表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/10

第2章 席巻(前半)



     一




 伝国璽がクリスティーズのオークションで落札された翌月、ジン・ミツルは北京を去り、チベットに入った。このときは側近のような者を2名連れていた。


 尚、チベットはチベット自治区ではなく、チベット国となっていた。

 人民解放軍の一部がその地域で分離独立したのである。このため、チベット国は中夏政権と対立しており、中夏との国境線を厳しく守っていた。中夏政府も人民がチベット国へ渡ることを禁止していた。

 無国籍となったジン・ミツルがどのようにして中夏からチベットに入れたのかはよくわかっていない。 

 だが、クリスティーズとの間で950億DENもの取引が成立していたのであれば無国籍の件などはどうとでもなったであろう。


 チベット国の首都であるラサ市に入ったジン・ミツルは、まず、土地を探した。 予知能力のある高僧を集めて研究所を建設しようと考えたのである。

 そして、市街地の西側にある渓谷エリアに300平方メートルほどの土地を購入してオフィスビルを建設するという内容の計画書を作成し、行政府の許可を申請した。

 軍の統治下にあったチベット国では新たに建物をつくることについては厳しい審査があり、ジン・ミツルの計画についてはなかなか許可がおりなかった。

 が、ある日、突然、すべての許可がおりた。

 その際、

 「恐れ入りますが、ポタラ宮までお越し願えますでしょうか?」

 と、ジン・ミツルが宿泊していたホテルに役人が来て口上を述べた。


 「どのようなご用件でしょうか?」

 と、ジン・ミツルの側近は尋ねた。

 役人は、返答に困り、

 「ウェイ司令官のお招きでございます」

 とだけ言った。


 ウェイ司令官とは、チベット国を建国した男で、

 チャン・ウェイ(張偉)、

 という名の人物であった。

 もともとは人民解放軍のチベット軍区(西蔵軍区)における司令官で、階級は中将であった。

 配下にあった7つの旅団とインドとの国境に配置されていた辺防団とともに独立し、チベット国の実権を握っていた。


 翌日、ジン・ミツルはポタラ宮に向かった。

 17世紀に再建された豪壮なその宮殿はマルポリ(紅山)という小高い丘の上にある。登り口の標高は3,700メートルで、宮殿の入口は3,817メートルである。ジグザグの階段を登っていくと、ところどころに兵士が立っており、ジン・ミツルの顔を見ると敬礼した。

 宮殿の玄関の中に入るとダライ・ラマ15世が出迎えていた。

 ダライ・ラマ15世はジン・ミツルと同い年であった。

 

 「よくぞいらっしゃいました」

 と、ダライ・ラマ15世は笑顔をつくった。

 ジン・ミツルは側近2名とともに丁重に頭を下げ、

 「お世話になります」

 と言った。


 応接室に通されたジン・ミツルは、そこでチャン・ウェイ司令官を見た。 精悍な顔をした漢人であった。

 

 「はじめまして」

 と、ジン・ミツルは頭を下げ、握手を交わした。

 チャン・ウェイ司令官は満面に笑みをたたえ、ジン・ミツルの手を強く握り、

 「こちらは、パンチェン・ラマ12世です」

 と、自分の横に腰かけていた僧服のチベット人を紹介した。

 

 パンチェン・ラマというのは、ダライ・ラマの副官のような役職である。一般に、両者は太陽と月の関係で言い表される。

 ダライ・ラマが死ぬと、その配下の者たちはダライ・ラマの生まれ変わりの子どもを捜索する。そして、それらしき子どもが見つかるとパンチェン・ラマがそれをダライ・ラマとして認定する。パンチェン・ラマが死んだときはその生まれ変わりをダライ・ラマが認定する。

 ダライ・ラマ14世のときにパンチェン・ラマ10世が死に、その生まれ変わりとして認定されたパンチェン・ラマ11世は中国政府に連れ去られた。中国政府は新たに別の子どもをパンチェン・ラマ11世と認定したが、ダライ・ラマ14世はそれを認めていなかった。

 連れ去られたパンチェン・ラマ11世は数年後に死亡していたが、チャン・ウェイ司令官はチベット国を建国する際にその生まれ変わりを捜索させ、ダライ・ラマ14世に認定させた。それが、パンチェン・ラマ12世であった。そして、ダライ・ラマ14世が入滅すると、今度はそのパンチェン・ラマ12世がダライ・ラマ15世を認定した。

