を巻いていた。
が、その山剛の才を見極め、アバン・キャピタルの将として採用したのはジン・ミツルであった。
それまではヨーロッパを拠点にしていた投資家たちはジン・ミツルへの投資に消極的であったが、イチジョー・ショックのあとは手持ちのマネーをアバン・キャピタルに集中するようになった。
が、ある時点からジン・ミツルは外部からの投資を拒むようになった。
外部からの投資には配当をつけねばならない。そのためには短期の投資で素早く利益をあげねばならない。ジン・ミツルはそのレベルの仕事から脱却しようとしていた。
「あとは8合目から5合目までの国有地の買い付けだな」
と、ジン・ミツルは山剛に言った。
窓の外に見える富士山はちょうどその5合目から上の部分だけだった。麓の部分は近辺の低山に隠れてしまっていた。
「財務長官をどう攻めるかですが、結局は大統領令を出させるしかないでしょうね」
と、山剛は言った。
そのへんの国有地ならば上院議員や下院議員を味方につけて政府を動かすことができたのだが、富士山はそのへんの国有地ではなかった。USANの日本圏におけるシンボル的な山であり、それを民間に売却するというのは大統領の判断とならざるを得なかった。
だが、ちょうどそのとき、一条ネモリン大統領はホワイトハウスを抜け出して行方をくらましていた。同行者は妻でも娘でもなく、中夏のスパイの美人補佐官で、一民間人になりすまして国外へ出てしまっていた。
ちなみに、このとき、USAN国内の200以上の都市が暴徒に占拠されていた。
暴徒となっていたのは、ほとんどが外国人労働者であった。それらはしばらくすると徒党を組んでショッピングモールなどに司令部をつくり、人民解放軍から武器の供与を受けて武装勢力に成長した。最初は倉庫を抑えて物品や食糧を奪ったり、ATMマシンを破壊して現金を奪うというようなレベルの集団だったが、警察が機能しなくなると銀行を征圧して大量の現金や貴金属を手に入れるようになった。
騒ぎの発端はヨーロッパのイスラム系左翼思想団体による暴動であった。その動きがアメリカ圏のインテリ層に飛び火し、反政府運動はUSAN国内全域に拡がっていった。人民解放軍はこれをチャンスとみて闇ルートから暴徒たちへ武器供与をはじめたのである。
日本圏では川崎市の池上町で大規模な暴動があり、千人以上の私兵をかかえる大きな武装勢力ができあがった。南関東州の州兵による鎮圧が試みられたが失敗に終わり、USアーミーのロボット歩兵による凄惨な殺戮によってようやく事態が収まった。
この後、各地の州兵が脱走するようになった。
州兵になる者はだいたいが少年時代にボーイスカウトをしていた者たちで、兵としての訓練を受けていたが非常勤の者が多く、もともと野山でキャンプをして楽しむだけというレベルの市民が多かった。それらの市民に実弾を撃たせたり、死体を片づけさせたりすることには無理があった。
政府は各地の暴徒をどうやって鎮圧するかで悩んだ。
ロボット歩兵を自国の国民に対して使うことにはマスメディアから轟々たる批難が浴びせられた。が、他にやりようがなかった。
一条ネモリンが国外へ脱出したのはそのような状況に耐えられなくなったためであった。
——大統領の姿がまったく見られない、
という話がマスメディアや配信動画などで語られはじめると、
「暗殺されたのか?」
というような話がSNSなどで飛び交った。
「そっちではどう視てる?」
と、ジン・ミツルは何度かチベットの研究所に問い合わせていたが、予知能力者たちもそのへんの事情については明快な情報を得ていなかった。
ただ、
< もうすぐ人民解放軍の中将がロサンゼルスにやってきます。そして、その者がUSANの大統領に就任します >
という予知情報をくり返し唱えていた。
九
人民解放軍がサンタモニカビーチに出現したのは一条ネモリン大統領が国外に脱出した1週間後の夜明け前であった。2隻の大型空母と2隻の大型揚陸艦がステルス機能を使ってやってきて、
「人民救済」
という横断幕を掲げた。
夜が明けると中夏の天将の声明がロサンゼルス市内に放送された。1時間以上の演説だったが、その内容は、
「暴徒鎮圧の手伝いをする」
というだけのことであった。
上陸部隊は整然としており、USAN政府はこれを黙って受け容れた。
大統領不在であったために中夏との交戦に踏み切れなかったのである。
上陸した人民解放軍はサンタモニカビーチに多数の大型テントを張り、一番大きなテントに、
< 人民救済事務総督局USAN本部 >
という看板を揚げ、これを最初の拠点としてロサンゼルス郊外で徒党を組んで暴れていた反乱分子を次々と撃破した。反乱分子に悩まされていた市民も政府もこれを歓迎しないわけにはいかなかった。
尚、人民解放軍もロボット兵士を使ったのだが、マスメディアはこれを批判せずに称賛した。