 そして、それはチャン・ウェイ司令官の息子であった。

 そのダライ・ラマ15世が14世の生まれ変わりであるとはだれも信じていなかったが、そのことをとやかく言う者はチベット国内にはいなかった。


 「お待ち申し上げていました」

 と、パンチェン・ラマ12世はジン・ミツルの手を握った。

 温厚な顔をした青年であった。


 「よろしくお願いします」

 と、ジン・ミツルはその手を握り返した。


 「高山病にはなっておられませんか?」

 と、チャン・ウェイ司令官はまず言った。


 「大丈夫です」

 と、ジン・ミツルは答えた。


 チャン・ウェイ司令官は中夏との対立関係について説明した。

 「北京で中夏政府が成立したときに、わたしはその傘下から独立しました。そのとき、北京では5名の上将が天将を名乗りましたが、そのうちのひとりは国防科技大学時代の同級生です。これはずるいヤツでした。何人か集まって一緒に酒を飲んでいて、勘定しようとするといつの間にか姿が消えているんですよ。なのに、表に出るとそのへんで待っていて、もう1軒行こう、などとほざくヤツでした」


 チャン・ウェイは成績も優秀で国防科技大学を主席で卒業したが、入隊するとすぐにチベット軍区に配属され、そのまま塩漬けにされた。同期の仲間のだれかに妬まれたらしかった。そのためか、中将にまでは昇ったが、上将にまでは昇れなかった。

 その恨みがあったため、クーデターには参加する気がしなかった。そして、チベットに家族を呼び寄せ、自分の旗を揚げた。


 「わたしは漢人ですが、チベット人の味方です。チベット人のY染色体は日本人のY染色体と同じDの系統だそうです。なので、我々は日本人を歓迎します」

 と、司令官はさらに言った。


 「あなたは、始皇帝の記憶を持っておられるという話を聞きました」

 と、ダライ・ラマ15世は言った。

 ジン・ミツルはニッコリ笑った。が、その件については何も語らなかった。

 すると、

 「一昨年まで、我々はまだ人民元を使っていましたが、今は、サン(Srang)を使っています。

造幣局ができて、ようやく国としての体裁がととのいました」

 と、パンチェン・ラマ12世は言った。


 「本題はそこですね?」

 と、ジン・ミツルはニッコリ笑った。

 

 チベット国には3つの課題があった。

 ひとつは核武装である。 人民解放軍は核兵器をもっており、これに対抗するにはチベット国も核武装する必要があった。独自の開発はまだ無理であったため、インドからの買い付けが検討されていた。


 2つ目の課題はダム建設であった。

 チベット国は中夏やインドの水源地となっている。インダス川、ガンジス川、メコン川、長江の源流はチベットにある。そこにいくつかダムを建設すればその影響力は巨大なものになる。そうすれば経済的にも優位なスタンスをとれるようになる。


 3つ目は鉱物資源の活用であった。

 チベットには金や銅の鉱脈があり、それらを採掘できる体勢が整えば莫大な資金源となる。が、それ以上に有望なのはリチウムであった。その埋蔵量は南米やアフガニスタンよりも大きく、360万トンと見積もられていた。しかも、チベットの塩湖から抽出されるリチウムは純度が高く、精製のコストも環境負荷も低く、世界で最も費用対効果の高い供給地と目されていた。そして、リチウム電池の需要は上昇し続けていた。


 

 「チベット国の人件費は世界でもっとも安いのです。少額の投資でもチベット国にとっては大きなものになります。投資効果は絶大です。なので、我々に投資したい資本家はたくさんいます。しかし、中夏との関係を考慮するとそれができないのです」

 と、ダライ・ラマ15世は言った。


 チベット国が発行する国債を買ってもらいたい、というのがチャン・ウェイ司令官の用件であった。


 「わかりました。じっくり考えます」

 と、ジン・ミツルは言った。





     二




 その4ヶ月後、ジン・ミツルの研究所が完成した。

 ラサ市の規制に則って外観は古風な石造りの台形となり、3階立てで屋上がテラスとなっていた。敷地面積は当初の計画通り300平方メートルで、延べ床面積は600平方メートルであった。 1階は日本食を売るコンビニで、2階はオフィスとなり、研究所は3階だった。

 その2階のオフィスは、ジン・ミツルが設立した投資ファンドのチベット国支店であった。

 アバン・キャピタル(阿房資本)、

 というのが、その名称であった。

 阿房をアバンと発音するのは上古音である。

 支店となっているが本店はなく、ケイマン諸島金融管理局に登録した籍があるだけだった。 代表者はジン・ミツルの未成年後見人となっていた叔母で、名は、

 神のぞみ、

 といった。が、これは名前を借りただけである。

 そのアバン・キャピタルの口座には設立して1ヶ月後でしかないのに900億DENという金額が振り込まれてあった。出資者はすべて匿名となっていたが、その人数も公表されていない。



 アバン・キャピタルが発足した1ヶ月後、チベット国はパキスタンの麻薬組織を介してインドのDRDO(国防研究開発機構)から核ミサイルを2基買い付けた。


 これだけでチベット国の国債の値は3倍に跳ね上がった。

 中夏との軍事バランスが大きく変わり、チベット国が人民解放軍の侵略を受ける可能性が大幅に減ったからである。

 アバン・キャピタルはチベット国の国債を500億DENぶん購入していたので、その含み益は1000億DENとなり、総資産は1900億DENとなった。


 その2ヶ月後、国連はチベット国を国家として正式に承認した。


 チャン・ウェイ司令官はジン・ミツルを特別な市民として遇することにした。

 国師(State Preceptor)、

 というのが、その肩書きであった。 これは古代中国における皇帝の師である。

 そして、これによりジン・ミツルは特殊な外交旅券(Diplomatic Passport)を取得した。

 旅券番号の頭文字に「D」がついていて、外交特権があることを表しているのだが、その次の8桁の番号がすべて「0」になっていた。そして、国籍の欄は無国籍を意味する「N/A」という表記になっている。チベット国が身元と外交特権を保証するが、国籍を証明するものではないということである。ジン・ミツルは無国籍のままでありつつもチベット国の保証を受けて海外へ渡航でき、渡航先では不逮捕特権が行使でき、さらに関税や所得税なども免除されることになったのである。国連が発行する通行証に似たものであるが、微妙に異なる。

 

 「日本のパスポートみたいだな」

 と、ジン・ミツルはそのパスポートを見てつぶやいた。

 パスポートの表紙には八宝タシゲタという円形に近い紋が入っていた。それは、仏教の8つの幸運のシンボルを花びらのような形にして円形に並べたもので、距離を置いて見ると菊のご紋によく似ていた。

 ちなみに、日本という国はすでに消滅しており、旧日本人にはUSANのパスポートが与えられていた。その表紙にはアメリカ合衆国の国章であった白頭鷲のデザインがそのまま使われていて、これは旧日本人には不評であった。


 ジン・ミツルが羽田空港に降り立ったのはその翌年であった。

 17歳になっていた。

 入国審査でパスポートリーダーのスキャナー面にパスポートを置くと、頭上のランプが黄色く点滅した。すると、入国審査官があわをくって駆け寄ってきた。


 「こちらへどうぞ」

 と、審査官は言った。が、その言葉とは裏腹に表情は微妙であった。17歳の少年が外交特権をもっているということは、親が外交官とか政府高官だというのが普通の認識になる。が、無国籍というところは尋常な話ではない。旅券番号の頭文字以下がすべて0となっていることも異様であった。


 VIPルームに通されたジン・ミツルは、そこで取り調べを受けた。

 「あなたは旧日本人ですよね?」

 「はい」

 「どうしてUSANの国籍を取得しなかったのですか?」

 「中夏の国家安全部で取り調べを受けていて携帯PCが使えず、期限内に国籍取得の承認ボタンをタップできなかったのです」

 「取り調べを受けたということは犯罪を犯したということですか?」

 「いいえ」

 「では、どういうことですか?」

 「よくはわかりません。中夏政府にとって重要な情報をわたしが知っているのではないかと疑われたのです。しかし、そのまま釈放されました」


 入国審査官は困惑したが、質問をつづけた。


 「あなたのパスポートはチベット政府が発行したものですが、チベット国民であるとは書かれていませんね」

 「わたしは無国籍のままです」

 「では、これからUSANの国籍を得るための申請手続きをなされますか?」

 「いいえ」

 「なぜです?」

 「必要ありません。このパスポートがあれば国連加盟国ならどこにでも入国できます」

 「あなたはチベット国政府で何かの役職についておられるのですか?」

 「それは個人情報です。チベット国はわたしに外交特権を与えてくれています。あなたにはわたしを取り調べする権利はありませんよ」

 「大変失礼いたしました」


 審査官はキツネにつままれたような表情になり、そのままジン・ミツルを出口に案内した。

 途中で手荷物を受けとったジン・ミツルは、VIP用の出口に向かう際、丁寧に頭を下げ、

 「お疲れさまです」

 と言った。

 審査官は思わず直立不動の姿勢になった。





     三





 USANは、このとき、大統領選挙の真っ最中であった。

 現職の大統領は民主党のアリソン・キャンディという色白の黒人女性で、

 「日本は日本! アメリカはアメリカ! それぞれ別の国なんです! 日米合併は白紙に戻さねばなりません!」

 という演説を連日行っていた。

 ちなみに、このアリソンは4年前の選挙でも同じスローガンを掲げて当選したのだが、大統領に就任するやいなやそのことを忘れ去り、日本圏での票集めに奔走していた。が、2期目の選挙になると再び「日米合併解消」を語るようになっていた。

 これに対する共和党の候補はエリック・マンソンという褐色な肌の白人男性で、

 「日本圏とアメリカ圏の産業構造をもっと柔軟な形にして互いに強固に結びくようにしなければならない」

 というような演説をしていた。


 17歳のジン・ミツルはそのへんのことにはまるで興味を持っていなかったが、エノーマス・ウェンズデイの経済崩壊から復興しつつある種々の産業への投資を考えていた。

 そして、いくつか投資を行った中のひとつにアニメ制作会社があった。


 日本圏のアニメ会社はハリウッドの映画制作会社の傘下には入らず、独自の路線を貫いていた。

 が、小規模な作品で勝負するばかりで、大規模な予算を投入した大作をつくれずにいた。これは、制作費を制作委員会方式で集める慣習に縛られていたためである。制作委員会方式とは、製作資金を複数の企業(動画配信サービス会社、出版社、広告代理店、配給会社など)で分担し、著作権を共同保有する「民法上の組合」を作品ごとにつくる方式である。

 その制作委員会のメンバーとなる企業は毎回ほぼ同じメンバーで、それらはいずれも横並び意識で出資をしており、作品が当たったときもハズレになったときも一蓮托生でいられるという安心感を共有していた。このため、ひとつの作品のために大きな制作費を捻出することができず、それらの下請けとなって実際の作業現場を動かしていた制作会社は低予算の枠内でハリウッド映画と対抗せねばならず、常に疲弊していた。


 「現場スタッフの能力がまったく活かされていない」

 と、ジン・ミツルは関係者に説いてまわった。

 そして、三鷹にあった有望なアニメスタジオをみつけ、これと独占契約を結び、そこで制作する作品の製作費を全額アバン・キャピタルが出資することとし、制作費についての上限を取り払い、ヒットすることが予測できている作品についてはハリウッド並みの制作費を拠出することにした。

 そして、このとき、

 「アニメ制作には時間がかかりすぎている」

 と言いだし、

 QTR(Quantum Telecommunications Research/量子通信基礎技術研究所)、

 という企業との技術提携契約を結んだ。

 このQTRは人間の脳内に浮かんだイメージをデジタル画像にして取り出す技術を開拓していた企業であり、その業界内ではもっとも先駆的な取り組みを行っていた。

 この技術とAIによる画像補正システムにより、アニメーターは手を使わず、思い浮かべるだけで瞬時に画像を作成できるようになった。

 尚、そのQTRは、眠っている人間の夢を可視化する技術にも取り組んでおり、ラサ市につくった予知能力研究所にもその技術が導入されることとなった。


 ジン・ミツルの快進撃はここからはじまった。


 最初にプロデュースした作品は始皇帝を主人公とした壮大なドラマで、司馬遷の『史記』の歪みを正すものとなり、暴君であったとされていた始皇帝のイメージを逆転させ、その年のアカデミー賞を5部門で受賞し、カンヌ映画祭でパルム・ドール(グランプリ)を受賞した。

 ジン・ミツルとアバン・キャピタルはその作品の成功で一躍世界に名を轟かせ、多数の出資者を集めるようになり、新たに1000億DEN以上の資金を得た。

 その資金により、ラサ市の予知能力研究所は大幅に規模を拡大し、1,120名の能力者を集め、そこからひねり出された予知情報はあらゆる分野において次々とゲームチェンジャーを誕生させた。

 これにより、低迷していた日本圏の経済が大きく浮上した。

 数年後、アバン・キャピタルの資金は1兆DENを超えた。


 が、ある日、チベットの研究所から極秘のメッセージが届いた。

 <USAN大統領が暗殺される>

 というのがその内容であった。


 「政治家がらみの投資から手を引け」

 と、ジン・ミツルは各方面に指示を下した。

 配下では投資部門だけで130名前後の人員が動いていた。

 ジン・ミツルはまだ21歳であったが、配下の者たちが互いに連絡を取り合う際にはジン・ミツルのことを隠語で、

 コーテイ(皇帝)、

 と呼んでいた。


 「コーテイからの命が下った。ホワイトハウスや各州の知事公邸の出入り業者の株はすべて売れ。副大統領がらみの業者の株もとりあえずは売れ。ヨーロッパ方面の政治家がらみからも手を引け。ただし、チベット関連はそのままにしておけ。本拠地を失っては困るからな」

 という指示を下したのは、

 山剛猛ヤマカタ・タケシ

 という者であった。2年前からアバン・キャピタルの筆頭執行役員となっている。前職はJPモルガンのマネジング・ディレクター(Managing Director)であった。


 「副大統領関連も売るのですか? もったいないですよ。これから大統領になるんですから」

 と言ったのは、山剛がJPモルガンから連れて来たトレーダーであった。

 「暗殺事件が起きたら犯人捜しがはじまる。利権構造に首を突っ込んでるヤツが最初に疑われる」

 と、山剛は言った。

 「なるほど、さすが海千山千の山剛さんですね」

 と、部下のトレーダーは感心した。



 アリソン・キャンディが暗殺されたのは、2期目の任期が終了する1年前であった。

 その任期を引き継いだのはネルソン・ジャーディンというスコットランド系の白人で、その背後にはウォール街の残党が集まっていた。


 「よし、今だ!」

 と、山剛は軍事産業関連への投資を拡大するよう部下に指示した。


 エノーマス・ウェンズデイで経済崩壊が発生したときに、もっとも打撃を受けたのはウォール街の投資家や金融機関であった。USドルを鋼鉄の盾とし、ニューヨーク証券取引所を黄金の剣として世界経済を牛耳っていた重装歩兵の集団は、その盾と剣を失ったときに完全に無力化された。

 その急場をしのぐための苦肉の策がDENという新通貨の発行と日米合併であったのだが、USANという新体制ができあがる際に問題視されたのがウォール街の存在であった。


「あいつらのせいでオレの銀行預金が使えなくなったんだ!」

 という庶民の怒りが爆発したのである。

 実際のからくりはそのような単純な話ではなかったのであるが、USANを発足させた主要メンバーはウォール街を見捨てるしかなかった。

 そして、FRB(連邦準備制度理事会)を廃し、新たにUSCB(合衆国中央銀行)を立ち上げ、ホワイトハウスと国会議事堂をロサンゼルスに移転した。


 ドルを発行していたFRBは12の地区連邦準備銀行を統括した組織で、その筆頭はニューヨーク連邦準備銀行であったが、それらは消滅した。ただ、それらの株主となっていた金融機関の多くはニューヨークに残った。そして、それらの金融機関の株主となっている投資家たちは日米合併を解消して元の体制に戻そうと考えるようになっていた。

 ジン・ミツルの侵略を怖れたのである。

 

 山剛は見切っていた。 旧勢力のカネの亡者たちがカネを取り戻そうとするときに何をするかを、

 それは、軍事行動である。


 だが、そこにチベットの研究所からメッセージが届いた。

 <次の大統領選挙に日本人が当選する>

 というのがその内容であった。


 「ジンさん、もしかして、あなたが立候補するのですか?」

 と、山剛はジン・ミツルに尋ねた。

 しかし、

 「まさか、そんなこと」

 と、ジン・ミツルは笑った。


 次の大統領選挙には現職のネルソン・ジャーディンが立候補予定者となっており、これが当選するだろうと政治評論家などは予想していた。

 だが、ネルソンは選挙戦がはじまってしばらくすると立候補を取りやめた。

 「わたしは副大統領だった。大統領には向いていない」

 というのがその幕引きの演説であった。


 種々の情報を集めた山剛は、

 「日米合併を解消すると口で言うのはたやすいですが、実際に行うのは非常に難しいようです。アリソン・キャンディもそれができずに暗殺されたのでしょう。ネルソンは身の危険を感じて逃げたようです」

 と、ジン・ミツルに報告した。


 「日本人が大統領になるということだが、民主党からではなさそうだな。そのような状況ならば、勝つのは共和党だろう」

 と、ジン・ミツルは言った。

 

 結局、民主党の候補は冴えない中年紳士となった。

 そして、共和党の候補に旧日本人のハリウッド映画スターが選ばれた。

 一条ネモリン、

 という名前で、まだ25歳だった。


 「あんなアホが大統領候補に?」

 と、アバン・キャピタルの職員たちは驚いた。

 だが、ネモリンはアメリカ圏では人気があった。日本圏でも旧日本人だというだけで浮かれて騒ぐ者が続出した。


 山剛はネモリンが大統領候補となるまえに軍事産業への投資から手を引いていた。軍事産業の株はどんどん上昇していたが、ネモリンが候補となると下がりはじめた。日本人が大統領になったなら戦争はやらないだろう、という予測が主流になったのである。

 が、山剛はこの頃になって再び軍事産業への投資を開始した。

 「無能な大統領ならば周囲の圧力に逆らえない。必ず戦争をはじめるだろう」

 というのが山剛の予測であった。


 しばらくして、チベットの研究所は長文のメッセージを送ってきた。

 <USANはアフガニスタンに侵攻して人民解放軍と戦うことになります。その後、USAN政府の中央銀行が攻撃され、あらゆる銀行がカネを出せなくなります。USANは中夏本土を攻撃しますが、失敗します。すさまじい不況が起き、世界中で失業者があふれて暴れ出します。USAN国内では中夏から武器を得たテロ集団が200都市で暴れだし、警察も動かなくなり、各地の州兵が鎮圧に乗り出しますが失敗します。そして、人民解放軍の中将がUSANの大統領に就任します>


 ジン・ミツルは即座に山剛を呼んで指示を下した。

 「チベット以外の国の有価証券をすべて売れ。まだ時間はある。ゆっくりやれ。有価証券を売ったカネは現金のまま置くな。貴金属やレアメタルや不動産を買いまくれ。ただし、リゾート関係はだめだ」


 ここまで話を聞いた山剛は、

 ・・・・・・オレが考えていたことと同じことを言うな、

 と思った。


 が、ジン・ミツルは窓の外をながめながら、さらに何事かを考えていた。

 眼下には西麻生の立体交差点が見え、その先にはビル群がえんえんと続いており、地平線にはかすかに富士山が見えた。


 「そうだ、トラックや船も買おう。燃料も買おう。物資の輸送が止まったときには自分たちで物を運ぶしかない。それから、できれば富士山を買え」


 「富士山をですか!」

 と、山剛は驚いた。


 ジン・ミツルはニヤリと笑った。

 「世界が困窮して暴動があちこちで起きるような状況なったなら、人間は神にすがりたくなる。富士山の山頂にある神社を買って、あそこに大きな神殿を建てたならば大勢の人が集まる。ただし、集まるのは富士山を登れる者のみだ。混沌とした社会の中では生き残れる者と消えゆく者がはっきり分かれる。我々は元気な者だけを信者にするのだ」


 山剛は唸り、

 ・・・・・・おそろしい人だ。オレの考えなど遠くおよばない。はるかに先を診ている、

 と心服した。


 



     四



 

 アバン・キャピタルの東京支店は六本木の高層ビルの中にテナントとして入っていた。

 が、自社ビルを建てることになった。 場所は東海州の静岡市の清水区と決まった。

 ちゅ〜るスタジアム清水、という名の野球場を入手し、そこにドーム型の施設を建設することになった。

 空港からは遠かったが、そこには清水港があり、東名高速道路があり、東海道新幹線が走っており、富士宮口や御殿場口までは車で1時間程度であった。

 尚、ちゅ〜るスタジアムは静岡市が所有する施設で、ハヤテベンチャーズというプロ野球の2軍のチーム(ウエスタンリーグ所属)の本拠地となっていたが、チームの経営状態は芳しくなかった。スタジアムの使用料の支払いも滞っていた。


 「スタジアムはそのまま残します。プロ野球の試合もこれまでどおりやっていただきます。そのように契約書に書いてもらってかまいません。球場にはドーム屋根をつけさせてもらいますし、静岡市にとっても悪い話ではないでしょう」

 と、売却についての交渉窓口となった山剛は言った。

 だが、静岡市長は首を縦に振らなかった。

 静岡市の財政は硬直化しており、山剛が出した条件は悪い話ではなかったのだが、これに反対する者がいた。

 民主党の市議会議員であった。

 反対理由はとくになく、自分の存在を誇示したいというだけのことであった。

 そして、このとき、市長は選挙運動に追われていた。

 投票日まであと1ヶ月という時期であった。

 静岡市長は共和党からも支持を受けていたが、民主党の支持を失うわけにはいかなかった。

 さらに悪いことに、市議会議員の選挙は2年後で、市長選挙とはずれており、反対する民主党議員に対して選挙でゆさぶりをかけることができなかった。


 「東海州の知事や上院議員、下院議員などを味方に引き寄せて圧力をかけるか、市長選挙が終わるのを待って改めて交渉を再開するか・・・・・・」

 と、山剛はジン・ミツルに相談した。

 だが、ジン・ミツルは、

 「市長選に別の候補を立てろ」

 と言った。

 オール与党体制を固めている現職の市長を落選させろというのである。


 山剛はアドレナリンが湧いてくるのを感じつつ、

 「わかりました」

 と言った。

 これから静岡市を本拠地とする以上は自分たちに楯を突くような市長をそのままにしておくわけにはいかないのである。それに、これは山剛にとって自分の存在価値を示す絶好のチャンスでもあった。



 山剛はまず、現職市長のスキャンダルを探した。

 しかし、資金関係、女性関係、どれもクリーンであった。

 そこで、山剛は静岡市と富士市を選挙区としていた共和党の下院議員を市長候補に立てることにし、即座に交渉を開始した。


 ちなみに、日本圏は12の州に分けられていた。東海州には、愛知県、静岡県、岐阜県、三重県、長野県、山梨県が入っており、USANの州としては5番目に人口の多い州であった。人口がもっとも多いのがカリフォルニア州(3,950万人)で、次がテキサス州(2,910万人)、フロリダ州(2,150万人)、ニューヨーク州(2,020万人)となり、東海州(1,670万人)はその次であった。そこに上院議員は2議席、下院議員は21議席が割り当てられていた。


 山剛が白羽の矢を当てた下院議員の名は、

 宮間ケンイチ、

 といった。現職市長よりも歳上で、かなり太っていたが、日米合併となるまでは衆議院議員であった。

 

 「先生、わたくしどもと協力関係を持っていただけるのであれば、必ず上院議員になっていただきます。資金についてはご安心ください。うちの投資先の企業から少額づつ寄付いたします。表には出ません。運動員は出します」

 と、山剛は言った。

 宮間はニヤニヤしつつも、

 「上院議員選挙をやるまえに市長選挙をやれというのかい?」

 と言った。

 「先生、まずは静岡市の票をしっかり抑えるというのがよろしいと思いますよ。選挙は田舎の票より都心部の票ですよ。静岡市を抑えたら東海州を抑えられます。われわれが本社ビルを静岡につくれれば出入り業社もかなりの数になります。われわれの足場を固めていただければ、先生の足場も固まるわけです」

 と、山剛はさらに言った。

 これにより、宮間の心に闘志が湧いた。


 宮間の演説はまあまあであった。

 「静岡市の経済は冷え切っています。港があって、東名高速も通っているのに、カネが集まりません。人口が減ってしまって市立病院も巨額の赤字をたれながしています。わたしには起死回生の策があります。大きな集客交流施設をつくるのです!」

 というのが、宮間の演説であった。


 市民の反応はいまいちであったが、静岡市内で宮間の名前を知らない者はいなかった。そして、山剛は宮間のポスター写真のために超一流の写真家を連れてきた。客寄せのために芸能人も用意した。東海州の上院議員2名も宮間の応援にまわらせた。


 現職市長は見事に蹴散らされた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