事務総督局の局長は人民解放軍の中将で、
ミン・ムーチェン(敏沐宸)、
という名の青年であった。
色黒ででっぷりと太っており、目つきが鋭かったが、マスコミがカメラを向けると明朗快活に冗談を言った。
「この者が次の大統領になるのか・・・・・・」
と、ジン・ミツルは配信動画を止めてその顔をしげしげと視た。
「8合目から下の買い付けについては、この男と交渉することになるんでしょうかね」
と、山剛は言った。
「この者は小才が効く顔をしているし、度胸もありそうだが、部下を可愛がるようなタイプの人間ではない。旧日本人に対しては敵意を持っていそうだな」
と、ジン・ミツルが言うと、山剛は腕を組んで黙った。
十
ジン・ミツルは静岡市に引っ越してからは書類上もアバン・キャピタルの「代表」となっていて、名刺には横書きで、
ABAN CAPITAL 代表 ジン ミツル
となっていた。ロゴマークなどはなかった。
名前をカタカナにした理由は諸説あるがよくはわからない。
代々木にある神社本庁の受付でその名刺を出すと、受付の女子は表情を変えてジン・ミツルの顔を見た。
——浅間大社を買ったヤツ、
というイメージは芳しいものではなかった。
「統理さまにお会いしたい。アポイントはとってあります」
と、ジン・ミツルは言った。
受付の女子は館内通信機の発信ボタンを押して、
「ジン・ミツルさまがいらっしゃいました」
と言った。
しばらくの沈黙があり、奥からホテルのマネージャーのような男が出てきた。
神社本庁とは、伊勢神宮を最高の本宗(仏教で言う本山)として仰ぎ、日本各地の神社を包括する宗教法人の事務組織のようなものであり、統理とは、その組織のトップの地位である。
その統理には旧皇族や旧五摂家、旧公爵家などの家の者が就任するようになっていたが、天皇制が廃止されてからは天皇がその地位につくようになっていた。
マネージャーのような事務職の者の後ろについて歩いたジン・ミツルは、統理室というプレートがついたガラスドアの内部に案内された。 内部には靴を脱いであがる上がり框があり、さらにドアがあった。それは木造のようなデザインの金属ドアで、それを開けると広い部屋があった。大きな窓の外には明治神宮の鎮守の杜が広がっていて、内装は大政奉還の図のようになっていた。
「お待ち申し上げておりました」
と、天皇は言った。
が、頭はさげなかった。
ジン・ミツルは椅子をすすめられたが、まずは床に膝をつけ、ゆっくりと頭を下げた。
始皇帝のプライドがどこかに消えていたのか、ただの演技だったのか、そこはわからない。
「浅間大社を神宮に格上げしていただきたいのです。そして、わたしをそこの大宮司に任命いただければ、と思いました。今いらっしゃる宮司さまは少宮司ということでお願いしたいのです」
と、ジン・ミツルは言った。
天皇はいきなり無茶な用件を突きつけられて面食らったが、無下に断るつもりもなかった。
イチジョー・クラッシュによるマネーや国家の崩壊を救える者がいるとすれば、それはジン・ミツル以外にはいないだろうと考えていたのである。
「ジンさん、神宮ということにするには皇統の神をお祭りしていただかねばなりません。浅間大社は木花之佐久夜毘売を祭る神社なんです。そのことはご存知ですよね?」
と、統理である天皇は言った。
すると、ジン・ミツルはニッコリ笑い、
「陛下、コノハナノサクヤビメはイザナギの息子の娘ですし、ニニギのミコトの妻ですから、これも皇統の神ではないでしょうか?」
と言った。その表情は微かにおどけていた。
天皇はあまりのバカバカしさに吹きだした。
その顔を見てジン・ミツルも笑った。
が、すぐに真面目な顔をして言った。
「陛下、今、世界は断末魔にあります。人民解放軍の司令官がもうすぐUSANの大統領になります。日本圏は他の地域ほどではないですが、それでも先が見えてきています。追いつめられた人間は暴れます。それらに対しては既存の神様だけではどうにもなりません。わたしは富士山の山頂に大きな神殿をつくるつもりです。大きなピラミッド型の神殿を山頂に乗せて標高を4千メートルまで上げたいと思っています。コノハナノサクヤビメにどのようなご利益があるかわかりませんが、富士山そのものが信仰の対象になっていますから、その神殿は大きな効力を発揮すると思います。わたしに力を与えていただければ、日本圏を復興に導けると思います」
天皇は圧倒された。
——始皇帝とはこんな男だったのか、
と思い、腹を決めた。
ただし、この件についての返答は避け、
「ジンさん、あなたがつくられたアニメ映画を観ましたよ。感動しました」
と、話題を変えた。 ジン・ミツルは手応えを感じた。すぐに返事があるとは思っていなかったので、そのあとは他愛のない話題で談笑した。




